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最終章-キラ・ヤマトの最期-

 コズミック・イラ72年3月。ユニウスセブン跡上空において、地球連合とプラント臨時評議会との間に停戦条約が結ばれた。
 ユニウス条約である。
 締結と同時に、臨時議長アイリーン・カナーバは退陣し、新たにクライン派のギルバート・デュランダルが選出された。
 戦時中、大西洋連合に制圧されていたオーブ以下各国も、ユニウス条約に盛り込まれていた『国境線を戦前のものに戻す』との一文により国家としての形態を取り戻し、さらにプラントは『旧国連理事国の工場』から『独立国家』へと格上げされるという異例の事態を遂げた。政党としてのザフトの目的がひとつ、この戦争により果たされたことになるのだ。

 こうして、地球圏に束の間の平穏が訪れたかに見えた。


さん、それじゃあ俺、行きます……」
 ぺこりと頭を下げ、シンはプラント行きのシャトルへと向かった。家族を失った彼はこれからプラントへと移住するのだ。見送りに来ていたは、その背中がシャトルの中に消えるまでじっと見つめていた。
「さて、どう出るか……」
 見送りが終わると、はそう呟いて空港を後にする。カグヤ島のマスドライバーは、大西洋連合の支援によって現在修繕中だ。そのためシンは、シャトルを使ってプラントへと向かうことになったのだ。
 がそれに立ち会ったのは、もちろんご近所付き合いという意味もあるのだが、シンにある情報を流すためでもあった。メールや電子メモリーでは改竄されてしまう可能性があるため、は餞別の贈り物の中にその情報を書いた紙のメモを紛れ込ませていた。
 シンがそれを読んでどう感じるか、そしてプラントでどう動くかは、彼に賭けるしかない。
 そしてその賭けはの勝ちのようだった。後日、のもとへ届いたシンからのメールには、それを感じさせる言葉が連ねてあった。


『メモ、読みました。正直言って最初は信じられませんでした。
 でも自分なりに考えてみると、確かにおかしいところもあったなって思います。
 俺の父さんがモルゲンレーテの技術者だったのは知ってますよね?
 前に俺がさんに「自衛のためじゃない金色のモビルスーツを見た」って話をした時、
 あの後父さんにも聞いてみたんです。でも何も教えてくれませんでしたけど。
 メモにあったアスハの裏の顔っていうのも……あながち間違いじゃないのかもしれない。
 オーブは中立で平和だって言っておきながら、自分達だけ死んで逃げるような奴らなんだし。
 戻ってきて後を継いだ新代表っていうのも、戦争中はずっと宇宙に逃げてたんだろ?
 ずるいよな、自分の娘だけ逃がして、国民は見捨てるなんて!
 自分達さえ良ければ他はどうでもいいのかよ!?
 生き残った国民があいつを手放しで歓迎してるのも気に食わない。
 どうせまた自分のことしか考えずに、国民を見捨てたり見殺しにするに決まってるのに!

 あ、変なこと言ってすいません。
 俺はプラントに行ったら、軍に入ろうと思っています。
 たぶんそれくらいしか出来ることはないし、俺は強くなりたいから。
 『国民を見捨てる国家元首』なんてものを出させないために、
 戦争の犠牲になる人がこれ以上増えないように、強くなりたい。

 このメールも、もしかしたらさんに届く前に改竄されちゃったりするのかな?
 それは不安なので、届いたら返事ください。
 あと、幼馴染さんにもよろしく。またメールします。

 シン・アスカ』


 文面は拙くて、アスハへの義憤と自分自身への無力感からくる怒りに満ちていた。だがたちの計画のことは何も知らせていないため、シンにプラントでの工作員をさせるのは無理がある。
 ただただ、警戒をしていて欲しいだけだった。『彼』がこれから戦うべき相手に、おそらくはオーブが一枚噛んでいることを。そしてプラントにも、その手は伸びていることを。

