Novel
プラントのアイドルの顔を直接見たのは初めてだった。
はジャンク屋とはいえ、ナチュラルである。戦争が始まってからは、プラント本国へ入ることは許されていない。だからプラントの象徴である彼女とこうやって会うことなど、想像すらしなかったのだ。
その当人を目の前にした、この時までは。
Bypath-5 自生の調整者
「あら、あらあら?」
アークエンジェルの通路に無防備に突っ立って、ピンク色の球体を手に持ったままの姿の少女が一人。
「どうしましょう、ピンクちゃんが動かなくなってしまいましたわ……」
「ら、ラクス・クラインっ!? ……何してるの!?」
「あら?」
は驚愕の声を上げた。
あるハプニングでこの戦艦に拾われ、現在は士官室に軟禁状態のはずのプラントの要人が、まるで散歩の途中のようにそこにいる。
「どうしてこんなところに……」
呟かれる疑問にろくに返ってくる答えは無かった。そういえば前にもこの少女は勝手に部屋を抜け出して、キラと接触していたのだ。今更理由を聞くのも意味の無いことかもしれない。
案の定、ラクスは微笑んだまま、動かなくなったピンク色の球体を差し出してみせる。
「このピンクちゃんがお部屋の鍵を開けてくれたので、少しお散歩していましたの。でも、先ほどピンクちゃんが動かなくなってしまって……壊れてしまったのでしょうか?」
ラクスの手のひらの中で、『ピンクちゃん』と呼ばれたその球体は転がっていた。中央にある二つの小さなアイセンサーが光を失い、耳のような左右の開閉部が時折ぴくりと動きかけては止まる。
確かに故障だった。彼女のあまりの泰然とした態度に溜息が漏れる。
だが、いつまでもこの少女をこのままにしておくわけにもいかないだろう。は『ピンクちゃん』に向かって手を差し伸べた。
「ねえ、それ直してあげようか?」
「直す? まあ、直せるのですか? わたくし、機械にはさっぱりで……」
「あー、うん……マイクロユニットを応用した、自律型AIのペットロボットでしょ? 内部のAIが壊れてなかったら、元通りにはなる」
「そうですか、ありがとうございます。では、早速お部屋に参りましょう」
「ま、参りましょう、って……」
ラクスが顔をほころばせた。戻る、ではなくて参る。駄目だ、この少女と話しているとどうも調子が狂うような気がしてくる。なぜ敵の戦艦の中を自分の家のように気軽に出歩けるのだろうか。
だがそんなの疑問になど全く気付かず、ラクスは与えられた部屋へと歩きながらマイペースに続ける。
「そういえば、お名前を伺っておりませんわ。わたくしはラクス・クラインです」
「……知ってる。私は・」
「はい、よろしくお願いします、様」
「、でいい」
「分かりました、。ではわたくしのこともラクスとお呼びください」
会話だけを抜き出せば、少女たちの何気ないワンシーン。そのままは部屋に招き入れられ、静かにドアが閉じられた。
「まあ、素晴らしいですわ、」
感嘆の声と共に、ラクスはの直したピンクの球体(ハロというらしい)をぽんと放り投げてはキャッチするのを繰り返す。それは彼女の手の中で跳ねるたびに『ハロ! ハロ!』などと電子音を響かせていた。
「アスランはハロたちを作ってはくださいますが、直し方は教えてくれませんでしたので、とても助かります」
「ふーん……よっぽど機械いじり好きなんだね、そのアスランって人。ジャンク屋にもここまでの機能を持たせたマイクロユニット作れる人なんて、そうはいないよ」
「ええ、とても手先の器用な方ですわ。」
ラクスの言葉はとても誇らしげに聞こえた。は知らないことだが、婚約者を褒められたことが嬉しかったのかもしれない。
だがその優しい空気も、ラクスが次の言葉を発するまでのことだった。
「アスランでもここまで早くは直せませんでした。はもしかしたら、キラと同じなのですか?」
「え?」
一瞬意味を図りかね、は聞き返したが、ラクスはかまわず続けた。
「キラは自分がコーディネイターなのにもかかわらず、この艦のお友達のために戦っていると聞きました。同胞同士が敵対してしまうのは、とても辛いことだと思いますわ」
何かを探るような言葉。は直感した。ラクスは、がキラと同じく自らを偽って連合の艦にいるのではないか、と疑っているのだ。
だからは先手を打つことにした。先に本当のことを喋ってしまうのだ。
「私はナチュラルだよ?」
「ですが、あなたはわたくし達と変わりませんわ」
「そりゃあ、どっちも人間だけど……」
「そういう意味ではありません」
言葉を遮り、ラクスはふわりと微笑んで見せた。
一切の悪意の無い笑顔。だがそのことがかえって空恐ろしいとは感じた。
「……な、何?」
「、あなたは生まれこそナチュラルですが、そのお体はわたくし達の方に近い……生まれながらに、そう運命付けられているのですわ、きっと」
「…………!」
全てを見透かすかのようなラクスの視線に動けなくなった。
表情こそ慈愛に溢れているように見えるが、その眼差しはどこまでも深く、底が読めない。だからこそついつい覗き込みたくなる危うさを与えている。
