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PHASE07 Sealed move

「……ト……カイト」
 何かを掴むような仕草をするジェスの手は虚しく宙をきった。
 少し離れた所から、彼が名を呼んだ相手が答える。
「ここでおとなしくしていろ、ジェス。すぐに戻る」
「カイト……待……っ」
 まだ何も聞いていない。何も分かっていない。その一心でジェスは気怠い体を起こしたが、既にカイトの姿はなかった。

 そんなジェスをよそに、事件は確実に真実へと近づいていっている。



 ──オーブ行政府。

 代表首長の執務室。この国で最もセキュリティの高いであろうその部屋に、何のアポイントもなく漆黒の髪の美女が訪れた。
 額の広いうっかり男と紅い瞳の傭兵を連れて。
「久しいな、カガリよ」
「ロンド・ミナ・サハク!? 何の用だ! それにアスランに……シンまで!?」
 跳ねるように立ち上がり、厄介者を見る目つきでオーブ代表首長は身を固くした。
 カガリはこのオーブから半分独立してしまったアメノミハシラの主のことが昔から苦手だった。
「貴様の無様なダンスを笑いに来てやった」
「なっ……!」
「フ……冗談だ。何、少し話がしたいと思ってな」
「警備はどうした!?」
「予の顔を見るなり道を開けてくれたぞ」
 ミナがニヤリと笑む。

 カガリは一応国家の代表である。会うにはそれなりの手順を踏まなければならない。ミナはそれを知っていて敢えて本国に告げず、少々手荒な手段を使ってでも三人だけで来たのだ。
 カガリの驚く顔が見たいというのもあったが、これは彼女の手腕を見るためでもあった。
 ここで「私は忙しい、アポイントも取らずにいきなりやって来る無礼者と会う時間などない」とでも言ってのけてくれれば、彼女も為政者のなんたるかを少しは学んでくれたとの判断もできる。
 だが実際は違ったらしい。
「そ、それは……まだお前の影響がオーブ本島にもあるということなのか……それより、話って何だよ? なんでお前がアスランやシンと一緒にいるんだ? 確か、アスランは宇宙で──」
「質問は一つずつにしろ」
 政治家の仮面があっさりと剥がされ、目の前の異常事態に混乱してしまうカガリ。そのさまはまるでただの女にしか見えない。ミナは来客用のソファに深く腰掛けると、いまだに複雑な表情で立っているシンとアスランにも座るよう促す。
 カガリはミナの対面に座り、不安げに拳を握ったままそれでもミナを気丈に見据えた。
「……で。話って何だ」
「少し長くなるぞ。とりあえずは……」
 一旦言葉を切り、ミナは横で窮屈そうに座っているアスランに視線を送る。
「……そこのバカが、勘違いと思い込みで予のミハシラを攻撃しようとしたことだ」
「…………」
 シンが片づけてくれたが、と続けるミナの言葉が耳に届かないくらいにカガリは呆然としていた。一体どういうことだ。自分はただ、アスランがシンの身を案じて部隊を動かしたいと言ったのに許可を出しただけだ。それがなぜ、ミハシラを攻めてあまつさえミナと行動を共にしているのか。
 一つの可能性に思い当り、カガリはガタンと音を立てて身を乗り出した。
「まさか、テログループの本拠地というのは!」
「逆だ、馬鹿者が」
「……え?」
「なぜ攻撃を仕掛けた側が間違っていたという可能性に至らない?」
 二人の視線はアスランに集中する。しばらく所在無げに視線をさまよわせていたアスランだったが、やがて彼は観念して重い口を開いた。
「カガリ……どうやら俺達は、重大な勘違いをしていたらしい……」
「勘違い?」
 要領を得ないアスランの言葉に、カガリは鸚鵡返しすることしかできない。続きを促すようにミナが顎をしゃくった。
「オーブ国営放送で発表したことは、すべて嘘だったんだ。シンはプラント転覆もお前の暗殺も企んでいないし、ジェス・リブルというジャーナリストが偏向報道を行ってラクスを貶めたというのも全部嘘だ。カガリ、俺達はもっと自分のやっていることに自覚を持つべきで……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
 アスランの報告が説教になりかけたところで、カガリは慌てて手を振った。
 ここへ来る前に、アスランはシンに一度敗れてミハシラに回収され、そこからオーブ本島へと下りてくる間、ミナ直々にこってりと絞られていた。彼が今まで二人の話に口を挟まず大人しくしていたのはミナへの恐怖のためである。
 基本的に人の話を聞かないアスランをここまでへこませることのできる人間は、おそらくオーブではミナくらいのものだろう。
 だがカガリはそんな事情など知らない上に、先にもっともらしい報告──ザフトを辞めたシンがラクス達に反旗を翻すという、ある意味『あり得る話』──を聞いていたため、頭の整理ができないでいた。

