Novel

第五話-雌伏のバースデイ-

 食事を運んできたが最初に見たのは、中央のベッドに埋もれるようにして寝転んでいるキラの姿だった。
「キラ……食事……」
 ぐったりとしていたため、寝ているのかと思い小さく告げるが、のその言葉にキラは目を開ける。
 覗き込むと、薄紫色の二つの視線に射抜かれる、そんな気がした。
「そこに置いといて……」
 かすれた声でキラが答える。
 目の周りが赤く腫れていた。あの後泣いたのだろう。
 酷であろうと、そのことを話に出すのも憚られたが、そんなものよりもの目を引くものがキラの顔にはあった。
 ぼうっとしたまま開かれているだけ、のはずの彼の目。
 以前オーブで話し込んだ時、は彼の目が夜闇寸前の空の色に似ていると感じていた。
 だが、今彼女を突き刺すように見つめているキラの瞳の色には、それよりもずっと暗く澱んだ何かが潜んでいるような、そんな風に思えたのだ。
 それはまるで、あれから時間が経過して、完全に日が沈んでしまったかのように。

 一方、泣き止んだキラの心は、意外に冷静になっていた。
 怪我も治っていないこの不自由な状態で、何かが自分の思い通りにならなくなって。
 それでヒステリーを起こして駄々をこねても何にもならないと理解した。
 ある種の『諦観』がキラの精神を支配した時、彼の心は嘘のようにすっきりと晴れていた。

 そう感じた時、キラは素直に自分の思いを口にすることが出来た。

 そうだ、まずは。

「さっきは、ごめん」
「……え?」
 が首を傾げる。構わずキラは続けた。
「……取り乱したりして……」
 少し顔が熱い。
 心から出た謝罪の言葉は、思ったよりも気恥ずかしかった。
 その証拠、とでもいうのか、今まで能面のように貼り付かせていた独特の薄笑い──周りは皆ナチュラルという環境の中でキラが自然と身につけていた処世術だ──が出来なくなっている。
 恥ずかしい時は『恥ずかしい』という表情があっさりと顔に出るようになっているのだ。
 それを感じ取ったのか、の方も何だかばつが悪そうな表情を浮かべている。
 それ以上は感づかせまいと、キラはさらに言う。
「君の言う通りだよ。僕が甘ったれだったんだ」
「キラ……?」
「もうあんな風にはならない。君の前で、情けない所は見せたくないしね」
 そこまで言い切って、やっとキラの顔が緩んでいく。
 その後を継ぐようにが切り出した。

「私の方こそ、急に怒鳴ったりして……」

(そこなんだ……)

 の謝罪は、あくまで『怪我人の前で急に大声を出した』ことに関してのみ、にとどまっていた。
 だが不思議と不快な気分は無い。

 そうだ、認めろ、キラ・ヤマト。
 お前は今まで何を求めてきた?
 戦いが嫌いと言いながら戦ってきたのは何でだ?
 戦うと決めたはずなのにぐずぐずと女に縋ってきたのはどういう了見だ?
 結局、今までの自分が欲しかったものは、の、彼女の言う通り──……

 キラの思考はそこで中断された。
 言いにくそうにが告げた報告によってだ。


「……アークエンジェルが、オーブに来る、って」



──数日後、ハウメア島ドック


 はそこで、久しぶりに見る大天使の白い姿に圧倒されかけていた。
「あの、モルゲンレーテのです。艦の修理とモビルスーツの整備を……」
 作業服を纏ったは、現場の責任者らしき者にそう言って近づく。
 またもサハク派に便宜を図って回してもらった、アークエンジェルの修理。
 だが彼女の目的はそれだけではなかった。


 アークエンジェルのオーブ入りをキラに知らせた時、彼は言いにくそうに、に頼みごとをしてきた。
「ずっと謝りたいと思っていた人が二人いる」
「謝りたい?」
「フレイのことは……話したよね?実は、正式に付き合っているわけじゃなかったんだ」
 ぽつりぽつりと、まるで贖罪のように紡がれるキラの言葉を、は黙って聞いていた。
曰く、

『フレイ・アルスターには元々婚約者がいて、それをキラが横恋慕して奪ってしまった』
『それが元でフレイを艦内で孤立させ、また自らもフレイに依存するようになっていった』

 そんな経緯があり、キラは彼女達のことに決着をつけようとしたはいいものの、それは叶わず、アスランの乗るイージスによって撃墜されてしまった。
 戦場の色恋沙汰ならば、吊り橋効果も手伝ってそういうことにもなるかもしれない。
 だけどそれは、友人から婚約者を奪ったことの言い訳にはならない。
 二人の関係を壊してしまったのは僕だ。その後の責任も何も考えずに『現在』のフレイだけを求めて自分勝手に振舞ってきたのも僕だ。
『戦いたくない僕を戦わせているんだから、ありがたがるのは当然だ』と、無意識のうちに思っていた。『僕が守ってやっているんだ』と思っていた。
 その驕りが、友人を、サイを見下してフレイを奪い、そしてこんな結果を招いた。
 だから謝りたいのだと、キラはそう言っていた。
 謝って済む問題ではないけど、それでも謝りたいのだ、と。

