Novel

あの日見つけたあの表情

 雨は降り続けていた。
 遠く、雷鳴を聞きながら、楠森七緒は再び外へ出ていた。
「はやとくん……」
 意識せず漏らしたのは、懐かしい人の名前。会う約束をしたわけでもない、今そこにいるという保証すらない、会いたい人の名前。
 だけど七緒は、どこかで知っていた。
 行けば必ず会えるのだということを。
 彼はこのことを『奇跡』と言ったが、あながち間違いではない、と七緒も思っていた。
「また……会えるかな」
 知らず七緒は顔をほころばせていた。この奇跡が続くと願って。──正確には、願いの通りに能力を発動させて。

 それが、自らの能力が演出した、根拠ある奇跡だということを、彼女が知る由もなかった。
 あの空き地の前までやって来た、その瞬間──七緒は意識を失った。

 果たして高崎隼人はそこにいたのだ。
 ただ、今までと違うのは、オーヴァードが作り出す結界、《ワーディング》が張られていること。
 これで実質、隼人と七緒はその空間でちゃんと会うことはできなくなる。ワーディングは自らのレネゲイドを周囲の空間に広げることにより、空間内の非オーヴァードを無力化してしまう。
 七緒も厳密に言えばオーヴァードなのだが、彼女自身がそのことを認識していないため、《ワーディング》が効果を発するのだ。
 これも、彼女の特殊性を表すことの一つだった。

 世界は、七緒に嘘を吐いて変貌しているのだ。

(だが、それでアイツの平穏が守れるなら)

 ろくな構えも取らず、隼人が突出する。相手は一体だ──今までに体験した戦いはもっと辛いものだった。だが今回は、暴走したジャームが一体という、極めてシンプルな構造だ。
 たったの一挙動で、隼人はジャームに肉薄する。この神速の動きこそが、ハヌマーンの力だ。
(──七緒を守れるなら、俺は嘘吐きで構わねえ!)

 決意と共に、隼人が吠えた。
「おおぉおおおおっ!」
 息を吐ききる前に、既に刀は振り切られていた。ジャームはバックステップでかわそうとしたが、何かに遮られてかわしきれない。
「おっとぉ! 俺たちもいるって忘れてもらっちゃ困るぜ!」
「先輩、今ですっ」
 少し離れた所から、イサムの衝撃波を受けてたたらを踏むジャーム。そしてにわかに信じられないような事象だったが、隼人が斬り込んだ時には、既に芽以はジャームの後ろに回り込み、直接振動を叩き込んでいる。
 この三人とも、ハヌマーン・シンドロームを持つ者だ。特に芽以はピュアブリード。『速さ』に関してのみなら、ここにいる誰にも負けないだろう。
 隼人と芽以に挟まれて、ジャームは身動きが取れなくなっていた。そこから離れるにしても、追撃を喰らうのは必至──ならば。
 ジャームは基本的に本能で行動する化け物だ。そいつの取った行動は──
「まずい、来るっ!」
 直感的に察知し、椿が走る。ジャームの体が放電しているのが分かった。そして、空模様がだんだん酷くなっていることも。
 体内の放電を収束し、それらを放出する──調べたデータと、イサム達の報告によると、ジャームは電撃使いだ。それが今、放たれようとしている!
 間に合え。
 そう祈って、椿は隼人とジャームの間に、無数の『糸』を紡ぎ出した。

「椿!」
「私のことはいいっ。攻撃して、隼人!」

 糸を引き、隼人の眼前へと躍り出る。その糸を雷が伝い、椿を襲った。
「う……くっ」
 ぎりぎり、と絡めた指を握り締め、ジャームを止める。この時既に、ジャームの体には見えない糸が巻き付いて、その動きを封じていた。
「絶対に……攻撃は通さない……っ」
「よくやった!」
 歓喜とも取れる隼人の声が背後に響いた。が、届く音よりも早く、隼人は斬撃を繰り出していて──……

