Novel

 モビルスーツとは、己の体の延長である。
 特にパイロットを生業とするならば、そのくらいにマシンと馴染んでいなければ待つのは死だ。

 はシートに座り、深呼吸をしながら外からの指示を待っていた。鋼鉄の棺桶に入っているというような感じはしなかった。なぜならここは戦場ではないのだから。

Bypath-4 キラの戦い

『よし、右腕を上げてくれ!』
 通信越しの声に反応して、は右手をレバーにかける。指の感触を一本ずつ確かめながら軽く握り締めると、ゆっくりと、外の作業員にぶつけてしまわないように、慎重に、上方に動かしていく。コクピットの外からごぅん、と重い金属音が響いてきた。どうやら整備は上手く行っているらしい。同じく通信から腕を元に戻すよう指示が来ると、その通りにアームを下ろしていく。

 やむを得ない事情、ということで、アークエンジェルのクルーがが整備を手伝うのを黙認してくれたはいいものの、最初彼女は腫れ物に触るような扱いをされていた。だがそれらはすぐに払拭され、は彼らの信頼を得た優秀な整備として迎え入れられることとなった。
 何しろ人手が足りないのである。いくら部外者で、ストライクは大西洋連合の重要機密で、が所属するジャンク屋連合が一部でハイエナと呼ばれているとはいえ、必要に迫られたクルー達はを使わざるを得なかったのである。ちょうど、他にパイロットがいないと言う理由で、民間人であったキラ・ヤマトをパイロットとして徴用したのと同じように。

 はパイロットではなく、メカニックだ。だからそのレバーを動かすことによって動くモビルスーツの腕は、己の腕ではなく、道具の一つである。
 そう、モビルスーツも、車や重機と同じ道具でしかない。少なくともはそう考えていたし、彼女の同業者であるジャンク屋もそうだった。どこを操作すればどの部分がどのように動くのか。それをきちんと把握していれば、ナチュラルにだってモビルスーツは動かせるはずなのだ。
 だが彼女の感覚は、アークエンジェルの他の整備兵とは隔たりがあったらしい。パイロットが外している間は、こういう機体そのものを動かしてのチェックなどできなかったのだ。今まで。そうしようという発想すらなかったらしい。
 メカを扱うものとして、にはそれが信じられなかった。目の前に機械があったら触りたいに決まっている。

 それでも、一協力者という立場上文句を言うことはできず、は黙ったまま、整備は次のフェーズに入っていった。


「嬢ちゃん、精が出るねぇ」
 コクピット内ですることも終わり、リフトで降りてきたの背にかかる男の声。
「フラガ大尉」
「よっ」
 振り向くと、ムウ・ラ・フラガが手をあげていた。おそらくゼロを見に来たのだろう、彼は紫にカラーリングされた専用のノーマルスーツに身を包んでいる。
 この軽い調子の男とも、すぐに打ち解けることが出来た。もともと気さくな性質で、現場レベルでの人の輪をまとめて引っ張っていくことに長けているのだろう。アークエンジェルがたったの二機で戦線を維持できているのは、この男の能力と性格によるところがあまりにも大きすぎる。
 は男に向き直った。
「いえ、生き残るためには重要ですから」
「違いない」
 の素っ気無いとも言える言葉にムウは苦笑を漏らす。確かに、現状のアークエンジェルでまともに戦えるのは、彼のメビウス・ゼロとキラのストライクしかない。ならばそれを万全の状態に仕上げておくことは至上の命題だ。
 ヘリオポリスを脱出してより追撃に回っている部隊が、あのクルーゼ隊だという事実も、整備の重要性を増している。
「相手はクルーゼだ。どれだけやっても、やりすぎってことはないさ」
 ふと、ムウの口調が変わったことには気付いた。彼が今しがた口に出した、あの男のことで。
「クルーゼ……ラウ・ル・クルーゼ? ネビュラ勲章の?」
「お、知ってんのか」
「ええ、有名ですから」
 頷くとムウは『参った』とでもいうように額に手を当てる。その意味するところはには分からなかった。かわりに、ムウとは逆に下を向いて黙り込む。

