Novel

いちにのさんで、目を開け

 夜明け前。
 クリスは寝苦しさに目を覚ました。

 そして驚きのあまり、そのまま硬直する。

(お、お、落ち着け……)

 古来、落ち着けと自分に言い聞かせている人間は絶対落ち着いていないという例に漏れず、この時のクリスは極度の混乱状態に陥っていた。

 現在、クリスが寝ている……寝ているはず、の場所は、今日着いたこの街でとったばかりのこじんまりしたツインルーム、そのベッドの一つ。
 一人用のベッドだから、当然一人で寝てちょうどいい大きさに作られている。

 だが、先程感じた妙な暑苦しさ。
 明らかに自分の体温とは違う生暖かさを持ったシーツ。
 そして。

(な、なんで……)

 クリスの文字通り目と鼻の先にある、よく見知った人の顔。
 僅かに赤みのかかった黒い髪は、今は夜の闇に紛れてつやのない漆黒に。
 日中、皮肉げに自分を見下ろしているはずの目は閉じられていて、さらに横になっているため高さに関してのアドバンテージも今はない。
 極めつけは、かぶったシーツが僅かにずれた箇所からのぞく肌色の──……

(落ち着け俺!!)

 隣に『奴』が寝ている、その事実をそれ以上この目で確認することに耐えられず、クリスは綺麗に仰向けになるとぎゅっと目を瞑った。

(いちにのさん、だ。いちにのさんでもう一度目を開けて、それでまだアイツがいたら、その時考えるということで……!)

 心なしか呼吸が荒くなる。
 トランが目を覚ます気配は全くなかった。
 昂った神経を何とか抑えつつ、カウントスタート。

(いち、にの……)

 ここで心も決まる。

「…………さん!」

 決意の程は声に出てしまい、クリスはそんなことを叫びながら再び目を開けた。
「……あれ?」
 先程と同じ方向、同じ場所をまじまじと見つめてみる。
 トランがいたと思われる場所には、何もなくなっていた。

 一気に気が抜ける。
「な、なんだ……そうだよな、そんなことあるはずないよな」
 ほっと息を吐いて、寝返りを打つ。安心したためか、クリスはその時警戒心を全く持ち合わせていなかった。
 反対方向を向いた時、最初に目に飛び込んできたのはトランだった。
「ってうわぁっ!?」
 思わず飛び退る。
 勢い、ベッドから落ちかけたが、ぐっとこらえてクリスは目をしぱたかせた。
 今度こそ。今度こそ目を瞑ってみっつ数えて、そうしたら今度もきっと消えてくれるに違いない。
 そう念じて目を閉じ……る前に、嫌でも視界に入ってくるものがある。
「……ん?」
 なぜか目が離せなくなり、クリスは『それ』をじっと見つめた。

「トランの奴、やけに小さく……って」

 結果、真相が判明した。が、それはある意味残酷な真実だった。
 そうと分かった今、クリスはわなわなと肩を震わせていた……おもに、己の失態に。

 彼が目を離せなくなった『それ』は、人の顔サイズのぬいぐるみだった。
「ま、まさか……こんなものを本人と間違えるだなんて……っ」
 その『本人』とやらに知られたら、きっとしばらく笑いものにされるほどの一大事である。
「い、今の、聞かれてないよな? まだ寝てるよな!?」
 万が一トランの目が覚めていた時に見つからないよう、咄嗟にシーツをかぶると、隣のベッドのある方向をシーツとシーツの隙間から覗き見る。
 そこにはベッドなどなく、質素な板壁があるばかり。
「……?」

 一体何なんだ。わけ分からん。
 シーツの間から頭だけ出して、確認してみる。そこはやはりただの壁だ。
 その時だった。

「寝言はもう少し静かに言ってもらえませんか?」

 聞き慣れた声は、クリスの背後からかけられていた。
「と、トラン!?」
「ああ、起きてましたか」
 振り返る。
 反対側にあるはずの──少なくともクリスが昨夜眠りにつくときはそういう位置関係だった──もう一つのベッド。それと、今自分が横になっているベッドとの間に。
 件の人物が立っていた。

 どうやら既に夜が明けていたらしい。窓の外は薄明るくなりつつあり、トランの髪が光の加減で少しぼやけて見える。
 そのトランは、クリスが起きているのを確認すると、ふむ、と何かを思案するように。
「起きていたのなら、言い方を変えましょう……寝言は寝て言え」
「寝言じゃないっ!」
 がばりと起き上がる。

「それよりお前、幻術か何かでも使ったのか? なんで俺のベッドで寝てて、三秒後には消えてるんだ!? そしてなんでベッドが入れ替わって……」
「ちょっと待って。一つ、確認させてください。……『俺のベッド』?」
「? 何言ってるんだ、俺が寝てたんだから俺のベッドだろう……?」
 質問の意図がつかめず首を傾げるクリスに、トランは大袈裟に溜息をついてみせた。
「分かりました。いいでしょう、理解力の足らない神殿野郎のために順を追って説明しましょう」

