Novel

その指先から世界が生まれる

「待ってください」
 階下の酒場へ消えようとするエイプリルの袖口にほころびがあるのを目ざとく見つけ、トランは彼女を呼び止める。
 美貌の大犯罪者がゆるりとトランを振り向くと、ウェーブした金糸の髪が彼の眼前を舞った。
 思わず見惚れてしまう。

「……何だ?」
 呼び止められたものの、固まっているトランをほとんど睨むように見る。彼はすぐに意識を取り戻したようで、自分の袖の裾をちょいちょい、と引っ張って示す。
 エイプリルも自分の袖口を見てみる……なるほどそこは、連日の冒険やら激闘やらのおかげか、ほつれて赤い糸が飛び出していた。
「このくらい、構わんだろう」
「いけません」
「おい……」
 軽く突っぱねるが、トランはしぶとかった。
 ほつれた方の袖を取ると、もう片方の手で懐を探っている。
 怪訝に思い、それを見ている……懐から出てきたのは裁縫道具だった。

「……お前……いつもそんなもの持ち歩いてるのか」
「色々ありまして」
 エイプリルは柳眉をひくひくとさせていたが、トランは特に気にした風もなく、片手だけで器用に針に糸を通している。
 ってこれはもしかして。
「おい、まさかとは思うが……ここで直すつもりか?」
「そのつもりですが」
「いらんと言ってるだろう」
「すぐ済みますよ」
 淡々と言いながら、犬歯で糸を切る。本気で手馴れた様子なのが裁縫などとは程遠い所にいるエイプリルにすら理解できた。

 結局、エイプリルには彼を止めることができず。

「…………」
「うむ、我ながら完璧」
 顎に手をやり満足気に頷いているトランを尻目に、見事に縫い終わった、繕った跡ひとつ見つからない己の袖口に目を見張るばかりだった。
 時間にしてものの数分とかかっていない。
 少なくとも、『待たされる』感覚が一分たりともなかったあたり、神速の神業と言っていいだろう。
「いつどこでこんなスキルを手に入れたんだか……」
 溜息と共に吐き出す。感心したというよりはむしろ呆れたという方が近い。
「ダイナストカバルは貧乏所帯ですからね。このくらいなら手縫いで何とかなりますから」
「……なるほど」
 答えるトランに、もう一つ溜息で返す。
「所帯じみているのはそのせいか」
「余計なお世話です」
 両者とも半眼で呻く。

 少しの間、沈黙が流れた。

「……まあ、しかし」
「ご迷惑でしたか?」
「そんなことはない。借りができたな」
「別に、それほどのことでは……」

 言いかけて、トランは口をつぐんだ。
 そしてしばしの思案の後、再び、何やら深刻に、告げる。
「もし、借りを返してくださるというのなら……」
「?」
 いつにない、真剣なトランの様子にエイプリルは向き直った。彼がこんな表情をするのは命がけのダンジョントライアルくらいのものだ。

「……エイプリル」

 そして彼の口から、重々しく告げられる。

「……髪型を縦ロールにしてみてくれませんか?」
「…………は?」

 エイプリルは固まった。
 トランの表情は先程の真剣な眼差しのままだったから。

 たっぷり10秒は溜めて、エイプリルは地獄の底から轟くような声を響かせた。

「何でそんなことをする必要がある」
「ノエルはショートですから巻けませんし、クリスなんか巻いても楽しくありませんから」
「…………」
 しれっとそんなことを言うトランに、エイプリルは今度は30秒ほど固まった。


 その後。

 この世の終わりのような顔をして豪華な縦ロールの金髪を揺らすエイプリルと。
 それを見ながらご満悦の表情を浮かべるトランの姿があったとか、なかったとか。

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あとがき(?)

トワイライトとアライブのおかげで発覚したトランの中の人の性癖(笑)
縦ロールが好きだなんて、間違いなく王子の証拠。