Novel
第一話-そして時は流れて-
あれから三年が経つ。
オーブに移住したは、義務教育を卒業するとモルゲンレーテの工場で働くようになっていた。
若輩ながらも、コーディネイターとしての優秀な技術力が発揮され、そこそこうまくやっていた。
当然、やっかみはあったが、それらはすべて、社内で体力テストが行われた時に払拭された。
「コーディネイターにも運動音痴っているんだ……」
「……そりゃあ、鍛えなかったら誰だって出来るようにはなりませんよ……」
驚きの表情でこちらを見る同僚に向かって、ほぼぼやくように答える。
はどちらかといえばインドア派で、体を鍛えることは最低限しかしていなかった。
遺伝子による違いなど、本来はその程度のものなのだ。
ともかくそれをきっかけに、社内の人間ともうちとけられるようになり、仕事も楽しくなってきた。
そんな矢先の出来事だった。
「あ、さん! おはようございます!」
工場への通勤路に幼い声が響く。
ここは同時に通学路でもある、オノゴロ島の住宅地近い一般道だ。
「おはよう、マユちゃん。シンも」
は振り返り、声のした方に立っていた兄妹連れに笑いかける。
妹の方、栗色の髪を二つくくりにした少女はが振り向くのと同じくらいにぺこりと頭を下げた。
が、兄の方……ツンと立った黒髪の少年、シン・アスカは、所在なげにこちらをちらりと見たかと思うと、あからさまに視線をそらした。
「もう、お兄ちゃん! 挨拶は?」
それを見咎めた妹の責める声に、やっと少年はに向き直った。
「お、おはようゴザイマス……」
「よろしい」
くすりと笑うと大仰に頷くマユの声が重なる。
サラウンドで聞かされてシンは何だか疲れたようにがっくりと項垂れた。
「しっかりしてよねお兄ちゃん……あーあ、お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんが欲しかったなぁ」
「えっ」
溜息のついでのように吐き出されたマユの言葉にびくりと反応する。
その様子がおかしくて、は敢えて助け舟は出さず、マユはマユでわざと聞こえるように続けた。
「さんがお姉ちゃんだったらよかったのになぁ〜」
「う……そ、そんなの無理だろ、それに俺がお兄ちゃんなのは変えられないんだからなっ」
「そうだけどぉ〜」
ムキになって答えるシンに、思わずは吹き出してしまった。
「二人ともホントに仲いいよね」
「な、何ですかさんまでっ!」
こちらにバッと振り向くシン。
そうやってすぐに必死になるところが余計にからかわれやすいのだということを彼はまだ気付いていない。
このくらいで勘弁してやるか……と、は改めて二人に向かう。
「まあ、そんな風に思ってくれるのは嬉しいけど、確かに本当のお姉さんになれるわけじゃなし……それに、本当のお兄ちゃんにはかなわないかもね?」
僅かにシンが胸を張るのが分かった。
しかしその少しばかりの自尊心も、マユの無邪気な一言によって簡単に打ち崩されることとなる。
「えー?方法ならありますよ。さんがお兄ちゃんと結婚すればいいんです」
「なっ……!」
「え、えーと、マユちゃん……?」
シンの白い肌が一瞬にして紅く染まる。
一方のも、困ったような微笑をマユに向けた。
ただ一人、マユだけが名案を思いついたというように得意気に笑っていた。
「だ、だ、誰がっ!!」
緩慢としたその空気を破ったのは、耳まで真っ赤にしたシンだった。
「誰がっ、結婚なんか……」
「お兄ちゃん、イヤなの?」
「え、いや、あの、嫌っていうか……」
「酷いんだーお兄ちゃん」
もはや言葉にならないシンに対して、マユの方は余裕たっぷりで。
の腕にしがみついては兄を非難するような口ぶりを見せている。
「だからぁー、そうじゃなくて……」
シンの声はどんどん小さくなっていく。
だが妹は容赦なかった。
「ふーんだ。お兄ちゃんはさんのこと、嫌いなんだ」
「ち、違う!!」
ほぼ条件反射のように出てきたシンの言葉に、マユはにこりと笑顔を返す。
「ふーん。へーえ」
「う……あ……」
シンはもう言葉も無い。
かわりに、捨てられた子犬のような目での方を向く。
それに答えるべく、はシンに微笑みかけた。
「ありがとうシン。私も好きだよ」
「……ッ!!」
(この人に助けを求めたのが間違いだった!)
