Novel

九分の恐怖と、一分の期待と

 調査開始から三日目。
 昨日、再び七緒と再会した後から、隼人は使い物にならなくなっていた。ただ、終始ぼうっとして、支部の一室を借りそこに座っている。
 今度のは、かなり酷い。
 この日何十回目かの溜息を吐くと、椿は小脇に資料をはさみ、皆の集まる双枝市支部の支部長室へと足を運んだ。
 ドアを開ける瞬間、背後の窓の外が一瞬光る。
 次いで降り出した雨の音を聞きながら、椿は支部長室へと足を踏み入れた。

 扉の軋む音に、中にいた二人が顔を上げる。二人とも、沈んだ表情をしていた。
 先日ジャームを取り逃がして以来、調査はろくに成果を上げられていない。
「芽以ちゃん、イサム君……君たちが昨日遭遇したジャームについて、調べてみたわ」
 静かに告げると、椿は二人の前、中央に置かれた机の上に、脇に抱えていた資料の束をどさりと置く。結構な量だ。
 イサムが面倒そうに顔を歪めたが、かまわず二人に対し読むように促す。
 彼にかわりページをめくった芽以の表情が、みるみるうちに凍り付いていった。
「椿先輩っ、これ……」
 芽以が震えているのが分かる。喉をごくりと鳴らし、椿は神妙に頷いた。
「つまり、今回の事件で七緒ちゃん……"タイム&アゲイン"が発動したというのは……」
 真相を語ろうとした、その時だった。

「……!? これは? 何てこと……」
 ノイズ混じりの声が聞こえたかと思うと、椿達の目の前に、砂嵐で今にも途切れそうなホログラフが浮かび上がる。ヒカルだ。

「どうしたんですか、ヒカル支部長?」
「隼人君がいないわ!」
「えぇっ!?」
 イサムと芽以も、その報告に思わず立ち上がった。
 ヒカルは申し訳なさそうに告げる。
「今日は特に調子が悪くて、さっきはほとんど双枝市のネットワークと切断されていたの……何とか復旧したと思ったら、その時には、もう……」
 やはりノイズの混じったヒカルの声は、泣きそうに思えた。椿のこめかみに嫌な汗が浮かぶ。
 もしかしたら、この雷雨で、双枝市の全てを知覚することのできるヒカルの能力を封じたのだろうか。
 最悪の事態も想定しなければならないとはいえ、嫌な推測だった。

「隼人……もしかして、また……?」
 窓の外を見る。昔ボウリング場があったと聞いた、空き地のある方向を。
 呟きは、遠く鳴る雷と混ざって、ほとんど消えかかっていた。

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「二度あることは三度ある……って、言うけど、ホント偶然だね」
 雨に濡れながら、隼人は声のした方をゆるりと振り向く。まるで何かに引き寄せられたみたいに。昨日と同じ場所、そして同じ人。
「……七緒……」
 掠れた呟きは、その人物まで届くことはなかったが、彼女のさした傘の下からぱっちりとした瞳で覗き込むように見られて、二人は互いを認識する。

 『認識』する。

「なんかね、高崎君のこと考えながら歩いてると、いつも会うんだ。偶然って、すごいね」
 はにかみながら、傘の主──七緒は隼人に近づく。一方の隼人は動かないままでいた。
「それで、会うといっつも雨が降るの。雷も鳴って」
 動かない隼人にかまわず続けながら、彼を傘の下に入れる。少し大きめの傘は、まるで二人のために用意されたかのように、二人をすっぽりと包み込んだ。
「雨が降ったら、高崎君に会えるって合図だったりしてね」
 下から隼人を覗き込む。悪戯っぽい笑みが隼人の目に入り……七緒の瞳に、自分の姿が映っているところまで確認できた。
「……ねえ、こんなに偶然が続くんだったら……」
 そのまま、七緒の舌は止まらない。そこから出てくるのは、隼人に対する淡い想いからくる、ただの純粋な、途方もない夢のような願い事。

