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序章-穏やかな日々-

「ええっ、んちも引越し!?」

 一度ぱちくりと目を見開き、それから物凄い勢いでキラはに詰め寄った。
「うん、そうみたい」
「だって、この間アスランが引っ越してっちゃったばかりじゃないか!」
 あからさまに眉間にシワをよせ、口をとがらせる。
 一方のの方はあっけらかんとしたもので。

「月も色々危ないって言うし、それに私たち、まだ子供なんだから、一人で残るってわけにも行かないし……」

 と飄々として言ってのける。
 そんな可愛げのない所も、キラには面白くなかった。

(もうちょっと別れを惜しんでくれてもいいのに……)
 心中で呟いたが、そんなものがこのに通用するわけもなく、キラはこっそり溜息まで吐き出した。


 キラ・ヤマトとアスラン・ザラ、そしてこの少女は、同じコペルニクス市の幼年学校に通う、いわゆる幼馴染という奴だ。
 真面目だけどどこかツメの甘いアスラン。
 優秀だけどマイペース過ぎていまいち何を考えているか分からないキラ。
 朗らかで優しい、
 絶妙なバランスを保ちつつ、学内の名物トリオとなっていた三人だったが、その均衡はアスランのプラント行きという、13歳の少年少女たちにとってはわりと大きな事件によって崩されていった。

 地球とプラント間の政治的緊張のおかげだということは分かっているつもりだったが、今の平和な暮らしの中では、「戦争になるかもしれない」などと言われたって、どうもピンとこないものだ。


 自分達を取り巻く現状は、もっと平穏で、もっと優しいものだとキラは思いたかった。
「それで、やっぱりプラントに?」
 気を取り直し、に聞く。
 アスランが発ったのは、コーディネイターの暮らすプラントだ。
 もコーディネイターなのだからそうなのだろう……キラはそう思ったが、目の前の少女は首を横に振った。
「ううん、オーブだよ」
「オーブ?」
 鸚鵡返しに聞き返す。

 オーブといえば、地球の国だ。キラの両親、ヤマト夫妻の故郷でもある。
「おばあちゃんが住んでるから。それに、私第一世代でしょ?」
 親はナチュラルだから、プラントよりはオーブの方がいい、との判断なのだろう。

 だが淡々と告げるの姿に、キラは先程からずっと煮え切らない何かを感じていた。
 いつもはずっと感情豊かなはずのの瞳は今も揺らいでいるし、言葉の歯切れも悪い。

 拳をぐっと握ると、キラは再び問うた。


「いつ、出発なの?」
 の表情が更に翳る。辛抱強く待つと、やがては観念したように呟いた。
「……明日」
「明日ぁっ!?」

 そんな急に!

 キラは思わず叫んでいた。
「なんで、何でもっと早く教えてくれなかったの!?」
「……だって、言いづらかったんだもん……」
 物凄い剣幕のキラとは正反対に、はぼそぼそとそう答えた。
「だってキラ、アスランが引っ越す時もすごくつらそうな顔してたし。だから、この上私までいなくなったらって思うと、なかなか言い出せなくて……」
「うっ……あ、あれは、君が泣きそうな顔してたから、ついつられて……」
「トリィ貰って、あんなに嬉しそうに見つめ合ってたのに?」
「み、見つめ合ってない!」
「どう見ても見つめ合ってるようにしか見えなかったけど……」
「そ、そんなことよりっ!!」

(まずい、非常にまずいぞ、キラ・ヤマト!)

 キラは心中独りごちた。
 どうもの前では調子を崩されてしまう。これは物心ついた時からそうだ。
「ええと……」
「?」
 先程大声での言葉を遮ってしまったおかげで、彼女はきょとんとした表情をキラに向けて次の言葉を待っている。
 そうだ、今言うべきことは。
「そ……そうだ! 明日までしか一緒にいられないんだ! だから……何かこう、思い出になるようなものを……」
「…………ぷっ」

 ぽかんとしたの顔が、そこで崩れる。
「何だよもうっ!何笑ってんの!?」
「…ぷくく……だ、だって……今のキラの顔だけで十分思い出に……だ、ダメだ……アハハハ……」
 必死で口元を押さえてはいるが、おかしくて笑っていることは間違いない。

(何? 僕、そんな変な顔してた?)