 糸と、二方向からの衝撃波。それらによって移動力を奪われた敵に攻撃を当てるのは、いとも容易いこと。
 斬られた、という認識もしていないだろううちに、ジャームの体は切り裂かれる。肉を引き裂く嫌な音はしないかわりに、断面がぱきりと音を立てて結晶化していった。
 咆哮。
(コイツも哀れな奴だよな)
 刀を振り切ると、隼人は心中独りごちる。
 FHの勝手な実験により暴走して、こうして自分達UGNに倒される。不遇な運命だとは思う。だが同情はするが、それで手心を加えてやるわけにはいかない。
 こうしなければ今度は七緒が危ないのだ。
 七緒が──……

 また彼女を思い出し、隼人は僅かにジャームから目をそらす。切り裂いたその体の向こう側に。

「……七緒!? なんで……」

 足が止まる。

 また、見つけた。
 見つけてしまった。

 辺り一帯に張られた《ワーディング》の効果で、七緒は意識を失っていた。その場にへたり込んでうつろな目を開け、まるで何かを待っているような、そんな表情に感じられた。
 それに気を取られたのが不運だった。
 ジャームはまだ、完全に息を絶やしたわけではなかったのだ。
「隼人!」
「!!」

 真正面からの電撃を受け、隼人は刀をジャームの体に残したまま、後方へと吹き飛ばされる。
 これは、まずい。
 戦闘により、既に隼人の体内のレネゲイドは加速しすぎていて、負った傷を治してはくれない。

「!! 野郎っ!」
「よくも……っ」
 弾かれたようにイサムのギターが唸る。同時に、ジャームを戒めていた糸がくい、と引かれ、びきびきと水晶体と化したジャームの体を砕いていく。
 哀しげにも聞こえる断末魔を上げながら、遂にジャームの体は倒れ伏した。

「隼人っ!」
「隼人先輩!」
 三人が自分の名を呼び、こちらに駆け寄ってくるのを、おぼろげながらに聞いていた。
 薄く開いたままの目には、七緒の姿のみを映している。まるで世界にそれしかないかのように。
 七緒の目がはっきりと見開かれる。焦点は隼人に──いや、正確には隼人の負った傷口に注がれている。
(駄目だ、七緒……使うな)
 隼人の声は届かない。ただ、分かるのは、電撃で焦げ付いた体の傷がふさがれていくということだけ。

 これがこの事件最後の"タイム&アゲイン"だった。

 椿達が隼人のもとに駆けつけ、ジャームの張った《ワーディング》が完全に効果を失う頃には、隼人のダメージはほとんど回復しきっていた。

「また……助けられたな」
 使わせるつもりはなかったのに。悔しげにそう言うと隼人は立ち上がる。
 先程、一瞬だけ焦点が合い、隼人を見ていたあの目は、今は閉じられて、小降りとなってきた雨の中に安らかな表情で座り込んでいた。
 《ワーディング》は解かれたはずだが、おそらく安心したのだろう。

 隼人が無事なのが、なんとなく感じ取れたから。

 すぐさまUGNに連絡を入れ、後処理部隊を呼ぶ。これで七緒には適切な『処置』がなされるはずだ。
 その時、隼人はそこにいないほうがいい。

「隼人……」
「……帰ろうぜ」
 隼人は反対側の方向を親指でさす。七緒のいない、狭い出入り口の方を。
「いいの?」
 椿の問いかけにすぐには答えず、背中を向ける。
 雲の切れ間から陽がさしてきていた。背中に太陽光の暖かさを僅かに感じながら、隼人は呟いた。

「これでいいんだ」

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あとがき。
クライマックス終了。みなさん、生還おめでとうございます(by GM)
次で最後です。やっとエンディングです。
ところで、芽以の能力勝手に捏造しちゃったけど、いいのかな(笑)

芽以「《浸透撃》で直接殴ります」
イサム「えええぇええええっ!?」

……あんまり活躍させられなかった、ごめんよ二人とも。