Novel
あなたの淋しい夜に魔法をかけよう
彼の前方を照らすのは、小さな松明の火のみ。
それを持ち前を歩く、ローブの男。
ついに想いを告げられず逝ってしまったあの男によく似た、しかし決して同じではない男。
「……いつまで歩かせる気だ」
「黙ってついて来い。本来ならば、神官の入ること叶わぬ場所だ。文句を言うな」
「…………」
愚痴のように前を歩く男に言っても、返ってくるのはそんな淡々とした言葉のみ。
だいたいここまで連れて来たの誰だよと、彼──クリスは息を吐いた。
「寝言がうるさい。というか、トラントラントランうるさい」
彼らが今、永遠とも思われるほど長い地下通路を夜中ひっそりと歩いているのは、前を歩くレント=セプターの溜息混じりのそんな言葉がはじまりだった。
クリスとしては、何か反論したかった所だが、おそらく事実なのだろう、その点については何も言い返せなかった。
彼の夢の中にはかなりの確率でトランが現れる。さすがに夢の内容まではばれてはいないだろうが、レントの安眠を妨害するほどうるさいのかと思うと、少し心苦しい部分もあった。
そして彼は言ったのだ。『そのものではないが、トランに会わせてやる』……と。
「だが、何でお前がそんなこと……する義理はないだろ?」
「義理はないが、毎晩呻かれては迷惑だ。わたしの安眠のためにもっとも適切な手段だと判断した。……それに」
言葉を切り、歩き始めてから初めてレントは立ち止まる。
ちらりと後ろを振り返り、クリスを一瞬だけ見遣った。
何かを思い出すように、目を伏せる。
「わたしの記憶回路の一部に、トランのバックアップが使われている。そこにお前のことも記されてあった。……トランがお前を好いていた、ということも」
「……初耳だぞ」
「言い出せなかったのだろう。悪の組織に属するものが、神官に恋をしたなどと」
驚き、瞑目するクリスを置いて、レントは再び歩き出した。数歩進んだ所で、再び立ち止まる──そこにあったのは、重そうな金属製の扉。クリスの位置からではよく見えないが、普通のドアではなく、スライド式になっている、珍しいものだ。
レントが手元のパネルを操作すると、軋んだ音を立てながら扉が開かれる。
中の様子は暗くて全くよく見えないが、それにもかまわず、クリスを置いてすたすたと先に進み出た。
追うように駆けてきたクリスが見たものは、人間が一人入れそうな大きさのいくつもの巨大なカプセルと、その一つの前に立つレントの姿。
「これが一番『近い』な」
呟くと、再びなにやらパネルを操作し、短く何事かを唱える。
ほどなく、禁は解かれ、空気の漏れ出す音と白い煙と共に、カプセルのガラス部分の蓋が開く。
「え……」
煙が晴れ、中から出てきた『それ』に、クリスは言葉を失った。
そこに現れたのは、もう手の届かない所へ逝った、あの男の姿そのものだった。
固まったクリスをよそに、レントは出てきた『彼』に静かに告げる。『彼』が生まれて初めて聞くコマンドワード。
「今よりお前の名は『トラン=セプター』。指令を下す……かの者、クリス=ファーディナントに仕えよ」
「承知いたしました……」
『彼』は声もトランとそっくりだった。ただ、レント以上に感情のこもっていない、平坦な口調のみが違う。
ゆったりとした足取りで、『彼』はいまだ呆然と立ち尽くすクリスの眼前まで歩み出ると、そこへ膝を折った。
「クリス=ファーディナント様……今より、あなたにお仕え致します。何なりとお申し付けください」
俯いた『彼』の表情は、目深に被った帽子も手伝ってクリスからは見えない。『彼』は服装すら、あの時イジンデルで最後に見たトランと同じだった。
「どういうことだ……」
「…………」
ぽつり、と独り言のようにもたらされたクリスの疑問に答えるものはそこにはいない。
再度、声を張り上げる。無意識に目の前の『彼』から視線をそらし、レントを睨みつける。
「レント! これはどういうことだっ!」
「どういうも何も、お前に『トラン』を与えてやった。人造人間の一人くらいなら、わたしの権限で動かせ……」
「違うだろ、こいつはトランじゃないだろ!」
「記憶が無いのが不満なら、わたしの中に残るバックアップを移植してやろう」
「メモリーと実感は違うと、お前だって言って……おい!」
すべきことはした、とでも言いたげに、レントはそこを離れるともと来た道を引き返す。クリスの怒声などどこ吹く風だ。
