Main Story

Scene01 舞い込んだ依頼

シーンタロット:エグゼク(運命/状況の運命的な変化、進展。偶然の姿を借りた必然的な出来事)


 イエローエリア、アサクサの隅の隅にある雑居ビル。そこの二階に居を構えているのがユーリ・ローウェル探偵事務所だ。その事務所の主は、窓際にもたれかかり外の様子を眺めていた。
 隅田川を隔てた向こう岸に見えるごちゃごちゃとしたスラムの街並みは、既にレッドエリア──無法地帯なのだ。ユーリの今いるこのビルは、正式な市民かそうでないかの境界線の一つ。
 外から漂ってくる濁った川の臭いに顔を顰めながら、ユーリは視線を室内のソファに戻す。

「で、何の用だよおっさん」
「依頼人にその態度はないんじゃなぁい?」
「何が依頼人だ。どうせまたくだらない用事なんだろ。水道が壊れたから修理屋呼んで来いとか」
 飄々としたその依頼人にあからさまな溜息をついてみせてから、ユーリはソファの対面に座り込む。
 彼が依頼人、と呼ぶその男は、少し不思議な風体をしていた。
 くたびれたスーツ姿こそそこらにいるサラリーマンのようにも見えるが、ぼさぼさの黒髪を一つにまとめた頭とはおよそ似つかわしくない。出されたコーヒーに手をつけず、背筋を曲げてソファの背もたれに体重をかけ頭をぽりぽりとかいているだらしない姿とは裏腹に、鋭い眼光だけが異彩を放っている。
 彼が何者なのか、ユーリは詳しくは知らない。ただ“鴉(レイヴン)”というハンドルと、アサクサのユニオンではそれなりに名の知れた情報屋であることは確かである、ということくらいだ。そして、およそ探偵らしくない雑用じみた依頼を持ち込んでくるのも、この男だということも。
 例えば前回の依頼だ。付近に住む老人が「どうしてもプリンが食べたいが体が弱って買いに行けない」とのことで、ユーリをお使いに出させた。ちなみにその時の報酬は三個入りプリンのうちの一つ。甘いものは好きだから報酬に関しては構わないが、どう考えてもN.I.K.の鑑札を掲げた探偵のする仕事ではない。
 その時のことを思い出しうんざりした顔のユーリに、レイヴンはさも心外だ、とでも言いたげに肩をすくめる。
「今回は違うって〜。ほれ、これ見てみ?」
 そう言ってテーブルの上に立体写真(ホロ)を出す。浮かび上がったのは、ユーリよりも少し年下の上等な身なりをした少女の姿。
「この子、軌道で暮らしてるお嬢様なんだけどね、今ちょっと降りてきてるわけよ」
「それで? 今回は人探しか?」
「んー、それもあるけど」
 ホロを切り、レイヴンはやや芝居じみた動きで両手を上げる。
「地上に降りたお姫様を追って、悪者も一緒に降りてきちゃったわけなんだよねえこれが。そのことを知ったN◎VA政府は大慌て! ブラックハウンドまで出して来る始末。騒ぎが大きくなる前に確保したいわけよ、こちらとしちゃ」
「警察が動いてるんなら任せときゃいいだろうが」
「お前さんの一番星が駆り出されててもかい?」
「……!」
 途端にユーリの表情が固まった。
 この男は知っているのだ。ブラックハウンド機動捜査課に所属する、ユーリの半身とも言える親友のことを。
「はっ……アイツらしいな。お役目熱心なこって」
「それにな」
 皮肉にも聞こえる言葉を短く吐いたきり黙り込んでしまったユーリに畳み掛けるように、レイヴンが口角を上げる。
「嬢ちゃんのいたコロニーってのはあのセンター・ラピッズだ。ブラックハウンドと千早の癒着の話は知らないわけじゃねえだろ?」
「…………」
「お宅の親友君……フレンだったっけ? そいつも組織の端末なんだ。利用されて、知らず知らずのうちに悪事の片棒担がされてることだって十分考えられ……」
「……要するに、その悪者とやらにもイヌにも渡さずに連れて来い、ってことだろ。結局面倒事じゃねえか」
 説明が終わるのを待たず、乱暴な音を立ててユーリはソファから立ち上がった。不機嫌な表情を隠そうともせず、レイヴンからホロを奪い取ると再び窓際まで歩いて行き、腕を組んでそこにもたれかかる。
 嫌々といった顔は、それでも僅かに緩められていた。
「しょうがねえ、久し振りの“探偵(フェイト)”らしい仕事だ……受けてやるよ」
 その答えが出るのを待っていたと言う風に、レイヴンがテーブルの上にシルバーを一枚投げるように置いた。ユーリに依頼する時に彼が常に用意する前金だ。
「そう言ってくれると思ってたよ、探偵さん」
「用が済んだらさっさと帰れ」
「へいへい、それじゃあおっさんは帰りますかね」
 視線は窓の外に向けたまま『しっしっ』と手を振るユーリにもう一度肩をすくめて、レイヴンは席を立った。
 ユーリがテーブルに戻り、キャッシュと共に置かれた少女のプロファイルを取るのを確認すると、ドアをくぐろうとする。その背中に、ふと声がかけられる。
「そういや、あんたなんでこんな情報知ってんだよ?」
「ああ、それがねえ、妙な話聞いちゃったのよ。モルディオってニューロ、知ってる?」
「確か木更の変人か? まあ名前くらいはな」
「そうそう、その変人。そいつがさ、件のお姫様とお友達らしいのよ」
「へえ……」
 言われてホロとプロファイルに視線を戻す。その隙に、音も無くレイヴンは事務所から姿を消していた。

「エステ、リーゼ……ねえ」
 ホロの中の少女は無垢な微笑みを浮かべていた。地上の汚れなど何も知らないといった表情だ。
 それらのデータを一緒くたに自分のポケットロンに記憶させると、デスクの裏に隠すように置かれていた一振りの刀を拾い上げる。今のご時世には稀少な、トロン制御のなされない骨董品扱いの代物である。だが、古臭いと言われようがこれがユーリの得物なのだ。探偵を生業とするわりに荒事の方が向いている自信があるゆえの武器。
 刀に巻きつけた紐を左手に握り、右手にはポケットロンを。手早く操作すると、ポケットロン制御用擬似人格プログラムのアイコン──隻眼の犬だ──が浮かび上がった。
「行くぜ、“相棒(バディ)”」
 ポケットロンを懐にしまい、ユーリは事務所を後にした。

Appendix

用語解説

N.I.K.…ユーリの加盟する探偵の互助組織。N.I.K.加盟の証である剣と天秤のマークはそのまま信頼の証でもある。
ブラックハウンド…日本政府直属の公的警察機関。フレンが所属する。
センター・ラピッズ…世界最大企業のひとつ千早グループの所有するコロニー。軌道千早の本社がある。
イヌ…警官。法の番人。N◎VAだけじゃなくて現代でも言うよね。
フェイト…探偵。正義のハードボイルド。ユーリは推理より足捜査。
シルバー…お金の単位。日本円換算して1シルバー=10万円程度。
ニューロ…ハッカー。リタは原作どおりならバサラ(魔術師)なのだが、N◎VAチックにするために敢えて変更したので、あしからず。
木更…木更タタラ街。N◎VA内にある地域の名前。合法非合法問わず、様々な物が集まるブラックマーケットが存在する。
ポケットロン…ポケットサイズのトロン(コンピューター)いわゆる携帯電話のようなもの。“バディ”と呼ばれる擬似人格で制御されている。ユーリのは犬型のラピード。