Main Story

Scene02 黄金の猟犬

シーンタロット:ミストレス(豊穣/母性。女性ゲストの協力。物質的な恩恵を被る)


 ユーリが少女の捜索に出た同刻。

 フレン・シーフォが所属する機動捜査課は、ブラックハウンドの中でも癖の強い者達が集まる特殊な部署である。
 受け持つのは主に凶悪犯罪の初動捜査。もちろん普段のパトロールも規則通りと自主的なものとを問わず行われている。
 だが、曲者揃いのエース部隊と言われても差し支えないこの部署においても、警察組織としての腐敗は深いところまで入り込んでいた。
 フレンはそれに耐え、内部からの自浄を目指したが、同時期に入隊したユーリはブラックハウンドそのものに失望し、やがて隊を抜けていった。

(ユーリ、それでも僕は、僕なりのやり方でこの街を守るよ)

 強い意志を持つこと。自分は法を守る存在であり、法とは人を守る存在なのだと強く、強く思い続けること。そうすることでフレンは、組織の中でいいように使われながら、クグツではなくイヌとしての矜持を持ち続けた。そうしなければ心が折れそうになった。
 ユーリがいなくなってからは特にそうだ。警察組織でありながら汚職が横行し、日本政府や大企業に癒着するブラックハウンドの中で、何度も自分を見失いかけた。
 もう今までのフレンを支えてくれていた彼は自分の道を歩き始めた。それならフレンはフレン自身の道を歩かなければならない。
 呼び出された機動捜査課課長のデスクの前で、フレンはそう思い直し背筋を伸ばした。

 だが彼の決意は、この先の思わぬ再会に再び揺らぐことになる。


「課長、お呼びでしょうか」
「フレン捜査官、まずはこちらを見てください」
 課長のデスクに座るのは、怜悧な印象を与える女性だ。才媛と名高い、千早グループ総帥の養女である彼女が希望したのは、企業ではなく警察であった。そのことはかつてN◎VAでちょっとしたニュースとなり──現在は押しも押されぬやり手として、裏社会の人間から恐れられるようになっている。
 千早冴子とはそういう女だ。
 彼女がフレンに差し出したホロには、ピンク色の髪の少女が映っていた。
「エステリーゼ・シデス・ヒュラッセイン。軌道千早グループの一員であり、現在このトーキョーN◎VAに視察と言う名目で滞在中です」
「この少女が、何か……?」
「彼女の来訪は非公式なのです。誰が手引きしたかも判明していません。そして先日、イワヤトビルに到着したのを最後に彼女は突然消息を絶ちました。依然、行方は掴めていません」
 ホロの画像が切り替わり、イワヤトの外観が映し出される。N◎VAの中央区、象徴とも言える高く聳え立つビルの姿は、他の大企業のアーコロジーともまた違った雰囲気をかもし出している。
「もちろん、既にブラックハウンド捜査一課が中心となって、捜索は開始されています。そこで」
 冴子はいったん言葉を切った。瞳の奥に冷たく宿る光は、落ち着いた物腰の彼女とは裏腹に底知れぬものが感じられて、フレンはそれが少し苦手だった。
「あなたにはこれより、捜査一課と協力してのエステリーゼ嬢の捜索と保護をお願いします。民間の協力者をつのっても構いません」

 フレンはすぐに返事をすることができなかった。恥ずかしい話だが、冴子の視線に一瞬射竦められていたのだ。
「なぜ、自分が……という顔をしていますね?」
「いや、そんなことは……!」
「その理由は三つあります」
 うろたえるフレンに、冴子は表情を変えぬまま指を三本、立ててみせる。理由を三つきっちりと告げる、これは冴子の癖だ。
「ひとつは、軌道の要人である彼女の動向は、ブラックハウンド機動捜査課にとっても重要な意味を持つことであり、その情報をこちらにも仕入れておきたいこと。ふたつめは、彼女は千早の遠縁に当たる方で……つまり私の親戚でもあるということ」
 一見すると身内贔屓の発言と取れるこの言葉さえも、冴子は淡々と言い放った。おそらくそんな生易しいものではないのだろう。千早の内部は、フレンのような末端が想像することさえできない複雑な事情があるのだ。
 冴子が残る一本の指をおとがいに当て、フレンを真正面から見据える。
「みっつめは……この件に関して、元ブラックハウンド捜査官である探偵ユーリ・ローウェルが独自に動いているという情報を掴んだこと」
「ユーリが……っ!」
 気がつくとフレンは叫んでいた。冴子の口からその名前が出てくるとは思わなかった。それがたとえ、元部下の名前だったとしても、だ。
「フレン捜査官、やってくれますね?」
「……了解しました」
「ゴーストハウンドに応援要請を出してあります。以降、そちらと協力して当たってください」
 既に根回しは済んでいた。なんて人だ。フレンは内心驚愕した。
「では、フレン・シーフォ、現場に向かいます」
 敬礼を返し、背を向けても、冴子の表情は彫像のように動かなかった。

