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第四話-嘆きの戦士-

 キラ・ヤマトという人間の本質は戦士である。
 それは戦いを嫌うキラ本人の性格とは関係ない、純然たる資質だ。
 さだめ、と言い換えてもいいだろう。

 その戦士が今、傷だらけのまま立ち上がろうとしていた。

「アラスカへ! 行かせてくださいっ! このままじゃアークエンジェルが……!」
「キラ! 駄目っ! 寝てなきゃ……!」

 アラスカの様子が映し出されたディスプレイ。それを見た瞬間、キラは跳ね上がるように体を起き上がらせた。
 コードを引きちぎり、計器類を床にぶちまけて、何とかそこから抜け出そうとベッドの上で暴れまわる。
 は必死に押さえたが、満身創痍のその体のどこにそんな力が残されていたのか、というくらいにキラの力は強く、少女一人ではとても押さえきれるものではない。
 揉み合っているだけで、ベッドの周りには医療器具だったものの残骸が派手に音を立てて増え続けていった。
「離してくれ! 僕が、守らなきゃ……」
「駄目だよキラ! キラが死んじゃうよ!!」
 祈りにも似た気持ちで、はキラを押さえ続けた。
 キラを死なせたくはない。
 それに無理だ。今から戦いに行かせるなど……

 そんな騒然とした室内に、静かに声が響いた。

「離してあげたら?」
「えっ……」
 声はユウナだった。
 意外な言葉に、キラは一瞬動きを止める。行っても無駄だと最初に言ったのはこの人のはずなのに。
「そんな、そんなことしたらキラが!」
「実際に、分かってもらうしかないからね。酷なようだけど」
 の非難の声をものともせず、ユウナは顎でキラを離すよう促す。
 自由を得たキラは、当然ベッドを這い出ようと動き始める。
 しかし。

「うわっ!!」
「キラ!」
 思うように力が入らず、足を踏み出したとたんにキラはその場に倒れこんだ。
 が慌てて支えようとしたが間に合わず、無様にも床に崩れ落ちる。
「ほら、言わんこっちゃない」
「く……うぅ……」
 項垂れたままのキラににべも無い言葉が突き刺さる。
 にわざとキラを離すよう言ったユウナの意図がやっと分かった。
 彼は自分を行かせてくれるつもりは毛頭なく、ただ現在のキラの状態を実感させたかったのだ。

 悔しい。必要な時に振るえない力などあっても仕方ない──
 固く握った拳で何度も何度も床を叩いた。
「ちくしょう……ちくしょうっ!」
「どのみち、アラスカに行くのは無理だ。ストライクはボロボロだし、第一もう間に合わない……」
 痛々しいキラから目を反らすようにして、ユウナは視線を落とす。
 そこにあったのはアラスカの光景……今にも攻撃を開始せんとするザフトのモビルスーツ部隊。
「JOSH-Aは、落ちる……ね」

 オーブにいる身ではどうすることもできない、無慈悲な映像だった。


 キラはいまだ床を叩き続けていた。
 顔が上げられない。床の上に透明な雫がいくつも落ちる。
 それに気付いているのか、キラの方を見ないようにしてユウナはに向かって問う。
君。今日は何月何日?」
「え? ええと……5月8日……ですけど」
「そう。ストライクが落とされたのが先月、4月17日だ」
「そんなに……!?」
 俯いたままのキラの顔がさっと青ざめる。痛む拳がつい動きを止めた。
「君は20日あまりもの間、意識不明の重体だったんだ。昨日やっと目が覚めたばかりで、体も十分に動かせない……立って歩くこともできないんだよ? そんな状態の人間をMSに乗せて放り出せるはずが無いよ」
 言ってユウナは首を振った。
 キラには何も言うことができなかった。

「さ、とにかく今は傷を治すことに専念してくれ」
 それまでの空気を払拭するように、ユウナは努めて明るく振舞おうとした。
 まだ地に伏したキラの肩に手をかけ体を起こさせると、脇を持ち上げてベッドに運ぼうと力を込める。
 5cmほどキラの体が持ち上がったところで、ユウナはの方をちらりと見た。
君、ちょっといいかい?」
「な、何ですか?」
 二人を見守っていたは、いきなりこちらに振られて一瞬躊躇する。
 ユウナは困ったような笑みを浮かべて言った。
「キラ君をベッドに戻すの、手伝ってくれない? 肉体労働は苦手なんだ」

