Novel
第九話-暁の姫、月読の女王-
およそ歓迎されている雰囲気とはいえなかった。
キラ──コードネーム『K』と、専属メカニックとなった・の二人を宇宙で待ち受けていたのは、巨大な軌道衛星の形をした、サハクの城。
まさしく城だった。施された装飾は中世の古く品のいい建築物を髣髴とさせるデザインだったし、そこにいる主たる人物もまた、漆黒の衣装に身を包み、艶やかな黒髪をなびかせたすらりとした長身の持ち主で。
だが決してこちらに対して好意的とは言えない目で、達を見下ろしている。
ここはオーブの宇宙での拠点。創世の男女神が最初に建てた天と地を繋ぐもの。
城の名はアメノミハシラ。
そして二人の目の前にいるのは──……
「……何を呆けた目をしている」
目の前にいる人物。黒の外套に身を包み、金の縁取りのなされた椅子に軽く腰掛けてこちらを値踏みするように、あるいは愉しそうに見るその人物からそのように聞かれても、はすぐには答えることが出来なかった。
なぜなら彼らは、ここに到着する直前、ビクトリアのマスドライバーを使用して宇宙へと出てくる前に、地上で同じ人物と会っていたからだ。もちろん、その人物が同じシャトルに乗って一足先にここへ来た、などと出来るはずもないし、『彼』の駆るゴールドフレーム天では単独で大気圏を突破することは出来ないはずだ。
目の前の人物は、混乱している達を面白い見世物でも見たかのようにくっと笑ってみせる。
「どうした? アメノミハシラが素晴らしすぎて言葉も出ぬか、それとも……」
淀みなく、その人物は告げる。達をからかっている様子すら窺わせていたが、当の本人達はそれに気付ける余裕はなく。
「──それとも、地球で別れてきたはずの人間がここにいることに驚いたか?」
「!!」
心臓がどきりと跳ねる。
図星だった。目の前にいる人物の顔かたちは、地上にて散々、嫌というほど顔をつき合せたロンド・ギナ・サハクそのものであった。
「ど、どうして……あなたがここに」
声が震えていた。震えながら、はようやくそれだけ口にすることができた。
ロンドの表情がふと緩む。やはり愉しそうに。まさしく『天の御柱』から地上を見下ろすかのように。
「妙なことを聞くものだな。余ははじめからアメノミハシラにいる。まあ、オーブが制圧される少し前に、地上にいたこともあったが……」
「そんなことは知ってるんです」
押し黙ったの言葉尻を継いだのはキラだった。バイザーを下ろしたままのノーマルスーツ姿は、あの作戦終了時から片時も脱ぐことをしなかった。汗臭いのが少し気になったが、今はそれ所ではない。
いまだ悠然と笑みを浮かべるロンドに、噛み付くように言う。
「どうして地上で連合とつるんで何かを企んでいたあなたがここで悠々としているのか、そのわけを聞いています」
ロンドの笑みが大きくなった。こらえきれなくなって吹き出す、といった風に。
そしてそれが落ち着くとまるで種明かしをせんとする奇術師のような顔になり、またニヤリと微笑んでみせる。
「そういえば、自己紹介が済んでいなかったな」
「……え?」
二人ともが怪訝な表情になる。
はっきり言って、不快だった。こちらの疑問に答えようともせず、一人だけ全てを分かったかのような顔をして笑っているロンドのことが。
しかし、明かされた事実に、それらの怒りも何も全て吹き飛んでしまうことになる。
おもむろにロンドが立ち上がり、深紅に彩られた妖艶な唇を開く。
「我が名はロンド・ミナ・サハク。ロンド・ギナ・サハクの姉にして半身。そして──……」
そして舞台役者のように高らかに宣言する。
「──アメノミハシラの女王だ」
二人は圧倒されていた。
女王、と言ったが、その表現は間違いではないと思った。目の前に立っている『彼』ではなく『彼女』は、確かに漆黒の宇宙に浮かぶこの城の支配者であると感じられる。
地上のオーブ──オーブ本島の象徴たるアスハの娘カガリを太陽だとすれば、ミナは月だ。漆黒に浮かぶ黒き月の、まさしく女王。
カガリとは年季もその身から漂う威厳も、全く違う。
しばらくそうして圧倒されていたが、ようやく飲み込めたが小さく呟いた。
「双子の、姉弟だったんですね……」
「そこの男と同じくな」
「……?」
指差されてキラは戸惑いの表情を浮かべた。彼は自分がカガリ・ユラ・アスハと双子の姉弟であることをまだ知らない。
だが、そのことをミナは敢えて教えようとはしなかった。彼女にとっては取るに足らないことである。ただ、含みのある笑いを浮かべているだけだ。
ミナはばさりと漆黒のマントを翻し、再び玉座に腰を掛ける。
