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第二話-果されなかった約束-

、えっと、久しぶり……」
 言いかけてキラは、再会した幼馴染の少女が少し戸惑っているように思えて言い澱んだ。
「あ……うん、その」
 どうやら先程からちらちらと、自分ではない何かを見ているようだった。

 答えは首を傾げる前に分かった。
 キラのすぐ隣にいた金髪の少女が、彼の作業服の袖口をつい、と引っ張る。
「知り合いか?」
 そう自分に問うてくるこの少女……カガリの方を見ていたのだと。

「え、ああ、うん……幼馴染……なんだ」
 どもりながらのことを紹介すると、それで納得したのかカガリはやっと手を離した。
 だがその表情にはなにやら悪戯っぽいものが含まれている。
「へえ〜、ま、よろしくな。私はカガリだ」
 だがそう言ってに手を差し伸べるカガリの顔はいつも通りで、何かを仕掛けようという雰囲気は感じられない。
 はそれにためらいつつも、手を差し出すと、カガリがそれを引っ張って握手の形を作った。
です。でも『カガリ』って、もしかして……」
 握ったまま手を振り回されながら、遠慮がちにが口を開く。
「もしかして、って、何だ?」
「カガリ……って、あの、カガリ・ユラ・アスハ?」
「あの、が何を差しているかは知らないが、確かに私はカガリ・ユラ・アスハだ」
「えぇえええええっ!?」
 素っ頓狂な声を上げて、が勢いよく後ずさった。
 軽くなった手のひらをぷらぷらとさせながら、カガリはその様子を唖然として見送る。
 そしてしばしの後。
「プッ……アハハハハ!」
 わたわたとカガリとキラを交互に見ながら焦った様子のに、思わず吹き出してしまっていた。
「ちょ、ちょっとカガリ……!」
「ハハ……あ、悪い悪い」
 落ち着かせようと間に入ったキラのおかげで、どうにかおさまる。
 目尻に浮かんだ涙を指で拭いながらこちらに詫びてくるカガリの姿に、もようやく落ち着きを取り戻していた。
 そして改めて、カガリと向き合う格好になる。
「でも、どうしてお姫様が、それもキラと一緒に……」
「お姫様はやめろ。一応お忍びだから、敬語も使わなくていいぞ。あと、コイツとは……」
 そこまで言って、カガリは止めた。
 二人のやり取りを見ていた(というか、入っていけなかった)キラがカガリを手で制していた。
「ちょっと、事情があってね」
「事情?」
「うん」
 キラは微妙に視線を合わせない。何か後ろめたい事情なのだろうか。
「何だよキラ、別に隠すようなことじゃないだろ。私達は、砂漠で──……」
「か、カガリっ!!」
 キラは慌ててカガリの口を塞ごうとしたが、間に合わなかった。
「一緒に戦ってたんだ。ザフトとな」
「……え?」
「…………」
 事態がいまいち飲み込めずキョトンとするとは逆に、苦い表情で額に手をつくキラ。
 一方のカガリは誇らしげな表情をしていた。
「オーブだけが平和で、世界は戦争中だ。だから私は、それがずるいと思って、戦うことにしたんだ」
「それって、いいのかな……」
「お父様が「世界を見て来い」って言ったんだぞ?だからそうしたまでだ。私も早く戦争を終わらせたいしな!」
 胸を張るカガリに、はもはや言い返せなかった。
 代わりに、彼女の横でいまだ眉間にしわを寄せているキラの方を向いた。
「……キラ?」
「えっ」
「どうしたの、大丈夫?」
「う、うん……何でもないんだ」
 困ったように笑うが、キラがこういう表情をする時は決まって何かを抱え込んでいる時だ。
 何でもない、わけがない。
「もしかして、」
 カガリの言った『一緒に戦っていた』とかなんとか、それに関することだろうか。
 そもそも、何故キラがオーブにいるのだろうか。
 そして、何故モルゲンレーテの敷地内で、作業服を着ているのだろうか。
 不思議に思い、はそのことを聞こうとした。
 が。

「うわわっ」
 それまでベンチに置きっぱなしになっていたモバイルが警告音を鳴らす。
 どうやら何かエラーが起こったらしい。
 の言葉を聞かず、キラが慌ててベンチに向かう。
 驚くべき速さでキーボードを叩き、一息吐くと、キラはこちらに向かって「やっちゃった」というような笑みを浮かべた。

 それで、聞くタイミングを逃してしまった。



「にしても、お前も隅に置けないな、こんな可愛い幼馴染がいるなんて」
 パソコンの電源を切り、小脇に抱えて立ち上がったキラに、唐突にそんな言葉がかけられた。
 声の主はカガリだ。おそらく彼女なりに話題を転換させようとしたのだろう。
 はそれに困惑したような、照れたような表情を見せる。
「え、えっと……」
「このこと、彼女が知ったら何て言うかな〜?」
 にやにやとカガリは続けた。
 キラの顔色がさっと変わる。
「……彼女?」
 不思議そうにも呟いてみたが、キラは焦って首を横に振り。
「ち、違っ……! だからフレイはそんなんじゃないって……」
「私はフレイのことだとは一言も言っていないぞ?」
「っ……!!」
 はっと口を押さえる。
 彼の見据える先には、勝ち誇った表情のカガリ。