 は端末の電源を落として立ち上がった。今日は『彼』のところへ行く日だ。洗濯物もたまっているだろうから、着替えを用意していかなければ。


 ──オーブ海岸

!?」
「あ、アス……じゃない、ええと」
 目の前を歩いてくるサングラスの男を呼ぼうとして、途中ではっと気がつきは口元を押さえた。
 アスラン・ザラは現在、オーブに亡命し名を変えている。人気のない場所といえど、誰が聞いているのか分からない以上、彼を本名で呼ぶのは控えた方がいいのだろう。
 一呼吸おいては彼に微笑んで見せた。
「アレックス……さん? 久しぶり」
「ああ……君はここで、何を?」
 偽名で呼ばれ、アスランの顔が少し曇る。だが仕方のないことだ。は気にせず続けた。
「ちょっと、会社の方の用事でこっちに来たの」
「そうか、モルゲンレーテに復帰したんだっけ……」
「うん。あなたは?」
「俺はキラとラクスに会ってきたんだよ」
 その名前を出す時にアスランの顔が緩んだのをは見逃さなかった。
 幼馴染の前でリラックスしているせいか、サングラスを外して今しがた彼がやって来た道を懐かしそうに振り返っている。
「そう……キラ、に」
「ああ、それでに話があるんだ」
「え?」
 アスランが向き直る。真剣なまなざしは、緊張のせいなのか少しぎこちない。
「オーブ政府で働いてみる気はないか? 代表の秘書を君に務めてもらいたいんだ。一緒にオーブを守っていこう」
「…………」
 一緒に、の部分を強調するアスランは本気のようだった。彼は公的な場では『代表のボディガードのアレックス・ディノ』として扱われる。そのことに対する不満もあるのだろう、彼は普段は自分をアスラン・ザラとして扱ってくれる者達としか接触していない。
 その中には、もちろん幼馴染だったも含まれていた。彼はコネを使って、周りを知り合いで固めるつもりなのだ。
「考えてみてくれないか? 俺からカガリに言えばきっと何とかしてくれると……」
「アレックス」
「え……?」
 だけど答えなんて、最初から決まっている。
 怪訝そうに眉を顰めるアスランに、淡々と続ける。
「私の幼馴染は、コペルニクスの優等生アスラン・ザラ。オーブの護衛官アレックス・ディノじゃない。二人で一緒にいたら、正体がばれちゃうでしょ」
「しかし……」
「話は考えておくね。じゃあ私、行くところがあるから」
 すれ違いざまにアスランが振り返った。信じられないといった表情で、歩き去るの背中に向かって叫ぶ。
「Kはもういないんだぞ! キラだってラクスの元にいる、だったら……!」

 は振り返ることはなかった。
 さらに歩く。
 アスランの最後の言葉がやけに耳に残った。『Kはもういない。キラはラクスの元にいる』……アスランにとっては、いや、と『彼』以外の人間にとってはもうそれが真実なのだろう。あの時からずっと──


 ──ヤキン・ドゥーエ宙域

 闇の中で、キラは重いまぶたをようやく開けた。
 どうやらジェネシスの爆発に巻き込まれて、機体から放り投げだされてしまったらしい。宇宙漂流者の行き着く先は、孤独の中での緩慢な死。
「復讐者にはふさわしい死かな……」
 不思議と怖さは感じなかった。至極穏やかな気持ちでいる。心の奥底にある愛しい少女の面影を、肌の感触を思い出しながら死ねるのなら、それでいいとさえ思っていた。
 だが、運命は彼を見放さなかった。キラの視界に光るものが飛び込んでくる。それがモビルスーツの放つものだと認識できる頃には、キラの意識もはっきりとしてきて──
「ストライク……僕を助けに来てくれたのか」
 オーブの象徴として(連合の技術を盗用してまで)新たに作られた紅いストライク。だがそんなことは些細な違いだ。
 イージスの自爆から最後まで主を守ってくれたストライクが、今度はやはり自分を迎えに来てくれた。その事実だけで、キラには十分だ。

 ストライクルージュのコクピットハッチからカガリとアスランが顔を出す。キラは二人に抱えられて、そのままルージュの中でエターナルまで帰っていった。
「キラ……お前、オーブのパイロットスーツなんて着てたか?」
「今着てるのがそうなんだから、着てたんだろ。それより急げ、ラクスたちが待ってる」
 同じコクピット内でカガリたちがそんな会話をしているのを、おぼろげに聞きながら。

 やはり二人に抱えられてコクピットを出て、格納庫へと降り立つ。既にラクスが彼を迎えるためにやって来ていた。
 他のクルーも、彼女の周りにまるで傅くように並んで立ち、二人の──キラとラクスの再会を待ち望んでいる。
「キラ……」
 まるで測ったかのように美しい角度で、ラクスが涙を浮かべた笑顔を向けてくる。キラはそれには構わず周囲を見回した。
「……キラ?」
「…………」
 ラクスが首を傾げた。周りも何だかざわついている。今は彼女に構っている暇はないというのに。
 やがて格納庫の隅にお目当ての姿を見つけ、キラはフラフラと歩き出した。
「キ……」
 両腕を広げて、ラクスがキラを抱き留めようとする。キラはその横をすり抜けると、なおも歩いた。

 周りがうるさい。
 ラクスは珍しくぽかんと口を開けたまま固まっている。アスランとカガリは何が起きたか分からず戸惑っているようだった。他の者たちもほぼ同様。疑問を口にしたり、ある者はあからさまにキラに対して非難めいた口振りで何かを叫んでいる。
 そんなものどうでもいいのに。人波をかき分け、やっとお目当ての少女のもとへとたどり着く。
 少女は少しだけ困惑気味な顔を見せたが、目の前にいるのが誰だか分かるとすぐに破顔した。
「おかえりなさい、キラ……!」
「ただいま、