 コーディネイターだから容姿には自信がある。
 それが笑われるほどの顔などと言われると、その自信もなくなってきそうな気がしてきた。
 しかも言った本人は誰あろうこのだ。
 確かにちょっとしどろもどろ過ぎたかもしれないが……

 頭の中でぐるぐると回り始めたキラをよそに、やっと笑いの収まったがぽつりと告げる。
「思い出か……私はアスランみたいなすごいの作れないからなぁ……記念の品とかも思いつかないし。」
 どうしよう?と首を傾げる。
 のその仕草は、はたから見れば独り言のついでのようにも思えるが、そうではない。
 これはキラに聞いているのだ。キラにはそれが分かった。
 さっきまであんなにテンパっていたキラの頭が、すっきりと醒めていった。

 ここで覚悟が決まった。

「それじゃあ、こうしよう」
 少し思案するふりをして、キラはそれに答えた。
「約束」
「……約束?何の?」
 思ったとおりにが返してくる。
「うん、また会おうね、って」
「そんなのアスランとだってしてたじゃない」
「ここからがアスランとの違いだよ」
 真面目な顔を作ってみせると、も同じようにまっすぐ見つめ返してくる。

(ごめん、アスラン。僕は抜け駆けするよ……!)

 親友へのおざなりな謝罪を心の中で言って、キラは深く息を吸い込んだ。


「僕は、が好きだ」


「…………は?」

 一文字だけ言ってが固まる。
 だがそれには構わず、キラは続けた。
「もちろん、幼馴染としてでも友達としてでもなく、一人の女の子としてだよ」
「…………えっと……」
 表情は変えぬまま、の頬に紅が差していく。
 無理もない。今まで兄妹のように育ってきた幼馴染からの突然の告白だ。

 しばらく見つめ合う。
 キラが黙ったままこちらを見ているだけなのに居心地の悪さを感じて、はおずおずと切り出した。
「今答えなきゃダメ……?」
 普段の声よりもかなりボリュームが落ちている。
「できれば……」
 一方のキラも、言葉の勢いは落ちていた。
 思うところあっての突然の告白だったが、彼としても別にを困らせたいわけではないのだ。

 再び、沈黙が訪れた。


「えと……」
 ゆっくりと、言葉を一つ一つ確かめるように口を開いたのは
「キラのことは好きだよ。でもそれが恋愛なのかどうかは、まだ分からない……」
「そう……」
 ある程度予想していた答えだった。
 もし恋愛の意味で好きなのだとしたら、それを自覚しているのだとしたら、
 あんな風に砕けた付き合い方のできる子ではない。
「ありがとう。ちゃんと答えてくれて」
「えっ、ううん、こっちの方こそ、なんかはぐらかしちゃって……」
 にっこりと微笑んだキラに、はさらに顔を赤く染めてあたふたとする。
 その様子がなんだかおかしくて、キラはさっきのお返しだとばかりに笑いかけてやった。


「時間を置いて、じっくり考えたらまた答えてくれるかな?」

 月時間で夕刻が迫り、が家に帰ろうとすると、キラはそう聞いてみた。
「次に会う時までに、ってこと?」
「うん」
 頷くキラを見て、ははっと思い出した。

 これが、キラの言っていた『約束』だと。
「分かった。次会う時までには絶対考えておく」
「絶対だよ?」
「うん、絶対!」

 何度も絶対絶対と繰り返し、やがてどちらからともなく小指を触れさせる。

 そうやって、この約束を果たせる日が、そう遠くないうちに来ることを祈った。


 そんな、穏やかな日々の終わり。