Novel

Bypath-7 砂に咲く花

「……さすがにすぐに見つかるわけが無い、か……」
 バナディーヤ。アフリカ北部に位置する大きな街だ。今は戦争で人も少ないとはいえ、それでも通りには商店が立ち並び、人があふれている。
 は地球に降り立つとすぐに、ジャンク屋を騙ってオーブからやって来た工作員と別れて兄の捜索を開始した。
 結果は芳しくない。戦時ということもあって情報収集も簡単にはいかない。現地のジャンク屋組合メンバーに連絡をとるにしても手段がない。そもそもニュートロンジャマーの影響下にある地上では、宇宙で使っている携帯端末の電波は使用できないのだ。ないない尽くしである。
「シーゲル・クラインも余計なものばら撒いてくれちゃって……」
 苛立ちを遠いプラントの地にいる有名人に悪態をつくことで紛らわせて、は携帯をポーチに突っ込んだ。
 地上に降りてから調達した防砂コートのフードを目深に被り、遮光ゴーグルを装着する。まだだ。まだこの街の全てを調べたわけではないのだ。一刻も早く手がかりを探さなくては。

 そうして街外れへと続く路地に向かい、一歩を踏み出したところで、彼女の周囲を数人の男達の影が取り囲んだ。
「失礼、お嬢さん。君がこの辺を嗅ぎ回っているっていうジャンク屋かい?」
 その中の一人。原色のシャツにサングラスの派手な男がに声をかける。一体何者なのか、怪しいと感じたは無視してそこを通り過ぎようとした。
 だがそれよりも早く、を囲んでいた男達が一斉に彼女に銃を向ける。
「な……!」
 は一瞬怯んだが、派手な格好の男がそれらを手で制し、すぐに銃は下ろされる。どうやらこの男が彼らのリーダーであるらしい。
 男は余裕を含んだ表情で、サングラスを外す。陽に焼けた肌と、精悍な顔つき。一見軽薄そうな雰囲気に反してその眼光は鋭く、食えない男だと思わせるものを持っている。
 は直感した。
「砂漠の虎……」
「悪いが、少し付き合ってもらえないかね?」
 乾いた空気に、男の声はよく響いた。


 むせ返るほどのカカオ豆の香りに顔を顰めつつ、は渡されたカップの中身を一口啜った。
 顔を上げると、アンドリュー・バルトフェルド──砂漠の虎──が、こちらをじっと見つめている。自信と期待に満ち溢れたその表情は、先程をここまで連行してきた時の鋭い雰囲気をどこかへ置き忘れてきてしまったのだろうか、と言いたくなりそうな顔だ。
「どうだい? モカマタリを5%ほど増やしてみたんだが」
「……パーセント? あ、ともかく、美味しいです。ブレンドの細かい違いはよく分からないけど」
「それは良かった」
 満足気にバルトフェルドは頷いてみせる。が、再びを見据えた顔は、それまでの明るい雰囲気が払拭されて再びあの鋭い眼差しを放っている。

