シン・アスカの半生を一言で表せば、『波乱』という言葉が一番ぴったりと当てはまる。
生まれは東アジアの小さな町だった。世界情勢にあまり意識が向かない極東の島国で少年期を過ごした彼は、常に自分達家族を生温かく取り巻くほんの小さな差別意識に晒されてきた。
周りの人間は皆ナチュラルで、アスカ一家のような家族全員がコーディネイターという家庭は珍しかったが、その町は島特有の『余所者』排斥感情こそあれど、表立って公言するものはほとんどいなかった。
シン達の身体能力が他のナチュラルと変わらなかったことも理由のひとつだろう。彼らは一応はうまくやっていた。
平穏が破られたのはシンが13歳の冬だった。
開戦の気運が高まり、地球上のコーディネイターに対する反感が大きくなっていた。そんな中出されたオーブのウズミ代表による中立宣言。彼は「オーブの理念を守るならばコーディネイターでも受け入れる」と声高に掲げ、それにひと筋の希望を見たシンの両親は、オーブへの移住を決めたのだ。
そのわずか二ヵ月後、エイプリルフール・クライシスにより反プラント、反コーディネイター感情はさらに高まっていくことになるため、この引越しはアスカ家にとっては幸運だったと言えるだろう。ニュートロンジャマーの投下によって地球全土が打撃を受け、インフラが破壊され、世界がエネルギー不足と飢えに苦しんでいた時、オーブは独自の地熱プラントのおかげで致命的なダメージを免れたからだ。
だが彼らの幸運はそう長くは続かなかった。
連合によるオーブへの侵攻作戦により戦場となったオーブ。そこでシンは家族を全て失った。
後に聞いたところによると、シン達が避難船へと戦場を走っていた時、オーブ政府の間では「国民の避難は全て完了した」と伝えられていたらしい。
それを知った時、シンは激怒し、そして嘆いた。オーブなんかに来なければよかった、アスハなど信じなければよかった、と。
そして天涯孤独となったシンは、単身プラントへと渡った。コーディネイターの子供が地上で一人で生きていくのは難しいと思ったからだ。
そこで新たに得た居場所や友人達を、シンは今度こそ守りたいと誓ったのだ。
その結果は、今のシンの状況が一番よく物語っているだろう。
自分を取り立ててくれたギルバート・デュランダルが死に、シンもまたザフトを辞め、プラントを飛び出したこの状況が。
守りたいと思った少女は敵で、どうあがいても助けることのできない状態にまでなっていた。今は冷たい湖の底に眠っている。
全てを分かち合えると思った親友は自分の預かり知らぬ所で戦死した。もともと寿命も残り少なかった彼に、シンは何もしてあげることができなかった。
自分の家代わりだった女神の名を冠した戦艦も、共に戦った仲間達も、全て……全てを失った。
結局シンは何も守ることができなかった。僅かに生き残ったクルーや、傷の舐め合いから少しずつ恋愛へと発展していった同僚の少女も、自分がザフトに残って──キラ・ヤマトやラクス・クラインに頭を下げることで守れると、それだけがせめてもの救いだと思っていた。だがそのささやかな希望すら、シンの指の間をすり抜けていくのだ。
ターミナル──ジェス・リブルからあらためてその言葉を聞いた時、シンの脳裏にそれらのことがフラッシュバックした。
4年前、オーブ軍(とは名ばかりのクライン派の私設軍隊)にザフトが敗れた時、シンは一度は軍を辞めようと思った。オーブに祀られている慰霊碑へ行って、家族が眠るその場所で今後をどうするか考えようと思ったのだ。だがその時、他ならぬラクス・クラインや、仇であったはずのキラ・ヤマト、そしてミネルバを裏切ったアスラン・ザラに囲まれて、シンは逃げ場を失った。
敗者が勝者の前でできることといえば一つしかない。シンは彼らに恭順の意を示し、ザフトへ戻った。
今度こそ、せめて隣にいるルナマリアだけでも守ろうと思ったのだ。だがそれすらも、彼らが──ターミナルが、無残にも打ち砕いていった。
旧デュランダル派だったかつてのミネルバクルーは、最も過酷な部署へ配属となった。ただしシンを除いて。彼らはエースを欠いたまま、宇宙海賊が頻発する宙域を単艦で哨戒中、謎の部隊に襲われ全滅した。ミネルバの代わりに与えられた旧型の戦艦は、原形をとどめない程に破壊しつくされ、脱出ポッドは排出されなかったという。
不幸な事故だった、シン以外の誰もがそう思った。新議長であるラクスの耳には、この襲撃のことも伝えられていたはずだ。だが彼女は救援を送ることも、謎の部隊について調べることすらしなかった。
シンが知りえたことは、謎の部隊が使用していたモビルスーツや携行兵器は、まだどの勢力にも出回っていない新型であり、それについての情報を握っていたのがクライン派の秘密情報組織ターミナルのみであった、ということだ。
