Novel
父さんの手
どたどたと階段を下りてくる足音に、クラトスは僅かに顔を上げた。
そこを駆け下りて外に出ようとしていた足音の主は、彼が予想したとおりの人物だ。
「ロイド」
屋内ではもう少し静かに歩けという意味で彼──息子を呼び止めると、予想外に満面の笑みでこちらに顔を向けられる。
「お、見ろよクラトス! ジャーン! 80点!」
「…………」
ロイドには伝わっていなかったらしい。彼は手に持った紙(おそらくテスト用紙だろう)を見せびらかすようにクラトスに差し出してみせる。確かにそこにはリフィルの字で80と書いてあった。
「100点満点で80点だぜ! 俺、こんな良い点取ったの初めてでさー」
心から嬉しそうにロイドは言いながら、クラトスの方へと駆けて来る。おそらくこの様子だと、外に出て他のメンバーにも自慢しに行くつもりだったのだろう。ロイドにしては良い点数を取れているので、気持ちは分からないでもないわけだが。
クラトスは親として「その程度のことでそこまで浮かれるな」と言っても良いはずであった。だがそうはならなかった。
「そうか。よくやったな、ロイド」
「え、ああ……」
近くまで寄ってきたロイドの頭に大きな手のひらが置かれた。当のロイドは面食らった表情でそれでも目を合わせられずに視線は泳いでいる。
そう、親として、息子が良い成績を取ったというなら、褒めてやるのが当然だろうと思ったら、クラトスの手は勝手に動いていた。
「……」
「…………」
「……あ、あのー」
「どうした」
心地良いと思っていた沈黙は、目の前で困ったように視線をさまよわせている息子の言葉により終わりを告げる。
「その、手……」
「手……?」
ロイドは怒ったような、それにしては控えめな声で小さくぽつりと呟く。手がどうかしたか、と思い、いまだ彼の頭の上に置かれている右の手のひらをゆるりと動かすと、その下にある息子の表情はますます複雑に歪むばかりで。
「……だから! 手をどけろって言ってんだよ!」
頬を赤くして叫ぶロイドだったが、それだけだった。普段の彼ならば自分でどくかクラトスの手を払うかしているだろう。だが、いつまで経ってもその兆しは訪れない。
しかし怒鳴られては仕方ない。クラトスが名残惜しげに手を離すと、ロイドはそれまで父の触れていた髪をくしゃりと押さえていた。
顔に出ている感情は、怒り、ではない。ある種の照れくささだ。
「ったく……子供扱いすんなよな」
半眼でこちらを睨みながらそうぶつぶつと文句を言っているが、どうにも怒るに怒れないといった風なのである。それが少しおかしくて、クラトスはふっと表情を緩めた。
「あのはしゃぎ様は子供のものだ。それに」
「……それに?」
「いくつになっても、お前が私の子であることに変わりはない」
「…………」
途端にロイドの表情に影が差した。
「……すまない。仕方の無いことを言った」
しばらくののち、クラトスが言う。それでもロイドは顔を上げなかった。
本当は言うつもりは無かったにしても、クラトスが口に出したのは紛れもない事実だ。それを受け入れもしたのだろう。だが頭で分かっていても納得の出来ないこともある。
「私に父と呼ばれる資格が無いことは分かっているつもりだ。だから、顔を上げてくれないか」
「……そうじゃ、なくて」
「?」
相変わらず視線を合わそうとしないロイドに、クラトスは首を傾げた。
「ロイド?」
「昔……小さい頃、父さんに頭撫でてもらったのを、ちょっとだけど、まだ覚えてて……」
ロイドの口からぽつぽつと紡がれる幼い記憶。そのまま耳を傾けていると、ようやく彼は視線を上げた。
「その時の感覚と、さっきのクラトスの手が、おんなじで……だから、一瞬どうしていいか分かんなくなった」
そう語るロイドの目は少なからず戸惑いが含まれている。
「まだ、記憶の中の父さんとあんたが、俺の中で上手く結びつかないのに、手だけはおんなじなんだもんな……」
一瞬、自分の手に視線を落とす。
つまりはこの手の感触のせいで、現在のクラトスと過去の父親を同一視してしまい混乱したということか。
同一人物なのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
との言葉を飲み込んで、クラトスは拳を握った。またうっかり息子の頭を撫でてしまわないように。
僅かに距離を取ると、いつものトーンで話し始める。
「テストを見せに行くのだろう? そろそろイセリアからこちらに戻ってきている頃だと思うが……」
「あ、そうだった! テスト!」
今まですっかり忘れていたとでも言うように、ロイドは手に持ったテストの答案を顔の高さまで掲げてみせる。そして入り口へときびすを返し──走り出しかけて、立ち止まった。
「?」
怪訝そうに息子の行動を見守っていると、ゆっくりと一歩ずつ、こちらへ戻ってきているのが分かった。
「どうした、ロ──……」
「あ……あのさっ! もう一回……頭、撫でてくれ」
クラトスの言葉を遮って聞こえてきた願いに、彼は目を見開いた。握っていたままの拳がふと開きかける。
「……構わんが、お前はいいのか?」
「目ぇつぶってるから、平気だ」
恐る恐るたずねると、ロイドは頷き、直立姿勢で目を閉じた。その様がまるで餌を待つ雛鳥のように感じられた。
なるほど確かに目を閉じてさえいれば、現在のクラトスではなく、過去の父親に撫でられているような錯覚をもたらしてくれるのだろう。
そのことに少し寂しさを感じたが、他ならぬ息子の頼みを断るわけにもいくまい。
手のひらを開き、ロイドの頭に押し当てる。くしゃりとした感触を押し潰すように円を描く形に撫でてやると、緊張気味だったロイドの表情が僅かに緩んでいくのが見えた。
「……父さんの手だ……」
心底安心したような息子の呟きに、父は少しだけ笑みを漏らした。
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あとがき。
父の日からちょっと遅れたけど書いてしまいましたTOS。
あくまで親子ですよ(笑)とりあえず、これは。
漫画で子ロイドが父さんに撫でられてた回想シーンが好きなもので、こんなの書いてみました。