Novel

PHASE05 Fool's mate

 ジェスが消えた。

 脱走の類でないことは、直前までの彼の目撃証言がいくつもあり、それによるとジェスがこの場所が嫌だとか逃げたいとかそういった素振りを一切見せていない(むしろ興味津々であった)ことからも明らかだ。
 実際のところ、彼はアメノミハシラにとっては客人であり、いなくてもミハシラの運営自体に支障をきたすわけではない。だがこのことは、このステーションの主であるロンド・ミナ・サハクの逆鱗に触れるに足る事態だった。
「予の城での狼藉、許さぬ。必ずジェス・リブルを取り戻し、不届き者には制裁を与えよ!」
 彼女の鶴の一声により、ミハシラ内でジェスの捜索が始まったのだが、解決の糸口は思わぬところよりもたらされた。

 カイトもまた、ジェスの捜索に名乗りを上げた──むしろ最も熱心に探しているわけだが──うちの一人だったが、その彼の端末宛にピンポイントで通信が入ったのだ。
 発信元は不明、逆探知はする暇も無かった。ビデオメールの形態で送られてきたその通信のタイトルは『Truth of “RABBLE”』。
「……民衆の真実?」
 同じくジェス捜索のため、ちょうどその場に居合わせたシンが首を捻った。
 スパムの一種ではないかとシンは言ったが、カイトは苦い顔をして奥歯を噛んだ。この言葉の意味するところは“野次馬”ジェス・リブル……つまり今探している彼のことに違いない。
 ウィルスなどの確認を済ませると、カイトはメールを開いた。


 そこはミハシラとは違う、どこかの施設のようだった。
 殺風景な部屋の隅には宇宙空間活動用の様々な器具やパイロットスーツなども映っていたため、宇宙なのだろう。おそらくは、廃棄された宇宙ステーションか何かか。
 だが注目すべきはそこではなかった。カメラが動き、ある人物に焦点を合わせる。
「ジェス……!」
 その様子に、カイトは己が怒りで震えていることを自覚した。こめかみに血管が浮き出る様子さえ自分で分かるような気さえした。
 酷い有様だった。
 音声は無く、映像だけがただ映し出されている。
 映っているのは他ならぬジェス・リブルに間違いはない。ただし、長年愛用していた赤のジャケットや脚のシルエットのはっきり分かる細身のジーンズは無残にも引き裂かれ、露出した肌にいくつもの殴打の跡が見える。
 両腕は頭上で一つにまとめられているらしく、こちら側からは見えない。折り曲げられた脚は誰かに抱え上げられ、あらわにされた箇所が一定の間隔で艶かしく揺らされる。それをさせている人物の顔はカメラの角度を調整して巧妙に隠されていたが、おそらくろくな人物ではないのは明らかだ。
 映像は今度はジェスの顔にズームしていく。苦痛に歪んだ表情。唇の端から血を一筋流し、頬や首筋、金のメッシュの入った青い髪などには白い飛沫が散っていた。
 震えながらジェスの唇が何かを紡ごうとした所で、カイトは端末を拳で叩き壊していた。

「クソッ!!」
「…………」
 カイトの怒りは冷めやらない。シンにはかける言葉がなかった。
 軍では珍しくない光景ではあった。だがジェスは民間人だ。何よりわざわざ攫ってまであんなことをするということなど、普通はない。
 ジェスが何か恨みを買うような人物とは思えないし、ただの怨恨ならばこんな風にカイトにだけ教える意味がないはずだ。
 罠だ。シンは直感した。
「マディガン」
「止めるなよシン。俺はジェスを助けに行く。あいつのお守りは俺の、俺にしか出来ない仕事だ」
「落ち着け、そもそも場所すら特定できてないのに……」
「お前に何が分かる! 今ジェスがどんな目に遭ってるか……!」
「分かるから言ってる!」
 きっ、とカイトを睨んだ後、シンは視線を落とし、自分の身をかき抱いた。僅かに震えているのが自分でも分かる。
「……嫌なこと思い出させやがって……まずは居場所をつき止めることだ」
 壊れたカイトの端末の代わりに、シンは懐からピンク色の携帯電話を取り出した。旧式の携帯電話だ。一見すると壊れていて使い物にはならない。現にそれは待ち受けにしたシンの面影を少し残す少女の画像と音声記録を残しているだけで通常の通話は出来なかったが、シンはそれを端末として使えるように中身をごっそりと入れ替えて改造している。
 妹の形見をこんな風に使うことになるとは思わなかったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
 カモフラージュ用の妹の待ち受け画面をオフにして、情報用端末としての検索画面を出す。
 とはいえ、ハッキングは専門外だ。上手くいくかどうか分からない。その上、一度はシンの言葉に思いとどまったかに見えるカイトも、ぐずぐずしているうちに単独で飛び出して行きかねない雰囲気を放っている。
 現にカイトは怒り狂っていた。普段どうでもいいことでイライラする仕草すら無く、ただ静かに、ジェスを辱めた相手に向けて、壊れた端末越しに殺気を放っている。