シンの顔はこれ以上ないくらいに紅潮していた。
嫌な汗がダラダラと流れ落ち、頭の上には湯気まで立ち上る。
「……弟みたいで」
続きを言うと、シンは膝からがくりと崩れ落ちる。
それを見て、マユが肩をすくめた。
「もー、ホントお兄ちゃんはしょうがないんだから」
「うるさいっ、お前最近生意気だぞ」
立ち上がり、膝の埃を払うと、シンは腕組みをしてふいっと、今度こそ完全にそっぽを向いてしまった。
なだめようとが手を伸ばしたが、その必要は無かった。
「さん、それじゃあマユたち行ってきますね!……ほら、お兄ちゃんも!」
とマユが強引に兄をたきつけたのだ。
「あ、ああ……えと……行ってきます……」
視線を合わせず、シンが言うが早いか、マユはから離れるとシンの腕を取った。
そのままぐい、と引っ張ると、今度はシンに向き直る。
「早く行こっ。遅刻しちゃうよ!」
「あ。ま、待てよマユ!」
軽やかに靴を鳴らしてマユがぐいぐいとシンを引っ張っていく。
引きずられるようにしてシンも後を追ったが、ふと、立ち止まると、取られていた腕を離して再度の元に戻ってきた。
「あの……」
「?」
口の中で何かもごもご言っているシン。
聞き取れなくて、が首を傾げると、観念したようにはっきりと口に出す。
「さっきの、気にしないでやってください。アイツ、多分さんにかまってもらって嬉しいんです。ほら、ウチ親が忙しくて十分かまってもらえてないから……」
「うん」
分かってるよ、と二度頷くと、そこでやっとシンはいつもの表情に戻った。
「そ、それと……あの、アレは別に、マユの思い通りの結婚をするのがイヤだってだけでさんとが嫌なわけじゃなくって、だから……」
が、すぐにまた頬を染める。
よく変わる表情だとは思ったが、あとあと考えてみると、自分はこの時プロポーズまがいのことをされていたのかもしれない、というようにも読み取れたのだが。
ともかく、その時はそんなことには気付かなかったので、すぐにシンはマユの後を追って学校へと駆けていった。
穏やかで退屈で、とても平和な日常だった。
それはが今まで過ごしてきた時間と、なんら変わりのない日常。
ただ、場所が変わっただけの。
まず細々とした事務仕事を終えてしまおうとが彼女のワーキングデスクのあるフロアへと向かう道すがら。
廊下でいくつもの段ボール箱と格闘している人物が目に入った。
「……ユンさん?」
目をぱちくりとして、何やってるんですかと聞けば、その人物──ユン・セファンは、眠たげな目をこちらに向けてふにゃりとした笑みを見せた。
「あ、ちゃん、おはようございます〜」
「え?ああ、おはようございます……で、それは一体……?」
指差したその先には、大量の……しかも大きさも中に入っている物もてんでバラバラの段ボール箱の山。
「実はぁ……」
赤茶けた髪をポリポリとかきながらユンが言うには、なんでもモビルスーツに搭載する『ナチュラル用OS』に使う資料だとか、何とか。
オーブは技術大国ではあるが、ことモビルスーツに関しては、プラントにも大西洋連合にも一歩も二歩も遅れを取っている。
中立国であるのだからそんな過剰戦力など必要ない、と主張する向きもあるが、そんなものは綺麗事だ──とは思っていた。
技術力だけあって国を守る力のない国がいくら中立を叫んだ所で、他の大国が黙っているはずはないのだ。
ゆったりとした口調でナチュラル用OSの開発が進んでいない現状を語るユンの声を聞きながら、はそんなことを考えていた。
「……だから、これを手っ取り早く片付けちゃわないといけないんですよぉ〜」
「よし……」
一人意気込んで、拳を握る。
そしては次に、廊下の隅を占領していたダンボールを一つ、よいしょと持ち上げた。
「は、あれれ? さん?」
「私も手伝います。事務仕事なら後でできますし……」
「で、でもぉ〜悪いですよ〜……」
の持ち上げた箱を、反対側からユンが持ち取り戻そうとする。
はコーディネイターだが腕力はナチュラルとそう変わりはなかった。
拮抗した両者の力に耐え切れず、やがてどちらともなく手を滑らせてしまい──……
「!!」
「ふわぁっ!?」
ドサドサッ! バサッ!!
音と共にダンボールの中身が派手に散らばる。
紙束やディスクの類のみならず、小型のモビルスーツを模したフィギュアまで……
突然の事態におろおろする二人の背後から、声がかかった。
「二人とも……何やってるの」
「しゅにぃ〜ん……」
「す、すみませ〜ん……」
恐ろしく呆れた声色だった。
振り向くと立っていたのは、二人の上司。エリカ・シモンズだ。
エリカは溜息をついて告げる。
「もういいから、早く片付けなさい」
「は、はいっ……」
慌てて地面を攫い出す二人。
が、の肩を叩き、エリカは何事かを告げた。
「あなたには、他にやってもらいたい仕事があるの……」
「戦艦の、修理……」
の気分は浮かなかった。
確かに。
確かにこの戦時においては自衛のための戦力は必要かもしれないと、思ってはいた。
だが、そんな緊張した時期に、連合の戦艦を匿ってその上修理までするとは。
そんなことをやっていいのだろうか?
