Novel

Middle:3〜仮面の下の涙〜

 異様に寝苦しい夜だった。
 他の三人はどうか知らないが、少なくともクリスにはそう感じられた。
 暗闇の中に、起き上がったクリスの金の髪がさらりとこぼれるさまが浮かび上がる。

 広い、部屋だった。
 『ガイアの種子』とやらを探す旅の出発を明日に控え、フォア・ローゼスのメンバーそれぞれに個室が与えられているのだ。それも途方もなく豪華な。
 普通の宿の部屋がたっぷり二部屋分丸々入りそうな面積と、クリスが三人は寝転がれそうな巨大なベッド。そしてそこかしこに置かれた高級そうな調度品。
 こんな贅沢な宿を取ったことは今までにないし、神殿仕えをしていた時だって同様だ。基本的に質素な生活をしていたのだ。
 慣れない。きっと、なかなか寝付けないのもそのせいだ。
 自分以外に人気のない部屋は寒々しく、クリスはめくれたシーツを肩にかける。
「……やはり、落ち着かないな」
 苦笑しながら呟く。野宿などに比べれば、よほど快適な環境にいるはずなのに。いや、むしろクリスが今まで経験したことがないほどの厚待遇だ。
 それなのに、今いるふかふかのだだっ広いベッドよりも、野営で張ったテントの中の方が居心地がいいようにすら感じられる。
「寒……」
 肌寒い、と感じたのはどうやら気のせいではないらしい。シーツを掴んだまま己をかき抱くようにすると、ふと窓の方へ目をやった。

 そして見る。
 屋根の上に立つ、一人の男の姿を。

 どこか見覚えのあるシルエットだった。
 ローブを着込んだ、長身痩躯。頭には、いかにも魔術師ですと主張しているかのような尖った帽子。そして杖。
 いまだ立ち込める霧のおかげで、月の光だけではうっすらとしか分からないが、おそらくは、こちらを向いている。
「……?」
 明らかに不審だ。クリスは目をこすってみた。やはり男の影がある。
「レントじゃ……ないよな?」
 立ち上がり、ふらふらと窓の方に近づきながら一つの可能性を口にする。が、もちろん自分で言った通り、その可能性はゼロに近い。レントは付き合いも短いしいまだ謎も多いが、少なくとも初めて来た城の屋根の上に佇んで何かを仕掛けるような奴ではない。

 と、なれば。

「まさか……」
 窓ガラスに手を当て、思い当たったもう一つの可能性を頭の中で提示する。
 それだって、そいつはレントと同じく、屋根の上に佇むような奴ではなかったが、そのことに思い至った時、クリスの胸がざわりと鳴った。
「……トラン?」
 口に出す。
 まさかそんなことが、あるはずがない。
 彼の亡骸を地に還したのは、他ならぬ自分なのだ。
 それでも、頭では分かっていても、その考えがこびり付いて離れない。あの男が、もしかしたら──……

「!!」

 窓を開けようとした、その時。
 男は身を翻し、屋根の上を滑るように走り出した。
「! 待て!!」

 焦り、クリスは寝間着に神官服の上着だけを羽織って部屋を飛び出した。
 もし自分の推測が正しければ、彼を見間違えるはずがない。
 三年も追い続け、やっと見つけたと思ったら今度は敵対しながらも同じギルドに所属することになり、気がつけばもうすっかり仲間として認識していた。
 ──もしかしたら、彼を一番信頼していたのは自分かもしれないという自覚すらある。
 そんな男のことを、クリスが見間違えるはずがないのだ。

(お前なのか、トラン)

 走りながら、胸を締め付けられるかのような感覚に襲われる。息が切れただけなのか、それとも懐旧の念なのか、自分でも分からなかった。
 長い長い回廊を、男が去ったと思われる方向を目指して、ただ走った。

 そして幾度目かの角を曲がり、一つ一つに大きめのバルコニーのついた、クリスの背丈の二倍ほどもある大きな窓がいくつも並ぶそこを通り抜けようとした時。
「────いた!」
 短く叫び、急ブレーキをかける。そうしている間にも、先程ちらりと見えた屋根の上の影がまた消えてしまうのではないかと焦燥に駆られる。
 窓の一つを開け、バルコニーの際まで駆け寄ると、クリスは屋根の上の男に向かった。

「トラン!」
「!」
 男が声に反応して、僅かにその影が揺れる。
「トランなんだろう!?」
「…………」
 霧の向こうに、おぼろげに浮かぶ月。その光だけが二人を照らす。
 男は黙ったまま、ゆっくりとクリスを振り向いた。顔は影になっていてよく見えない。
「…………」
「……トラン?」
 目が慣れてきた。三度、名を呼ぶと、ようやく男はクリスの方に完全に向き直る。
 その瞬間を狙ったように風が吹きぬけ、二人の間にかかっていた靄のような霧が晴れた。
「え──……」
 きっと見られると思っていた顔はしかし見えない。クリスは目を丸くした。

 月の光に浮かび上がる男の顔は、仮面に隠されていた。

「……な、」
 その仮面も、かつて彼が忠誠を誓っていたダイナストカバルを象徴する大首領デザインのものではない、もっとシンプルなものだ。
 それまで言葉に詰まっていたクリスの口から、溜め込んでいた様々な疑問が湧いて出てくる。
「何で顔を隠して……いや、そんなことより生きていたならどうして……そもそも、何で逃げるんだ!? 大体、お前は本当にトランなのか!?」
「…………」
「答えろっ!」

 混乱する。
 男は何も答えなかった。
 だからこそ、『トランだ』と確信した己自身が信じられなくなる。
 あるいはこの邂逅は、『トランであって欲しい』という己の願望が生み出した、ただの幻──
(そんなはずがない!)
 クリスは浮かんだ自分の考えを首を振って追い出す。
「答えろ、トラン……お前がトランなら、何か言ってくれ!!」
 切にクリスは叫ぶ。
 だが、男がそれに答えることはなかった。
 別人である、との証明なのかそれとも何かわけがあるのか。そこまではクリスにも分からない。

 再び生じた霧に溶けるように男の姿が掻き消える。
 後には、呆然と手摺を掴むクリスのみが残された。

「……トラン」

 俯き、最後にもう一度、仲間の名を呟く。
 たっぷりと水分を含んだ夜の空気が、クリスの体を急速に冷やしていった。

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あとがき。
……ええと。最初に言っておく。ク リ ト ラ じ ゃ な い で す よ(笑)
まあでも、そのわりにトラントラントラン言い過ぎだとは思いますが……
と、いうワケで! 司、兄ちゃんついにやったよ! 仮面セプター出した!(笑)

夕凪時雨さんより、この回の挿絵をいただきました!
こちらよりどうぞ!

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おまけ。

クリス「そんな感じで、私の声が霧の中に響くのです」
GM「ではそれがフェードアウトしながらシーンが切れるよ」
レント「……仮面……いや、いいですけどね、あれNPCだし」
GM「何を言う。キミの死んだキャラが変態になって再登場するのはお約束だろう。ほら、スケアクロウとか(笑)」
レント「ダミーの一発キャラじゃねえかっ!?」
クリス「何っ! 変態は許しませんよ?」
レント「お約束じゃねえし変態でもねえよっ!? 第一、仮面はアンタのお約束だ!」
GM「……うひひ(笑)」