そして一度囚われれば最後、歌姫の心地よい声と言葉に全てを委ねてしまうのだろう。『ラクス・クラインの歌声にはプラントの住民を沈静化させ、言うことを聞かせる効果がある』などとアングラで嘯かれているふざけたゴシップそのままに。
現にキラ・ヤマトは一瞬で彼女に心のうちを全てさらけ出した。逆にフレイ・アルスターは、わけもなく嫌悪感を抱いたが、これが遺伝子操作の有無の違いかどうかは分からない。
そしては、どうやらキラの方に近かったらしい。ラクスの声に、心地よさを感じる自分に気付いていた。
だが。
「ですから……あっ」
手を差し伸べようとしたラクスの身体が不安定に揺れる。
手が触れる直前に、は身を引いていた。冷たく告げる。
「私の遺伝子が優秀だってことを言いたいのなら、そんな回りくどい言い方はやめて。いわゆる『ナチュラルの天才』……確かに私はそうなのかもしれない。でもそんな風に思ってない。これは私の努力の結果。遺伝子なんか関係ない。私はコーディネイターがナチュラルと違うとは思わないし怖くもない。けど、それとこれとは話が別……」
「では、あなたは一体何者なのです? ナチュラルとコーディネイター、そのどちらでもないあなたは……?」
危険だ、と直感した。警戒しろ、と体全体が告げている。
彼女の話をまともに聞いてはいけない、と、頭の中から声が聞こえた。ふるりと首を振る。
「私は遺伝子を一切いじってないナチュラルよ。けれどあなたは言外に、『どちらも同じ人間』ということを否定した。あなたは私が『潜在的コーディネイター』と言った……コーディネイターと同じ扱いに『してやる』と言ったのよ。あなたの優しさは優越感から来るただの同情でしかない」
「……」
ラクスが押し黙った。かわりに、僅かに震えた視線が圧倒的なまでの存在感を持ってを侵食しようとする。
支配されるな、精神を侵されるな。この女は何を考えているか分からない。拒否しろ。否定しろ。拒絶しろ、拒絶しろ、拒絶しろ……
の脳裏に幾通りもの警告が響く。
うるさい。一人でやれる。は頭の中に響く声も、ラクスの声も無視して続ける。自分を見失わないために、言葉を機関銃のように紡ぎ出し、捲し立てるくらいしか出来なかった。
息継ぎ0.02秒。きっ、とラクスを正面から見据える。澄んだ湖のような青い瞳は、のそれよりも若干淡く、美しい。だが。
「そして何より気に食わないのはその目。優しそうに見えて、その裏で人を見定めている……利用できるかどうかをね。天然お姫様に見せかけて、心の奥では他人を絶対に信用していない目だわ。種族どうこうは関係ない」
視線の交錯。
その緊張感も、ラクスが再び微笑んで見せたことで崩される。
「……残念ですわ。わたくしは、もっとあなたとお話がしたかったのに」
やがてラクスの口から紡ぎだされる言葉。
本当に残念そうに、笑みをたたえながらもしょげている彼女の表情からは、まるで迷子の子犬のような雰囲気がうかがえる。
だが、今のには、ラクスの声色に絶対零度の冷たさが感じられた。
お互いそれ以上は何も言わず、は一礼するとぎこちない所作で部屋を出、ロックをかけた。
「……ふ〜っ」
盛大に溜息を吐いて、は通路の隅にしゃがみ込む。
全身の力が抜けていく気がした。
彼女と対するということは、何と恐ろしいことなのだろうと思った。
ラクス・クライン。美しき歌姫の言葉も微笑みも、全てがを篭絡し、取り込もうとしていた。
彼女の言葉を聞くと、それが全てだと、彼女こそが唯一絶対の善なのだと、錯覚しそうになる。
今となっては、彼女に警戒心を抱いたフレイの感覚は間違っていなかったのではないかとすら思えてくるから不思議だ。
(よく頑張ったよ、私)
握り締めた手を開いて見る。じっとりと汗が絡み付いていた。
ラクスのような存在を、おそらく天に愛されたカリスマとでも言うのだろう。
それに対抗して冷たく振舞えたことは奇跡に近いと、の震える手は告げていた。
──それは、の遺伝子の中に、偶然にも『プラントで調整されたコーディネイター』に必ず組み込まれている『服従遺伝子』と呼ばれる遺伝子配列と近いものを持っていたためなのである。なまじ優秀に出来ていた分、皮肉な運命とも言えよう。
だが逆に、完全にコーディネイターと同じ遺伝子ではなかったためか、は無意識のうちに、ラクスの声に惹かれると同時に強烈な拒否感を抱いていた。
反発しあう遺伝子。
このことは後々、彼女に多大な心労と苦痛を強いることになるのだが、この時点でそれを知るものはいない──
翌日。ラクス・クラインはアークエンジェルから姿を消していた。
キラ・ヤマトが独断で、彼女をザフトの元に返還したのである。
重罪である。少し考えれば、子供でも分かることだ。だけどもこの戦艦の大人たちは、そんな子供の独断すら裁くことすら出来ないのだ。
ストライクのパイロットが使えなくなることを危惧したのは分かる。だけどこれでは、かえってキラを付け上がらせるだけだ。
だけどそれは軍人ではないにはどうしようもないことだ。
釈然としないまま、アークエンジェルとの別れの時が近づいていた。