Novel
第十話-アスラン・ザラという人間-
アスラン・ザラ。
16歳、男。第二世代コーディネイター。
ザフト軍所属、アカデミーを首席で卒業し、赤服を纏うことを許されたトップガン。
そして『彼』と『彼女』の幼馴染。
彼のことを簡潔に説明すると、大体このくらいだろう。そのアスランは、幼馴染であり親友でもあった『彼』──キラ・ヤマトと相討ちになり、戦死したかに思われていた。だが彼は生きていたのだ。今は『K』と名乗るキラ・ヤマトがサハクの手によって秘密裏にオーブの地下施設へと運び込まれていた時を同じくして、アスハの手配した捜索隊により、命を拾われていたのだ。
同じように生き延びた二人の運命を分かつのは、それよりほんの少しだけ先のこと。
アスランはザフトとの連絡を取ってもらえて、無事帰還した。
一方のキラは書類上死亡を宣告され、死んだはずの人間としてサハクに協力を強いられ──帰る場所には同じ顔をした誰かが居座っていた。
その経緯が二人を引き裂いた。
三隻同盟に無事迎え入れられた二人は、できるだけ目立たないようひっそりと行動しようと、この艦の主には会わないでいた。もとよりあまり面識もない人間だというのもあったし、キラに至っては自分の素性を明かせない事情もある。
傍にいたかったが、そういうわけにもいかない。ここからは別行動だ。
をかつての幼馴染やもう一人の自分との接触の機会を持つように言うと、キラはクサナギ内にてあてがわれた居住ブロックの一室に篭ろうと歩き出した。
一方のは、メカニックとして他のメンバーへの挨拶を済ませると、さっそく『フリーダムのキラ・ヤマト』への接触をしようと、まずは彼の居場所を、エターナルへの足がかりを探した。
「あの、すいません、フリーダムのパイロットがどこにいるか分かりませんか?」
「ああ、アイツなら……って……!」
モルゲンレーテのジャケットを羽織った後姿に声をかける。てっきり、本社があらかじめクサナギに避難させておいた社員の誰かだと思ったのだ。
振り返ったのは少年だった。だがそれはの知るモルゲンレーテの社員などではなく、懐かしい顔。
「……アスラン?」
「!? どうしてここに……?」
目を見開いてしまう。アスラン・ザラが三隻同盟に合流したのは知っていたが、突然すぎて心の準備ができていない。
それはどうやら向こうも同じらしく、以上に驚いた表情をアスランは見せた。そして現状を把握できるとみるみるうちに彼の顔は厳しいものになってくる。
「まさか君までこの艦に乗ってるなんて……戦争してるんだぞ、俺たち」
「知ってるよ。だから来たんだもの」
「! 危険だ!」
「心配性だね、アスランは。ちっとも変わってなくて安心したけど」
「そういうことを言ってるんじゃ……」
しれっとしたに焦るように言う。ここ最近疎遠になっていた幼馴染との突然の再会にアスランは至極混乱していた。まさか、キラだけでなくまでこんな所に──と。いまだ彼は三人の中で兄的存在であろうとした。
そこは変わってないな、とは少し笑った。少しだけ余裕が出てくる。
「それを言うなら、アスランだって戦争なんかして……心配、してたんだよ?」
これは半分嘘だった。心配は一応していたが、ザフトをほぼ脱走する形で抜け出して三隻同盟にやってきた彼を擁護するつもりは無い。遠からず彼には裁きが下されるだろう。
今はそんなことはどうでもいい。それよりが探すべきはキラだ。フリーダムの、キラ・ヤマト。
「そうだ、アスラン。フリーダムのパイロット、どこにいるか知らない? やっぱりエターナルの方かな」
「キラか?」
「!」
あっさりとその名が出てきたことに驚く。だがアスランはのその表情を別の意味に取った。
「驚くだろ? あのお人好しで泣き虫のキラが、モビルスーツのパイロットなんてさ」
「……そう、だね」