 あの後、有無を言わさずが連れてこられたのは、彼が司令官を務めているザフトのバナディーヤ基地であった。当然は抗議し、所属も明らかにし、軍に関わることを拒否した。
 全て誤解である、と。自分はただ、生き別れになってしまった兄を探しているだけなのだ……と説明したところ、彼はそれをあっさりと信じたのだ。
 そして今は、基地の一室──来客用の応接室にて、こうしてコーヒーをご馳走になっている。この意外な展開に一番驚いたのは、誰あろう本人だ。
 彼女は今、デザイン性の全く考慮されていない防塵コートと愛用の作業服から、露出度の高いドレス姿へと着替えていた。着替えさせられた、と言ってもいい。事情を知ったバルトフェルドが部屋に呼んだアイシャという女性に見立てられたのだ。
 センスはいいのかもしれないが、正直、似合っているとは言いがたい。服に着られている感じがする。
「ごめんなさいね。彼、見所のある同胞を見つけると、よくこうやって『招待』するのよ」
 悪い癖だ、とでも言いたげにアイシャが肩をすくめると、バルトフェルドは眉間にしわを寄せてカップの中身を飲み干した。
「同胞?」
「そうだ。君はとても優秀な技術屋だと聞いているよ。頭脳、身体能力、共に高い水準……つまり、コーディネイターだろう?」
「お言葉ですが」
 いったん台詞を切り、はカップをテーブルに置いた。
「私はナチュラルです。能力が高いのは、それに見合う努力をしたんです」
「おっ……と、それは失礼」
 途端にバルトフェルドの瞳が冷たく輝く。を鋭く見据えたまま、口ばかりの謝罪の言葉を吐き出した。
「まさか僕が間違えるとはねえ……同胞じゃなく、敵を基地に入れてしまった」
「それも違います」
 バルトフェルドの口調には敵意と呼ばれるものさえ混じっていた。だがはあくまで、冷静に告げた。
「この戦争はプラントと地球連合の戦いであって、ナチュラルとコーディネイターの戦いではないはずです。それに、私はジャンク屋です。この戦争には不干渉……!」
 彼女の言葉はそこで途切れた。自らに向けられた銃口によって。
「なるほど、正論だ! だが理屈はそうでも、感情はそうは言わないだろう!」
「感情論に摩り替えないでください。たとえ戦争中でも、軍事行動以外で人を殺せば罪に問われます。ザフトでは教わらないんですか?」
「生憎僕は叩き上げでね、アカデミーには通っていない。それに、ザフトの軍規では、どんな場合であっても敵のナチュラルは殺しても罪には問われない!」
「だから敵じゃないって……!」
 連れて来たのはそっちなのに。思わぬ理不尽に立ち上がって抗議しようとしたのすぐ横に、金の糸が数本はらりと舞い落ちる。
 自分の髪の毛だ、と気付いたのは、乾いた発砲音と硝煙の匂いによってだった。
「っ! 何を……」
「アンディ!」
 これにはさすがに驚いたのか、アイシャが非難めいた声を上げた。バルトフェルドはそれに肩をすくめて答えると、そこでやっと銃を下ろす。

「すまなかった、ちょっとした度胸試しのつもりだったんだ」
「……はぁ、まあいいですけど。もし私が死んだら、色々と問題でしたよ」
「違いない。ナチュラルの数が一人減るだけで、戦争が終わるわけじゃない……何より、勘違いで基地に招いてしまったのは僕だ。今回のことは、正式にジャンク屋組合に謝罪を表明するよ」
 真面目な顔になるバルトフェルド。はソファに座りなおし、少し意外そうな顔を見せた。
「案外、柔軟なんですね」
「そうかい?」
「ザフトの人って、コーディネイター以外はみんな敵だって思ってるのかと思ってました」
「ははっ!」
 しれっとした(失礼にも取れる)の言葉を、バルトフェルドは笑い流す。
「さすがにそこまで極端じゃないさ。僕たちだって、戦争をしたくてしているわけじゃない。ただ戦争っていうのは、終わらせるのが困難だからね……」
「そうですか? いつの時代も戦争の始まりと終わりなんて似たようなものですよ。そりゃあ困難には違いないでしょうが……」
 が僅かに彼の言葉に同意を示した時だった。バルトフェルドの視線は三たび、鋭く輝く。
「なら君はどうする? 君なら、どうやって戦争を終わらせる? 敵であるものを全て滅ぼして……かね?」
「……はぁ?」
「戦争はスポーツじゃない、明確なルールなんてものもない、だったら……」
「何言ってるんですか? 再構築戦争が終わって、国連がなくなった現在でも戦時国際法はいまだ有効です。そんなことも知らないなんて、プラントの教育ってどうなってるんですか?」
「……何?」

