Novel
秘密の写真立て
雲の多い、少し暗い昼だった。
太陽光で写真が傷むことも少なくなるだろうと、ジェスはアウトフレームの外に出て、パラソルの下で写真整理をしていた。
外で食事を取る時などに使う丸テーブルの上に今まで撮ったものを並べては、それらを一枚一枚、丁寧に見ていく。
「よく飽きないな」
その言葉はパラソルの外から聞こえた。
皮肉のように聞こえる男の声。こんな所にいて、自分にそんな物言いをする男をジェスは一人しか知らない。
少し身をかがめて、パラソルの下から覗き込むようにして男を見上げる。
思った通り、男はカイト・マディガンだった。といっても、今は取材に向かう途中で、ここは自然深い森の中、他に人などいないのだが。
ともかく、そんな状況下にあって変わらず斜に構えたカイトに、笑いながら答える。
「好きでやってるからな」
それだけで、傍らに立つ男が一瞬言葉に詰まるのが分かった。
「幸せな奴め」
フンと鼻を鳴らして、カイトはぼやく。写真を触る手は止めず、ジェスはそれに少し付き合うことにした。
「好きなことを仕事にしてるのが?」
「他に何がある」
「……俺を守る仕事は嫌か?」
「そんなことは言ってない」
カイトの口調が少し固くなったのが分かった。
ジェスにしてみれば、『カイトは好きなことを仕事にしているわけではなく、だから幸せではないのだろうか?』と、そう疑問に思ったことを素直に口に出したまでなのだが、どうにもこの男は意地っ張りというか、なんというか。
厳しい現実を指摘する厳しい言葉は平気で言うくせに、それ以外の自分の気持ちを素直に言ってくれることがない。
そこまで考えた所で、ジェスはすぐ隣にいたはずの気配が少し遠ざかっていっていることに気付いた。
それでも手は止めないのはプロの報道屋としての矜持だろうか、単なる癖か。
そしてカイトがその場を去ろうとしていることなど気にせず、話しかけるように声を出す。
「あ、ホラ! これ」
「何だ一体──……」
足を止め、カイトはうんざりと振り返った。ジェスが一枚の写真を持ち、パラソルから出てくる。
覗き込むと、海を背景にジェスと風花が並んで写っているのが見えた。
「ギガフロートで撮ったやつ。懐かしいな〜」
そう呑気に言うジェスに、カイトは今度こそ、呆れた表情で足早に去ろうとした。背中を向けた格好で捨て台詞も忘れずに。
「知らん」
「覚えてないのかよ!」
すぐに背後から咎めるような声が上がる。
この写真を撮ったのは、ジェスにとっては、初めてカイトの過去に触れた、そんな重要な出来事の直前だった。
それを『知らない』などと!
カイトの足が再び止まる。ややあって、先程より幾許か小さな声で返事があった。
「覚えてるさ。覚えてるから、俺には写真なんぞ要らないんだよ」
「そんなことはない!」
跳ねるように叫び、勢いで立ち上がる。
すぐ後ろまで行くと、憮然とした、それでいて寂しそうな、そんな声を絞り出す。
「思い出として形のあるものを残すのは悪いことじゃないだろ」
「お前が写真屋だからそう思うだけだろうが」
「っ、それは、そうだが……」
分かっている。『写真を持っておいて欲しい』なんてのは自分の個人的な感傷だ。カイトに確約させたわけじゃない。
口ごもるジェスの次の言葉を待たず、カイトは振り返った。いきなりの至近距離に、思わず怯む。
「それにな」
「? ……っ!?」
上半身だけを前に倒して、ジェスの唇を塞ぐ。一方のジェスはいきなりのことでリアクションが取れずにいたが、そうする必要もなくすぐに解放された。
「な、何……」
「今の一瞬を形に残せるか?」
「はぁ?」
一体何事かと問おうとしたのを遮られ、逆に質問される。こちらもやはりすぐには返せず、眉を寄せて短く聞き返すのみ。
だがカイトは気にしてもいない風で、澱みなく言ってのける。
「シャッターを切る間も無かったし、後でお前が感想書いても、実際の感触は読んだだけでは分からんだろう」
第一、そんな文章人に見せられるか、と吐き捨てて、カイトは再び背を向けた。
「形に残せないものもある、ってことか」
「そういうことだ」
ジェスの呟きを聞きながら、カイトはバックホームへと入っていった。