 一方のはといえば。
「……へえ〜」
 感慨もなさげに、キラの方を見遣る。
 あのキラがねぇ、などと多少びっくりした感じは見て取れるが、逆に言えばそれ以上のものはそこにない。
「お前、知らなかったのか? キラのこと知ってるみたいだけど」
「え、うん……三年ぶりだし、一応連絡は取ってたんだけど」
 彼女ができたなんて初耳、とあまり感情のこもらない声で、聞いたカガリに答えた。
「もう……まで」
 眉尻を下げて、キラが二人を交互に見た。
 一応困ってはいるようだが、それは羞恥の感情から来るものだとには思えた。

(幼馴染は、やっぱり幼馴染か)
 キラに彼女がいた……と聞いても、の心中にはさほどの波は立たなかった。
 確かに多少引っ掛かるものはあるものの、それは激しい嫉妬心などとは程遠い感情で。
 むしろ、そんなキラをからかってやろうという気持ちすら生まれてきた。
 口端を上げると、楽しげにキラの顔を覗き込む。
「で、彼女……だっけ、その……フレイさん?」
「彼女っていうのか……そうなのかな……」
 先程カガリにからかわれた時とは違って、キラは曖昧に返すのみだった。
 はっきりしない態度のキラに、は首を傾げた。
「その人が好きで、付き合おうって言ったんなら、それは彼女になるんじゃないの?」
「そう、なんだ?」
 驚いたように、キラが聞き返す。
 その様子には苦笑し、カガリは肩をすくめて溜息を吐く。
 いまいち女心の分からない奴だな、と思ったが、それについてはあえて言及しないでおいてやる。

「……うん、好きだった」
 少し考えたらしく、しばらくの後、キラは低く呻くように言った。
「……『だった』?」
「守りたいって思った。あの子は僕に優しくしてくれた。好きだったんだ……」
「……今は?」
「分からない……」
 自問するように漏れ出したの呟きに、力なく首を振る。

 そうしてキラの視線がから外れたタイミングを見計らって、カガリが動いた。
「……なんか、あんまり上手くいってないみたいなんだ。いじめてやるなよ?」
「え?」
 やけに神妙に耳打ちされては聞き返そうとしたが、それは二人の様子に気付いたキラによって止められてしまう。
「どうしたの、二人とも?」
「ん? いやあ、何でもない! なっ?」
「え、あ、えっと、うん……」
 ぱっと離れるカガリを見ながら、は曖昧に頷いた。
「さて、じゃあ私は帰るか!」
「え」
 やけに晴れ晴れとした物言いのカガリに、二人同時にそんな間の抜けた声を発する。
「つもる話もあるだろうし、邪魔しちゃ悪いからな」
「そ、そんなこと」
「それに私は忙しいんだ。じゃあな!」

(暇だって言ってたくせに……)
 軽やかに走り去っていくカガリの背中に向かってキラは呟いた。
 すでに夕焼けの時間は終わり、薄紫色の宵闇が空を支配し始めていた。

 輝きと昏さの同居した不思議な色合いが、キラの瞳に少し似ている、とはふと思った。


 完全に闇が空を支配してしまう前に、二人は歩き出した。
 は一度断ったが、キラがどうしてもと言うので、少しの間だけ、送ってもらうことになった。

「ホント、懐かしいな……ねえ、いつオーブに来たの? もうずっとここにいるの?」
「残念だけど、近いうちに出なきゃいけないんだ。ここはいい所だから、本当はもっといたいんだけど」
 積もる話はいくらでもあった。
 オーブに来てからの話、キラのヘリオポリスでの話、幼い頃にあった出来事──それこそ、語ってしまえば夜が明けるくらいに、話したいことは山ほどあった。
「そうそう、アスランにも会ったんだよ、ついこの間……」
 キラの口から懐かしいもう一人の幼馴染の名が出てきた。
「え、ホント? どうしてた?」
 が顔を輝かせて、期待に満ちた目でキラを見る。
 そこでキラは口をつむいだ。
「う、うん……元気に、してたよ……」
「……それだけ?」
「あ、会ったって言っても、ちょっとだけだったし、その……」
 何とかこの場を凌がなければならない。
 不満をさらすに流されず、この話題は終わらせなければならない。
 気付かれてはならない、そうキラは思っていた。

 アスランがオーブに来ていたこと。
 ザフトに入って、その作戦のためにここにいることは。
 そして、自分達と……アークエンジェルと戦っていることもだ。
 オーブで平和に暮らしているに、知られたくはない。