そういう、人の話を聞かない所はトランに似ている、とは思ったが、彼はあくまでレントという一個人であり、トランではない。そのことはよく分かっていた。一卵性双生児が全く同一の人格にはならないように、トランと同じ記憶回路、同じ部品を使っていても、二人は別人なのだ。
第一、トランならばこういう時は簡単な代用品で済ませるようなことはしない。
僅かな憤懣をおぼえつつ、レントの後を追う。二人──いや、『彼』も入れて三人か。彼らはその日取っていた宿まで戻っていった。
何とも用意がいいことに、レントはその日、部屋を三つ用意していた。女性陣の使用するツイン部屋、そしてシングルが二つ。
さっさとシングルの一つに入り込むと、レントはもうそこからは出てこなかった。文句を言いにクリスが部屋を訪れても、反応は返ってこない。
一方のクリスの部屋。憮然とした表情でベッドに腰を落ち着けたクリスの傍らに、『彼』が跪いていた。
『彼』はクリスが動かない限り、何の反応も示さない。
レントがかつて話していたことだが、通常、ダイナストカバルの人造人間は、製造カプセルの中で知識や知恵を学ぶ。大首領への忠誠心も、その時に植え付けられる。
だが、この『彼』は、レントが独断でカプセルから出したもののため、色々な所が抜けているのだそうだ。自律活動なども行うことのできない、本当に、ただの人形。
ただし名を与えられたため、アイデンティティのみは一人前に。命を受けたため、それについては非常に優秀な働きをしてくれる。
だけど。
「お前はトランじゃない……」
「わたしはトラン=セプターと名付けられました。お気に召さないのであれば、あなたが新しい名を付けてください」
「…………」
そんなものは思いつかない。クリスは膝に拳をつき合わせ、項垂れた。
トランと同じ顔、同じ声で、機械のように喋る『彼』。
こいつはトランではない、と頭の中で分かってはいる。クリスにとってのトランは、今までずっと共に旅を続けてきた、あのトランしかいないのだ。
ずしり、と。
物言わぬ身となったトランを抱えて神殿を去った時のことが思い浮かぶ。あの時の感触を、トランの重みを忘れたことはない。いや、むしろ時間が経ち、新たな仲間が増えてギルドが落ち着いたからこそ、より鮮明に思い出すのだ。夢にまで見る。
泣きそうな声で呟く。
「トラン……」
「はい」
「お前じゃない……っ」
淡々とした、小さな返事だった。けれどもそれすらも今のクリスには心を粟立てるものでしかない。
気付くと、足元に傅く『彼』の胸倉を掴み上げて引き立たせ、自分が今まで座っていたベッドに投げ降ろしていた。
「なんで……」
遂に声に涙が混じる。クリスは膝をつき、ベッドに上半身を伏していた。顔が上げられない。
「なんで、アイツと同じ声で……同じ顔で……」
「…………」
「うぅ……」
「…………」
「お前がトランだっていうんなら、何か言えよ……っ」
「たく。しょーがない人ですね」
「……? え、え?」
突然降ってきた言葉に、思わず顔を上げる。きょろきょろとあたりを見渡して、部屋の中に自分と『彼』しかいないのを確認して、また少し、沈んだ気持ちになる。
「空耳……?」
「何をたわけたことを。目の前に寝転んでる体をよく見なさい」
声はクリスの頭上、『彼』を投げ出したベッドの上の方から聞こえていた。
袖口で涙を拭き、赤くなった目もそのままに『彼』を見る──……
先程と変わらぬ『彼』の姿。しかし違っていたのは。
「やはり戻ってきて正解だったようです」
そう言って手を伸ばし、クリスの頭を撫でているその仕草も、表情も、口調も。先程までの『彼』とは何もかもが違う。
「……トラン、なのか?」
「わたしでなくて誰だと言うんですか」
「アイツがお前の演技をしてるってわけじゃないんだよな?」
「何でそう疑り深いかな……」
呆れた口調。それすらも、かつて共にしたトランのもの。
幼子に言って諭すように、クリスの髪をサラサラと撫でながら。
「本人ですよ。この体が一番元のわたしに近かったので、少しの間お借りしているんです」
「……?」
僅かな身じろぎ。クリスが首をかしげたのだと分かった。
それでも、伝えておきたいことがある。トランは口を休めなかった。静かに、生前の彼そのままに、言い聞かせるように説明を続けた。
「人は死ぬと、その魂は一時的に幽界へと行きます。そしてそこで転生を待つ。しかし……今回は、本当に特別なケースでしょうね。心残りがあったために、少しだけ、わたしに時間を与えてくれた」
「心残り?」
「イジンデルで倒れた時、後悔することは何もないと思っていましたが……やはり伝えておくべきだった。あなたが好きだと」