俯く。彼は知らないのだ。今まで自分とキラが──『K』となった幼馴染が、どんな目に遭って生きてきたのか。
「キラならエターナルにいるよ。今日はちょっとこっちに用があって来ただけだけど、俺もいつもはそっちにいる」
「そうなんだ?」
「が会いたいってのを伝えれば、多分会えると思うよ。何なら俺があっちに案内してもいいし……」
幸運な申し出にが再びアスランを見た。が、格納庫の後方から聞こえてきた大声により、会話は途切れてしまう。
「おーい、アスラーン!!」
どこかで聞いたことのある声だった。振り向けばそこには、意志の強そうな瞳を宿す金髪の少女がこちらに向かって手を振っている。
「遅かったじゃないか! こっちだ!」
「すぐ行く! ……えっと、じゃあ、ちょっと行ってくる……」
「う、うん」
慌てたそぶりを見せて、アスランはの横を通り抜けてカガリの元へと急いだ。その途中で、いったん立ち止まってこちらを振り返る。
「! さっきの件、俺はいつでもいいから!」
「うん。ありがとう、アスラン」
は微笑んで手を振った。
これでとりあえずエターナルへの足がかりはつかめそうだ。このことをキラに報告しなくては。
久々に疎遠な幼馴染と出会って、懐かしいという気持ちよりも、なぜだかそちらの方が優先された。
確かにコペルニクスにいた時も、人付き合いに不器用なアスランよりもどちらかといえば内向性ゆえの付き合い下手さを見せるキラの方を、はよく構っていた。
だけどこの感慨の薄さは何だろう。
(私、薄情になったのかな)
消えていくアスランの背中を見つめながら、はひっそりと溜息をついた。
一方のキラは、特に何をするでもなく部屋にいて、からの報告を待っていた。
大人しくしておくつもりだった。間違ってもヘルメットの中身を晒すことなどしようとは思わなかった。ターゲットに届くまでは、確実な手段を取りたかったから。
だが、運命はそんな彼を放ってはおかない。ヘリオポリスのあの時から、彼は常に激動と共にあるのだ。まるで、それが彼の生きる道であると指し示すように。
それは翌日、キラのほんのちょっとした油断がきっかけだった。
「、遅いな……」
ベッドに座り呟く。
オーブ製のパイロットスーツの胸元を僅かに崩し、ヘルメットは外していた。
クサナギでメカニックとして毎日のメンテナンスを行っているとは対照的に、現在のキラはまるでただの穀潰しだ。気分転換に何かするといっても、まさか外に出てうっかりと正体と目的を知られるわけにもいかないし、お得意のネット工作も、こんな艦内ではすぐに特定されてしまう。
「暇だ。……あー暇!」
そういうわけで、たった一日のこととはいえ鬱憤が溜まっているのである。キラは両腕で大きく伸びをしてベッドに倒れ込む──たった数秒で腹筋のみで起き上がる。
「よし、を迎えに行こう!」
立ち上がって、サイドボードに無造作に置きっぱなしにしていたヘルメットを取ると、キラはそれを手際良く被り、気密を確かめる。
きっちりとしまっていることを確認してから、自動扉を注意深く開けると、そこから上半身だけを乗り出して通路の左右を確認した。
そこに懐かしい顔がいた。
「……? 何だ?」
少々戸惑った様子でこちらに視線を寄越したのは、誰あろうアスラン・ザラだった。思わずキラの口から息が零れた。
「あ、すらん……」
言ってから、しまった、と舌打ちする。
失態だ。焦って余計な情報を与えるべきではなかった。自分がアスラン・ザラを知るものであると、このやけに自分のことに関しては妙に鋭い幼馴染に悟られてしまったかもしれない。
いや、問題はそれよりも。
(……なんで)
目の前で、何故自分の名を知っているんだとでも言いたげに怪訝な表情をしている男の顔から視線を下にずらして、キラはふと頭をよぎったおのれの考えに戦慄した。
(なんで、嬉しくないんだ?)
