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Climax:6〜王国の終焉〜
城のテラスからのぞく青。
霧が徐々に晴れていっているのが分かる。
それを確認すると同時に、城を浮かせていた力が失われたのか、床が再び鳴動を始めた。
降下していく城。疵一つなかった大理石の床がひび割れ、ゴゴゴゴ……と轟く音と共に崩れ始める。誰の目にも明らかな、王国の崩壊。
「え、ええと……っ」
焦り、ノエルはあたりをきょろきょろと見回す。彼女から見て後方、『粛清』に吹き飛ばされたトランがよろよろと立ち上がっている。見つめる前方には、同じくよろよろとノエルに近づいてくる三人の姿が。
一歩、前に踏み出る。両手剣を引きずって、前方に声をかけに。
「は、そうですっ、トランさんにヒールを……」
最後まで言うことは叶わなかった。
「……え?」
こちらにゆっくりと近づいてくる三人と、ノエルとの間に、ひときわ大きな亀裂が入った。
「あぅわぁぁああああ〜っ!?」
手をバタバタさせて、ノエルは何とか踏みとどまった。彼女のすぐ目と鼻の先に巨大な大理石の壁がせり上がっていた。
「あぁっ……み、みなさん……!」
視界が閉ざされ、ノエルは狼狽する。壁は横にも広がって、もう向こう側へ行くことは無理だ。
全員生きて勝利したと思ったのに。このまま引き離されてしまうのか。
「……大丈夫ですよ」
ふと、背中から落ち着いた声がかかる。振り向くとトランがすぐそばまで来ていた。
「トランさん……?」
「この城は、エリンディルの大地とも繋がっています。彼らはちゃんと、戻っていますよ」
少しかがんで微笑むトランに、僅かに安堵の表情を向ける。
「じゃあ、あたし達も無事に帰れるんですね?」
「…………」
トランはその問いには答えなかった。ただ、微笑みを浮かべたまま、ノエルの頭を軽く叩く。
「……トランさん?」
崩壊の音が近くまでやって来ていた。
トランを見上げる。吹き飛んだ帽子のおかげで紫がかった髪があらわになり、激突の影響でそれらは乱れ放題だ。
それを気にする風でもなく、トランは表情を引き締めると、口を開いた。
「わたしは、ここに残ります」
「……え」
彼の言葉を一瞬信じられずに、ノエルは目を見開く。
意味を反芻する。だがその意図を推し量るほどの時間は無かった。
戦いに勝利し、誰一人欠けることなく、そして帰り道もある。それなのに、何故。
ローブの袖を掴んで、焦った声を出す。
「そんな、駄目ですよぅ、一緒に帰りましょう!?」
「粛清装置のコアが破壊された今、城は崩壊を始めます……あまねく世界に現出したこの城を放っておけば、各世界ごと消えてしまうかもしれません」
キッと視線を強め、トランは玉座の方を見ていた。その顔に浮かぶのは、確固たる決意。
「ええっ……!」
「ですから、完全に消失する前に、この城をあらゆる次元から切り離します」
「そんなことできるんですか……?」
「ええ」
不安そうに見上げるノエルにもう一度微笑みを返すと、トランは袖口を掴んでいる彼女の手に自分の手を重ねて、そっと離させる。
小柄な少女とはいえ、ノエルは経験を積んだ戦士だ。通常ならば魔術師のひ弱な力では振り解けなかったかもしれない。けれどこの時は、ノエルにもたらされた事実が、トランが彼女を振り切るための手助けをしていた。意外にもあっさりとその手は離される。
「粛清と同化していたおかげで、知識を共有していましたからね。それくらいは、わたしでもできると思います」
そう説明しながら一歩離れる。ノエルはすぐに追ってきた。
「そんな……せっかく戻ってこれたのに……もうお別れなんて、寂しすぎますよ! あたしだって、他のみんなだってきっと」
「ノエル。わたしは既に死んだ身です。世の理に逆らってまで、生き続けることは出来ません」
「でもっ!」
肩をいからせ詰め寄ってくるノエル。苦笑を漏らして、ノエルの両肩に手を置き、それをなだめるとトランは小さく嘆息した。
「仕方ない……」
一瞬、心苦しそうな顔をした、気がした。だがそれも一瞬のこと。いつもと同じ微笑みで、トランは優しく語りかける。
「……ノエル」
「は……」
聞き返そうとした瞬間。
ふわり、とノエルの体が風に包まれる。足元にあったはずの大理石は既に崩壊を始めていて、踏みしめることもできない。
彼に肩を押されたのだと気づいた時にはもう遅かった。
次元の奔流に飲み込まれる。
ノエルは目の前のトランに手を伸ばした。すぐそばまで近づいていたのに、どれだけ伸ばしても彼の姿は遠ざかるばかり──……
「トランさ……っ」
必死で名前を呼ぶ。もうトランの声すらも聞こえない位置まで流されていた。きっとこのまま、もといたエリンディル世界へと飛ばされてしまうのだ。トランを置いて。
また、置いて。
視界が涙で滲んだ。
次の再会はきっと笑顔でと決めていたのに、それがノエルには少し悔しかった。
霞んでいく風景の中最後に見えたものは、壊れゆく城にぽつりと浮かんだトランの姿。
──さようなら、ノエル。またいつか──……
聞こえはしなかったが、それが彼の別れの言葉なのだなと、ノエルは思った。トランの唇がそう言っているのだと心のどこかで認識した所で、ノエルの意識は薄れていった。
──そして霧は晴れ、全ての世界は、青い空を取り戻した。
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あとがき。
今回は短めに。
というかシーン登場キャラを二人にしたら、意外なほど短くなってしまった、というのが正直な所。
次はいよいよエンディングです!