 停滞した状況を打ち破ったのは、備え付けられたモニターに突然浮かび上がったミナの憤慨した様子の声だった。
『まだそんな所にいたのか。ジェス・リブルの居場所が判明した』
「!」
 ミナの声は落ち着いていた。だが彼女もカイトと同じく、静かな怒りを胸に秘めていた。
『今から座標を送る。必ずジェスを取り戻せ』
「言われなくても」
 カイトが毒づくのと同時、モニターがミハシラ近辺の座標図に切り替わった。そしてドアが開く音がする。
 マントをたなびかせ、ロンド・ミナ・サハクが部屋に入ってくる。
「予の天<アマツ>を使うが良い。貴様達の乗ってきたモビルスーツは未だ調整中だ」
「ああ、恩に着るぜ」
 それだけ言うと、カイトはミナと入れ違いに部屋から駆け出した。

「俺も……」
「待て、シン・アスカ」
 後を追おうとしたシンだったが、それはミナの長い腕に制止された。
「なんで止める!?」
「マディガンに任せておけ、あれは奴の仕事だ。それに、もうすぐここに貴様の客が来るだろうからな」
「客?」
「見ろ」
 ミナが室内モニターを仰ぎ見ると、画面は今度はプラント=オーブ共同の国営放送へと切り替わった。

『オーブ情報局のミリアリア・ハウです。臨時ニュースをお伝えします。プラント政府は先日、極めて悪質な報道を行ったとして、フリージャーナリストのジェス・リブルを国際指名手配することを発表しました』
「な……!?」
 息を呑む。モニターに映る茶髪の女性が淡々とニュースを読み上げるのを、シンは黙って聞いていられなかった。
『ジェス・リブル容疑者は、プラント評議会議長であるラクス・クライン氏に関する捏造報道を繰り返した疑いを持たれています。なお、現在は、元ザフト軍人であるシン・アスカと共に潜伏しており、大規模テログループと接触の可能性もあると見られています。これを受けて我がオーブ政府は──』
「何だよ、これ……! 捏造報道はどっちだよ!?」
「どうやらクラインめが一歩先んじていたようだな。ジェスを潰す気だ」
 シンが横を見ると、ミナは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
 だが放送を聞きながら、それでもミナはこれをカイトに聞かれずに済んだことに内心安堵していた。
 もしカイトがこれを聞けば、その足でオーブに殴り込みをかけかねない。アメノミハシラとして半ば独立した状態にあるが、それでもオーブが自国であるという認識だけは持ち続けていたミナにとってはそれは由々しき事態だ。

 ジェスがクライン派に狙われる理由は、現時点で一つしかない。ターミナルについての取材だ。
 おそらく踏み込んではいけない領域にまで足を伸ばしたのだろう。

 だがそんな思考を遮るように通信が入ってきた。抑揚の無い声の主が告げる。
『ミナ様、ミハシラに急速接近するモビルスーツがあります。数は1』
「識別は?」
『オーブ軍プラント駐留部隊、インフィニットジャスティスです』
「……アスラン!?」
 それは招かれざる客と言うより他はなかった。表示される赤い機体。意外な顔ぶれに、シンは驚愕した。


 ──廃棄基地

「……ぅ……」
 優しく頬を撫でる暖かい感触と、錆びた鉄にも似た生臭いにおいとでジェスは目を覚ました。
「カイト……?」
 目の前の人物が誰なのか確認する前に呼び慣れた名前を呟くと、それまで頬を撫でるだけだった手が一瞬ぴくりと動き、ジェスを抱き締めた。
「ジェス」
「……? カイ、ト?」
 再度名を呼ぶと、抱き締める力はいっそう強くなった。
 カイトだ。

 静かだった。耳障りな男達の声も、自分自身の情けない声も、もう聞こえない。あるのは、自らに呼びかけてくるカイトの声と、暖かな体温だけ。それはひどくジェスを安心させてくれた。
 そしてようやく思い出す。自分がどんな目に遭ったのかを。
「カイト、どうなったんだ……? あいつらは……」
「もういい、ジェス。お前はもう何もしなくていい」
「……?」
 目が慣れてきて、視界に入ってきたカイトの表情は、ひどく思いつめたもののように思えた。

 まさか、殺したのか。
 カイトの態度から、何となくそれが読み取れた。
 それは駄目だ。彼らは生きて裁かれるべきだった。それに、どうしてあんなことをしたのか、何が目的だったのか、まだ何も話を聞いていない。
 あんな目に遭ったというのに、ジェスのそういう所だけは変わらなかった。

 だけどそれらを追求するだけの力も気力も、ジェスにはもう残されていなかった。
 再び下りてくる瞼と強烈な疲労感。それからカイトの体温に全てを委ねて、ジェスはもう一度意識を手放した。

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あとがき。

これはセーフなのか? そしてジェスの精神力はここまで持つのだろうか?
そして次回はアスランが本格的に登場です。期待を裏切らないアスランっぷりが書けたらいいなあ……

お題提供:Fortune Fate