Novel

ただ、君と居たいと

「遅れましたーっ! 高崎隼人、入りまーす!!」
 けたたましい音を立てて扉が開かれる。
 ハヌマーン・シンドロームのトップスピードは、ソニックブームさえ引き起こし、空気を切り裂くのだ。
 旋風収まり、部屋の中にいた者達は、やっと遅刻者の顔を見た。
 皆、髪が乱れ放題だったが、その中にただ一人、平然と微笑みを浮かべながら彼を見つめる女性の姿があった。
「隼人! 何やってたのよ、もう……」
「まあまあ、椿ちゃん、落ち着いて。隼人君も、以後気をつけるように。いいわね?」
「……はい、すんません……」
 毒気を抜かれたように、二人とも静まる。
 女性が今度はにこりと微笑む。と、一瞬、その姿がぶれる。

「……支部長?」
「まいったわねぇ……ここん所、ずっとこうなのよ」
 なんとか安定したようで、女性──双枝市支部長・大宙ヒカルはやれやれと肩をすくめる。
 彼女はいわゆる生身の人間ではない。現在部屋に現れているのは、彼女の姿をかたどったホログラフである。
 ゆえに、天候が悪いとたまに揺らぐことがある、のだという。
 確かに外は雷雨だった。毎日こうだと、つい先程七緒から聞いたばかり。
「ごめんなさいね……そういうことだから、十分に調査が出来なくて、あなたたちに来てもらったの」
 申し訳なさそうに眉を寄せてみせるヒカルに、椿が首を振って答える。
「いいえ、大丈夫です。この街のことなら、私も良く知っているし……」
「俺もいるからな!」
 言葉を次ぐ少年の声に、隼人はやっと気付いた。
「……お前、イサムっ!?」
 驚く隼人をよそに、少年──蓮見イサムが胸を張ってみせる。椿を見ると、どうやら彼女は知っていたようで、微妙に視線をそらされた。
 そして当のイサムはというと。
「ったく、しっかりしてくれよな。先輩がそんなんじゃ、後輩に示しがつかないぜ?」
 生意気そうに笑うと、何やら背後を振り返る。彼の後ろを覗き込むように見る──影から現れたのは、一人の小柄な少女。
「……で……え……あ!?」
 イサムを見た時以上の驚きが隼人を駆け巡った。少女を指差し、口をぱくぱくとさせる。
「高崎先輩、お久しぶりです」
 少女はぺこりとお辞儀をすると、やや緊張気味に、はにかむように笑う。
「ゆ……柚木、芽以……!?」
 やっと搾り出せた言葉は、僅かにその少女の名前のみ。
 慌ててイサムを見る。少年は得意げに、胸を張っていた。
「柚木は今回が初任務なんすよ。それで、俺が無理言ってサポートに回してもらったってわけです」

 これが愛の力だ! とギターをかき鳴らしながら。イサムは明らかに舞い上がっているのが、混乱した隼人の頭にも理解できた。
「……お前はシアワセな奴だな」
 おもに頭が。との一言はぐっと飲み込んで、半目で隼人は呻いた。

「それじゃあ皆、頼んだわね。私は支部にいるから、何かあったら連絡してちょうだい」
 告げると共に、ヒカルの姿がヴン……と消える。
 椿は一礼して、それに芽以が倣い……イサムは親指を上げながら。隼人は雨に濡れたパーカーを脱ぎながら、見送った。


「……それで、今回の件だけど」
 メンバー以外のいなくなった支部の一室で、早速作戦会議が開かれる。議題を進めるのは当然椿だ。
「ここ最近の双枝市の天候、どう見ても不自然な点が多すぎるわ」
 椿は淡々と、それまでに手に入れた情報を話す。
 双枝市で毎日のように続いている、突然の夕立、雷。それらはいつも突然だ。
 それだけならまだしも、周辺の都市にはまったくその影響がないのも不自然だった。まるで人為的に、双枝市の天候だけを操っているようなのだ。
「となると、ブラックドッグあたりか?」
 クーラーの効いた部屋の中。僅かに濡れた髪や腕のおかげで少し寒いのを我慢しつつ、隼人は推測を口にする。ブラックドッグ・シンドローム保持者の一番特徴的な、かつ普遍的な能力が、雷、電気を操る力だ。
「そうね……理由はまだ分からないけど、シンドロームの推測は多分当たってると思う」
 それに椿が同意する。
「じゃあ俺達は、この雷を鳴らしてる奴をとっ捕まえて、ぶちのめせばいいわけだな」
 ぐっと拳を握り、ギターを掲げて見せたのはイサム。隣に芽以が座っていることで、どうやらモチベーションが相当高いらしい。
「まだそうと決まったわけじゃないけど……雷についてもっと詳しく調べる必要はあるわね」
 四人は同時に頷く。
「それじゃ、まずは手分けして情報を調べましょう。イサム君は、芽以ちゃんについててあげて」
「おう! もちろんっすよ!」