(同じファーストネーム……まさかね)

「……? どうした?」
「何でもないです。じゃあ私、外装のチェックに戻ります」
 心配するムウをよそに、は頭を振って踵を返した。

 このまま何事も無ければいい。
 アークエンジェルはアルテミスに向かうらしい。それならば、そこを経由して、組合に迎えをよこしてもらえばいい。もう戦いの影にびくびくすることもなく、通常の業務に戻ることもできるし、兄を探すことだってできる。

 だが、アルテミスでたちを待っていたのは、連合内の確執によるさらなる混乱とザフトの襲撃だった。


 何とかアルテミスを脱出したアークエンジェルは、いまだ逃避行を続けていた。もちろん、降りるはずだったヘリオポリスの民間人たちもそのままだ。
 合流予定だったはずの第八艦隊の先遣隊は、つい先程ザフトにより壊滅した。その前に、キラが厄介な拾い物をしたことも、艦内に不穏な空気を漂わせることとなっていた。
 やはり単艦のまま、アークエンジェルは進む。
 それでものすることは変わらない。だが、少しだけ変化があった。

 それはいつものように、キラがいない際に彼女が替わってストライクの内部からのチェックを行おうとした時だった。
「どうした嬢ちゃん? 動かないのか?」
「プロテクトがかかってます。ちょっと外せそうになくって」
「何だ、外せねえのか?」
 落胆したような、揶揄するような言葉につい熱くなり、はコクピットから身を乗り出し叫んだ。
「並のプロテクトじゃないんです! インチキまがいのコードが何重にも張り巡らされて……!」
 その言葉を聞いて、大柄な整備兵──マードック軍曹が肩をすくめる。
「……あの坊主だな、そんな芸当ができるのは」
 キラはアルテミスの一件からこっち、ストライクを守るために、システムにプロテクトをかけていた。プログラミングは彼のもっとも得意とする分野であり、そのマニュアルを無視した無茶なプロテクトは、おいそれと解除できるようなものではなかった。
 自衛の意識があるのはいいが、いくらなんでもメカニックを信用しなさすぎだ。はコクピットから出ると、リフトも使わず無重力空間に飛び出した。
「お、おい!」
「呼んできます!」
 制止も聞かず、はドックを抜けると、キラがいるであろう居住ブロックへと向かった。


 探し人は意外にもすぐに見付かった。なにしろ、が進む通路の向こう側から、こちらに向かってやって来たのだから。
「……キラ? ちょい待ち!」
「!!」
 少年の真ん前に立ちふさがるようにして通路中央に躍り出る。慣性に委ねていたのか、キラの体はにぶつかりかけて寸でのところで何とか止まった。
、さん……?」
「よかった、すぐ見付かった……って、キラ、目のとこ……」
「な、何でも……!」
 慌てて顔を隠すキラに、は首を傾げた。彼の目尻は赤く腫れていた。だとすれば彼は泣いていたのではなかろうか。
 確かに緊張の連続で、しかもこの艦の生命線たるストライクのパイロットを専任されているのだから、どこかでその糸が切れても仕方がないのかもしれない。
「大丈夫、誰にも言わないって。だから、みんなのとこに戻るまでにはちゃんと顔洗って」
「僕は……僕、は」