「ともかく、短い間だが逗留を許可しよう。『あて』は……」
そこまで言って、ふと言葉を切ったミナの瞳がキラリと光る。キラは頷いて、彼女が言いかけた言葉を継いだ。
「──三隻同盟」
時にコズミック・イラ71年7月。
プラントから、新造の高速戦闘艦エターナルが強奪された。
かの艦は、コロニー『メンデル』にて、アークエンジェル及びクサナギと合流したことを、この場にいるものは既に突き止めていた。
アークエンジェルには、あの『キラ・ヤマト』がいるはずだ。Kから全てを奪った、Kと同じ顔をした少年が。
たったの戦艦三隻で何をしようというのか、それは分からなかったが、あえてその中に飛び込む決意を二人はしていた。
「クサナギの中にも、我が同胞を入り込ませてある。そこから辿れば、身分を隠して乗り込むこともできよう」
玉座のような椅子に座り直し、ミナが言う。彼女は弟のギナよりもいささか過程を楽しむふしがあった。アスハへの憎しみや嫌悪、世界に対する欲求などは変わらないものの、それすらもゲームとして楽しんでいるような所が。
正義を名乗り、戦争を止めようという紙に書いたような理想のもと集まった、かの三隻同盟に、復讐鬼を忍び込ませればどうなるか。
ミナは彼らほど理想主義ではない。戦艦三隻で戦争が本当に止められるなど、最初から信じてはいまい。ここにいる方のキラだってそうだ。彼にとっては、大勢の行く末よりも自分の偽者らしき影を追うことの方が優先だ。
そう、三隻同盟へと行くことは『大勢に影響がない』からこそできることだった。
「二人にはそれぞれ部屋を用意してある。……案内を出そう」
ミナのその言葉と共に、背後の扉が開きサハク派の兵士たちが案内のために入ってくる。
それぞれ個室まで連れられて、二人は短い別れの挨拶の後、お互いの部屋に落ち着いた。
色んなことがありすぎて、キラもも、その日は話をする余裕も残されてはいなかった。
は地上から持ち出せたほんの僅かな私物を小形のトランクごと部屋の隅に放り込むと、そのままベッドへと倒れ込む。
彼女が目を覚ましたのは、およそ半日ほど経って、隣の部屋からどうやってかキーを開けて入ってきたキラが起こしにかかってからのことだった。
エターナルに合流するまでの短い間、二人はオーブ本国からの難民として扱われることになる。
だがそれはあくまで書類上の扱いだ。モルゲンレーテに勤めていてメカニックに強い、プログラミングに長け、パイロットとしても力のあるキラ、双方ともギナのお墨付きを貰い、ミナのもとでミハシラのファクトリーでの仕事を手伝うことになっていた。
もちろんただではない。これはヒルコの整備や補給、改修作業などをここのドックでさせてもらえることへの代償だ。
ビクトリア基地で一応の応急処置はしていたが、それとは比べ物にならないほどの上等な整備がおこなえることに二人は内心、湧き立っていた。
それにここの人員は皆、士気も高く活気があった。メンタル面においても、ミハシラのドックは二人を安心して整備せしめるのだ。
早速、ヒルコの整備、改修作業へと入る二人の所へ、ロンド・ミナ・サハクが姿を現した。途端にドック内の空気が引き締まるのが肌で分かる。
「あ……み、ミナ様」
「よい、作業しながらで構わぬ」
「は、はい」
機体の足元のリフトに近づいたミナに先に気付いたのはだった。慌てて中断し、向き直ろうとしたが、ミナはゆるりと首を振って続きを急がせる。
熱量兵器には無敵を誇るが、質量兵器には弱く、あちこちがひしゃげている黄金色の装甲板を見上げ、さらにキャットウォークで、パスタのように複雑に絡まった配線が接続された端末とにらめっこしているキラに視線を向ける。
軽く地を蹴ると、一足でキラの元へ向かい、揶揄の言葉を放つ。
「苦戦しているようだな」
「……いえ」
集中しているためか、キラの返答は素っ気無い。それすらも愉しそうにミナはしばらく眺めていた。ヘルメット越しにも彼の鬱陶しそうな視線はよく見て取れる。
ミナは肩をすくめて、再びヒルコを見遣った。
「ここならばヤタノカガミ装甲も作れるが……」
「いえ、今ある分だけで構いません。費用も馬鹿にならないし……デッドウェイトになります」
返事が来たことは彼女にとって少々意外だった。思わずキラを振り向くが、彼はミナではなく、別の方向を見ていた。
そちらには、リフトでキャットウォークの高さまで上がってきたがいた。
「そうね……この被弾率なら、装甲そのものを外して、発砲金属にした方が軽くなっていいかもしれない」