「よう、ご苦労さん」
「! ……ああ、レイか」
 出口のドアにもたれかかる黒髪黒ずくめの人影に、フレンの心臓がどきりと跳ねる。ああ、自分は馬鹿だ。しばらく会っていないからって、ユーリと同僚を間違えるなんて。
 第一、目の前のこの黒髪の警官は口は悪いが立派な女性だ。すらりとした長身に、一振りの日本刀を携えてはいるが、フレンと同じくらいの身長のユーリよりは随分と低い。
 “暴走警官”レイ。彼女の凛とした表情は、とてもではないがブラックハウンドの誇る“最凶コンビ”の片割れとは思えない。
「聞いたよ、軌道のお嬢様捜索だって? また面倒な任務回されたな」
「任務に面倒も何も無いよ。君こそ、またやりすぎて謹慎食らったそうじゃないか」
「あれはメモリがだな!」
「いいえ、あれは明らかにレイの独断でした」
「うげっ……なんでいるんだよ」
 ふと視線をめぐらすと、ドアの陰に隠れるようにしてもう一人の少女の姿があった。ゴーストハウンドから機動捜査課へと異動した才女、“最凶コンビ”のもう片割れ、“黄金の記憶”メモリだ。
 メモリはいまだ何事かを喚くレイを無視して、フレンに近づく。
「フレン捜査官、ゴーストハウンドからの応援要員のプロファイルです。以降、連絡はこちらにしてください」
「分かった」
 必要最低限のやり取り。フレンはメモリから送られてきたデータを二秒でIANUSに記憶させる。
「何? 何のデータだ?」
「もう! だからウェットは不便だと前々から言っているんですよ!」
 この二人の痴話喧嘩じみたやり取りも、ブラックハウンド内の名物になっている。本人達はただ単に、互いに忌避の無い意見の応酬をしているだけなのだ。フレンにはそれがよく分かる。
 新人の頃は、彼にもそういう相手がいたからだ。
 そのことを思い出し、無意識にフレンの顔には笑みが浮かんでいた。
「……なんだか二人を見てると、ユーリを思い出すな」
「ユーリ? ユーリ・ローウェル元捜査官ですか?」
「すぐ辞めちまったあいつか? 何でまた……」
 きょとんとするメモリとは対照的に、レイの表情は曇った。自分なりの正道を行きながら、イヌでありつづける彼女と他の道へ進んだユーリ。何か思うところがあるのだろう。フレンだってそうなのだから、おかしくはない。
「……竜二もカールも、ユーリもだ。ブラックハウンドにいたって、正義は貫けるはずだ……!」
「…………」
 絞り出すようなレイの言葉はフレンの本音でもあった。本当はずっとユーリと共にいたかったのだ。おそらく彼がブラックハウンドに残ってくれるのを誰よりも望んだのは、自分だったはずだ。
「ユーリに会ったら、伝えておくよ」
 それだけ言い残して、フレンは機動捜査課を後にした。

Appendix

用語解説

イワヤトビル…N◎VAの政治の中枢を担う超巨大ビル。日本本国への通路でもある。
ゴーストハウンド…ブラックハウンド内の課のひとつ。サイバー犯罪などを担当する電脳のスペシャリスト。
IANUS…ウェブや電子機器と人間の脳を直接繋ぐためのインターフェースシステム。ヤヌスと読む。
ウェット…サイバーウェアを一切装着していない人のこと。ナマ。現在のN◎VAには珍しい。
竜二…藤咲竜二。元ブラックハウンドにして現藤咲組組長。
カール…カール・シュッツ。その正体は北米系マフィアカーライル・シンジケートの殺人会社マーダーインクのカーポ(ボス)ドン・クーゲル。