Novel

第十七話 ゼブラ・ゾーンへ

 自分がニュータイプ研究所所長となったことを、「愛人のコネだ」と揶揄する人がいた。
 違う。彼女は『それ』を見上げながら、心の中で短く呟いた。

 目の前にある機体は、ネオ・ジオン──シャアのいた新生ネオ・ジオンの方だ──をある意味象徴するシルエットを彼女に見せつけている。
 サイコミュ・システムを組み込んだドーガ系をさらに発展させた、最新鋭機である。もっとも、乗る(予定の)人間がおそらくそれを使いこなせないであろうため、それらのシステムは起動をカットされてある。

「この機体も、今となっては意味が無い…私と同じに」
 ぽつり、と吐き出されたその言葉は、レイド・ルーラの作業員の誰の耳にも届くことなく、虚空に消えていく。

 確かに彼女がニュータイプ研究などという、不安定な要素がたっぷりと入り混じった代物を扱う場を任されたのかを訝しむ声は、当時たくさんあった。
 どちらかと言えば現実主義的な…『女』でありすぎる彼女がそんなところの所長になったのは、それを後押ししてくれた人間の存在によるところが大きい。
 しかしそれでも、彼女にとってはそれも一つの、やり甲斐のある仕事だったのである。決して、身内人事だけのものではなかったはずだ。
 その人間が彼女の前から姿を消した後も、それだけは自身をもって言える。

 だが────

「全て、貴方のためにやるべきことをやりましたのに…それももう、無用になってしまったのですね……」

 再び開いた口から流れ出る言葉。何かのまじないのようにも聞こえるそれは、やはり誰の耳にも入ることなく小さくなっていく。
 ネオ・ジオンは負けた。もうMSもニュータイプも、彼女達には必要が無いのだ。
 今出来ることは、連邦の目の届かぬ地──ゼブラ・ゾーンへと行くだけだ。

 彼女…ナナイ・ミゲルは、シャア・アズナブルが生きていることを、未だ知らない。

 しばらくののち、彼女はデッキをゆったりと後にする。
 この後の予定が詰まっている。レウルーラを脱出して初めて知った、ザビ家の末裔と名乗る少年と、遅れて合流してきた艦とそして自分とで、重要な話があるのだ。

 合流した者の中に、ナナイはある名前を見つけていた。
 あるいは彼なら。シャアの意志を継いでくれるかもしれない。そう信じて。

******

 カミーユは信じられないといった表情で、目の前の女を見た。
「今…何て言いました?」
「ルストール様即位の時まで、貴方にネオ・ジオンの総帥を代行していただきたい…と言ったのです」
 眉ひとつ動かさず、ナナイ・ミゲルは同じことを繰り返す。
 一体何事かと謁見室に自分一人呼び出されて来てみれば、ルストールの傍らに控えた彼女から折り入った話がある、と言われそして今のこの状態に至る。
 この場にいるのは自分とナナイと、そしてここの主たるルストール、後見人のヴェルナーの四人。話が飲み込めずぽかんと口を開けているルストールは、おそらくそういったことを知らされる権限、というのも無いのだろう。

 カミーユは逡巡の後声を絞り出した。
「無茶だ。だいたい俺は、ネオ・ジオンとは何の関係も無い」
「そうだぞナナイ、そんなことできるわけが……」
「殿下は知らないからそう仰るのです。この男は……」
「ナナイ!」

 ルストールの制止も聞かず、ナナイは言葉を継いだ。
 まずいな、とカミーユは思ったが、既に遅かった。

「この男の名はカミーユ・ビダン。かつてシャア・アズナブルがエゥーゴに属していた時に、可能性を見出された存在……」
「……っ」
 何となく感づかれていることくらいは予想はしていたが、こうもあっさりとばらされてしまうとは。カミーユは聞こえないように小さく舌打ちをした。
「シュリー・クライムがカミーユ・ビダン……」
 一方のルストールは、それが意味の無い言葉であるかのようにカミーユの名を呟いている。
 おそらくグリプス戦争のことは昔話か歴史の教科書くらいでしか知らないのだろう。

 参った。これではますます動きづらくなるではないか。
 軽はずみにもネオ・ジオンの懐に身一つで飛び込んだことを、カミーユは少し後悔していた。
 意を決して、口を開く。
 ナナイ・ミゲルは女の狡猾さを持ち合わせている。これ以上隠し通すのは無駄だと判断した。
「別に僕が何者で、貴方にどう評価されていようと構いやしませんがね…」
 より棘を含んだ口調が出てくる。
 確かに自分はシャアの関係者ではあるが、それだけでネオ・ジオンを任されてしまうなど、組織としてどうかしている。
 そんなことを皮肉交じりに言ってすっぱり断ろうとした、その時だった。

「イングズか……どうした」
 それまで沈黙を保っていたヴェルナーが、備え付けの通信機器を手に取り重い口を開く。
 そして次の瞬間、めったに動かぬ彼の表情が驚愕に打ち震える。
「な…何、だと……あのお方が……」
「ラドルフ? どうした?」
 ルストールの言葉さえ聞こえない様子で、彼は今だ震えの治まらない手で通信機を置く。
 次に出てきた言葉に、今度はナナイが驚きの表情を晒すことになる。

「シャア大佐が…生きておられた……」