Novel
思いがけない暖かさに
まずった。
こういう事態に陥らないよう、十分注意する必要があったのに。……特に自分の場合は。
テーブルに肘をついて、向かいの席で楽しそうにお喋りする七緒を見る。
「でもよかったー、あれからずっと連絡取れなかったんだもの。会いたいって思ってたんだよ」
(俺は会いたくなかったよ)
心の中で呟いたそれは、半分だけ嘘だった。
会いたくない、わけがない。ふとしたきっかけで彼女のことを思い出すたびに、狂おしいまでの懐かしさに胸を支配されるというのに。
夢見るオーヴァード"タイム&アゲイン"、その力を使わせないために、隼人は七緒の前に姿を現すわけにはいかなかった。
それでもあの時、立ち去ることが出来なかったのは、彼女に思い残しがあるから。
会いたくない、と思ったのだって、こうなることを怖れてのことだ。
だというのに、いまだ隼人は彼女と共にいた。
七緒の傍に、いた。
「それでね、この間──」
隼人の心情など知る由もなく、七緒は久しぶりに会った友人を前にして楽しそうに話を続けている。幸せそうな笑顔だ。
この笑顔を守るために、隼人は戦ったことがあった。だがそれも、自分自身の失態のおかげでいとも簡単に失われてしまう可能性がある。
隼人は七緒の話に適当に相槌をうっていたが、そんな思いからか、その表情は浮かないものだった。
「……高崎君?」
「え?」
悟られたのか、七緒が不思議そうに隼人を見ていた。次の瞬間には申し訳なさそうな表情になる。
「ごめんね、私ばっかりお話しちゃって……あの、迷惑だった……?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
どもりながら、隼人は目の前に置かれたコーヒーカップの中身をかき混ぜる。ほとんど口をつけられていないそれは、すっかり冷めて、コーヒーとミルクが隔離した状態になっている。
まるでオーヴァードと一般人の決して相容れない現状のようだ。
ふとそんなことを思い、躍起になって隼人はスプーンをぐりぐりとまわした。
「……た、高崎君?」
「……は、え?」
気付くと七緒が困ったような笑みを浮かべてこちらを見ている。正確に言えば、カップをかき混ぜている隼人の手を──だ。
「ええと、ここ、コーヒーのおかわりは無料だけど……頼もうか?」
「い、いやっ、いいよ! それより、俺……」
しどろもどろな隼人に救いのように鳴り響いたのは、彼の携帯電話のメロディーだった。
「……はい、何だ椿かよ、お前……」
『何だじゃないわよ、一体どこで油売ってるの? もうこっちは双枝支部に着いたわよ』
「そ、そうか。悪い、ちょっと野暮用で……」
『感慨深いのは分かるけど、任務のことは忘れないで。ヒカル支部長も待ってるんだから……早く来なさいよ』
「分かってるって、じゃあ、すぐ行くから」
電話の主は椿だった。
ほとんど一方的に隼人に用件を捲くし立て、手短に切る。しかも向こうの方が正論のため、隼人の反撃の余地はない。
だが今は、彼女からの通信が非常にありがたい。
携帯をしまい、席に戻る。見上げてくる七緒に、申し訳なさそうに、しかし内心助かったというように──実際は、とても名残惜しげに──告げる。
「悪い、楠森。ちょっと急用できて……金、置いとくから」
ポケットからごそごそと小銭を探り出し、乱暴にテーブルの上に置くと、足早にそこを去る。
「あっ、高崎君、待っ……」
背後からかけられる声に、どうしようもなく後ろ髪を引かれる気がした。それを振り切り、隼人は外に出る。
外はいつの間にか、雨模様だった。
「あっちゃー……」
思わず立ち止まる。
雨など気にせず、走って行けばよかった。隼人の足なら、双枝支部までそう時間もかからない。
だけど、立ち止まってしまった。
「待ってよ、高崎君!」
「!」
そして振り返ってから、また後悔するのだ。
どうして走って行かなかったのかと。
あの後、急いで店を出たのだろう、七緒が息を切らせて隼人の隣に来ていた。
(何でだ? なんで七緒を振り切れない?)
一緒にいられて嬉しい、という心と裏腹に、焦りは増すばかりだった。
「高崎君……怒ってる?」
「なんで、そう思うんだよ」
「だって、そんな顔してる……ごめんなさい、私嬉しくって……だから、高崎君の都合も聞かず引き止めたりして……」
「そういうんじゃねえんだ……俺は」
お前と会うわけにいかなかったんだ。
その一言は、突然の雷に遮られる。
「……季節柄、っつっても、妙にいきなりだな……」
「最近は、毎日こんなだよ」
「そうなのか?」
並んで前を向く七緒の、横顔を見る。彼女はぼうっと、ほんの数センチ先に降る雨粒を見ていた。
「うん……毎日夕立。それに、雷も。結構近くて……きゃっ」
「うおっ……」
ひときわ大きな雷鳴がした。光があってからコンマ数秒と経っていない。かなり近い。
だが隼人が反応したのはそこではなかった。
「く、楠森……」
「あ……ご、ごめんなさいっ」
隣の七緒が、雷の音に驚き隼人の腕にしがみついていた。
彼女自身、無意識だったようで、事態に気がつくと顔を真っ赤にして飛び退る。
触れた腕の暖かさが、隼人の心を掻き乱した。
「──やっぱ俺、行くわ。送ってやれなくて悪い」
「えっ……」
それから数秒と経たないうち。
隼人はそう言い捨てると、雨の中を走り出した。
これ以上一緒にいたら、何をしでかすか分からない。あれ以上の失態を犯すわけにはいかない──……
呆気に取られる七緒の姿が瞬く間に小さくなり、やがて見えなくなる。
それでも隼人はスピードを緩めなかった。
ただ、わけもなく、触れられてすらいない頬が熱かった。
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あとがき。
動きだしてしまいました。とりあえず、デート(?)が書けたので満足。
これ書くために一巻を読み直して悶え苦しんだ(笑)
まだまだ続きます!