Novel
2:責任持って面倒見ます
「死ぬかと、思ったんだ」
翌朝、布団から這い出て古くなった畳の上に体育座りをして、クリスはポツリと呟いた。
「いけませんよ、自殺なんて」
「違う」
背後からトランが声をかける。ちなみに、昨日雨ざらしにしておいたスーパーのビニール袋と仕事の書類の入ったカバン(もちろんボロボロである)を抱えて、今また家に入ってきた所である。
的外れな言葉を短く否定して、クリスは振り返った。
「何にもなくなって、帰る所もなくて、あそこでもう死ぬしかないのかなって思ってたんだ。そしたら、トランが来た」
「…………」
明らかに説明不足だが、確かにクリスがただの家出少年でないことだけは分かる。きっと何かあったのだ。
何か気のきいたことを言えればよかったのだが、あいにくトランはそんな芸当を持ち合わせていない。
なるほど、確かにクリスがトランを見る目は雛鳥が親を見るような目つきと同じだ。
トランはボロボロになったカバンや色々を脇に置いて、クリスの隣に同じように座り込んだ。
「どうしましょうかねえ」
トランにも生活がある。このまま彼を匿って、自分まで共倒れになってしまっては元も子もない。いやそれ以前に、クリスとは一晩軒を貸しただけの関係だ。いくらトランが困っている人を放っておけないお人好しだからと言って、人ひとり養い続けるほどの甲斐性もあるかどうか。
そんな時である。
トラブルはいつも唐突に訪れるのだ。
「トランー、おはよう!」
幼い少女の声。トランは座ったまま首をぎぎぎとドアの方に向け……戸締まりを怠ったことを悔いた。
「おお、おもしろいかっこうしてるな!」
「……お、おはようございます、アルテア」
首を無理やり後ろに向けたポーズが受けたのか、少女──アルテアが笑顔で部屋に上がってくる。有限会社ダイナストの社宅、トランの隣の部屋に住むこの少女は当然ながら社員ではないのだが、どうも会社の偉い人の縁者ということで、特別にここに住んでいる。幼稚園に行く際に、入り口すぐのトランの部屋を通りかかる前、ちょうどトランも出勤時刻がかみあうこともあって、よくこうして僅かな時間を過ごしているのだ。
クリスの話を聞いているうちに、いつの間にかそんな時間になってしまっていたのだろう。トランは出勤の準備のため立ち上がろうとした。
だがこの日はいつもと勝手が違った。
「……おまえ、だれだ?」
大きな瞳をくりくりとさせて、アルテアはぼーっと座っていたクリスの顔をまじまじと見つめていた。
「ここはダイナストのしゃいんせんようだぞ。おまえ、トランのかぞくか?」
「え、いや、俺は……」
「トラン! まさかおとこをつれこんだのか!? あたしのめはごまかせないぞ!」
「違いますっ!」
「まあ、連れ込まれたのには間違いないが……」
「クリス! あなたも何言ってるんですかっ!?」
興奮して詰め寄るアルテアに、真面目に答えるクリス。どっちからつっこめばいいのか迷った挙句両方に向かって一言ずつ叫んでいた。
たったそれだけのことなのに、酷い疲労感がトランを襲う。
「……と、とにかく」
息を整え、クリスに向き直る。なんとか真剣な表情は保てていたと思いたい。
「確かに彼女の言うとおり、許可無くあなたをここに住まわせることはできません。同居人として申請をするにしても、あなたはうちの社員ではないし、第一身分証明も持っていない」
「…………」
俯くクリスを、アルテアが覗き込む。どことなく憐れむ目つきで。
「それって、すむところがないってことか? それはかわいそうだぞ」
「ええ……」
「トラン……なんとかできないのか?」
それきり三人はしばらく黙り込む。
静寂を破ったのは、またしても開きっぱなしのドアから入ってきた第四者の声だった。
「ふ〜き〜つ〜じゃ〜〜〜〜〜〜あぁぁぁ……!」
「うおわぁぁぁぁぁっ!?」
「あ、管理人さん。おはようございます」
「おお、おはよう、ばばあ!」