メカニックとして、この機体をいじっていたものの観点から出た彼女なりの分析を話しているその口調は、普段のとは少し違って淡々としていた。
アカツキという機体は、元々アスハが娘のために用意したものだ。ゆえに、機動性よりも防御力を重視して設計されている。
VIPを乗せるためのものだということと、カガリ・ユラ・アスハはキラほどの技量を持っていないことが理由だ。
その防御力を磐石にするために開発されたヤタノカガミ装甲ではあるが、これは造るのに莫大な費用を有する。金額にしてM1が20体分とも言われるほどだ。
結局開戦には間に合わず、地下ドックに安置されることになっていたのだが、あの緊急時にこんな金のかかる機体を造らせていた上、使わずに遊ばせていたのはまったくの『無駄遣い』である。
「とりあえず、今ある分はつけたままにしておくよ。外すのは、後でもできる」
「分かった。そしたら、装甲がアンバランスな分の重心制御をしっかりしないと……」
「AMBACなら、操縦しながらでも僕がある程度調整できるから、は無理しないで」
「……なるほど、『攻撃は全て避ければいい』……か」
整備について熱く話し込む二人を見ながら、ミナは崩壊したヘリオポリスから奪われた赤と青のふたつのASTRAY、それらを扱うジャンク屋と傭兵のことを思い出し笑った。
とりあえずの作業は終わり、二人はあてがわれた寝室へと戻っていた。
そこは客室として作られたのか、一人で使うには十分すぎるスペースと豪華な調度品などが並べられ、ちょっとした高級ホテルのようでもある。とりあえず、キラをソファで待たせておくと、はストローの刺さったカップを二つ持ってその隣に腰を下ろした。
カップのうち一つを渡す時に、ふとキラの横顔を見る。彼の素顔を見るのは久しぶりのように思えた。実際には、数日と経っていないはずなのに。
アメノミハシラでの忙しい時間が、それを強調したのであろう。着いてからたったの一日であるというのに、二人はもうずっと前からミハシラのドックで作業を手伝っているような錯覚にとらわれていた。
ストローを口に含み、すぅっと息を吸う。口の中に広がるコーヒーの苦味と砂糖の甘みが程よく心地良い。
しばしの沈黙が二人を包んだ。
「……数日中には」
やがて手渡されたコーヒーの中身もすっかり無くなった頃、キラは短く溜息をつくように小さく声を出す。せっかくのとの時間を、こんな無粋な話題に費やしたくない、との思いが僅かに込められていた。
だけど話せる時は、二人きりになったこんな時しかない。キラはが自分を振り向くのを待って話を続けた。
「エターナルへの足がかりもできると思う。僕の予想だけどね」
「うん」
が頷く。相槌ではない、同意の意を込めたものだ。
「『幼馴染』として、フリーダムのキラに接すればいいんだね」
「本当は、そんなことさせたくないけど」
ぼそりと本音を漏らしながら、今度はキラが頷いた。
真実を確かめたいのはも同じだろう。だがまだ不安ではあるのだ。もしかして本物のキラ・ヤマトはフリーダムのキラ・ヤマトの方ではないのか、という不安。そしてがフリーダムのキラ・ヤマトに取られてしまうのではないかという不安。
かつで自分がサイからフレイを奪ったように。フリーダムのキラ・ヤマトが(情報収集の段階で仕入れた噂ではあるが)アスラン・ザラから婚約者を奪ったように。
不安なのだ。今、愛するものが信じてくれるだけでは足らないのだ。なんて強欲なのだろう。キラは内心で自嘲する。
それが分かったのか、ふとキラの手の甲にほんのりと暖かい感触が降りてくる。パイロットスーツ越しに触れられたそれは、の手のひらだった。
「大丈夫だよ。私はキラを支えるって、約束したから」
「……うん」
起きている時間のうちのほとんどをメカに触って過ごしているの手は、お世辞にも綺麗とはいえない。皮膚が硬くなり、指先もボロボロで、あちこち汗と油にまみれていた跡がうかがえる。
それでも。キラは膝の上に乗せていた自分の手をくるりと返し、の手を握った。
この疲れた指先こそが、自分のために尽くしてくれた健気な少女の誓いの証なのだと、いとおしそうに口付ける。
「ありがとう、」
「……キラ」
が手を握り返すのが分かった。
数日が経ち、ヒルコの改修作業を終えた二人は、エターナルと接触するタイミングを計る段階まで来た。幸運にも、オーブを取り戻す算段の一環としていまだ連合に与し続けるギナは、宇宙でザフトとの戦闘を繰り広げている。
その混乱に乗じて、暗闇に紛れるようにして、二人と僅かな連絡員を乗せたシャトルが、L4宙域に向けて密かに出発した。
真実を知る、そのために。