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第七話 ニュータイプ、還る(後編)

「ここでいいはずだけど。……早く来すぎたかな?」
 空腹も手伝って、三人は予定より早くカフェに席を取っていた。
 注文の品が運ばれて数分、生来待つとか、じっとしているのが苦手なジュドーは、気晴らしになるものはないかと、窓の外に顔を向ける。

「あれ…あそこにいるの…ファさんじゃないか?」
 見覚えのある黒髪に目線をよこす。それは確かに自分の知っている人物だった。
 その人物…ファ・ユイリィは、辺りをきょろきょろと見回しながら、カフェの中に入ってくる。

 席を立つのは不自然だ。何より、今は人を待っているのだから。
 ジュドーはファがウェイトレスに案内され、こちらへ向かってくるのをただただ見ているだけだった。
 小さい間取りの店内で、ファが三人を見つけるのにそう時間はかからなかった。

「…ジュドー君?それに……く、クワトロ大尉………?」
 目尻の潤んだ瞳がはっと見開かれる。
「ファさん、何でここに……」
「カミーユが…ロンデニオン行きのシャトルに乗るのを見たって、聞いて…それで……」
「探しに来たの?」
 だいぶ落ち着きを取り戻したのか、ファはゆっくりとうなずいた。しかし、その瞳はいまだこぼれそうな涙をたたえたまま揺れている。

「そうか…カミーユさんが……」
 ごそごそとポケットを漁ってファにハンカチを渡そうとしたが、探し出す前に、ミネバが自分のものをファに渡していた。
「そ、それで?見つかったの?」
「いいえ…まだ」
 そういってファは、三人を見回した。ジュドーはなんとなく目を合わせづらく、ばつが悪そうにそっぽを向いた。ミネバはそのままファの方を向いている。
 シャアは目を伏せたまま黙っていた。

(カミーユ・ビダンか……)
 かつて自分のもとで、その身を削るように戦っていた少年。今思い出しても、彼の才能は惜しいものだったな、と過去の映像が脳裏に浮かぶ。
 その時自分が何を思っていたのか、カミーユに対してどんな感情があったか、そういったものは相変わらず思い出せない。
 だがこの瞬間に、シャアは『カミーユ・ビダン』の存在を感じ取っていた。
「あ…ファさん、あれ……!」
 入り口の方を指差し、ジュドーが声をあげる。おそらくは彼も感じたのだろう。

 彼が来る。
 一人の女が待ち続け、一人の少年が助けられ、一人の男が忘れ去ってしまった人物。
「カミーユッ!」
 耐え切れずにファは走り出した。

「ファ!ファ・ユイリィ!?」
 いきなり駆けて来た女の名を呼びながら、飛び込んできたファをそのまま腕の中に抱え込む。
「どうして…ここに」
「それはこっちが聞きたいわ。どうして出て行ってしまったの、カミーユ?」
 今まで目の端で溜め込んでいた雫が一気に溢れ出す。そうやってじっと見つめているファを、カミーユはただじっと見つめ返すだけであった。
 どう言えばいいのか困っているようだ。

 しかし、意を決したらしく、カミーユはゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「ファ…よく聞いてくれ。俺は…」

「遅くなって申し訳ありません」

 そう聞こえた方向をはっと見やる。自分が今人を待っていたことを失念していた。
 そこには物腰柔らかそうな褐色の肌を持つ青年が、抱き合う男女の前で所在無げに立っていた。が、気を取り直し礼儀正しく一礼して、再び口を開いた。
「アハト・イングズと申します。以後お見知りおきを。ええと、ジュドー・アーシタさんに…そちらが、シュリー・クライムさんですね?」
「あ?ああ、そうそう。えーっと、お見知りおきます」
 青年──アハトがお辞儀したのにつられて、ジュドーもぺこりと頭を下げた。アハトののんびりした声を聞きながら、シュリーというのはカミーユのことだったっけ、とさして関係ないことを思いだす。

「ところで、そちらの方々を、紹介していただけませんか?」
 アハトはジュドーの周りを見回して言った。この場に関係無い人間がいるのを警戒してのことだろうから、適当に紹介して出て行ってもらったほうがいいか。

 が、ジュドーが言い出す前に、ミネバはアハトに丁寧に頭を下げた。
「メイファ・ギルボードです。ジュドーさんとは、木星でのお友達です…」
 その名は、アクシズ脱出の際に自分が彼女に与えた偽のIDだ、とシャアは思い出した。
 ファの方は、カミーユが幼馴染だ、と紹介していた。
「ではそちらの方は……」
 続いてアハトはシャアに視線を向ける。その目は明らかにシャアをいぶかしんでいるものだ。
「この人は…俺の叔父さん!シ…シェイド・アーシタって言うんだ、ははっ……」
「……………………宜しく」
 わざとらしいジュドーを横目で見つつ、五つ目の名前を手に入れたシャアは小声で言い放った。

「……俺の用事、後でいいや。シュリーさんからどうぞ?ちょっとみんな連れて外行って来るから…ファさんも、ね!」
「え、ちょっと、ジュドー…!」
 心底居心地の悪くなってしまったジュドーは、気分転換と余計な人間を追い出すために、カミーユ以外を強引に連れ出そうとした。目の前にいる男がネオ・ジオンの関係者といっても、まさか元総帥を任せるわけにはいかないだろう、と何か予感じみたもの──それはたいていの場合悪い予感なのだが──がした。

 そういうわけで、ファの袖を取って立ち上がらせる。
「あっ!」
 続いて椅子から立ち上がろうとしたミネバが、バランスを崩して床にへたり込む。
「メイファ、だいじょぶか?」
「靴紐が…」
「ジュドー、この子は俺がすぐに連れてくから、先行ってろ」
 紐をなおすミネバを一瞥して、カミーユが言った。ジュドーは一瞬躊躇したが、アハトにはミネバの正体を言ってないことだし、カミーユならばミネバを深入りさせずに、その言葉どおりすぐに連れて来てくれるだろうと思い、それに従うことにした。