Main Story
Scene08 神はサイコロを振らないかわりにカードをめくる
シーンタロット:カリスマ(啓蒙/宗教、あるいは世俗的影響力の介入。権力。罪の恩赦)
ユーリに案内されたアサクサの街は、エステルが思っていたのよりずっとエネルギーに満ち溢れていて、スリリングで、そして、言ってしまえば彼女は歓迎されてはいなかった。
紹介された自分を見るなり急に顔を青くした少年に引っ張り込まれるようにして入ったユニオンの事務所で、エステルはその洗礼を受けることになった。
「あの、はじめまし……」
「ゆゆゆゆユーリ! 大変だよーっ!!」
「お、どうしたカロル先生」
ドアが閉じられると、少年は大変焦った様子でユーリにしがみついた。一方のユーリは、いつものじゃれ合いのように思っているらしく、少年の頭をぽんっと撫でると軽くあしらうようなそぶりを見せた。
少年──カロルの頭からは、既にエステルが隣にいることがすっぽ抜けている。それほど混乱しているのだろう。
「あ、あの……」
改めてエステルは少年に声をかけようとした。しかし。
「どうしたじゃないよ! 何してきたのさ!」
「何って、何がだ?」
「ちょっとニュース見てよ!」
「あのー……」
会話はすべてエステルを無視して進められていた。
挨拶する暇もない。いや、彼女にだって分かっているのだ。この混乱は自分自身がイワヤトから抜け出したことがおそらく発端で、ことは彼女自身が思っているのより大きな事態に膨れ上がっていることは。
ふと、ニュースを映し出す家庭用DAKに目を向けてみる。スーツをぴしっと着こなしたスタジオトーキーが、決して嘘ではない、しかし真実でもないニュースを淡々と告げている。
画面にはエステルのホロが映し出され、他人事ではないということを彼女に強く実感させた。
「だからね、ユーリが大変なことに……!」
「あんたが軌道のお姫様を攫って、追いかけてきたブラックハウンドの捜査官を殺した……ってことになってるみたいよ」
「はぁ?」
要領を得ないカロルにかわり端的に説明する声があった。部屋の隅でチョーカー型のタップをいじっている少女だ。
ここへ来て、ようやくユーリもニュースの内容を把握したらしく、中性的な整った顔立ちを微妙に歪ませている。
ニュースの概要はこうだ。
容疑者ユーリ・ローウェルは今日の午前中、イワヤトビル近くで千早グループ軌道支社役員のエステリーゼを誘拐し、追いかけてきたブラックハウンド捜査官のキュモールを殺害した、と。
少女はなおも容赦なく続けた。
「で、ご丁寧にそのお姫様を連れてきてくれちゃったってワケね」
ちらりと少女がエステルを見た。覚えがある。あのイントロン中の独特の仕草やアイコンの形。一度覚えたものを忘れたことは決してない。
「もしかして……リタ?」
名前を呼ばれ、少女がぴくりと肩を揺らしてから何故か視線が外された。そっぽを向いた少女の頬が少し赤い。
「……う」
それまでタップをいじっていた手を止め、リタはこくりと頷く。その次の瞬間、エステルは自分を取り巻く状況のことを忘れて少女のもとへ駆け寄った。
「やっぱりリタです! わたしです、エステリーゼです! わあ……本当に会えるなんて、嬉しいです!」
「ま、まあ……あたしも……って! 今はそれどころじゃないでしょ!?」
「……そうでしたね、ごめんなさい」
「いや、べ、別に謝んなくたって……」
エステルがウェブ上で出会ったリタとイメージがぴったり一致した。千早の回線にこっそりと侵入してきていろんな話をしてくれた少女は、照れくささをぶっきらぼうな態度に隠してしまうのだ。
だがリタのそんな態度は、他の人にとっては初めて見るものだった。きゃっきゃと戯れる二人の少女を、周囲は驚愕の表情で見つめていた。
「…………ってだからそうじゃなくて!」
リタが首をぶんぶんと振る。既にエステルを置いてくつろぎかけていた男をびしっと指差すと、再びいつもの調子でまくし立てる。
「どうすんの? 真実がどうであれ、こんなニュースが流れてるのは事実よ。あんた、このままじゃ破滅よ!」
「そう言われてもなぁ」
頭をかきながら、ユーリが事務所の机の陰から日本刀を取り出した。それをくるりと回して見せ、
「オレ、今日はここに刀ずっと置いてたんだが……」
「今持ってちゃ意味ないでしょ! どうせ最初から持ってたことにされるんだから!」
「そうだよ、ユーリ」
「え?」
短く、呆れたように男の名を呼ぶ声は、事務所の入り口から聞こえてきた。カロルはユーリを隠すことは考えても、人が入れないようにしておくまでには至らなかったらしい。