 内心溜息を吐いて、は言われたとおりキラの背中を支えた。


 それから数日が過ぎた。
 は日中は通常通りに業務をこなし(ただしどこかから手が回されているのか、残業は無し、もしもの時にはすぐに抜け出せるよう手配されてはいたが)終わってから地下にある医療施設でキラの看病とリハビリの手伝いをする生活が続いていた。

 ベッドの横に安っぽい丸椅子を置いて、はキラの顔を覗き込む。
 何とか顔の包帯は取れたが、キラの歪んだ表情はまだ痛みが残るのを訴えていた。
「キラ……今日は調子どう? どっか痛いところとか」
「痛いよ……決まってるだろ……」
 療養とリハビリに疲れていたのか、ここのところキラはずっとそんな投げやりな様子になっていた。


 外での情報をキラに伝えるのもの役目だった。
 キラと知った仲であること、モルゲンレーテに容易く入れること、その他行動をとっても怪しまれないこと。これがが抜擢された理由である。
 傷付いたキラと初めて面会した次の日、アラスカが落ちたことをキラに伝えたのもだった。
 大西洋連合がユーラシアの部隊やアークエンジェルを囮として、大量に降下したザフト軍をサイクロプスで焼き払ったのだ。
 キラの瞳から生気が失せたのも、その時からだった。

 ただ、が聞かせたこの報告には、ある致命的な情報が抜けているのだが、二人がこれを知るのはもう少しの時を待たねばならない。


 以前よりは包帯の取れたキラの体を濡れたタオルで丁寧に拭いてやる。
 取り替えた医療器具の立ち並ぶ中、キラは再びベッドに体を横たえた。

 その時だった。
 アラスカでのある情報を故意に隠したその男が部屋に現れたのは。

 固い靴底が床を叩く音と、漆黒のマントの衣擦れの音……後からユウナが焦った様子で追いかけてくる。
 それらを伴ってやって来たのは、マントと同色の長い髪を持つ、長身の男だった。
「ロンド・サハク……?」
 思わず見入ってしまったの口から、男の名が漏れる。
「キラ・ヤマト。少しは動けるようになったか」
 男……ロンド・ギナ・サハクはを無視して、キラに向かう。
 特別なことをしたわけではない。ただ、キラに向かって歩いていっただけだ。
 だがそれだけで、圧倒的な威圧感がに迫ってくる。王者の風格、とでも言うのだろうか。
 気付けばは席を立ち、ロンドに道を譲っていた。

 そうしてベッドの際に立つ。
 黒い大きな影がキラを覆うと、ロンドは不躾に口を開いた。

「早く治すことだ。お前には私の下で戦ってもらわねばならんのでな」
「え……?」
「何だって!?」
 ロンドはキラの見舞いに来たわけではなかった。
 ただ、事実のみを告げに。
 一瞬混乱すると、顔をこわばらせてロンドをまじまじ見つめるキラ。
 怪我のために思うように動けない苛立ちもあって、ついキラは不満をぶつけてしまう。
「そんな……勝手だ! また僕を戦わせようっていうんですか!?」
「何とでも言え。それに、お前は断れないはずだ」
「っ……」
 ロンドの容赦ない物言いにキラは言葉を詰まらせた。
 もしここで承諾しなければ、治療も途中のまま放り出されてしまうかもしれないのだ。
 もし怪我の回復が思ったよりも早くて、外に出ても大丈夫だったとしても、その後の生活は? 鬼籍に入ったであろうIDは?
 遠い地に逃げるのか? を置いて?
 逃げるとして、島国からどうやって?

 シーツの中に隠れて他の者には見えなかったが、キラは無意識に爪跡がつくほど拳を握り締めていた。
 どうにも出来ないやるせなさが、キラの口を使って嘆きの言葉を吐かせる。
「結局……僕には戦うことしか出来ないのか……?」
「お前の自分探しなどどうでも良い。私は利用できるものを利用するだけだ。そのためにお前の無事を連合に伝えなかったのだからな」
「な……!」
 途端にキラの瞳に怒りの色が灯る。それは久々の感触だった。
 この男のせいで、アークエンジェルと引き離されてしまった。キラの数少ない居場所を、この男が。
 絶句したままロンドを睨み付け、反射的に起き上がる──が、痛みですぐに倒れ込む。
「どうして……そんなことしたんです」
 掴みかかってやりたかったが、それは叶わなかった。代わりに憎悪すら込めて、キラはそう聞いた。
「知らせてどうなる? 怪我人を戦艦に乗せたままアラスカで戦うのか?」
 一方のロンドは、キラの視線などものともせず、涼しい顔をして立っていた。
「……それは……」
「そしてお前は、部屋の中で無力感に苛まれながら艦と共に沈んでいくのだな?」
「く……っ」
 言葉を失ったキラに、ロンドはなおも畳み掛ける。
 が、それまで背後に控えていたユウナが二人の間に割ってはいるように進み出た。
「ちょ、ちょちょっとギナ!? 何も、そこまで言うことは……」
 慌てた様子でロンドを制止にかかる。
 が、ロンドが一瞥すると、たちまち蛇に睨まれた蛙のごとく竦み上がる。
「いっ」
「ユウナ・ロマよ。私をその名で呼んで良いのは世界にただ一人」
「……そうでした」
 盛大に溜息を吐くと、頭をかきながらユウナは引き下がる。

