Novel

恋愛トラブルが基本です?

 ぞくり。

 よく知る、だがいつものそれとは違う気配を感じ、アルはふと手を止めた。
 それまで全神経を傾けていた机の前のものから意識を背後に移し、身構える──背中に感じたのは、美しき刺客の振るう冷たい刃ではなく、何か、やわらかいもの。
「ナーシア!? ……何やってんだ?」
「当てている」
 何しに来た、との問いは直前でそう変わった。背後の人物は、アルがよく知る淡々とした口調のままでそう答えると、背中のやわらかいものがいっそう圧力を増した。
 同時に、彼女の口元がふっと緩む。ついで、しなやかな細い腕がアルの首に回されるのに気付き、そこでアルはようやくペンを置いた。

「当てんなっ!? つーか何でいるんだお前っ!」
 振り返り、そう叫んだアルの顔は真っ赤に染まっていた。彼女──ナーシアはちぇ、と呟いて腕を引っ込める。
「アルは今、小説を書くために城で待機中、と聞いた。だから……」
「まさか、グラスウェルズが何か……!?」
 瞬時にアルの頭の中が切り替わる。すぐ脇に置いておいた愛用の二本の剣を横目で確認し、それに手を伸ばそうとした。だが瞬間、ナーシアの白い腕がやんわりとアルを押しとどめる。
「……だから、鬼のいぬ間に……会いに来た」
「…………は?」
「もうそろそろ、紳士協定の時間は終わりにしないと」
「ちょっと待て! 話がよく分かんねえよっ……!?」
「黙って」
「……っ……!」

 ナーシアが、アルの口を塞いだ。そのかわりにナーシアもまた口を塞ぐことになる方法で。

「なっ……」
 やがてたっぷりと唇の感触を楽しんだ後、ナーシアは体を放す。その頃にはアルは赤くなったまま口をぱくぱくと動かすくらいしかできなくなっていた。
 ナーシアはそんな状態のアルに何も答えることなく、油断無く周囲を警戒する。普段どおりの彼女のように。
「鬼が帰ってきた。もう行かなきゃ……残念。もう少しじっくり行きたかったけれど」
「……?」
「でも、気配で私を分かってくれたのは嬉しかった。じゃあね」
 くすりと微笑んで、ナーシアは未だ動けないままでいるアルの唇にもう一度軽く触れると、さっと身を翻した。
 部屋の外からは、急いでいる風の複数の足音がこちらへ向かっている。

 アルがそちらへ一瞬だけ注意を向けた隙に、ナーシアの姿はそこから消えていた。

「……何だったんだ?」
 感触の残る唇に無意識に触れ、アルはぽつりと呟いた。

 何かの危機を感じ取り、遠征していた女王一行が飛んで戻ってきたのは、その直後のこと──

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小説執筆中アルの総受け小話、第一弾はナーシア編です。今回のテーマは『鬼の居ぬ間に洗濯』(笑)
この方はフェリタニア人ではないし、性格上紳士協定は結んで無いよなあ…と。英魔さまだし。
このお題はなるべく順番に更新していきたいと思います。一応、オチは決めてます。