中立であるということは、どの勢力にも属さないということではないのだろうか?
それが仕事である以上、には従う他はないが、それゆえ気が進まない仕事でもあった。
(私は、オーブが平穏であるために努力しているつもりだ……)
のその心中を察してくれる人も余裕も、そこにはなかった。
戦艦の留まっているドックに到着する。
既に作業は始まっていた。
モルゲンレーテの作業員の他にも、依頼を受けてきたのであろうジャンク屋と思しき人間達。
更には連合の整備兵達。
やる以上は、彼らと協力して、円滑且つ完璧に修理をしなければならない。
誰にも気付かれないように溜息を吐いて、は気持ちを切り替える。
「・です!修理のお手伝いに来ました!」
「おう!モルゲンレーテの人か?とりあえず、あっち頼むわ」
が叫んだ以上の大声で、ドックにいた人間が答える。
バンダナを巻いた、ジャンク屋の青年だった。
彼は手に持ったスパナである一方を差すと、すぐさま自分の作業に戻る。
忙しいのもあるが、ものを直すということが楽しくてたまらないのだろう……それが戦艦であっても。
は言われたとおりの方向へ向かうことにした。
──工場外
夕陽が沈もうとしていた。
モルゲンレーテ社自体はとうに定時を終えてはいるが、そんな悠長なことは言っていられなかった。
外にあるベンチに座り、キラはモバイルを開いてプログラムを組み立てていた。
隣には、ここオーブの代表首長の娘……いわゆる『お姫様』にあたるカガリ・ユラ・アスハが、つまらなそうにディスプレイを覗き込んでいる。
「……何?」
「ん?べっつに」
「あの……気が散るんだけど」
「それはお前の集中力が足りないんだ」
きっぱり言い切って、カガリは組んでいた足を下ろして伸びをした。
どうやら本当に、することがないらしい。
それなら何か手伝って欲しい所だが、プログラムの知識のない彼女がパソコンを触ると余計ややこしい事になりそうなので、キラは黙って作業を続けた。
アークエンジェルが修理と補給を受けることになった際に、交換条件として出されたものの一つがこの仕事だった。
オーブでのモビルスーツ開発は、OSの問題がまだまだ山積になっている。
コーディネイターであり、OSプログラミングの得意な──何より、ストライクのパイロットであるこのキラ・ヤマトの協力を得られれば、開発段階は飛躍的に向上する。
アークエンジェルのこともあり、キラは二つ返事でそれを引き受けたはいいものの、なかなか調整は進まなかった。
「あーあ、私にも手伝えることがないかと思って来てみたけど……暇だなぁ」
「カガリはこんなとこにいていいの?お姫様なんでしょ、オーブの……」
「その言い方はやめろって言っただろ!?」
少し手を止めて、ぽつりとキラがもらした言葉に、カガリは眉をはね上げる。
頭部をガードしながら、困ったようにごめんごめんと繰り返すキラ。
ついこの間まで、戦艦内で明日をも知れぬ戦いを続けていたことがまるで夢のようだった。
だからだろうか。
キラを呼ぶ懐かしい声に、一瞬だけ気がつかなかったのは。
ゆっくりと。
しかしひそやかに。
再会の時は二人を待っていた。
なんとか修理の目処も立ち、は家への帰途を辿ろうと外へ出た。
夕暮れ時のオーブの海を見るのは好きだ。
その時だけは、世界どころか身の回りの些末事からも解放された気分になるからだ。
そのままゆっくりと沿岸を歩いて帰ろうとする。
一定の間隔で植えられた並木にベンチ、海と道を隔てる金網もいつも通りで、まばらな人影すらもまるで一枚の風景画のように見えてくる。
だからだろうか。
その人影の中に懐かしい顔を見つけるのが遅れてしまったのは。
人影はベンチに座ってモバイル型パソコンと必死に格闘していた。
ともすれば、そのまま通り過ぎてしまう所だった。
だが、その人物の肩にあるものを見つけた時、の記憶を呼び覚ますものがあった。
茶色の髪に、日に焼けた肌。
そして肩に留まらせたロボット鳥。
着ている服こそと同じモルゲンレーテ社製の作業服だったが、作業員ではないことはすぐに分かった。
見間違えようもない。
確かめるように呟く。
「……キラ?」
「えっ……」
呼ばれた人物は、どこからかと視線をキョロキョロと彷徨わせる。
それがある一点で止まり……大きめな紫の目がはっと見開かれた。
「もしかして……?」
「やっぱり!キラだ!」
駆け寄ろうとするが、ふとキラの隣にいる金髪の少女が目にとまり、は立ち止まった。
ここに二人は再会の時を迎えた。
しかし、時は流れていた。
少年と少女は成長し、周りの環境も変わっていく。
そして、この先の運命も。