 戸惑うカガリに投げかけられたのは、それまでずっと黙ってミナのお供に徹していたシンの冷ややかな一言だった。
「なあ、アンタはあの放送の内容を誰から聞いたんだ?」
「えっそれは、ラクスから……あっ!」
 はっと口元を抑える。ここへきてカガリはようやく二つのことに気がついた。一つはラクスから──つまり国家元首同士の秘密裏の会話の内容を軽々しく喋ってしまったということ。そしてもう一つは、自分が騙されたということだ。
 カガリの目には、ラクス・クラインは誠実な女性と映っていた。まさか自分に嘘をつくなんて思ってもみなかったのだ。カガリはおのれの単純さに歯噛みした。
 だがそれを信じたくなくて、カガリの口からは言い訳じみた言葉が出てくる。
「で、でもっ、ラクスはジャーナリストがどうとかなんて、一言も……」
「焦っている場合ではないぞ、アスハの小娘よ」
「っ!」
 カガリの体に影が差す。ミナがその長身を立たせたのだ。
「本題に入ろう。予の要求は一つだけだ。先の国営放送の声明を撤回しろ」
「そ、それは……!」
「オーブはプラントの属国ではない。貴様が一国家元首ならば、やるべきことは分かっていよう……?」
 ミナの威圧感にカガリは息をのんだ。

 オーブは現在、地球の国家のトップの位置に君臨している。オーブの国営放送は世界規模の情報発信機関なのだ。それを撤回するということは、地球国家のトップが過ちを認め、さらにシン・アスカとジェス・リブルを世界中の悪意の視線からそらすということだ。
 後者は誤解がとけた今、すぐにでもやってやりたい。だが、あの放送はもう一つしがらみがある。プラント──つまりラクスが何らかの思惑があって自分に曖昧な情報を流し、あんな報道をさせたということだ。
 国家元首であるとはいえ、国のことすべてに目を通せるほどカガリは有能ではない。もちろんオーブ国営放送がやったことなのだから責任はカガリにあるのだが、それでも国家元首の耳に入ってこなかった情報を、彼女を無視して情報局に流している以上、彼女の性分として納得できるものではなかった。まるで自分のあずかり知らぬところでオーブが動かされているように思えてくる。
 ミナの言葉を反芻する。オーブはプラントの属国ではない。オーブという国は、プラント議長であるラクスではなく、カガリやオーブ国民の意思により動かなくてはならない。

 ようやく決意が固まり、カガリは顔を上げミナを睨み返すように見上げた。意外に気概ある表情に、ミナがほう、と息を漏らす。
「分かった。即時、情報局に伝え、完全に撤回させよう」
「ラクス・クラインはよいのか?」
「ラクスはラクス、私は私だ」
「フン……」
 生意気に、とでも言いたげにミナが鼻を鳴らした。だがその表情は、いつもの人を小馬鹿にしたようなものではないとカガリには感じられた。
 どうやら穏便にことは済んだらしい。ほっと胸をなでおろすカガリに、それまで見守っていたアスランが安堵の息をついた。


 アポなしの突撃会合が終わり、ミナはシンとアスランを連れ部屋を出ようと歩き出す。
 ミナの用事は済んだ。ジェスを指名手配にしたのはプラント政府だ。これだけはいくらオーブの放送で撤回しても、プラントが首を縦に振らなければ取り消せない。
 だがミナはジェスについてだけは安心していた。おそらく彼には頼りになる護衛がいまだについているであろうからだ。
 それはアマツが無傷で返されたことからも推測できた。この先二人がどんな形でミナの前に現れようとも、決して心からの敵にはならないだろう。
 磨かれた床に靴音を響かせ、古いがしっかりした作りの木製の扉を通り抜けようとしたところで、ミナにふと、悪戯心がわいた。
「おっと、もう一つ用事があった」
 悪い笑みを浮かべ、後ろをついてくるシンと執務机に戻ったカガリとを交互に見る。
「シンよ、お前の目の前にいるのは、お前の憎いアスハだぞ。……どうする?」
「は?」
 悪魔の囁きに、シンは眉を顰めることで返した。
「恨みを晴らすでも仇を取るでもよい、何かこの馬鹿に思うところがあるだろう。何も言わなくてよいのか?」
「……今はそんな時じゃないだろ。俺だって分かってるよ。こいつをどうにかしたところで、俺の家族は還ってこないことくらい」
「模範解答だな、つまらぬ男だ。憎しみは理想では消せぬぞ」
「それも分かってる。だけど、俺の相手は他にいる。……アスハ!」
 炎のような眼差しがカガリに向けられる。怒りも憎しみも、希望も絶望も理想も現実も全て内包した、シンの強い瞳だ。
「見ていろ、アンタやアンタの親父のせいでオーブがどうなったかを。何があっても目をそらすな。生きている限り、ずっと見続けろ! それがアンタの……国の代表としての責任だ!」
「シン……分かった。私の命の続く限り、誓う」
 カガリ・ユラ・アスハという女は政治家には致命的に向いていない。そしてシンの言ったことは、彼女にとっては今ここで償えと言われるよりも酷なことだった。だがそれでも、今ある代表としての責をすべて背負って、彼女はシンに真摯な瞳を向けることで答えた。