 意気込むイサムに少しだけ笑い合って、椿達三人はそれぞれ行動を開始する。
 ただ一人、隼人だけは部屋から動く気配はなかった。
 芽以を先に外に送り、自らも意気揚々と飛び出そうとしたイサムにポツリと言う。
「嬉しそうだな、お前」
 独り言のはずの言葉はイサムに聞かれていた。いまだ興奮冷めやらぬ、といった風に振り返り、隼人に返す。
「……まあ、嬉しくないって言ったら嘘になります。なんせ、今回は俺が直接柚木を守れる位置にいるわけだから」
「直接……か」
「というか、一緒に戦う……かな? もちろん俺は柚木のことは全力で守るけれども! 多分アイツも、先輩達と一緒に任務こなすの、すっげえ嬉しいと思ってるだろうし、そんな柚木を守るのもまた俺の……」
「一緒に……」
「……?」
 イサムはふと言葉を止め、首を傾げる。
 自分の知る高崎隼人という男は、こんな煮え切らない奴だっただろうか?
「先輩、なんか変なもんでも食ったっすか?」
「食ってねえよ。……ただ、少し羨ましいなって、思っただけだ」
「羨ましい? 先輩だって、守りたい女の子、いるじゃないっすか」
「七緒に……会った。会っちゃいけないのに、会っちまった……」
「…………」
 イサムの中に浮かんだモヤモヤしたものが、彼に憮然とした表情を取らせる。愛する芽以のために考えていたメロディーの中に不協和音を響かせる。
 彼が楠森七緒の人生と重なることはない、というのは、彼自身が決めたことのはずだ。それなのに、自ら禁を破ったことを喋るのか? 椿先輩ではなく、この俺に?
 俯いて答えない隼人に、イサムの中の疑問が確信へと変わる。
 この男は、高崎隼人は、揺らいでいる、と。

「隼人先輩……アンタは、決別したはずだ」
「…………」
 キッ、と目尻を上げ、言い放つ。反発しながらもその実力を認めた男に、そんな弱音を吐いて欲しくない、その一心でのことだった。
「柚木は、こっちに来ちまった。……だから俺は、直接守ると誓った。けどアンタは、別の道を選んだだろ!?」
「ああそうさ……七緒は絶対、こっち側には来させない。その思いは今でも変わらないさ。けど……」
 そこまで言って隼人は口ごもる。
 そして沈黙の後出てきたのは、自分でも驚くほど、弱々しい声だった。
「けど、共にいたいと、思うことすら許されないのか……?」
「先輩、なんか変だぜ!?」
 衝動的に、イサムは隼人の胸倉を掴んでいた。
 それに対する反応がないことにまた軽い失望を覚え、イサムは畳み掛けるように叫びを上げた。
「思うだけなら、って言うけどさ。アンタには、力がある。いざとなればそれを実現できるだけの。アンタ、その誘惑に耐えられるか!? 一度決めた道を、翻せるのかっ!?」
「……っ」

 言葉に詰まる。
 そんなことはしないし、出来ない。そう言い返したかったが、叶わなかった。
 隼人が何か言う前に、イサムはくるりときびすを返し、廊下で待つ芽以のもとへと走り去っていった。


 一人、部屋に残される。

「蓮見君……高崎先輩は?」
「あーあー、いいんだって、あんな奴!」
 外からはそんな声がかすかに聞こえてきた。

 薄暗い部屋の中。二人の声をぼんやりと遠くに聞きながら、気付けば隼人は、雨に濡れて脱ぎ捨てたパーカーの袖を、七緒の触れた袖を、無意識に引き寄せていた。
 もう片方の手は、ほぼ癖と化した、写真を入れた胸ポケットへと吸い寄せられる。
「七緒……」
 ぽつりと呟くと、先程までの七緒の様子が鮮明に思い浮かぶ。

(会いたい……会いたいんだ。何でこんなに……っ)

 傍で守りたいとか、そういうこととは関係なく、ただ、会いたい。一緒にいたい。

 さっき会ったからか? 偶然の再会が隼人の封印したはずの思いを解き放ったのか?
 結局理由は分からぬまま、隼人はパーカーの袖を握り締め、きつく目を閉じた。

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あとがき。
イサ芽以できたのはいいけど、やっべえ……隼人が女々しい……
で、でもでもっ、ちゃんと理由はあるんですよ!
まあ、伏線がちゃんと回収できればの話ですけど…(笑)というわけで続きます!