Novel

第二話 懐かしき楽園

「そういや、もうあれから4年になるんだな」
 受話器越しの兄の声。今は帰って来て、生まれ育った懐かしいシャングリラにいるという。
「お兄ちゃん、木星はどうだった?ルーさんに迷惑かけなかったでしょうね?」
 少年の日の自分のある意味悲壮な決意を、まるで小旅行でもしてきたかのように言う、最愛の妹。
「…あのね、そういうこと言わなくていいの」
 兄妹は、そうして再び互いを感じあった。

「そうか…リィナももう高校生か」
 自分がいない間、身寄りの無いリィナは、セイラ・マスを後見人として地球で暮らしていた。しかし、やはり生まれ育ったコロニーで暮らしたいという思いはあったらしく、昨年末のジュドー帰還の知らせを聞いて、コロニーの学校に通うことに決めたのだ。
 その妹に、会える。やっと。
「来週シャングリラに着く予定なの。お兄ちゃん…会える?」
「もちろん!次の出航まで時間はあるからな。こっちでも仕事始めたしさ」
「仕事って…ジャンク屋?」
「え?いや…違うよ……?」
「嘘。分かるわよ。…心配しなくたって、止めたりしないわ。昔とは違うんだもの」
「そ、そう。ならいいんだけどさ……」
「もしかして、お金のこと気にしてるの?セイラさんが用立ててくれたのよ。自分で返していくから、お兄ちゃんはもう私の学費のこと気にしなくてもいいからね。それにファさんもいるから何かあっても平気よ」
「ファさんが?」
 その名前はジュドーにとって少し意外であった。彼女は地球でカミーユ・ビダンと暮らしている、と思っていたからだ。
 しかし聞けば、シャングリラの病院で看護婦として働いている、という。
「…そうなの。じゃあ、ファさんにもよろしく伝えといてよ」
「もう、お兄ちゃんったら。自分で会って言いなさいよ。昔お世話になった人でしょ?」
「いや、でもさ…」
「でも、じゃないの。きっとファさんだって、お兄ちゃんに会いたがってるわよ。だから」
「……分かった分かった。かわいい妹の頼みだもんな」
「ふふ。じゃあお兄ちゃん、もうすぐ出発だから。…一週間後にね」
「ああ、待ってる」
 そして、電話の切れる音がした。

「兄妹…か…いいわね、そういうの」
 受話器を置くと、後ろからしっとりとした声がかけられた。
 リィナの後見人が、少し離れたところから少女の様子を見ている。
「セイラさん…今までありがとうございました。ここからは、私一人で大丈夫ですから」
「ごめんなさいね。一緒について行ってあげたら良いのでしょうけど」
「いえ!いいんです。それじゃお元気で。……お兄さん、早く見つかるといいですね!」
「え…ええ、そうね……」
 そう言ったきり、セイラが遠くを見つめて、それから一言も喋らなくなった訳を、リィナは知らない。


 電話が切れた後も、ジュドーはしばらく受話器を握り締めて立ち尽くしていた。
 シャングリラではない、コロニーの一角で。
 また嘘をついたな。と心の中で妹にわびる。どうやらこちらの嘘には気付かなかったらしい。
「来週、か」
 受話器を置き、振り返る。
 普段は自分の寝ているスペースに、金髪がうずまっていた。昨日、宇宙で拾ってきたのだが、まだ目を覚まさない。それでいて時折、ジュドーはこの男が発する何か不可解な思念を受け取っていた。

 一週間後なら、例のものの受け取りの時間に合わせられる。それまでにシャングリラの自室を片付けて…問題はやはりこの男だなと、ジュドーは嘆息する。
 成り行きでネオ・ジオンの総帥を拾ってきました、などと、愛するリィナに言える訳が無い。
 目を覚まさないならそのままずっと寝ていてくれ、覚ますのなら、早く目覚めて、ここから出て行ってくれないものかな。ただし、シャングリラには来るなよ。

 男は答えない。

 その代わりに、ジュドーの周りの空気が一瞬ざらついた。
 『あれ』だ。男の周りに渦巻く感覚。

 それは全然知らないものであったり、よく知っているものであったり、知らないはずなのに懐かしいと感じるものであったり…
 ともかく、ニュータイプであるが故の感じ方。それを、無意識のうちに自分をそうさせるこの男を、何度も疎ましく思いつつ、彼の周りの…おそらく戦場で散っていった女達なのだろうが…思念に触れたくなってくる。
 今、その思念は、男の周りで金色に輝いて、彼を包み込んでいた。

 輝きは、男には安らぎを、ジュドーには眠気をもたらしてきた。
 ベッドを占領されていたので、椅子に座って、机に突っ伏した。