 事情を知らぬものの慰めがどれほどの効果も持たないか、この時は身をもって知ることになる。

 腕を下ろし、再び顔を上げたキラの頬には、先程見た時には無かった透明なものが流れ落ちていた。
「キラ……?」
「僕は、本当はもう、嫌なんだ……こんなこと、殺したくなんか……でも、だからちゃんと戦えなくて……」
 は見当違いをしていたのだ。キラは壊滅した第八艦隊のことや、艦隊に同乗していたジョージ・アルスターを悼んで泣いていたわけではない。
「…………」
「フレイのお父さんを死なせて……」
「あの子のお父さん、って」
「フレイ、泣いてたんだ……僕のことを嘘吐きって……本気で戦ってないって」
 の言葉を無視して、キラは一人で心情を吐露していた。ここでやっと、は違和感に気付いた。キラは守れなかったことそれ自体ではなく、それを咎められたことに対して泣いているのだ、と。
 だが本気ではない、とはどういうことだ。ストライクを見れば分かる。キラはあの機体を限界まで引き出そうとしているのに。
 は彼の顔を覗き込んだ。
「ねえ、キラは頑張ったんでしょ?」
「ぼ、僕は……」
「頑張ったけど駄目だったじゃいけないのは分かってる。でもキラはよくやってるよ。機体を見れば分かる」
「そんなこと、僕はよくやってなんか」
 キラは視線から逃れるように俯いた。謙遜か、それとも本心か。キラの反応とストライク、どちらを信じればいい。
 しばしの思案の後、は荒い手を使うことにした。キラの両肩を掴んで、真正面から見据える。
「キラは、戦いが嫌なんだよね。それは戦争そのものが? それとも……」
 一拍、呼吸をおいて、低く告げる。
「……それとも、自分が戦うのが?」
「!!」
 キラの肩が震えるのが伝わってきた。

 長い時が流れたように感じられた。

「……僕、は」
 絞り出すように、キラが呻いた。
「僕は、僕は本当は戦いたくなんかない……誰も殺したくなんかないんだ……!」
 キラが顔を上げた。瞳を潤ませて、僅かに非難めいた視線でを見上げている。宥めようと彼の方を優しく揺するが何の効果も無かった。
 慰めの言葉が上滑りして明後日の方向へと消えていく。
「それは分かるよ。誰も戦いなんてしたくない。でも心情はどうあれ、君は既に戦ってしまった。人を殺してしまった。その事実はもう消せないんだよ」
「…………!」
 キラの瞳がさらに悲しみに彩られる。だがそれは、死者に対する悲哀ではなく、自分がやったことへの忌避感からくるものだ。にはなぜかそう思えた。
 彼はただ単に、本当に単純に、殺したくないと、自分が人を殺すのはタブーだと思っている、そう感じられた。

 この時点でもはや、の言葉は慰めでも何でもなく、ただ彼の矜持を傷つけるだけのものだった。
「それでも……っ、君には分からないんだ! 僕がどんな気持ちでっ!」
「!!」
 の腕を振り切り、キラは元来た方向へと去っていく。
「……逆効果だったかな」
 首をかしげては呟く。何か忘れているような気がした。
 キラの姿が完全に見えなくなってから、やっと思い出す。
「そうだ、プロテクト!」
 すっかり失念していたが、最初の目的を果たさなければ。はキラを追った。

 そして追ったことを、後悔した。

「あれは……ラクス・クライン……!?」
 何もやましいことはしていないのに、出て行くことは憚られた。
 キラは外の様子が見える艦内通路にて、ピンク色の鮮やかな髪を持つ少女と共にいた。宇宙で活動するものならばコーディネイターでなくとも知っている。彼女の名はラクス・クライン。プラントの歌姫と呼ばれる一種のカリスマ、そして先頃キラが拾ってきた『厄介な拾い物』だったのだから。
 歌姫はその呼び名の通り声も美しかった。それがキラを、戦いに疲れて凹んだままの、甘ったれの少年を慰めているのだ。しかも厄介なことに、彼女の言葉はキラを肯定するものばかり。
(何だろう……凄く嫌な予感がする……)
 知らず、は背筋が凍るような気分に苛まれていた。ラクス・クラインは先程の戦いにおいて、人質にされたという。ブリッジに引き立てられ、ザフトが引かねば殺されるという状況になったらしい。なのに彼女自身は、そんなことが無かったかのようにケロリとしたものである。
 何より敵軍の艦内において、こうも自由に外を出歩いているなどと。普通の人間では考えられない。

 ふと、ラクスが視線を揺らした。キラはそれに気付いた様子はない。
「────!!」
 思わず息を飲む。ラクスの視線はを捉えていた。

 ただ、ちらりと見ただけだ。偶然目に入っただけかもしれない。
 だというのに、はそれだけで身が竦んだ。