 なんだその引っ掛かる言い方はと文句を言う前に、トランはある方向を指差した。
 現在クリスがいるベッドではない方の、もう一つのベッド。その枕元には見覚えのある神官服と、朝日にきらめくウィガールが丁寧に置かれてある。
「……アレ?」
「理解できたようですね。今あなたがいるのは、元々わたしのベッドです」
「待て! じゃあ、なんで俺は今こっちで寝てたんだ!?」
「何を言ってるんですかあなたは。寝ぼけてわたしのベッドに上がりこんだのはそちらでしょう」
「…………」

 不覚だ。クリスは言葉を失った。
 全く覚えていない。

 しばらくして、ようやく紡ぎだした言葉は何だかとても混乱していた。
「そ、それじゃあさっきお前のマジ寝顔が見えたのは……? その後三秒後に反対方向に現れたお前の寝顔がぬいぐるみになっ……」
「ああ、そういえばちょっとだけ動く気配がしましたね……かれこれ一時間ほど前ですが」
「い、一時間!?」
 さらに混乱する。
 トランの寝顔が(クリスの中では)ぬいぐるみに変わったのは──正確に言えば、見間違えたのは──ついさっきのことではないか。

 トランは冷静に、彼の言葉を頭の中で組み立てる。
「三秒経ってから目を開いた、と言いましたね。……ぶっちゃけ、数かぞえてる間にまた寝たんじゃないですか?」
 ミもフタもない、乱暴な結論だった。
 だがトランの中では、それ以外に答えはない。なぜなら、ベッドに上がりこんできたクリスのおかげで目を覚ましたのがちょうど今から一時間くらい前だからだ。
 加えて、クリスが数えたらしい「…………さん!」との叫び声を、彼はつい先程、つまりトランのぬいぐるみが完成し、それをベッドに置いた後で聞いている。
「間違いないでしょう。原因はクリスの凄いタイムラグです」

「……魔法、とか、使ってないよな……?」
 恐る恐る聞いてみる。まさかあんなに騒いだ原因が自分にあるなどと、クリスは思いたくなかった。
「わたしは視覚を惑わす術は得意ではありません。アタック、サポート、ヒーリング。これが主な魔法ですから」
「じゃああれは、見間違い、か……?」
「わたしが目を覚ました時、あなたはきっちり仰向けになってぐっすりと眠っていました。わたしは目が冴えたのでそのまま起きて、明るくなってきてからノエルに頼まれたぬいぐるみを作っていました」
「その、ぬいぐるみって、もしかして……」
「一応、出来上がった分はベッドに置いておいたんですが……」
 もしかしてこれか、と思いながら、クリスは手の中にあるもにゅもにゅした感触を掴んで出してみる。
「これか?」
「それです」
 トランの形をしたぬいぐるみがその手に握られていた。

「……しかしまあ」
 クリスの手の中とクリス本人とを交互に見ながら、トランはいつもの笑みを浮かべた。
「そのぬいぐるみと本人を間違えるだなんて」
「ぐっ……」
 コイツ気付いてやがった。しかも言いやがった。クリスは歯噛みした。
 さっき見た時の寝顔はあんなに可愛……っとと、ゲフンゲフン。ともかく、起きると非常に嫌な奴だというのを今更ながらに思い出す。
 クリスの葛藤に気付かぬ……あるいは気付かないふりをしているのか、ニヤニヤとトランは続けた。
「そんなに飢えていたとは、わたしも罪な男ですね」
 本気かどうか分からない、わざとらしい言葉。
「う、うう、うるさい!」
 だが今のクリスには覿面だったようで。
 顔を真っ赤にしてトランに食って掛かる。
 寝起きとはいえ、ひ弱なトランが壁役を務めるクリスの腕力に敵うはずもなく、あっさりと捕まった。その腕にトランをとらえたまま、凄んでみせる。

「いいか、今日のことは誰にも言うな! 特にあの二人! 絶対!!」
「さあ……どうしましょう?」
「言ったら本気で襲う!」
「悪の幹部に恐喝、しかも強姦宣言ですかぁ〜、全くこれだから神殿は」
「ぐぬぬぬぬ……!!」
 必死の形相であらぬことを口走るクリスを、トランがのらりくらりとかわしていく。
 そんな彼らの日常が、今日も幕を開けるのであった──


「日常じゃねええーっ!!」

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あとがき(?)

やはり私はヘタレ攻めが好きみたいです。もちろんかっこいいクリスも好きなんですが。
「普段はかっこいいのに受けさん限定でヘタレる」っていうのがツボみたいです。
っていうか、私が書くとどうしてもヘタレになるみたいですorz