Novel

小さな絆・アナザー

 紫の制服であふれるスケート場に一人だけ、前の学校の白い制服を着た少女がぎこちないながらもゆっくりと銀板を滑っている。
 目の前を通り過ぎていく少女を見送って、柊は安堵の息を漏らした。
「エリス……大丈夫みたいだな」

 輝明学園高等部二年生は、本日スケート教室に参加することになっていた。
 彼は本当は三年生なのだが、とある事情により二年生に学年が下がっているため、仕方なく出席しているのだ。にもかかわらず、率先して志宝エリス──先程通り過ぎて行った白い制服の少女だ──の面倒を見ているあたり、本来の人の良さが伺える。
 そんな柊は、現在、学年が下がったうえに留年するかもしれないという、世界の危機と同等のピンチに陥っていた。なのでエリスが自分の手を借りずとも滑れるようになった今こそ、それに対処すべく動く時なのである。

 が。

「さあ柊さん、行きましょうか」
「……は?」
 引率の先生に、今回の課外授業を無遅刻でやって来たということを認めてもらうための交渉へと繰り出そうとしていた柊の目の前に、ちょこんと小さな手が差し出される。
 手の持ち主を目で追っていくと、やはりいた。柊が今一番会いたくなかった人物が。
「アンゼロットぉぉぉぉ!? お前っ、帰ったんじゃなかったのかよ!?」
「誰がそんなことを言いましたか。それより早くわたくしの手を取ってください」
「え……え?」
「ちゃーんとエスコートしてくださいね?」
「ちょ、え? えぇっ!?」
 状況がつかめない柊の手を強引に引き、アンゼロットはリンクの中へと歩き出した。もちろんその足には、いつのまにかスケートシューズが履かれている。わけも分からず、柊は勢いに押されて滑り出した。
 そして。


「……」
 ぷるぷる。
「なあ、アンゼロット」
「…………」
 ぷるぷる。
「滑れないんなら、無理して滑らなくてもいいんじゃねえか?」
「う、うるさいですよ柊さんっ」
「……はぁ」
 リンクの端っこの方で、アンゼロットは柊の手を片方ずつぎゅっと握り、ぷるぷる震えたまま立ち尽くしていた。滑るどころか、歩くことすらままならないらしい。
「い、いいですか? 絶対、ぜったい、ぜぇっっったいに! 手を放してはいけません!」
「滑れねえんだったら外出ろよ!」
「黙りなさいっ、あ、きゃあっ!?」
 叫んだ拍子に、アンゼロットのスケートシューズが滑り出す。バランスを崩し、彼女は氷の上に倒れるかと思われた、が。
「よっ……と」
「あ……」
 柊が咄嗟に腕を差し出し、アンゼロットの小柄な体を抱き留めていた。
「大丈夫か?」
「え、は、はい……あの、柊さ……」
 顔を上げるとアンゼロット言葉の途中で押し黙った。すぐ目の前で、怪訝そうな表情でこちらをのぞき込んでいる柊の顔がある。
「な、何でもありませんわ! ほ、ほら、いつまでも抱きついてないで!」
 柊の体を押す。見た感じの腕力ではとても敵いそうにはないのだが、そこはそれ、レベル無限大の力でなんとかする。
 朱に染まった顔を隠すように、アンゼロットが柊から離れると、柊の小さな呟きが漏れた。
「あ」
「……何です?」
 ちらりと振り向く。柊はほっとした顔も残念そうな顔も見せず、ただアンゼロットを指差し、少々呆れたようにしている。その顔が、今度は急に緩んだ。何か面白いものでも見たかのように。
「ちゃんと立ててるぜ、お前」
「……え?」
 言われてアンゼロットが自分の体を見下ろしてみると、確かに彼女は柊の支えを借りず、自分の力で氷の上に立てていた。
「やった……じゃなくて! ふふふ、どうやらわたくしの本当の力をお見せする時が来たようですわね」
「ったく……調子に乗りやがって」
 途端に得意気になったアンゼロットに溜息をついて、柊は再び手を差し出した。

「立てたら次は歩いて、それから滑る練習だろ。ほら、行くぞ」
「柊さんったら……そこまで言うのでしたら、特別に付き合わせて差し上げます」
「えらそーに!」
 普段の調子の二人に戻る。柊の差し伸べた手をアンゼロットが取り、そして再び、マンツーマンでのスケート教室が始まった。

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あとがき。

アニメ7話のスケート教室ネタでした。ホントはこの後物語が急展開したりで忙しいんですが……
でも柊アンゼ的なIFということで!アンゼルートだとこうなるって感じを目指してみました。
柊は常に共通ルートを通って誰のルートにも入りませんからねえ(笑)