「!!」
伝えられる、事実。いや、事実のみならば先刻レントより聞かされていたことだった。だが今やっと実感する。本人の口から聞けたのだ。
「俺だって……!」
頭にあるトランの手を振り払い、クリスはがばりと身を起こした。その先は言葉にならない。
「俺だって、お前が……っ」
やっとの思いでそれだけ吐き出すと、トランの体のあるすぐ脇に顔を埋めて、肩を震わせる。
軽く息を吐き、トランはやれやれと笑ってみせた。振り払われた手のひらは、しばし所在なげに宙を彷徨っていたが、再び伏したクリスの頭の上に置かれ、軽くぽんぽんと揺すってみる。
トランなりの照れ隠しだ。そして多少戸惑いがちに、
「……これは参りました。まさか両思いだったとは。やはり、生きているうちに言っておくべきでした……」
「いいじゃないか、そのために蘇ってきてくれたんだろう……?」
「いえ、そういうわけにはいかないのです」
くぐもった声が聞こえ、トランは寂しげに首を振る。その理由が分からず、クリスは頭の上の手を取ると、身を乗り出した。
「困ったことになりましたね。わたしの予定では、想いが通じるまでこの体に取り憑いてやろうと思っていたのですが……」
「何か、問題があるのか?」
「たった今、想いが通じてしまいました。心残りがなくなってしまったので……幽界に帰らなければいけなくなりました」
「えぇっ!?」
驚きの声を上げて、クリスが詰め寄ってきた。その勢いに部屋の灯りがふっと揺らぐ。
いつの間にか、お互い睫毛を数えられるくらいにまで、二人は近づいていた。
その睫毛を伏せがちにして、クリスが恐る恐る訊ねる。
「……あと、どのくらいいられるんだ?」
「夜明けまで、といった所でしょうか……、……? クリス? 何をやって……」
「夜明けまで、だな。分かった……」
「だから何がっ?」
「俺は心残りが大有りだ!」
「? ……っ!?」
急に目の前が暗くなる。灯りが遮られて、かわりに目に入ってきたのは、光源届かぬ金糸の髪。
唇には何か柔らかい感触。息苦しさを感じる前にそれが少し離れて、次いで深い色の眼差しがトランを覗き込み、やっと自分が完全に覆い被さられていることを理解した。
その金糸の持ち主が、切なる願いを吐き出す。
「一晩だ……一晩しかないんだぞ。それまでに、二人でしたいことをできるだけやっておきたい」
「したい、こと?」
「トラン……お前が欲しい。一晩で一生分愛してやる」
「は、恥ずかしいことを……」
普段の二人ならばからかって終わりの、むずがゆい言葉。だが、今の二人には違う意味を持って響いた。
鋭く言い返す舌を持たず、トランは目を伏せると黙り込んだ。
ゆっくりと息を吐いて、やっと了承の言葉を返すのみ。
「……分かりましたよ。そのかわり……優しくしてくださいね」
「すまん、無理だ」
「即答!?」
「一晩で一生分だぞ! そんな余裕があるか」
切羽詰まったクリスの返答に、幾度目かの溜息を漏らす。どうやらもう諦めた方がいいようだ。
彼の心情を察するに、例え確約させても、実際にどうなるか分からない……いや、確実にその約束は破られるだろう。
せめて、とトランは自らの胸元を差す。かつての自分とほぼ同じパーツで構成された、今夜限りの入れ物を。
「……借り物の体です。壊さないでくださいよ?」
「…………善処する」
「そこで考え込まないでくださいっ!」
時を戻したかのような、軽いレスポンスはその後も度々飛び交った。少しだけ、いつもの調子を取り戻したように錯覚した。昔に戻ったかのように錯覚した。
だかこれは限りある魔法の時間。二人だけに、この二人だからこそ与えられた、特別な時間だ。
そんなことを考えながら、トランは荒々しい手つきに身を委ねた。せめて今くらいは、そのことは忘れよう。
全ては夜明けまでの──……
---
あとがき(?)
後略。一日限定復活、らぶらぶバージョンでした。クリスは普通にしてても主人公台詞を吐ける子。
燃えバージョンが連載で展開される前にアップしておかなければ(笑)
それにしても何気にレントが酷い奴……
---
おまけ
GM「と、いうワケで、夜明けと共にトランの意識は……」
クリス「また会えるんだよな!?」
トラン「さあ?」
クリス「あ、会えるんだよな!? これで終わりじゃないよなっ!?」
GM「……」
クリス「おい……っ」
GM「うひひ(笑)」
クリス「何か企んでるーっ!?」
……あ、この話と連載は繋がってませんからね?(笑)