生きていた幼馴染との、晴れての再会である。一度は敵対し、本気で殺し合った仲ではあるが、それでも彼の無事をこの目で間近に確認できたというこの状況下にあって、キラはちっとも安堵や喜びといった感情にさらされることがなかった。
いや、むしろこの男の前にいると、どうしようもなく苛々してくる。トールのことや、これまでの戦いのことを抜きにしても、その思いはキラの胸中に渦巻いていた。
「……どうかしたか?」
黙りこんだキラに向かって、アスランが声をかける。向こうにしてみれば、いきなり現れた不審な人間が自分を知っているそぶりを見せたかと思えば、いきなり黙りこくられたのだ。
もう一度、アスランに聞こえないように小さく舌打ちをしてから、キラはゆるりと顔を上げ、部屋から出て彼と対峙した。
「いや、──ああ、僕の専属メカニックなんだけど──彼女から話を聞いていてね。君がアスラン・ザラ?」
「そうだが……」
面と向かい、話し始めるヘルメットの男に、アスランは少々面食らっていた。先程自分の方を向いて、驚いたように自分の名前を呟いた時とはかなり印象が違って見えた。
「少し、君に言っておきたいことがあってね。の──……」
「アスラン!」
再び口を開いたキラの言葉を遮ったのは、忘れもしない、あの声。
自分の口から出てくるのと全く同じ声だ。それはアスランの背後から彼に向けられてかけられていた。
「キラ」
アスランは『K』であるキラを無視して、フリーダムのキラに向き直る。その表情には先程とは全く違う、安堵したものが伺える。
「どうしたんだ? わざわざクサナギまで」
「ジャスティスの整備のことで話があるって、メカニックの人が……」
「分かった、用事を済ませたらすぐに行くよ」
「用事?」
「ああ。キラもびっくりすると思うぞ。詳しくは後でな」
そう答えるアスランの顔は先程とは全く違っていた。『K』は小さく舌打ちをして、先に去って行く自分と同じ顔をした少年──フリーダムのキラの背を見送った。
「……じゃあ、俺はこれで」
次いでアスランもその場を立ち去ろうとする。好かれようとは思っていなかったがどうやらかなり悪い印象を与えてしまったようで、彼が歩き出そうとした時にちらりと見た表情は明らかに安堵していた。
だけど逃がさない。キラは僅かに口端を上げる。
何でもないような風を装って、去ろうとするアスランにさらに声をかけた。
「今のがキラ・ヤマトか。そういえば彼、君のいない間に抜け駆けした、って聞いたけど」
「……? 何のことだ」
「だよ」
幼馴染の少女の名に反応してアスランは振り返った。その瞬間、バイザーが艦内灯を反射して鈍く光る。
「君が月を出てプラントに行った後で、キラ・ヤマトはに告白したんだってさ。彼女の答えはイエス」
みるみるうちにアスランの表情が凍りつくのが分かった。その言葉はかなり省略されていて、とても真実を伝えられているとは思えない。だが嘘は言っていない。キラがいったん言葉を切ると、アスランは口をぱくぱくとさせながら、途切れ途切れに反論の言葉を述べる。
「な……にを、言ってるんだ……あいつは、そんなこと一言も」
「言ってないだろうね。でも真実だよ。から直接聞いたんだから」
「う、嘘だ。大体、キラはラクスと……」
「を疑うの?」
「……!!」
キラが一言何かを喋るたび、アスランの眉が数度ずつつり上がっていく。
それが鋭角に達しようとした所で、遂にアスランが噴火した。
「お前、さっきから一々、って……あいつとどういう関係なんだ!」
「君には関係ないだろう?」
「関係ならある! は俺の幼馴染だ」
「知ってるよ。でも幼馴染だから、何? ……ああ、そういえば君、婚約者を寝取られてたんだっけ? それで、今度は彼女に唾をつけようってんだ」
「くっ……貴様……っ!」
アスランが激昂する。ああ、噂は本当だったのだな、と思ったがそこには何の感慨も沸かない。キラはおどけるように続けた。
「僕は別にかまわないよ、君がに告白しようが何しようが。ただ、僕から奪うって言うんなら、相応の覚悟はしてもらうけどね」
「本当に、お前はと……」
「さあね。少なくとも、僕は本気だけど彼女はどうかな。処女は貰ったけれど、女心は複雑だから」
「……っ!」
一触即発。
二人の間に流れる空気はいつの間にか剣呑を通り越して火花が散りそうなくらいに冷えたものとなっていた。
全く何なのだ、この男は。アスランの心に苛立ちがつのる。
ヘルメットを被って、バイザーで顔を隠したままなのも気に入らなかった。人と話をするのに顔を見せないなどと、相手を舐めているとしか思えない。
だが何より腹が立つのは、自分の目の前で『を抱いた』と宣言したことだった。幼馴染である自分の前で!