 の口調は心底呆れた風だった。
 信じられなかったのだ。『砂漠の虎』の異名を持ち、アフリカ戦線でも恐れられるほどの勇猛な司令官が、まさかこんな基本的なことすら知らないなんて。
 固まってしまったバルトフェルドに向かって溜息をついて、は続ける。
「戦争っていうのは外交手段ですよ? どうやったら、って、そんなのどっちかが降伏するか終戦協定が結ばれれば終わりじゃない。例えどれだけの禍根を残していようと……『戦争』は終わる。あなたの言っているのは、戦争じゃなくてただの殺し合いです」
「……なかなか厳しいね、君は」
「そうですか? 常識だと思ってましたけど……コーヒーのブレンドの単位はパーセントじゃなくグラムを使う、ってのと同じくらいの常識ですよ」
「うぐっ……」
 バルトフェルドの肩ががくりと下がる。戦争を知らない小娘にやり込められてぐうの音も出ないといった感じだ。
「完全にあなたの負けね、アンディ」
「これは参った……」
 それとは逆にからかうような口調のアイシャに、彼は苦笑を返すことしかできないでいた。

 それからバルトフェルドは二杯目のコーヒーを注ぎ(ちなみに、あらためてドリップしたものだ)それを口に含んだ。苦い表情はそのままに、の対面に座って愚痴のように話し始める。
「だがね、実際のところ、外交としての戦争の終結を決めるのは政治家の仕事だ。僕たち軍人は、目の前の敵を倒すことに専念しなきゃならん……でないと、やられるのはこっちだからね」
「現場レベルの話だったんなら、最初からそう言ってください!」
 調子のいいことを、とは声を荒げた。するとバルトフェルドの背後に立つアイシャから、くすくすと笑い声が漏れ出した。
「負け惜しみよ。気にすることはないわ」
「あ、アイシャ、君も厳しいね……」
「……そうですね。どうやったら戦争が終わるか、なんて、末端の兵士の考えることじゃないですもんね!」
 だから気にしなくていいです、とが追い討ちをかける。

 時間は既に夕方になっている。沈んでいく太陽が砂を赤く染めていた。


 基地の入り口。さすがに物々しい警備だが、バルトフェルドはアイシャともどもを見送りに出てきていた。勘違いで基地に入れてしまったことへの負い目でもあるのだろうが、やはり最大の理由は監視なのだろう。二人が一切気を抜いていないのからもそれが分かる。
「いや、実に楽しかったよ」
「こちらこそ、有意義な時間でした」
「それで、君のお兄さんのことなんだが」
「!」
 基地を去ろうとするに、思い出したように呟くと、彼女の肩がぴくりと揺れる。気にせず続ける。
「それらしきポッドを現地のレジスタンスが拾ったという情報を耳にした。コーディネイターの言葉を信じるなら、行ってみるといい」
「いえ……有用な情報です。ありがとうございます。コーヒー、ご馳走様でした」
「何、お詫びのかわりさ。そういえば名前を聞いていなかったな……教えてもらってもいいかい?」
 バルトフェルドの口調はあくまで穏やかだ。彼の心中には、あわよくば彼女を協力者として利用しようという心づもりすらあった。だが、それは無為に終わる。
。ジャンク屋です」
 ごく晴れやかに、きっぱりとは答えた。
 ジャンク屋組合はこの戦争には不干渉。自らの所属を確認させるように言うその口振りは、己自身も不干渉であるということの表れだと、バルトフェルドは悟った。
 その代わりに、彼は花を一輪、に手渡す。砂漠には自生しない鮮やかなその花は、基地内でアイシャが育てていたものだ。
 はそれを受け取ると、今度こそ基地を後にした。


「砂漠に、花……」
 手の中で切り花を弄びながら、は呟く。自然の生態系を気にせず、どこにでも好きな植物を植えられるのは、やはり宇宙の技術力のおかげなのだろうか。
 茎から切り落としてあるから、砂の舞う外に出てしまえばこの花も長くは持たないだろう。それならば活けておくよりは、栞にでもした方がいいかもしれない。そう考えて、はポーチから母の形見の日記帳を取り出し、その中に花をそっと挟んだ。
「お母さん……きっと兄さんを見つけ出すからね」