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第三話-悲報-
その日は久々の休日だった。
陽気(といっても、熱帯のオーブなのでいわゆる『四季』とは少し違うが)に誘われ、はアスカ家と共に、ピクニックにやって来ていた。
オーブの観光名所である海の見える小高い丘で、シンやマユと年を忘れてはしゃぎ回る。
普段忙しい生活を送っているであろうシンの両親も、この時ばかりは仕事を忘れ、世界情勢を忘れ、のんびりとした時を過ごしていた。
平和だった。
先日、秘密裏に入港した連合の戦艦の修理を手伝ったことの方が夢なのではないかという気持ちになってくる。
それくらい、平和で心地良い休日だった。
ひとしきり走り回ってお腹がすいた。
ちょうどお昼時ということもあり、丘の上の平らな面を選んで、レジャーシートを広げる。
そこで話題に上ったのは、もっぱらの話だった。
「じゃあ、その幼馴染が……」
「うん、キラっていってね。もともとはオーブの人なんだよ」
ランチをつつきながら、「シンにも紹介したかったな」などとが言うのを、シンは複雑な気持ちで聞いていた。
「付き合ってたりするわけ」
「まさか、そんなはずないよ」
「……ふーん」
「……?」
慌てて否定したが、の表情には明らかに照れがある。それも、嬉しい部類の。
それが分かって、ますますシンの眉間に皺が寄っていった。
そんな微妙な男心など分かるはずもなく、はじっと見つめてくるシンの視線から逃れるように目をそらす。
「ほら、二人とも! せっかく遊びに来てるんだから、そんな険悪にならないの」
と、いきなり二人の間から割って入った声にはっとする。
穏やかな笑みを浮かべたシンの母親が二人をなだめるようにしてこちらを覗き込んでいた。
「べ、別に険悪になんか……」
「そうですよ、ちょっと、昔のこと話してただけで」
「昔のこと……」
そう聞いたシンの母親の顔が僅かに曇った。
つられるように、シンの表情も暗いものになる。
の過去、と聞いて、一年前に起こった悲劇を思い起こさせてしまったのだろう。
「一年って、思ったより早く過ぎるんですね……」
しばらくの沈黙の後、たった今思い出したかのようにはぽつりと呟く。
「さん、俺、その……」
そばでシンは何かを言いたげに口を動かすが、それを遮っては続けた。
「大丈夫だよ、シン。私には、シンやマユちゃんや、おじさんおばさんもいてくれるし」
顔を上げて笑ってみせると、それに安心したのか、アスカ家とを包む空気がふっと緩んだように感じられた。
一年前……コズミック・イラ70年4月1日。
その日は、にとって忘れられない悲劇の日となった。
の両親は、仕事柄、オーブと海外を忙しく走り回る日々が続いていた。
一年前のその日も、ちょうどそんな日々の中の一日だった。
が、この日、プラントはオペレーション・ウロボロスを発動。ニュートロンジャマーが地球圏に散布された。
後に言う『エイプリルフール・クライシス』。地球は深刻なエネルギー不足に陥り、その混乱と窮乏により、血のバレンタインの何十、何百倍の人命が失われることとなった。
そしてその中には、の両親も含まれていた。
だが自身の悲劇はそれだけでは終わらなかった。
両親の悲報を聞いたその晩、彼女の祖母は体調を崩し、まるで後を追うように息を引き取った。
それでも、と、は暗い気持ちを払拭するように笑って見せた。
家族を失い、孤児となってしまったに良くしてくれたのが、シン達アスカ家の人間だった。
コーディネイターとしてはすでに成人年齢に達していたことと、アスカ家にそこまでの余裕が無かったことにより、養子にはならなかったが、それでも彼らは本当の家族のようにに接してくれた。
その時の暖かい気持ちがあるなら生きていける。はそう強く感じていた。
今思えば、彼らがそれまで以上に仕事に根を詰め、家を空けることが多くなってきたのも、ちょうどそのくらいの時期だったことまで思い出す。
そこへちょうどタイミング良く、楽しげな声が割り込んできた。
「やっぱりさ、さんもうちの家族になっちゃえばいいんだよ」
「ま、マユ!」
妹が何を言わんとしたのか悟ったシンがあからさまに声を荒げてみせる。
が、他の面々は幼い少女の意図する所に気付けず、首を傾げていた。
「それって養子に入れってこと?」
「うーん、実子が二人もいるし、それはちょっと厳しいかな……」
「もう、お父さんもお母さんも鈍いんだから!」
マユには両親の言葉がとぼけているように映ったらしい。
頬を膨らませて、まだ箸を持ったままのシンとの手を取って、無理やり近付けさせる。
「ちょ、ちょっと」
「おい!」
「だから、養子じゃなくても、お兄ちゃんと結婚したらいいんだって!」
「またそれかよ! ったくこのマセガキがっ……!」
にこにこと『可愛い小姑ビジョン』を語ってみせるマユとは対照的に、真っ赤になって反論するシン。
ついていけないのか、マユに手を取られたままは呆然と兄妹喧嘩を眺めていた。
そして。
「……それ、いいかもしれないわね」
「うむ……シンだったら別に、いいか」
「俺だったらってどういうことだよ!?」
呑気なことを言う親に向かって行く。
(こいつら、もしかしてグルか!?)