「本当は直接会いたいんだけど、今はそれもできない……だから、君に頼みたいんだ」
 いつか直接会って、自らが謝りたい。そのために、にアークエンジェルを見てきて欲しい、と。
 リハビリ中のキラが今頼れるのは、しかいなかった。


 はその願いを承諾し──こうして今、ドックに来ていた。


 修理のための工具を手に、はふと、腕に巻いた時計に目をやった。
 カレンダー機能が指している日付は『CE.71.05.18』。
(おめでとうを言うの、忘れてきちゃったな)
 心の中だけで呟く。その日はキラ・ヤマトの誕生日だった。


「あーっと、すまんがあれには手をつけないでくれ」
 モビルスーツの立つ格納庫に入り、が見知らぬ一機に近づこうとした時のことだ。
 背後からすぐさまそう言って呼び止められ、たたらを踏んで立ち止まる。
 振り向くと、連合の整備服に身を包んだ大柄な男がに向かって手を伸ばそうとしていた。
「あ、す、すみません」
 慌ててきちんと向き直り、は男に向かってぺこりと頭を下げる。
「嬢ちゃん、モルゲンレーテからの出向だろ? あっちでエリカ主任の指示に従ってやってくれ」
「はい。あの……」
 短い指示だけを出して立ち去ろうとした男におずおずと声をかける。
「ストライクのパイロットについて、少しお聞きしたいんですけど……」
「ストライク……? ああ、あの坊主のことか」
 呼び止められた男は怪訝そうに首を傾げる。
 なんで今更そんなことを、とでも言いたげな表情をしている。
 なぜだかはそれが癇に障った。が、こらえてたずねる。
「オーブ領海で撃墜されたと聞きました。その後、ろくな戦力もなしにアラスカの……」

 の言葉は、そこで遮られた。

「軍曹! こっちの手が足りなさ過ぎます!」
「分かった、今行く!」
 軍曹、と呼ばれた男はそう答えると、それまで話していたに肩をすくめてみせる。
「……と、そういうわけなんで悪いな。ストライクのことなら、他の奴に聞いてくれ。じゃあな!」
 手を振って去る軍曹を、は複雑な表情で見送った。

(なぜ?)

 まず頭に浮かんだのは、その単語。
 連合の整備服を着ていて軍籍がある、ということは、彼はアークエンジェルの整備兵なのだろう。
 ストライクのパイロットを坊主と呼んだことからも、キラと面識があることが分かる。
 それなのになぜ、当のストライクのパイロットのことを尋ねられて、あんなに平然としていられるのだろう?
 例え現在整備で忙しいとしても、少しも思い出さないというのはおかしいだろう。

(思い出すほどのことでもない、ということ……?)

 いくらなんでも、それはないはずだ。
 は頭を振って、エリカの指示する方へ向かい作業を始めた。
 始めながら、手の空いた者を見つけてはストライクのことを聞きだそうと試みる。
 だがの思うような結果は得られなかった。
 ますますの中で疑問が膨れ上がっていく。

 アークエンジェルの無事をキラに伝えた時、彼はすぐに安堵の表情を見せた。本当に嬉しそうだったのだ。
 色々ままならないこともあっただろうが、そこは確かにキラの大事な居場所だった。
 それなのに、誰もキラの心配をしていない、ようにには見えた。

 一瞬、恐ろしい考えが背筋を駆け上る。

(だとしたら、彼らの中ではキラは既に──)


 結局、この日が知りえたことは、クルーの誰もキラを失ったことで沈んだりしていないこと、フレイ・アルスターは艦にはいないこと、そして、新型のモビルスーツの力でアラスカを脱出しオーブまでやって来られたこと、の3つだけであった。
「このこと……キラには言いづらいな……」
 帰りの道すがら、は嘆息する。
 誰もキラの心配をしていないと知れば、キラの心の拠り所が失われることになる。
 フレイがいないと知れば、彼の目的が一つ遠ざかったことを知るのと同じだ。
 そして最後の一つ……新型の力で戦えるとなれば、キラに残された最後の砦『モビルスーツ戦闘力』すらも、見知らぬ誰かに奪われたということになる。
 3つの事実全てが、『キラはアークエンジェルに必要ない』と宣告していた。

 再び溜息を吐くと、は長い道のりを歩き出した。
 胸を塞ぐ現実がどれだけあったとしても、帰らないわけにはいかないのだ。



「……さ…ん……」
「…………」
さーん」
「……?」
 沈んだ気持ちのまま歩く。どこかで自分を呼ぶ声がしたのに一瞬気付かず、通り過ぎようとした小さな交差点でやっと立ち止まる。
 片手を振るシンの姿を認め、そちらに振り返る。
「やっと気がついた」
「え、あ……シン?」
「……どうしたの? なんか、あった?」
 駆け寄るが、いつもと雰囲気が違うような気がして、シンは声を落として聞いた。
「え、ううん? 何でもない。そういうシンこそ……ここ、学校とは反対でしょ?」
「ああ……」
 逆に聞き返されて、シンは言いにくそうに黒い髪をかく。
「父さんにちょっと、用事」
「シンのお父さんって確か……」
「うん」