「……あの、ロンド様」
「何だ、娘」
 それまで黙っていたの声が透き通るように響く。
 取るに足らない小娘の意見だ、とロンドは一瞬思ったが、が存外真剣な目つきをしていたので、一応聞いてみることにした。
 次にが言ったのは、キラを庇うような、慰めるような、そんな優しい言葉などではなかった。

「戦いたくないと言う人に無理やり戦わせても、たいした戦果はあがらないと思います」
「ふむ?」
 ロンドの視線に躊躇いながらも、話す。スムーズに話を進めようと、ロンドは相槌を打って続きを促した。
「今のキラがロンド様の力になるとは、とても思えません。むしろ足手まといになると」
「…………」
 驚愕と共に、キラはを見遣った。
 だがはキラを瞥することすらない。真正面からロンドを見据えていた。
 ロンドの方もしばらくを見定めるかのように向き合っていたが、やがて真一文字に引き絞られた口元が、僅かに上がる。
「フン……一理ある」
 意外にも他人を認める発言がロンドの口から出てきた。
 は少しだけ安心したが、それには構わず、ロンドは続けた。
「確かに中途半端な気持ちで戦われてはこちらとしても迷惑だ。……よく考えることだ、キラ・ヤマト。自分が置かれた立場というものを」
 言い切ると、用は終わったとでも言いたげにロンドは踵を返した。
 来た時と同じようにマントをたなびかせ、部屋を去っていく。別れの挨拶なども無しだ。

 ロンドを追うようにユウナも部屋を出た。
 いったん姿を消してから、再びドアの外から顔を覗かせおざなりな挨拶をしては、また消える。
 苦労の跡がにも窺えた。

 病室にはキラとのみが残されていた。
「……ありがとう、
「え?」
 力を使い果たしたかのようにへなへなと椅子に座りなおすに、そんな言葉がかけられる。
「僕を庇って、あんなこと言ってくれたんでしょ?」
 ようやくキラの方に向く。安心しきったのか、モルゲンレーテで偶然出会った時と同じような……昔と同じような優しい笑みを見せていた。
 だがはいたたまれないといった風に視線をそらす。
「違う……キラ、違うの」
「違う、って?」
「あれが私の本音。今のキラじゃとても戦えない、だから」

 の言っていることを理解するのに、数瞬を要した。
 つまりは、彼女も。

 が願っているのは『オーブの平穏』だった。
 そのために多少汚い仕事をしてもいいと思えるほどのものだ。
 だがキラはその意図には気付かなかった。

 嫌だ、認めたくない。
 が……彼女が、彼女も僕をただ利用しているだけだなんて。

、約束……覚えてるよね?」
「約束って……あの時の」
 何でもいい、彼女を繋ぎとめておけるものを。
 弱々しく、キラはとの最後の……そして最も強い繋がりを切り出した。
「うん……今、それを……答えて……」
「そ、そんなこと今言われたって……第一、今関係ないし……」
 は明らかに困惑した様子だったが、構わず続ける。
 キラ自身が『子供の約束』だと切り捨てたはずの、幼い告白。
「関係……あるよ。が僕を受け入れてくれたら、僕、頑張れる、から……」
「そんな、だって、フレイさんは……」
「フレイは僕を利用していたんだ……ザフトを倒すために……他の人だってそうだ」
「そんな言い方って……!」
「それに、もうどうせ……みんな生きてるはずない」
「…………」
 が押し黙ったのを、『話を聞いてくれる』合図だと取ったのか、キラは捲くし立てるように続けた。
 彼女が。
 彼女が僕の拠り所になってくれるのなら。
 そうするためにはアークエンジェルより彼女が大事だと伝えれば、そうしたら、きっと。
 縋る気持ちでキラは言う。
「でも、は違うよね? 僕のことを……ねえ、好きなんだ……僕が本当に好きなのは……」