 三人は行きも急ならば帰りも急だった。何年も前に自爆によって破壊され、連合の協力により修復されたマスドライバーへと向かう道で、運転手役も兼任させられたシン(アスランにハンドルを任せるのはあまりにも危険だ)がふと呟く。
「オーブはまだ独裁国家のままなんだな」
「なぜそう思う?」
 後部座席で答えたミナを振り返ることなく、シンは独り言のように続けた。
「あの女の意思で最終決定が下される。普通、国営放送の発表とか撤回なんて、まず議会を通すだろ? オーブにだって議会はあるのに」
「カガリが独裁など! あいつは誰よりも国のことを考えて……」
 隣に座っていたアスランがそれに反発する。独裁、という言葉に悪い意味を見出して拒否反応が出たのだろう。
「国のことを考えるのと政治の形態としての独裁は矛盾しないだろ。別にアスハを責めてるわけじゃない」
「じゃあ何だ」
 ミナはいつの間にか二人の会話を黙って聞くにとどまっていた。オーブが独裁国家の状態にあることは彼女には分かり切っていることだ。
 シンが一旦言葉を切り、うんざりと返す。恨みや何やらを抜いた、かつて祖国としたオーブを外側から見たシンの個人的な意見を。
「俺はオーブの政治家じゃないからはっきりとは言えないが……国のために自分でできることを一直線に頑張りすぎて、周りが見えてないだけなんじゃないのか、アイツ?」
 早とちりでミハシラを襲ったアンタと同じようにな、と呟いたその言葉がアスランにとってのとどめだった。
 アスランとカガリはそういうところで似過ぎていた。距離を置いて正解だったのかもしれない。

 静かになった車は、そのままマスドライバーへと走り去っていった。



 ──ザフト司令部。

 ひそかに回収していたライブラリアンの遺産、レーゲンデュエル。カイトはドックにその機体を置いて、ザフト司令官キラ・ヤマトに引きあわされていた。
 いつもの戦闘服の上に先程支給されたばかりの赤い上着を肩に引っ掛けたまま、カイトは無言でその場に立っていた。
「ええと……」
 ザフトの白い指揮官用制服姿のキラが口を開くが、その先は続かなかった。彼の代弁をするかのように、控えていた眼帯の女がカイトをキラから遮るように口を割った。
「マディガンだったね、アンタの功績はラクス様もたいへんお喜びだったよ」
 内容とは裏腹に、女の表情は刺々しい。カイトがジェス・リブルを捕えてザフトに投降し、なおかつ彼自身が優秀なパイロットであることを、ラクス・クラインが高く評価したというのは真実だ。その証拠にラクスはカイトのザフト入りを認め、地位と報酬を約束した。
 だからこそ、ラクスの狂信者とも言える女はそれが気に入らないのだ。
 カイトは吐き捨てるように答える。
「フン、そんなことは俺にとっちゃどうでもいい。俺は俺の目的のためにやっただけだ」
「貴様……! ラクス様に何てことを!」
 眼帯の女が激昂するのを最後まで聞かず、カイトはその場を後にした。正直、あそこにあまりとどまりたくなかった。あんなアイドル上がりの小娘を担ぎ上げるプラントの人間の心理はさっぱり分からない。
 昔からそうだ。コーディネイターなら誰もが聞き惚れると言われるラクス・クラインの歌声は、カイトにとっては耳障りな甘い声でしかなかった。前は『皆から必要とされている』アイドルに興味がなかったのだと思っていたが、それは違っていた。ラクスの声を聴くと、カイトは何故か激しい不快感に襲われるのだ。
 かつてセトナ・ウィンタースの歌を不愉快に思ったのと同じように。

「ジェス……もうすぐだ。もうすぐお前に、全てを見せてやる……」

 司令部に小さく響いたその呟きは、誰にも聞かれることはなかった。

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あとがき。

別名・カガリフルボッコ回。ちなみにアスランは見えないところでミナ様にボッコされました。おもに頭髪。
カガリはおバカだけどまっすぐで素直。愚直というのかな。少なくとも、うちではそういう設定です。おバカだけど。
そしてメインのはずなのに空気状態なカイジェスェ……次回はカイトのターン!が、書けるといいなあ。

お題提供:Fortune Fate