Novel

 きっと優しく暖かい人。
 彼にとっては、きっと何より問い詰めたい人。
 彼女の名は……

思い出からの呼び声

 の名を聞いた時、ムウ・ラ・フラガは僅かに驚きの表情を見せた。

……? 確か……」
「あの、私に何か?」
「ああいや、名字に聞き覚えがあったもんでね」
 なにやら難しい顔をして顎に手を当てるムウに、は聞き返す。彼はすぐにいつもの飄々とした態度に戻ると、手を軽く振って答えた。
「アリシア・って、まあ俺じゃなくて親父の知り合いなんだけど。そういや顔も似てるな」
「!」
 今度はが驚く番だった。ムウにずいっと近づくと、両の拳を胸の前で組んで背の高い男を見上げるようにする。
 ムウから見るとちょうど上目遣いの構図になっている。
「母を知っているんですか!?」
「え? そうだったのか?」
「教えてください、母のこと! 何でもかまいません!」
「ちょっ、近い近い! 俺はガキに興味ねえんだ!」

 そこは格納庫だった。多くの整備士に、ムウの悲鳴は届いていた。そして28歳の大の男が16歳の少女に迫られている(ように見える)場面も。


「……ふぅ、危うくロリコン疑惑を植えつけられるところだったぜ……」
「す、すみません……」
 数分後、二人は少し離れて適当な壁にもたれかかっていた。
 どうにか落ち着いたは、珍しく取り乱したことを恥じて頬を赤くさせたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「母は仕事が忙しくて、あまり私たちに構ってはくれなかったんです。でもそれが嫌だったってわけじゃなくて……寂しかったですけど、母のことは尊敬してました。周りの大人たちもみんな、凄い人だって言ってて……母が外で何をしていたのか、知りたいんです」
 先程のはきはきとした口調とはがらりと変わったの言葉。それを紡ぐ横顔は年相応の少女のものだ。ムウは頭をかきながらそれに返した。
「そうか……けど悪いんだが、俺も詳しいことはあんまり知らないんだ。たまに親父に会いに来て難しい話をして帰っていったよ。綺麗な人だったな。ただまあ、軍に入るってんで家を出てからは、さっぱりだ」
「そう、ですか……」
「お母さん、何してた人なんだ?」
「遺伝子の研究をしてたって、聞きました」
「……何だって?」
 俯いてしまっていたを元気付けようとしたムウの試みは、彼女の言葉により失敗に終わった。自然と顔が強張る。
「フラガ大尉?」
「そうか……だから親父の奴……」
「大尉?」
「うおっと!?」

 ムウが気がつくと、が彼の顔を覗き込んでいた。またロリコンだの何だの言われそうな気が一瞬だけしたが、幸い今回は誰も見ていなかったようだ。すぐに気を取り直し、に笑顔を見せる。
「ああ、すまんすまん。ちっと考え事をな」
「何か思い出しました?」
「残念ながら、嬢ちゃんのご期待に沿えるようなものは何も。確か、遺伝子を研究してたって言ったな?」
「はい」
 が頷く。ムウはそれで一つだけ、合点がいった。
「多分、うちの親父は君のお母さんのスポンサーだったんだろうな」
 無駄にいい家柄だったからな、と自嘲気味に語ると、それでも少しは納得した顔を見せたようだった。
「それで、彼女は今、どうしてる?」
「……亡くなりました。三年前、病気で……」
「っと、すまない……」
「いえ……」
 は作業着の裾をぎゅっと握りしめ、それきり黙り込む。ムウはその様子と彼女の言葉に、少なからずショックを覚えている自分がいることに気付いた。
 目の前の少女を慰めるどころか逆に悲しませてしまったことと、あの時もう少し詳しい話を聞いておけばよかったということを。
「悪かった、俺がこんなこと言うのも何だが、あんまり気を落とさないでくれ」
「大丈夫です、お気遣いありがとうございます」
 の肩を軽く揺するように叩くと、彼女は顔を上げ、ムウに一礼して壁を離れた。
「じゃあ、作業に戻ります」


 残されたムウは、の背を見送りながらふと思案する。
 アリシア・が遺伝子学者だったのなら、父親がしでかしたあのことについても知っていた可能性がある。彼の写し身を人為的に作り出すという禁忌の実験の。
「あの人の足跡を追えば、奴に近づけるかもしれない……」
 低く呟いた言葉は、既に作業を開始していたの耳には入らなかった。