「……やめて!」
 短く、キラの言葉を制する。
 なぜだか拒絶反応が出た。
 こちらに伸びてくるキラの手を振り払うと、は立ち上がり叫んだ。
「私は死人の代わりじゃない!」
 その一瞬でキラの顔に絶望が浮かぶ。
 その口から出てくるのは、またも自分に理解を示さなかった者への、非難の言葉。
「どうして……君も僕のことを分かってくれない!? 君ならきっと……僕の苦しみを分かってくれるって、そう……」
「怪我で心細いのは分かる……でも、今私に逃げたって、何も解決しない……」
 キラのその言葉だけ聞いていたなら、はキラを慰めていたかもしれなかった。
 だけどそうはならなかった。
 オペレーション・スピットブレイクの映像を見て自らの怪我も厭わず飛び出そうとしたキラの方が本質だ、とには思えたからだ。
 がそれを必死で止めたのは、ただキラのその意志に肉体がついていけないからだ。

 キラは決して、戦いたくないわけではない。
 彼は何かのきっかけさえあれば、いくらだって戦える。は直感的にそう感じた。
 きっかけ──おそらくは、彼自身が本気で守りたいと思ったもの──のことだろう。
 その思いがあったからこそ、はロンドに『キラを使うな』と上申出来たのである。

 だがキラ自身は、それに気がついていないらしい。自己憐憫の塊となって、自らの本質に気付けないままでいるのだ。
 だから今までに見たことも無いような弱々しい表情を見せ、に向かって喚いている。
「僕だって必死で戦ってきたんだ! なのにみんな、分かってくれなくて……」
 なおも続くキラの泣き言に、はついに激昂した。
「甘えないでよ!」
「!?」
 キラがびくりと震えるのが分かった。
 だが言葉は止まらなかった。今までの看病生活の鬱憤を晴らすかのように、戦士の本質を甘えで覆い隠して女に縋りつくキラを、鋭く咎め立てる。

「結局キラは、その時に自分を肯定してくれる人が欲しいだけ……そんな人を慰めるなんて、私、出来ない」
 キラの視線から逃げるように、は俯いた。

 あるいは、ここでがキラを受け入れていれば、新たな「守るべきもの」として認識し、また戦うことが出来るようになるのかもしれない。
 だがそれでは駄目だ。
 キラが自分で戦う理由を見つけなければならないのだ。
 だから、今キラの甘えた告白に答えてしまっては、結局「嫌だけど、やらなくちゃいけないから」というキラの今までのポーズを崩すことは出来ない。

「……アラスカの映像を見た時、いてもたってもいられなくなって戦いに行こうとした時のキラが、多分ほんとのキラだって、私は思う……あの気持ちがまだあるのなら、キラは大丈夫だよ」
「そんな、っ、ことない……僕は」
「それに私、こんな中途半端なままでキラと結ばれるのは嫌なの……」

 のその言葉の意味を、キラは理解することはなかった。
 理由はともあれ『拒絶された』というショックの方が大きかったからだ。


「……食事、取ってくるね」
「…………」
 が静かに部屋を発つのを、キラは無言で見送った。



 病室は静寂に包まれた。
 一人残されたキラは、ずっと考え込んでいた。
 これまでのこと、そしてこれから起こりうるべきこと。

 JOSH-Aが落ちたということは、アークエンジェルも落とされたかもしれないということ。
 守りたかったのに。
 ただそのために、かつての親友に銃を向けたというのに。
 その親友は復讐に駆られキラを撃ち、守りたかったものはキラのあずかり知らぬ所で死に旅立った。
「もう、僕がいる意味なんて……ないじゃないか」
 誰もいなくなった病室で、キラは一人ぽつりと呟く。

 あの後、ストライクのパイロットは正式にMIA(戦時中行方不明者)認定を受けたそうだ。
 つまりキラ・ヤマトは既にこの世にいない人間ということになる。
 そんな手続きまでして、オーブに拾われ……そのオーブすらも、必要としているのは自らの戦闘能力のみ。
 本当は戦いたくなどなかったのに、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか?
 どうして自分だけがこんな目に遭わなければいけない?
 守るべきものを失い、その上にまで突き放されて、自分は何がしたかったのだろう?
 は、彼女は、拠り所を失った自分の最後の希望となってくれるかもしれない人だったのに。

  『キラのことは好きだよ』

 ふと、幼いころに告白した時の答えが頭に浮かぶ。
 もう随分遠い昔のことのように思えた。
 あの時自分の世界の全てだと思っていたものが、今は何一つこの手に残っていない。