 キラの口からアスランの様子を聞きだせないと察して、は俯いた。
「そっかぁ……アスランてばあんまりメールとかくれないんだよね……キラは? 連絡取ってるの?」
「う……うん……まあ……僕もそんな感じ、かな……」
 貼りついた笑顔からごまかしの意図を悟られてはならない。
 はこれでいて意外に鋭い所もある。そしてそれをおおっぴらに口に出さない。
 先程のカガリの不用意な発言がヒントになって、知られてしまうかもしれない。

「そ、それより、さ!」
 何かを振り切るように、キラは意識して声を大きくした。
「うん?」
「それより……ええと……」
 が首を傾げてくるが、キラは内心焦っていた。
 何か話題を、と思うのだが、こういうのは咄嗟の時にはなかなか出てこないものだ。

 そして、唐突に昔を思い出した。


「そういえば、覚えてる?」
「何を?」
「約束」
「……約…束……?」
「僕は覚えているよ。というか、思い出した」
「え?」
「約束。……子供の約束だよね。それに多分僕の方が先に忘れちゃったんだし」
「約束って……あ!」
 自嘲気味な表情のキラだったが、はそれに答えるべきだと何故か感じていた。
 その『約束』はとても大切なことだと思った。
 そして、何がきっかけだったのかは分からないが、とにかく思い出した──思い出しかけた。
 が月を発つ前日に交わした、あの約束のことを。
「……思い出した? ホント、今となっては意味の無い約束かもね……」
 が思い出したのに気付いたのか、キラが独り言のように続ける。
 確かに今となっては、すでに過ぎ去ったものなのかもしれない。
 三年と言う月日で、はすっかり忘れてしまっていたし、キラは別の女性に想いを寄せていたのだから。
「そう……かも」
 もそう言ってキラと同じように笑ったが、どうしてか胸がちくりと痛んだ気がした。
(今まで忘れていたのに、虫のいい話だ)
 結局、約束していた答えをキラに聞かせることなど、できそうにもない。
 キラは笑って「いいよそんなの」と言ってくれるだろうが。

 の心の中に、何か大きな穴があいてしまったような錯覚を覚えた。
「……ごめんね」
「いいよ、僕の方こそ」
「それでも、ごめん」
……僕は」
 予想したとおりのキラの答え。
 そして、ふとキラが真面目な顔になり、何かを言い出そうとしたその時だった。

「……あれ? さん……だよな?」
「シン……?」
 大分暗くなってきたおかげで、人の判別が難しい。
 それでも、白い肌と真紅の瞳とで、人影がシン・アスカだと分かった。
「どうしたの? こんな所で」
「ちょっと、遠くまで遊びに出て……それで遅くなっちゃって」
「あんまり遅いと、みんな心配するよ?」
「大丈夫、父さんたちまだ帰ってきてないだろうし……」
「それじゃマユちゃんがかわいそうじゃない」
「あ! そっか……じゃあ早く帰らないと」
 の言葉にシンは慌ててきびすを返す。
「じゃあ、また!」
 遠ざかりながらめいっぱい声を張り上げるシンに、は手を振って返した。
「……知り合い?」
 そして、キラのその呟きでやっと振り返る。
 どうやらの陰になって、シンには見えなかったらしい。キラが所在なげに突っ立っていた。
「う、うん。近所の子なんだ」
「そう……」
 小さく呟く。
 辺りはいよいよ暗くなってきていた。
 そのおかげで、に今の顔を見せなくて済む、とキラは思った。

(勝手に約束を忘れて、勝手に彼女を作って、そのくせ妬いて……)

 今の暗闇のような、こんな心象をに気取られたくはなかった。


 共通でない友人。
 共通でない地理。
 一緒でない時の相手の様子。

 そういったものが、どんどん増えていく。
 成長すると共に、自らを取り巻く社会が大きくなっていくのだ。
 もう『幼馴染』という狭い枠の中だけで暮らすことなどできない。

 キラがキラ自身の道を歩いているのと同じように、にもの新しい世界があった。
 子供の約束がいつまでも有効のままになっているほど、世界は狭くなかった。

 何事にも、『絶対』は無いんだ。
 お互い、そう思い知らされた再会だった。



──後日、ハウメア島ドック


「そうか……もう三年にもなるんだ……」
 オーブの領海を発って行くアークエンジェルの見送りにも来ていた。
 今ここにいない、幼馴染の成長した姿を思い浮かべながら呟く。
 彼とも、こんな風に分かれる時がいずれやってくるのだと思うと、少し寂しい気持ちにはなってくる。
 まさか今見送っている戦艦に彼が乗っているなどとは思いもよらないだろう。

 結局約束を果たすことができなかった。
 だというのに、そのことについてのさしたる感慨もなく。
 ただ、再び訪れるであろう別れの時を惜しむばかりになっている自分が、そこにいた。


 時は確実に二人の間にも流れていた。
 にとってコペルニクスでの日々は、既に思い出になろうとしていた。

 そしてそれは、キラにとっても……