「雨、止まなければいいのに」
「────!」

 言葉と視線と。二つが絡み合い、双方ともが隼人の精神を捕らえる。
 隼人は無意識に胸ポケットに手を当てていた。決して取り戻せない過去の詰まった、あの写真に手を当てた。
 そのまま掻き毟りそうな衝動が隼人を支配する。いや、そうしなければ抗えないとすら思えた。
 この気持ちに。"タイム&アゲイン"に。
(駄目だ──!!)
 七緒をそれ以上見ていられなくなり、隼人は目を閉じた。見れば心を動かされる。『七緒と共にいたい自分』を、嫌でも認識させられる。

 隼人の額を流れ落ちるものは、雨粒だけではなかった。
 ようやくのことで、心を落ち着かせる。何とか抑えきった。どっと疲れが噴き出る、そんな感覚がした。
 ゆっくりと、胸ポケットから手を離す。隼人はここで自分に課した誓いを守れた。だがそのために、何か大切なものを失った、そんな気がした。
 それは間違いではない。隼人は、七緒の現在の平穏を守るため、自らの七緒に対する想いを凍りつかせたのだ。
 この、心にぽかんと空洞が空いた感覚は、その証拠だろう。

 努めて平静を装い、言う。
「偶然なんかじゃないさ」
「じゃあ……奇跡、かな?」
「奇跡か……」
 夢見がちな言葉だ、と思った。

 人がその人智の及ばぬ不思議な現象を目の当たりにした場合、しばしば奇跡という言葉が使われる。おもにいい意味でだ。たいていの場合、叶わぬはずの望みが実現した時などの。
 だから、絶対に会わないと決めていた隼人に三日連続で出会ったことは、やはり七緒にとっては奇跡に等しい。
 だが、と。隼人は唇を噛む。彼は知っていた。

 奇跡の向こう側には必ずカラクリがあると、知っていた。そう、奇跡は存在するのだ。

(レネゲイド同士は引かれ合う、か……)

 そして今、隼人は自らに仕掛けられたそのカラクリの仕組みを知った。
 期待などしてはいけなかった。本当の、隼人の知らない奇跡が起こった、などと、そんな都合のいい夢は。
 それらを抑え込んで、隼人は傘から出た。七緒が怪訝そうな顔を見せ、少し傘を差し出したが、それの届かない所まで離れる。
「そうだな。やっぱりさ、コイツは奇跡だよ」
「え……」
 一瞬、キョトンとした表情になる七緒。自分から言い出したとはいえ、同意されるのは意外だったらしい。
「高崎君って、結構ロマンチストだったりする?」
「いいや? 俺は多分にリアリストだ」
「あっ……?」

 それだけ言うと、隼人は振り向かず走り出した。
「待って……待って! 隼人君っ!!」
 七緒の慌てた声が聞こえたが、それも振り切った。後ろ髪引かれる感覚がいつまでも消えない。今すぐ引き返したい。
 それでも、雨粒を散らして走りながら、携帯端末を取り出し、支部に連絡を入れる。

「こちら"ファルコンブレード"……ああ、そうだ! "タイム&アゲイン"の作用の対象が分かった!」

 それはあまりにも切なく、甘美で。そして残酷な真実。
 胸が張り裂けそうになりながら、それでも報告を続けた。

「……七緒は俺に……『高崎隼人』に会いたがっていたんだ!」

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あとがき
普通の恋愛ものなら、ここらへんは『お互いの気持ちを確かめる』的なシーンなのですが、
まあそこはそれ、ダブルクロスということで。
初恋(?)は実らないわNPCヒロインとはことごとくフラグ立てられないわ、隼人、お前って奴は……
そんなわけでまだ続きます。

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おまけ

イサム「うおおおおーっ! このラブコメレベル0め! そこは抱きしめるとこだろうっ!?」
隼人「う、うるさい、俺はお前と違ってピュアなんだよ!」
椿「私、抱きしめられたけど……」
隼人「うっ……」
GM「七緒の中ではその事実は消えてるから、実質二人は同じラインだぞ?」
隼人「ううう……」
イサム「まあ当人二人は覚えてるけどな」
隼人「うぐぐぐぐっ!」
椿「(笑顔)」
GM「(笑顔)」
隼人「ぐごぉおおおおっ!!(苦悶の声をあげる)」