  『お前がニコルを!』

  『甘えないでよ!』

 幼馴染達の『現在』は、今や刃となってキラを苛むものとなっている。

「う……うぅっ……」
 一人静かに、キラは嗚咽を漏らす。
 それは次第に大きく、嘆きの叫びとなって部屋に響いた。
「ううっ! う……うぁあああああー……っ!!」

 意味を成さない、戦士の嘆き。
 言葉にならない気持ちを抑えることもせず、キラは泣いた。

 アラスカで落とされたはずのアークエンジェルがオーブへと寄港する、ほんの少し前のことだった。



 出来合いの簡単な夕食をトレイに乗せ、は病室へと続く通路を歩いていた。
 その途中、電子管制室を通りかかる──不自然にドアが開いているのが気になった。
 抑えきれず覗いてみる。ロンド・サハクとユウナ・ロマは果してそこにいた。
か?」
 つい立ち止まってしまったのを気取られたのだろう、中からロンドが呼ぶ。
 先程聞いた耳につく男の声ではなく、低く透き通った、女のような声だとは思った。

 意を決して、室内に入る。
 二人は据えつけられたディスプレイを見ていたようだったが、が部屋に入って来たのが分かるとそちらに向き直る。
 ちらりと見えた画面の中は、キラの眠るベッドが映し出されていた。
「先程のはなかなか面白かったぞ。茶番にしては傑作だ」
「まさか……見てたんですか!?」
 ロンドの顔がニヤリと歪む。
 反対にユウナの表情は引きつっていった。
 それでもは怯まなかった。

「茶番をやったつもりはありません。あれは本心です」
「い、いいのかい? キミはそれで……」
「隠さずとも良い」
 おどおどとなだめようとするユウナを遮って、ロンドが立ち上がる。
 の方へまっすぐ歩み寄ると、鮮やかに塗られた紅の唇から思いもかけない言葉が紡がれた。
「あの男のことを好いておるのだろう?」
「……!!」
 がちゃん。
 トレイを取り落としそうになるのを何とかこらえたが、の表情は一気に凍り付いた。
 心臓を鷲掴みにされた気分だった。
「そ、そんな……私は、本気でオーブのためにならないと思って」
「キラのため……ではなく?」
「……そうです」
 トレイを持つ手にくっと力が込められる。
 逃げ出してしまいたい気持ちを抑えて、は静かに、自分の考えを口にした。
「キラがあのままでは、真にオーブのために戦ってはくれないと思います。不確定要素は、排除されるべきです」
「男の魂を穢して、命を守るか」
「……私の望みは、オーブの平穏です。アスハの外交だけでは戦争は避けられないし、サハクの軍事力だけでは、抑止力足り得ない……キラには自分で動いてもらわなければいけないと思っています」
「一民間人にしては随分と大仰な望みだな?」
 ロンドの声色には愉しげなものが混じり始めていた。それでの畏怖もいくらか和らいだ。
「ですから、無理に背伸びせず、自分に出来ることをやろうと思います」
 そう宣言したの姿には、ある種の晴れやかさすら漂わせていた。

 目の前にいるのは、何の力も持たぬただの少女。
 その少女のある意味リアリストじみた発言に、ユウナは内心ひやりとしたものを感じたが、ロンドはたいしたもので、それを黙って聞くに留まっている。

「食事を持っていくので……失礼します」
 やがて思い出したように一礼して、は部屋を出るためドアへと向かう。
「もうすぐアークエンジェルが来る」
「!?」
 その背中に向かいロンドが投げかけた言葉にぴくりと反応し、またもトレイを落としそうになった。
「ストライク無しでよくも生き残れたものだとは思わぬか?」
「オーブに来る意図が掴めません」
「アスハの差し金だろうな。ともかく、これが『きっかけ』とやらになろう……良い悪いは別にして……な」
「…………」
 ロンドに答えるための言葉を見つけられず、はそのまま部屋を出て行った。

 残った二人。ロンドはの背を見送りながら笑い声を漏らす。
「ユウナよ、あの娘自分では気付いておらぬようだが……突き放しているように見えて、実の所キラの闘争本能が目覚めるのを信じている。かわいいとは思わぬか?」
「かわいい?僕には女のシビアさが身にしみたってことしか」
 肩をすくめるユウナを尻目に、ロンドは今度は声を上げて笑い始める。

(女だな……
 笑いながらロンドは、心中そう呟いた。