 シン・アスカの父親は、と同じくモルゲンレーテに勤める技術者だった。
 なんでも、重要な書類を忘れていたため、シンに持ってきてくれるよう頼んだのだ、とか。
「そっか、シンも大変だ」
 労いの意を込めて明るく言うと、シンの肩をぽんと叩いてやる。
 だがシンはそれには答えず、沈んだ表情をしていた。
 何だろう? ここにいる事情を聞いてからだ。シンの雰囲気が変わったように見えるのは。
「……シン?」
「オーブも……戦争になるのかな」
「……!」
 肩から頭へ移そうとしていたの手が止まる。
「……見た、の?」
「…………」
 主語を欠いたの問いかけだったが、シンはその意味を理解して頷く。
 アスカ博士はモビルスーツの技術開発に携わっていた。つまり、シンは資料を見てしまったのだ。
 『平和の国』に必要のないはずの、オーブのモビルスーツの存在を知ってしまったのだ。
「あれは……自衛のための、戦力だよ」
「それってつまり、これから先自衛する必要が出てくるってことだろ?」
 シンはを仰ぎ見る。その紅玉の瞳に暗い影を落として。
「オーブは他国を侵略しない。戦争になるとしたら、向こうから攻めてこられた場合だけだ。もしそんなことになったら……本土自体が危ない」
「そうならないためのオーブ製モビルスーツだよ……戦う力がなければ、抵抗もできずに負けてしまうから。それに、戦力があると知らせることで、相手を抑止させる効果だってあるし」
「でも……」
 シンの表情は晴れなかった。
 確かに自身、平和・中立を謳いながら兵器を造るオーブの矛盾など百も承知だ。
 だがそれが中立国というものだ、ということは、歴史が証明している。
 侵略されないために武装することは、国家として決して間違いではないのだ。

 もっとも、今のシンにはそれを理解できなくてもいいとは思ってはいたのだが。

 だが、シンの懸念していたのはそういう一般論のところではなかった。
 低く、唸るように告げる。
さん……俺、見たんです。あれは自衛のためとか、そんなもんじゃない」
「……?」
 要領を得ない言葉に、は首を傾げた。
 シンの目には、僅かな怒りの火が灯っていた。
「見たって……資料のこと?」
 は今日の会議に使われていたであろうM1の資料の草案をシンの父親から見せてもらったことがあった。
 そこには、シンの言う『自衛のためなどではない』モビルスーツのことなど何も書かれてはいなかったはずだ。
 シンに問うが、彼はゆっくりと首を振る。
「帰る途中に……道に迷って、そこで、見つけた。金色の……」
 そこまで言って、シンは両手で口を押さえた。
「ごめん、やっぱりなんでもない」

 彼なりに、危険な話題だと悟ったのかもしれない。
 そう考えたは、それ以上の追求をやめた。

 そして気を取り直したシンに逆に聞かれる。

「そういうさんは、どうしたの?」
「どうしたのって、私はいつも通りだよ」
「でも、なんかいつもと雰囲気違ったから」
「そう、かな……」
 にそんな自覚はなかった。要因を頭の中で手繰り寄せてみる。
 思い当たるものは、アークエンジェルにおけるキラの扱いに衝撃を受けた、ことくらいだろうか。
 シンが顔を覗き込んでくるが、それに反応することなくキラの様子を思い出す。
 あの時の、アークエンジェルの無事を知った時の、キラの顔を。
 最初に修理作業に参加して病室に戻った後、キラに何も言えなくて少し気まずかった時のことを。
あの日はキラの誕生日だったのに、結局何も伝えられなかった。プレゼントすら用意できなかった。
 そこまで思い出して、はふと気付く。
(キラのことばっかりだ、私)
「……さん?」
「私……キラが好きかも」
 独り言のつもりで言った言葉を、シンははっきりと聞いていた。
「キラって……あの、幼馴染っていう?」
 横から問われて、やっとは自分の思いを口に出していたことに気付く。
 やけに神妙な顔のままシンの方に向くと、は頷いた。

 これだけ考えた。
 これだけ尽くした。
 リターンのことなど考えなかった。

 ただ、キラが自分の足で立てるよう、それを支えたいと望んだ。
 そのために、一度は彼の甘えた告白を突っぱねた。
 だが、そんな冷たい面を見せた自分を、キラは受け入れてくれるだろうか?
「シン……どうしよう?」
「……っ、何、が」
 低いトーンでは呟く。
「気がついた時点で、失恋確定かもしれない」
「俺……キープになるつもりはないからな」
「? ……何の話?」
「何でもない」
「あ、シン!?」
 短く吐き捨てて、シンは走り出す。

(何が失恋確定だ、それはこっちのセリフだっての!)

「……?」
 そんなシンの幼い恋心など知らず、はシンの走り去った方向を見ながら首を傾けた。


 世界は──シンの知るオーブという箱庭はまだ、ギリギリの所で平和だった。


 それから緊迫したままたいした情報も得られずに運命の6月15日、オーブは開戦する。
 連合の悪名高きオーブ解放作戦の発動である。