そんなことを思いながらもシンは食ってかかったが、まずは父に、軽くいなされる。
「いや、お父さんマユのことは絶対嫁にやりたくないから」
「そーいう問題じゃなくって!!」
「うん、『・アスカ』……いい感じ?」
「ちょっ……母さんまで何言って……!」
次いで母の援護射撃。いまだに姓名判断がどうとか言っている、レトロな人だ。
そして、個人的に一番堪えたのが、これだ。
「シンと結婚したら……」
何やら難しい顔をして考え込んでいる。
やがてやけに重々しく最終宣告にも等しいその言葉が告げられる。
「苦労しそうだなぁ……」
溜息と共にそう告げられる。
本人が一番乗り気ではなさそうなところが、シンにとっては逆にショックだった。
後から思い返してみれば、この時が一番、彼にとって『優しくてあったかい』世界だったのかもしれない。
それは、その後の運命を知る者のみが語ることを許されることだ。
少なくとも、これからのオーブが、世界が、そして自分がどうなっていくのか、シンも、も、この時点で予想などつくはずも無かったのだ。
楽しい休暇の日は終わり、通常業務の日々が戻ってきた。
といっても、ここ最近のモルゲンレーテ社の命題でもあった『ナチュラル用OS』の開発については、少し前とは比べ物にならないほど飛躍的に進んではいたのだが。
いつも通り出社したのすることも、ほぼ決まってきている。単調な作業だ。
だが工場へと向かう途中で、はその日の業務を断念せざるを得ない状況へと向かうこととなる。
「・さんですね?」
からしてみれば突然ぬっと現れたように感じる、黒スーツにサングラスの男数人。
「……どなたですか」
いきなりのことに、警戒して自然と声が低くなる。
が、一番前に立つ、ひときわ体格のいい男が有無を言わさぬ口調で続けた。
「我々は、サハク様の使いであなたを迎えに来たものです」
「そんな、急に言われて……」
「既に社にも連絡は入れてあります。こちらへ」
「……お断りします!」
竦んでしまいそうになるのをこらえて、叫ぶ。
サハク、といえば、オーブ五大氏族のうちの一つ。絶大なカリスマを誇るアスハ家とは違い色々黒い噂のある家だということは、も話に聞いている。
そんな家の人が、自分などに何の用があるのか。
自らを囲み、背後にある黒塗りの車に連れようとする男達をすり抜けようと、背中を向けて走り出したが、先程の男が再び発した声に足が止まった。
「キラ・ヤマトという男の名をご存知でしょう?」
「!! ……どうして、キラのことを……?」
恐る恐る、男を振り向く。
どうしてキラが。
まだオーブに残っていたのかとも思ったが、それ以上に、なぜキラがサハクの元にいて、物々しい使いを出しまでして自分を呼んでいるのか、そのことが疑問で仕方なかった。
男はそんなの様子を気遣う風もなく、無表情に告げる。
「その方が、あなたを呼んでいるのです」
「……」
考えた末、は車に向かった。静かに、一歩ずつ歩いていく。
この状況で男達から逃れるのは不可能に近い。
それに、キラのことも気になる。
後部座席に座る。窓は暗い色で塗りつぶされ、外の様子をうかがうことができないようになっていた。
(キラ……一体何があったの? どうして私を呼ぶの……?)
