Novel
震える手が伸ばされた -Master Scene-
椿がヒカルに報告を受けていたその時。
家に戻ると、手馴れた所作で傘をたたみ、雨に当たってしまった部分を備え付けのタオルで拭き取っていく。
楠森七緒は──いや、今やこの双枝市に住む人のほとんどがそういった習慣を身につけていた。
「やっぱり、レインコート新調した方がいいかなあ」
ようやく雨水を拭き取り、七緒は靴を脱ぐ。玄関口からは、外から持ってきた湿った空気がまだそこに漂っているような、そんな気さえしてくる。
外の天気と同じく、七緒の心も雲と湿気に渦巻いているような、そんな錯覚をおぼえる。
部屋に戻り、七緒は机の上にいくつか並べてある写真立て、その中の一つを手に取った。
「……はやとくん」
ずっと昔、七緒が最初に撮った、人物写真。ピンボケのその中には、びっくりした顔の少年が一人、写っている。
はっと我に返り、七緒は首を振って写真立てを元に戻した。
違うのだ。彼はもういないのだ。
それに、自分が今考えたのは、遠くへ行ってしまったこの幼馴染のことではないはずだ。
顔を伏せた七緒の目に飛び込んできたのは別の写真。
もう一年も前に撮った、何故だか分からないけれどとても大切な写真。風のようにあらわれ去っていった転校生に、大切なことを教えられた、あの、写真。
「はやとくん」
抑揚なく呟く。
思いがけず、その彼と再会してしまった。偶然と呼ぶにはあまりにもできすぎていた。二日連続で、あんなにいきなり会うなんて。
と、そこまで考えて、七緒の中にわき上がった雲が、静かに雨を降らせた。
七緒は先程高崎隼人に会った時のことを思い出していた。彼は慌てた様子で、その体の向こうに女の子を隠すように抱きかかえていて──……
(高崎君、彼女、いたんだ)
急に不安とも恐怖ともつかぬ、不安定な感情が七緒を捕らえた。先程、その事実に直面した時にはこんなこと思わなかったのに。
この感情を嫉妬と言うのだということを、彼女はいまだ自覚できないでいる。
震える手で、七緒は写真に手を伸ばした。やや緊張気味に隼人の写る、彼の写る唯一の写真。
「……はやとくん」
それは幼馴染なのかあの転校生なのか。七緒は今、自分がどちらの名を呼んでいるのか、判別がつかなかった。
そして彼女が選んだ道は。
「……? あ、あれ?」
唐突に彼女の心の雲が晴れる。
自分が今何を考えていたのかすら一瞬思い出せなくなっていた。とりあえず、手を伸ばして取ろうとしていた写真立てを、その手に収める。
「懐かしいなぁ」
七緒の顔には笑みすら浮かんでいた。
それはそうだ。
なにせ彼女は、二日連続でかつて彼女の元を去った『彼』に会ったのだから。
そして二日目に会った時──すなわち先程だ──その『彼』が何をしていたのか、誰といたのか、すっかり頭の中から消え失せていたのだから。
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あとがき。
そんなわけで急展開(?)
隼人達が出てないのでマスターシーンということになりました。
まだもうちょっと続きます。
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おまけ
椿「け、消される!?(笑)」
隼人「スマン椿! お前の死は無駄にはしない……っ」
GM「死んでねえよ!(笑)」
イサム「というか七緒には椿先輩は見えてないから、『隼人が誰かを抱きしめた』って記憶だけ修正されるんじゃね?」
隼人「じゃ、じゃあそれで!」
GM「(……ぎくり)」