「……だからと言って、形に残せるものまで否定することはないだろうに……」
そうジェスが言い切る前に、カイトの背中は既に見えなくなっていた。追うように、ジェスも中へと入っていく。
結局その日は、写真についての話はそれ以上なされることもなく、夜が更けていった。
翌朝ジェスが目を覚ますと、隣のベッドがもぬけの殻になっていることに気付いた。
「カイト? ……外か?」
他に誰もいない、静かな辺境地の朝だ。鳥の鳴き声に混じって外から聞こえてきた物音で、カイトの居場所を把握する。
まあそんないつもの朝。ジェスもいつも通りに身体を起こし、身支度を整えようと立ち上がる。
立ち上がった、ところで。
バック・ホームの一階、二人の寝室としても機能しているこの場所の、カイトが使っている方。
壁や机に貼られた露出度の高いグラビアがセトナの手によってきわどい所を隠されている、そんな一画。これももちろんいつも通りなのだが、ジェスの人並み外れた観察眼が、僅かな違和感を察知する。
「……写真立て?」
それはシンプルなデザインの写真立てだった。わりと綺麗に片付けられている机の上に伏せられた状態のまま、どうやら放置されているようだ。
ジェスはこれを見たことがなかった。
今までカイトはグラビア以外の写真を飾るようなことはしなかったし、当然写真を撮らせてもくれなかったのだ。
そのカイトが、なぜこんなものを持っている?
疑問はジェスの中で好奇心となって湧き上がる。意識していないのに手が動き、写真立てを取ろうとする。
「し、しかし、カイトのプライベートだ……」
手が触れるか触れないかの所でそう呻き、ジェスは動きを止めた。普段ならアポなし取材もなんのそのなのだが、さすがに個人的興味で他人のプライバシーに干渉するのは気が引ける。
しばしの葛藤。
そしてついに決着がつく。
勝ったのは好奇心だった。
「……あぁ〜!?」
どこか間の抜けた、素っ頓狂な声が自ずと出てきた。
これは予想外だった。もっと昔の、例えばジェスと出会う前の重そうな大事な写真を入れてあるのだと思っていた。が、全然違った。
迷惑そうなカイトと、その腕を無理やりつかんでピースサインをするジェスの姿。
いつぞやのギガフロートで撮った、二人の写真だった。
よくよく見てみると、写真立て自体は結構新しいものだと分かる。
おそらく現像したのをジェスから(押し付けられるように)貰ったすぐ後、くらいに買ったものだろう。
「……まだ持っててくれてたんだ……」
あいつめ、「写真なんか要らない」なんてことを言っていたくせに……
妙に気恥ずかしくなり、ジェスは写真から目を離す。が、いまだに写真立ては大切そうに持ったまま。
その時だった。
先程のジェスの声に反応して、カイトが戻ってきたのは。
「何を朝っぱらから妙な声……って、おい、それは!」
「え? あぁ、すまんカイ……」
言葉の途中で、転がり込むように部屋に入ってきたカイトによって、乱暴に写真立てを奪われる。
カイトは手の甲で何度か表面を払いながら、半眼でジェスを睨みつけた。
「ったく、勝手に見るなよ……」
「……すまない」
だがジェスにはなんら堪えていないらしい。眉尻を下げ、少し照れたような表情のまま。
「何をニヤついてる」
「嬉しかったから」
「…………」
さらりとそんな風に言ってのけるジェスに毒気を当てられる。
「けど、どうしてこんなもの持ってたんだ? 前は無かったよな、写真立て」
無邪気にそう聞かれるが、それ以上カイトは何も答えられなかった。
『昨日の話でこの写真のことを思い出して、昨夜一晩中眺めていて、しまうのを忘れていた』などという失態は、とてもじゃないが話せない。
しつこく問い質すジェスの声を聞きながら、例の写真立てを持ったまま、カイトはジェスに背を向けて立っていた。
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あとがき。
一枚だけ持ってる大事な写真、なネタ。
あの写真はコクピット内に貼り付けてる、っていうのも捨てがたいかもしれませんが。
たくさん所有しているMSの一つ一つに、焼き増しして一枚ずつ(笑)
ジェスはカイトを恥ずかしがらせる天才。さらっと殺し文句言ったり、隠したものを見つけたり。