Main Story
Scene03 ウィザード・イン・マーケット
シーンタロット:タタラ(智恵/大局が見える。問題解決の糸口を発見。インスピレーション)
ウェブには何でもある。
イントロンさえすれば、できないことはない。なら、生身で活動することの意味って何だろう?
ショッピング。そんなの“災厄(ハザード)”前の太古の昔から、ウェブ上の通販で賄える。
食事。栄養補給なら定期的にサプリメントを体に摂取できるウェアがあるし、味覚を刺激するパッチドラッグくらいは、今時子供のお小遣いでも買える。
他人との会話、触れ合いだってウェブを通して話せばいい(そもそも会話の必要すらなく用事は済ませられる)。生の感情だって、ロジカルに制御できるプログラムさえ存在する。
それでもあたしは、世のニューロたちのように、全てをトロンに依存して、自らの肉体で出歩かなくなることはしなかった。歩くと疲れるし、ご飯やお風呂や生理現象の処理なんかをする時間がもったいないと思うときもある。
だけど、完全に電脳世界の住人だったAI達が自我を持ち、子をなすようにまでなって、より人間に近い存在──ううん、もはや市民IDまで取得した人間そのもの──となったそこに、何かがある。電脳聖母が惹かれる何かが、“外界(マンデイン)”にはあるはずなのだ。
あたしは、それを探したい。
N◎VAアサクサ最大のショッピングモール、ウェンズデイマーケットに程近い場所に、こじんまりとした事務所があった。
木目調の看板に黒の明朝体で打ち出されている『ユニオン本部』の文字は、熱心に掃除する者がいるのだろう、安物ながら丁寧に水拭きされた跡がうかがえる。
リタ・モルディオは、その事務所の入り口、受付に座る不思議な髪型の少年を前に、仁王立ちしていた。
「で、あの女はどこよ?」
「あの女って、ジュディスのこと?」
少年──これでも一応、立派なユニオンの構成員であるカロル・カペル──の質問に、じろりと視線のみで答えると、少年はびくっと肩を震わせる。どうやら聞き返さずとも察しろ、ということが分かったのだろう。彼はカウンターから外に出ておずおずと外を指差した。
「ジュディスなら、バイトだよ」
「バイト?」
「うん、中央区のカフェレストランのウェイトレスだって」
「へー、よくあんなの雇う店なんかあったわねぇ……」
ジュディスという名のあの女のウェイトレス姿を想像してみる。“災厄”前のおとぎ話に出てくる妖精のような尖った耳と、自在に動かせる触手のような髪の毛、とヒルコじみた外見を持つあの女が、今となっては珍しいウェットサービスの代名詞のような仕事である接客業をやるなんて。
愛想の良い整った顔立ちとはちきれんばかりのコスチュームの一部分(リタが逆立ちしても得られないものだ)とで、おそらく客からの人気はいいであろう様がありありと浮かんでくる。もしかしたら、これはこれで彼女の天職かもしれない。
「しっかし行き違いになっちゃったか、参ったわね……」
頭をガシガシとかきながら(こういった何気ない仕草すらニューロにとっては不必要な動作であるのだが、彼女はそういうことを自覚していない)リタは事務所を後にしようとカロルに背を向ける。
「どこ行くの?」
「買い物。せっかくアサクサまで来たんだし、たまには生身でショッピングもいいでしょ」
「トロンなら、タタラ街の方が品揃えいいんじゃない?」
「だから、たまにはって言ってるでしょ!」
結局ここじゃ収穫なかったし、と頭の中だけで呟いて、リタはこれからの予定をざっと並べ立ててみる。IANUSを通してリタの視界に今日一日のタイムスケジュールを刻んだ予定表が浮かび上がった。
その中の一点に視線を巡らしただけで、可愛らしいピンク色のマーカーが記される。何とも味のある筆跡で『おかいもの』と書かれたそのスケジュール表は、リタ以外の誰にも(ハックしようとさえしなければ)見られることはない。
ちょうどいい。今月は確か、前々から目をつけていたにゃんこのグッズが発売になっているはずだ。天下の腕利き、“ウィザード級”のリタ・モルディオが、こんなファンシーなものを集めているなんて知られるのは我ながら恥ずかしいけれど、今回は人探しのついでだから、きっと構わない。うん、構わないよね。
そう、ついでなのだ。リタの本当の目的、それは彼女が電脳の海を漂うだけではなく、“現実(マンデイン)”へと降りてくるきっかけとなった、彼女の大切な友人と探すことであった。
ウェブでは万能を誇るウィザード級ニューロのリタと違って、あの友人は膨大だが定められたライブラリ内を閲覧することしか許されていなかった。そこへこっそりと侵入し、色々なことを教えてあげたのがリタだ。
トロンによる心理制御などせずとも得られる友情とはこういうものなのか。その時の新鮮な感動はリタにとっても大いなる刺激をもたらした。電子ドラッグなんかとは比べ物にならないくらい心地良い。
「……エステリーゼ」
呟いた名前は、いまだに少し照れくさい響きを残しているけれども。
「じゃね」
「あ、うん。行ってらっしゃい、リタ」
カロルに手をひらひらと振ってみせると、リタはアサクサユニオンを後にしようとした。だが入り口には、思わぬ人物が彼女の行く手を遮るように立っていた。
「おぉっと、電脳少女。お探しものなら、今日はウェンズデイマーケットより千早アーコロジーの方がいいわよ?」
「!?」
「あ、レイヴン」
身を乗り出したカロルがぽかんと口を開ける。
くたびれたスーツ、クグツにはあまりふさわしくないぼさぼさのちょんまげ頭に、姿勢を崩した体勢でドアにもたれかかっている。
「掘り出し物が見つかるかもねぇ?」
鋭い眼光。リタにはこの男が真実を言っているという確信があった。
友人のアイコンがウェブ上から消えた時期と、その友人がこのトーキョーN◎VAで行方不明になっているらしいという情報をこのレイヴンから受け取った時期、不思議に一致する。いや、あるいは不思議でもなんでもないのだろう。レイヴンを──情報屋だと自称する彼を信じるなら。
リタの友人は今、中央区にいるらしい、ということ。
「ま、話半分に受け取っとくわ」
「お代はぁ、ジュディスちゃんの3サイズ聞いてくるのでいいわよ〜」
「誰が聞くかっ!?」
すれ違いざま、レイヴンの脳天に一発、チョップを叩き込む。「のごっ!?」という鶏の首を絞め殺したような悲鳴が上がり、レイヴンが地べたにうずくまっていたが、リタは気にしないことにした。
どうせ話半分なのだ。どこか自分を偽り、のらりくらりと会話を交わすこの男に真面目に付き合ってやることなどないのだから。
事務所を出て歩きながら、リタは先程のスケジュール帳から『おかいもの』の字を削除した。
Appendix
用語解説
イントロン…トロン(コンピューター)を使用してウェブにアクセスすること。
AI達が自我を持ち…ニューロエイジでは寧々さんはお前らのリアル彼女になるとは限らない。寧々さん自身が、一人の男性を選ぶ権利を持つのだ。
市民ID…戸籍のようなもの。IDの無い者は“Xランク”すなわち『存在しない人物』として扱われる。
ヒルコ…遺伝子改造や突然変異などで生まれたミュータント。クリティア族をN◎VAでそのまま再現するとミュータントにしかならない。困った。
ウィザード級…ニューロ達のランクの中では最上級を示す。つまりリタは超スゲエイカス腕利きニューロだ。
アーコロジー…完全環境都市型建造物。生まれてから死ぬまでこの中で生活できるとまで言われる。