アルテアの言葉の示すとおり、現れたのはばばあであった。……ただし目深に被ったフードに隠されて、顔は見えない。なのにばばあだと言うことだけは分かる不思議な雰囲気を纏っていた。
このばばあこそ、ダイナスト社員寮の管理人である。ちなみに経歴一切不明。
「あの、管理人さん……何とかならないもんでしょうか」
「ばばあは何もできぬ」
「あんた管理人だろーがっ!?」
一応、控えめに願い出てみたが、ばっさりと切り捨てられる。管理人のばばあは小さく揺れて笑った。
「当たり前じゃ、そもそもこの部屋は一人用。同居人申請をするなら、奥のもっと広い部屋に移ってもらうがそれでもよければ……」
「それは駄目ですっ!!」
トランは物凄い勢いで折衷案らしきばばあの提案を却下した。
「これ以上家賃がかさむと生活できなくなります!」
「じゃあ無理じゃな」
ばばあは取り付く島もない。再び部屋の中を暗い空気が支配した。
ふと、トランの横で動く気配があった。それまで膝を抱えて座り込んでいたクリスが立ち上がったのだ。
「やはり、出て行くことにする。一晩、世話になった」
「クリス……」
ちらりとトランの方に向けられたクリスの瞳には、やはりどことなく放っておけないものがあった。思わず引きとめようとしたが、現時点で解決策がないことがそれにブレーキをかける。善意の塊のような顔をしておいて、自分はやはり現実には勝てないのだ、とトランの心の中を罪悪感が占めていく。
そんな二人を救ったのは、少女の何気ない一言だった。
「なあー、ばばあのぺっとのねことまたあそんでもいいか?」
「ああ、もちろんじゃよ」
……ペット?
ばばあの部屋はどこだった?
この寮の規約は?
トランの脳内が瞬時に活性化し、必要な情報を引き出していく。
管理人室はこの社員寮と同じ建物内にある。そして規約などもほぼ同一──となれば。
「……それだ! ペット申請だ!!」
「…………は?」
同じように立ち上がり、トランはクリスに人差し指を突きつけた。
この時のトランの目には、クリスが大型犬か何かに見えていた、と後になって彼は語る。
「クリスを飼います! それで問題は無いはずです!」
「ちょ、おいっ……!」
慌て始めるクリスを遮って、ばばあがトランに向き、真剣な眼差し(フードで見えないが)で問いかける。
「最後まで責任持って面倒見るか?」
「見ます!」
「ひっひっひ……ならば許可しよう。今申請書を取ってくるから、ちょっと待っとれ」
「ありがとうございます!」
体をくの字に曲げて礼を言いながら、トランはばばあを見送った。
「……おい」
「そろそろあたしもようちえんにいくじかんだな! トラン、ちこくするなよ!」
「ええ、行ってらっしゃいアルテア」
「おいっ! 人の話を聞けっ!!」
続いて部屋を出て行くアルテアに手を振るトラン、そして必死に叫び続けるクリス。アルテアの姿が見えなくなるまでその光景は続き……やっとトランが振り返った。
非常に深刻な表情で、
「わたしの思いつく限り最善の策を講じました……」
「それが何でペットなんだっ!?」
「あ、大丈夫ですよちゃんとヒトとして扱いますから」
わたしもそこまで鬼畜ではありません、ともっともらしく頷くトランに、気付けばクリスは思い切り叫んでいた。
「そういう問題じゃねぇぇぇぇーっ!?」
叫びながら、それでもこのまま放り出されなかったことに……もうしばらくトランと一緒にいられることに、嬉しいと感じる自分がいることに驚きながら。
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あとがき。
ク リ ト ラ で す よ 。誰が何と言おうとこれはクリトラです。当初の予定から外れてギャグになりなしたが……
誰だ逆っぽいとか言う奴は!(誰も言ってません)全然そんなことないじゃないですか。
どこからどう見てもクリトラじゃないですか。ペット×飼い主、いいじゃないですか!