外の景色を見て気を紛らわすこともできない。
なぜだか嫌な予感がした。
かわりに目を閉じて、はキラを思った。
「こちらです」
案内されたのは、殺風景な薄暗い場所だった。
あれからオーブのどこを走っているかも知らされず、気がついたら到着していて、急かされるように車を降りた。
は周りをきょろきょろと見渡しながら、照明のほとんど無い通路を歩いて行く。
指定された部屋と思われる簡素なドアはすぐに見つかった。
(ここ、どこだろう……こんな場所は知らない。地下……?)
車は右左折を繰り返し、意図的にどこを進んでいるのか分からないように走ってるとに思わせていた。
が分かったことといえば、下り坂が多いと感じたことぐらいだ。
だがここがどこであれ、もはや引き返すことはできない。
意を決し、はドアの前に立った。
「え……」
ドアにはノブがなかったが、が前に立つと、横で何やら電子音が鳴り、自動で開く。
(これ……最新式のID照合)
横目でその小さな機械をちらりと見てから、中へ一歩踏み入れる。
外の雰囲気とはうって変わって、中は明るく、清潔そうな空間が広がっていた。
同時に独特の薬品のにおいがの鼻を刺激する。どうやらここは病室のようだった。
だが。
何より目を引いたのは、その病室の主。
「……!!」
思わずは息を飲んだ。
両手を重ね、口元を押さえる。
信じられない光景だった。
「キラっ!!」
中央に据えつけられた大型のベッドに、その主は寝かされていた。
全身は包帯に覆われ、顔は片目と頬の一部を露出するのみ。
はベッドに駆け寄るとシーツからはみ出している包帯まみれの彼の腕を取った。
意識は失ってはいなかった。触れた際に、腕がぴくりと反応し、同じく片方しか出ていない紫の瞳が見開かれる。
かすれた声で、答える。
「…………ぐ……ぅっ!」
「キラ……どうして……どうしてこんなことに……」
痛みによるものか、キラはの名を呼びながら身じろいだ。
そのたびに、彼の体に貼り付けられたコード類が音を立てて揺れ動く。
うなされている。
キラの手をそっと包んだ自らの手の甲に、水滴がつく。
自分は今泣いているのだ、とは他人事のように思った。
キラ・ヤマトは足掻いていた。
体が思うように動かせない。痛みを訴える箇所ごとこの手でむしり取ってしまいたいほどの焦燥に駆られたが、それも叶わず、ただ体を震わせているだけだった。
その焦りからか、彼の頭の中では、意識を失う直前の光景がフラッシュバックしては、キラを苦しめる。
「守……なきゃ……みんなを……うぐっ……!」
鮮明に浮かぶ、あの光景。
親友と認め、幼少期を共に過ごしたあの男がキラを本気で殺そうと襲い掛かってくる。
もうあの時には戻れないのだと、キラもどこかで分かってはいた。
だがもしかしたら、というその希望はいとも簡単に裏切られる。キラは自分の甘さを悔いた。
そして閃光の刻──脳裏に浮かんだのは、自分とあの男と共に、いつも一緒にいた少女のことだった。
そうだ、あの男のことを──アスランのことを、に……
その思いが、をここに呼んだ。
痛みをこらえ、キラは必死の思いでに伝えようと目を向けた。
の表情は沈んでいるように見える。心配してくれているのだろうか……その気持ちは嬉しかったが、今のキラにはそれを気遣ってやれる余裕などなかった。
できるだけ落ち着いて、状況を話そうとする。
「スト、ライク……やられ……アス、ラン……に……っ! アー……エンジェ…が……」
「……アスラン……!?」
その名を聞いた瞬間、の目が揺らぐ。
キラの口から出たその名前が信じられなかった。
月での日々を思う。キラとアスランは親友同士だった。
それが、どうして。
だがキラはその疑問に答えてはくれず、再び目を閉じる。
同時に握っていた手の力が抜けて、強張っていた体がだらりと弛緩する。どうやら眠ってしまったらしい。
ただ分かったことといえば、アスランについて語った時の口調と瞳には、友に対する暖かなものは一切含まれてはいない、ということだけだった。