 目立ってはいけない、気取られてはいけない。今だけはそんな戒めを忘れて、呆気に取られる周囲などものともせず二人は抱き合った。
 これが二人の終戦──


 ──再び、オーブ海岸

 前方から歩いてくる気配を感じ、は思わず立ち止まった。
 決して見たくなかったものが、目に飛び込んでくる。それは一組の男女だった。
 ブラウンの髪に紫色の瞳が特徴的な少年と、鮮やかな桃色の髪の少女。二人は互いを慈しむように寄り添ってゆっくりと歩いていた。
「……っ」
 何もやましいことはないはずなのに、はそれ以上二人を見ることができなくなっていた。俯いたまま、二人の脇を足早に通り抜ける。
「……?」
 すれ違ったを振り返り、少年が首を傾げた。すぐに少女も振り返って、心配そうに少年を見遣る。
「どうかしましたか、キラ?」
「ううん……ただ、知っている人のような気がして……」
「気のせいですわ、きっと……」
 少年──キラと呼ばれた彼の抑揚のない言葉をあやすように、少女は微笑んだ。
 そしてすぐに、去っていくの背中に興味を失ったかのように、前を向いて再び歩き出した。


 巧妙に隠された扉を開け、は二人の『隠れ家』へと戻ってきた。
 気配を察してか、すぐに奥で物音がする。機械をガタガタとどかしてこちらへ歩いてくる音。
、お帰り」
「……いくら家の中だからって、服くらい着てよね」
 ぱぁっと顔を輝かせてを迎え出た男とは対照的に、は顔を赤らめてそっぽを向く。途端に男が慌てるのが分かった。
「こ、これは……さっきお風呂に入ったばっかりで、それで着替えを探してて……」
 しどろもどろの言い訳は明らかに嘘だ。その証拠に、男の体からは汗の臭いが落ちていない。
「ホント、自分の興味のないことには無頓着なんだから、キラは……」
 諦めてはくすりと笑った。視線を戻すと、男──キラの裸の上半身が目に映る。

 昔よりも逞しくなった体。肌は陽と潮に焼けて一段と浅黒くなり、イージスの自爆の際に刻まれた無数の傷跡は未だに残っている。手術で取れるのだが、キラは「勲章だ」と言い張っては治すのを拒んだ。
 それらを見ると色々なことを思い出しての心が軋んだが、それでもキラは全てを背負って生きていくことを選んだのだ。その証がこの体なのだとしたら、彼女にはもう口を出すことは出来なかった。
「着替え、持ってきたから。ご飯作る間に着替えてね」
 包みをキラに押し付けると、は答えも聞かずに簡易キッチンへと消えていった。

 なぜだかほっとした。自分の信じる、自分の愛するキラが、変わらず自分を迎えてくれたことが、何より安心する。

 簡単な食事を終え、二人はモバイルの前に並んで座っていた。動き出すにしてもまずは資金とコネが必要ということで、はモルゲンレーテで働き、キラはここでプログラマーのバイトをしながら、セイランに協力してオーブの諜報員をやっている。
 数日に一度、それまでの仕事と情報収集の結果をここで報告し合うのが、二人の習慣となっていた。
 その日も同じように収穫無しの報告が続いていた時のことだった。キラがなんでもないことのようにぽそりと告げる。
「ところでさ、
「ん?」
「……結婚、しようか」
「えぇっ!?」
「だから、結婚」
 驚くに、当然のようにキラは笑って答えた。しばらくの逡巡の後、
「……結婚って、法的な手続きが要るのよ」
 戸籍もないのにどうやってするの、と聞くにキラはやはり笑って続ける。
「形だけでもいいんだ。ほら、昔こうやって約束したろ?」
「あ……」
 小指を出す。は面食らっていた。そうだ、二人の物語はたぶんあの幼い指切りから始まったのだ。
 もおずおずと小指を差し出し、しかしどうしていいものか迷っている間にも、キラはそのままじっと彼女を待っていた。
「…………」
 目を閉じ、そっと指を絡める。

「キラ・ヒビキは、を妻とし、生涯愛し続けることを誓います」
「……ヒビキ?」
 きょとんとするに、キラは目を開け、
「たぶんこれが、僕の本当の名前だから」
 そして絡めた小指をぎゅっと曲げる。もそれに倣い、言葉を継いだ。迷いはない。
「……は、キラ・ヒビキを夫とし、生涯愛し続けることを誓います」
 名残惜しげに指が放される。再び見たキラの表情は真剣そのものだ。
「これから先、ヒビキを名乗った方がいいだろうしね……『ホンモノ』の座を譲ってしまうのを認めるみたいでちょっと癪だけど」
 そう言うキラの言葉は悔しさが滲み出ている。

 そう、まだ終わっていないのだ。
 フリーダムのパイロットが帰艦したという報せは、本当はヒルコのパイロットの帰艦だった。にもかかわらず、海岸を歩いていた少年は、今ここにいる彼と同じ顔をしていた。
 真実を探す戦いは、終わってなどいない。
 だけど。
「今だけ……少しだけ休んだら、また始めよう。僕たちの、ううん、僕の戦いだけど……手伝ってくれる?」
「もちろんだよ」
 慣れ親しんだヤマトの姓を捨て歴史の影に生きる決心をした少年と、それを支えていくと誓った少女は、しばしの休息を取ることにして、互いを労わるように優しく抱き締め合った。

 こうして、『キラ・ヤマト』と呼ばれた少年とそれを支える少女の物語は、ここにいったんの幕を閉じる。
 そして次に開くのは、キラ・ヒビキとその妻の物語──