勝手知ったる風に小さくお辞儀だけして上り込む制服姿には、皆見覚えがあった。
「ぶ、ブラックハウンド!?」
「今は非番だから、気にしないでくれ。それよりも……」
知った顔とはいえ、制服姿のまま厳しい表情をしたフレンに怯えるカロルを宥めて奥に下がらせると、フレンはまっすぐにユーリに向かって行く。
「ユーリ、一体どういうことなんだ。君がエステリーゼ様を攫って、ブラックハウンドの捜査官を殺したって……」
「オレだって分かんねえよ」
「本人が分からなくても、令状は正式なものだ。こうなってしまっては、僕にもどうすることもできない……」
フレンは俯き、拳を震わせた。一介の警察官では、この陰謀に巻き込まれた大切な人を助けることはできないのだ。
やがて意を決して、フレンは顔を上げる。
「ユーリ、この街を出るんだ」
「なんで」
「お願いだユーリ、君を死なせたくはない」
「待てって、フレ……」
そう言ってユーリの肩を掴むフレンは悲痛な表情をしていた。ユーリだって、嫌そうな返事をしているけれど、何も対案を示さないということは、同じく方法がないということなのだろう。
二人のただならぬ様子に、エステルは胸の前で拳を握りしめた。
どうすることもできない事態? そんなものはないはずだ。必ずある、ユーリを助ける方法が。
「……待ってください!」
気がつけばエステルは、二人の前まで歩み出て声を張り上げていた。
「こんなのおかしいです。ユーリはずっとわたしと一緒にいたんですよ? 冤罪じゃないですか」
「ですが、エステリーゼ様が現在ユーリと共にいる事実、ユーリが武器を所持している事実、キュモールが殺害されたという事実……これだけあれば、証拠をでっち上げるのは容易いことです」
「いいえ!」
彼女を振り返り、半ば諦めの表情を向ける二人に、首をふるりと横に振る。
「それは事実のほんの一部、真実ではありません。ユーリは殺してはいませんし、わたしは誘拐されたのではありません。彼の汚名はわたしが晴らしてみせます!」
「おい、エステル……」
「お借りします!」
「え、ちょ、エステル!?」
いまだ同じニュースを流し続けるDAKの前に立つと、エステルは慣れた手つきでイントロンした。彼女しか知らない、軌道千早のパスコードを打ち込むと、瞬く間に一般家庭用のただのDAKは世界一の企業の脳髄へと変わっていく。
「わたしです。今日報道された事件のデータを……はい、全てです。はい……はい、それです。分かりました、3日もあれば十分です。ありがとうございます」
映像が消えて2秒……アウトロン。
「ふぅ……」
思わず安堵の息を漏らし、振り返ると皆目を丸くしてエステルを見つめていた。
「エステル……何、やったんだ?」
「千早グループから圧力をかけて、ユーリの指名手配に関するすべてを一時的に止めてもらいました。今のうちに、真犯人を探しましょう!」
「探しましょう、って……お前、自分の目的はいいのかよ?」
「これはわたしの勘ですけど、この事件とわたしの知りたいこと、何か関係があるんじゃないかって思うんです」
決意のこもった瞳で、エステルは身を乗り出した。
「だから、協力させてください」
反対する要素はどこにも見当たらなかった。
Appendix
用語解説
DAK…トーキョーN◎VA世界におけるコンピューターの統一規格で、一般的な家庭用・公衆用コンピューター端末の総称。
トーキー…報道員。記者・リポーターなど。メディアの力は侮れない。
リタのコネ…PC3であるリタは、PC4であるエステルに対し<コネ>技能を取得している。エステルはリタに友情を感じているとし、関係は<感情>とした。
ユーリの罪状…神業の効果によるもの。原作とは違い、ユーリは殺していないが、無実の罪をきせられ指名手配されている。
どうすることもできない…神業に対抗できるのは神業だけである。フレンは罪を打ち消す効果を持つ神業を持っていない。
同じく方法がない…実はユーリは、神業による対抗手段を持っているのだが、他との兼ね合いの結果神業の効果を通した。シーンプレイヤーであるエステルに見せ場を譲ったことにもなる。
アウトロン…イントロン状態を解除しウェブと神経の接続を切断すること。
一時的に…ユーリの逮捕に待ったをかけたのは、エステルの神業の効果によるものであるが、ブラックハウンドを買収した神業まで同時に打ち消すことはできない。事件を解決しない限り、いつかはまたユーリに罪が被せられる可能性がある。