は結局、病室で夜を明かした。
「う……ん……」
窓が無いため、光の届かぬ朝。
キラの眠りベッドに寄りかかったまま寝ていたが身を起こすと、肩から何かが落ちた。
「……?」
寝惚け眼のまま、床に落ちたそれを拾う。目を擦りながら確認すると、それは薄手のブランケットだった。
「やあ、おはよう」
「へ……」
突然どこかからかけられた挨拶に、反応することができなかった。
キラの声ではない。では一体誰が……
ブランケットを持ったまま室内を見回す。
ドアの方向に、一人の男が立っていた。
ウェーブした紫色の髪を撫でつけた、一見軽薄そうな雰囲気の青年である。
オーブ氏族の証である臙脂色の上着を纏っているところを見ると、政府の関係者なのだろうか。
奇妙な感覚を覚えた。
断りもなくこんな所に入り込んで、眠っているの肩にブランケットを掛けたのかもしれないこの青年は、一見すると明らかな不審者とも言える。
だが青年はそれを気にすることもなく、の脇を通り抜けると、いまだ目を覚まさぬキラの顔をまじまじと覗き込んでいる。
「あ、あの……」
「うん?」
呼びかけると、視線だけでに振り向く。
あなた一体何者なんですか、と問う前に、青年はまるで人格が変わったかのように居住まいを正し、にきちんと向き直った。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はユウナ・ロマ・セイラン。サハク派のしがない下級氏族の息子」
そう言って慇懃に礼をしてみせる。
「はあ……」
「君をここへ呼んでもらうよう手配をしたのも僕。もっともそれはイレギュラーだったけれども……」
「説明してください! どうしてキラがこんな大怪我で倒れてるんですか! どうしてこんな所に収容されてるんですかっ! どうして私が……!!」
「いや、うん、落ち着いて?」
まるで雲を相手にするかのような問答に、は思わずユウナに詰め寄っていた。
気圧されて、ユウナは後ずさりしつつをなだめにかかる。案外、小心なのかもしれない。
が、はなおも引かなかった。
「これが落ち着いていられますか! 一体キラに何があったんですか! ストライクがどうとか、アスランがどうとか……」
「……そうです……ここはどこなんですか? どうして……僕は生きているんですか?」
「えっ……キラ……」
「や、やあ……気がついたかい?」
捲くし立てるの言葉を遮るように、静かに告げられる声。
振り向くと、病室の主は目を覚まし、苦痛に顔を歪めながら、何とかこちらを見ようと首を起こしていた。
「ああ、そのままでいいよ、楽にして」
目の前のを剥がすと、ユウナはベッドの方に向かった。
今までのおどおどした様子が嘘のように落ち着き払っている。
「キラ・ヤマト君。そして、・さん。これから言うことを、どうか落ち着いて聞いて欲しい」
柔らかいユウナの声質とは裏腹に、口調は重々しい。
「ストライク撃墜の報を受けて、アークエンジェルの依頼でオーブはそのパイロットを捜索した。結果、パイロット……キラ・ヤマト君は見つかり、ここで治療を受けてもらうことになった」
「それじゃあ……」
「キラが、ストライクのパイロット……」
信じがたい事実のようにも思えたが、これでの頭の中で一つ、合点がいった。
カガリの言っていた「一緒にザフトと戦っていた」というやつだ。
キラの顔を見遣る。彼は少しだけ、安心したような表情を見せていた。
だが彼に突きつけられる事実は残酷だった。
「じゃあ、怪我が治ったらアークエンジェルに……」
「無駄だろうね」
冷たくユウナが言い放つ。
「どうして……」
「アークエンジェルはアラスカに向かった。……これを見てごらん」
ユウナは小型のラップトップを起動させる。映し出されたのはアラスカ・JOSH-Aのライブ映像だった。
「……!」
映像にキラは言葉を失った。
アラスカには、モビルスーツの大部隊が展開されていた。
オペレーション・スピットブレイク攻撃開始まで、あとわずか数刻を切っていた。