とアスランとは確かに恋人同士ではないが、それでもそういうことを聞かされて平静でいられるほど、アスランという少年は精神的に成熟しているわけではなかったのだ。
大体、それは彼女のプライバシーにだって関わることだ。勝手に喋っていいような話ではない。なのに何とデリカシーの無いことか。
そういう潔癖さも手伝って、アスランの『K』への視線はどんどん冷たく、きつくいものへと変化していった。
「あ、アスランこんな所にいた!」
その今にも爆発しそうな雰囲気に、場違いな少女の声が響いた。
「!」
「……」
「探したよ〜、格納庫にもいないから、カガリ様に聞いたら随分遠回りしちゃって……」
驚く二人をものともせず、は滑るように二人の間に入り込み、アスランの腕を取った。
一瞬アスランが固まる。彼女はこんなにフランクだったか? その答えが出ないまま、は『K』の方に向かって手を振ると、アスランを引っ張って連れて行くそぶりを見せた。
「これからエターナルに戻るんだよね? 良かったら、案内してくれないかな」
「あ、ああ……じゃあ、行こうか」
呆気に取られたまま、アスランは手を引かれてその場を後にした。
「全く、アイツは何なんだ!?」
エターナルへ行く連絡艇への道すがら、アスランはそんなことを叫んでいた。ジャスティスで直接乗りつけても良かったのだが、そんなに私用でひょいひょいと動かしていいものではない。
先程はの意外な行動により毒気を抜かれたのだが、冷静になって思い出してみると、やはりふつふつと怒りのようなものがこみ上げてくる。通路を歩きながら、アスランはぶつぶつと『K』への文句を零していた。
「君がキラの告白を受けたと言っておきながら、まるで自分の恋人のように君を扱って……」
「……そうだよ、アスラン」
「え?」
ぽつりと聞こえてきた言葉に、アスランは呆けたような声で答える。構わずは続けた。
「私がキラに告白されたこと、それを受け入れたこと。そして、今は『K』とパートナーであること……全部、真実だよ」
「そんな、だって、キラに告白されたんじゃ……?」
「でも、矛盾はしてないでしょ。今のキラにはラクスさんがいるし……」
「昔のこと、ってわけか?」
はそれには答えなかった。ただ曖昧に微笑むのみ。だからなのか、アスランは頭の中でその事実を噛み砕こうとした時に、いい方に──そう、自分にとって都合のいい方に解釈してしまった。
相手がキラでなく、あの『K』という男なら。
だって、話している相手に顔も見せない得体の知れない男より、気心の知れた幼馴染の方がいいはずだ。そうに決まっている。
それなら自分にだって分がある。アスランは横を歩くに見えないように、拳をきゅっと握り締める。
「……その、少し話がしたいんだ。久しぶりだし……キラも呼んで、三人で」
「本当? キラも呼んでくれるの? 三人でお喋りなんて、久々だね」
色よい返事をよこすに自然と顔がほころんだ。さりげなく、そっと抱き寄せた肩は嫌味にならない程度のエスコート。
最初はキラも交えて、怪しまれないように。慣れてきたら二人きりに。
それがの、そして『K』の目論見通りであることには気付かないまま。
昔話に心弾ませながら士官室へと歩いていくアスランは、隣で微笑む幼馴染の本心と、背後でそれを見ていたもう一人の幼馴染の存在に気付くことはなかった。
「ひとつ、分かったことがあるよ、アスラン……」
を伴い去り行く背中に向かって呟く。キラの瞳は、その色と同じく、地熱の発散しきった宵闇の空気のように冷えていた。
その色は誰にも見られることなく、バイザーの中でただ揺らめくのみ。例え見た者がいたとしても、その人はキラの双眸を、精巧に磨かれた紫水晶かひっそりと野原に咲く菫か、そんなようなものに例えただろう。
ゆっくりと目を閉じる。
「僕は君が……嫌いだ」
吐き捨てるように呟くと、それでようやく、心が幾分かすっきりしたように思えた。
自分は随分変わってしまった。昔大切だったものは、今でも変わらず笑っていたというのに。彼が微笑みを向けるキラ・ヤマトが本当は一体誰なのか、確かめようともせずに。
その盲目なまでの信頼はかつて好ましいと思っていたはずのものなのに。
アスランが自分をキラだと分からないのが、哀しいのだと気付いた。
もうとっくに、その時は訪れていたのだ。あの日、オーブの海岸で自分ではない自分と笑い合っていた彼を見たときから、既に。
その、決別の時は。
がクサナギの自室に戻った時、待っていたのは、やけに冷めた目をしたキラだった。
「アスラン……気付かなかったね。僕の正体に……」
「…………」
返す言葉が見付からない。俯くをあやすように、キラは彼女の髪を撫でる。
「まあ、気付かれたら気付かれたでまずい状況になるんだけど。ただ、アスランにとってのキラ・ヤマトは、既にあいつの方なんだって思うと、ちょっとね」
出てきた言葉は、キラが自分で思っていたよりも沈んでいた。それを振り切るように、努めて明るく続けようとしたが、それも上手く行かない。
「それに、あれだけ意地悪言っちゃったんだ。僕がキラだなんて、認めてはくれないだろうね」
「キラ……私……っ」
「そんな顔しないで。これでいい、これでいいんだ……」
泣きそうになりながら自らの胸に顔を埋めてくるを優しく抱き返してやりながら、それでもキラの瞳は冷たく深い宵闇を灯していた。