シンは悟った。ターミナルがミネルバの痕跡を跡形も無く消し去ろうとしたのだ、と。もう彼らに反抗する力すら残っていなかったのに。生きていくために彼らに従うしかなかったのに、それでも自分達が邪魔だったのだろうか。
理由は分からない。ただ、それを知った時シンは絶望した。そして、そもそものシンの原動力であった『理不尽な事柄への怒り』は、いつしか憎しみに塗り潰されていった。
「ターミナル……俺は奴らを許さない」
それだけ小さく言い残すと、シンは握り潰した缶コーヒーをダストボックスに投げ捨て、部屋を出た。
「シン……?」
「待て、お前はこれ以上深入りするな」
普段のシンとはまるで違う、澱んだ目付きを不審に思ったのか、ジェスが彼の背中を引きとめようとした。だがそれはカイトによって制止される。
「何だよ、カイト」
「今シンに構うのはやめておけ」
「何故だ?」
「いいから一人にさせておけ」
カイトにはなんとなく想像がついた。シンのあの目は、命よりも大事なものを奪われた、そんな目だと直感した。カイト自身に例えるならば、まるでジェスを失ったかのような。
「アイツは、それほど信頼する奴がいたってことか……」
シンに同情すると同時に、カイトは彼のことが少し羨ましく感じた。シンが失った誰かにどれほど必要とされていたのかは知らない。だが、その誰かがシンをどう思っていようと、シンの方はそいつのことを深く想っていたに違いない。そうでなければ、あんな目はできない。
誰かに必要とされるよりも、誰かを必要とすることができる。幼少時からの体験のせいで無償の愛情に飢えていたカイトには、なかなか達せない領域だ。
「……全く羨ましいぜ」
「カイト?」
いつの間にか、手で制していたジェスを引き寄せる形になってしまっていたらしい。至近距離でカイトを見上げるジェスに、肩をすくめてみせる。
「何でもねえ。とにかく、俺達の仕事はこれで終わりだ。集めた情報は全部シンに渡して、後はゆっくり……」
「冗談じゃない!」
瞬間、ジェスの体が跳ねた。好奇心に満ち溢れた瞳をきっと吊り上げ、カイトを睨みつける。
「俺は降りないぜ、カイト。この真相を、ターミナルの謎を全部解き明かすまではな!」
「駄目だ!」
「カイトは気にならないのか? 一族の遺産はマティアスが全部処分した、ライブラリアンは最初から計画を失敗させるつもりだった、つまりどちらももうこの世に存在しないはずの情報や技術なんだ。でも、それを引き継いで使っている奴らが……──っ!?」
なおも食って掛かるジェスの腕を取り、カイトはジェスのよく回る口を強引に塞いだ。喋りっぱなしで乾いた唇が擦れて、言葉を遮られた代わりの呻き声が漏れ出す。
長い口付けだった。
「は……っ」
酸素不足で朦朧とするジェスを支えるように抱き止める。普段ならここで耳元にでも低く囁いてやれば、そのままなし崩しにベッドまでエスコートできるテクニックをカイトは持っている。
が、今日はそういうわけにもいかなかった。一旦顔を離し、両肩を掴んでジェスを真正面から見据えると、珍しく真剣な眼差しになる。
「いいか、お前はもう関わっちまってるんだ。迂闊にノコノコ出て行って、今度は危なかったじゃ済まされねえ」
「関わった以上は、ここで手を引いても同じだ! だったら、俺は後悔したくない。最後まで見届けたいんだ」
ジェスはめげなかった。荒い呼吸を整え、カイトを見つめ返す。そこにいるのはただの野次馬ではない。今の彼は真実を求める探求者そのものだ。
しばしの睨みあい。先に根を上げたのはカイトだった。
「ちっ……勝手にしろ!」
「カイト……!」
そっぽを向いて吐き捨てるように言うと、ジェスの顔に満面の笑みが浮かぶ。
最後には結局、カイトが折れる形になるのだ。ジェスという男は、その温厚そうな見た目に反して一度決めたら梃子でも動かない。
しかし、カイトもカイトで引き下がらない男だった。嬉しそうなジェスを横目で見ていたカイトの口元が、ニヤリと上を向く。
「ただし……」
「ただし?」
きょとんとしたジェスを放し、カイトはトレードマークのスーツを脱ぎ捨てた。擬似重力にとらわれてふわりと舞ったスーツが床に落ちる前に、再びジェスを捕まえて壁に押し付ける。
耳朶が噛める距離まで唇を近づけ、
「今夜全力の俺を相手して、明日の朝起き上がれたらの話だがな」
「えっ……?」
ジェスがその意味を理解する前に、カイトの指先が意地悪な動きで服の中を探り始めた。
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あとがき。
前半シンのターンかと思いきや、体力にモノを言わせるカイトでオチ。
というわけで、この話ではミネルバ組は全滅しております。ミネルバ好きな方すみません。
あとは、まあ、一応表に置いているブツですので、直接描写はいたしません(笑)
お題提供:
Fortune Fate様