Novel

3:セクハラ

「セクハラだぁっ!?」

「…………」
 そう叫んでこちらを睨みつけている隼人を見ながら、藤崎は黙って先程の言葉を心の中で反芻した。

 セクハラ……セクシャル・ハラスメントの略。
 上司が部下に対しておこなう性的な嫌がらせのこと。

 理解。
 そして──盛大に眉を顰めて見せた。
「心外だ、嫌がらせなどと」
「された方がそう思ったらそうなんだよ!」
「君は嫌がっていなかった」
「嫌がってたよ!」
「そうだったか?」
 短く続く言葉の応酬。
 このままでは埒があかないと判断し、藤崎は隼人に詰め寄る。
 うっ、と言葉を詰まらせて、隼人は後ずさろうとしたが、足が動かなかったのかその場を離れようとしない。おかげで容易く藤崎の腕に捕まってしまう。
 なるほど、この体勢は傍目にはセクハラに見えなくもない。

「嫌がらせのつもりはなかった。本当に嫌だったのなら謝ろう」
「え……」
 意外な言葉に隼人は動揺している様子だった。藤崎がこうやって折れることなど滅多にない。その真意を測り取れず、彼は思わず聞いていた。
「じゃあ、どういうつもりだったんだ」
 答えはすぐに返ってきた。
「無論、恋人同士のスキンシップのつもりだが」
「こ、ここ……っ!?」
 ぼんっ、という擬音が聞こえてきそうなくらいに急激に隼人の顔が朱に染まる。はて、彼はサラマンダー・シンドロームは発症してはいなかったはずだがどうやって一瞬で顔面温度を上げたのか、とそこまで考えて、藤崎は気がついた。
 これはエフェクトでも何でもなく、ただ単に、彼が照れているだけなのだ、と。
 それが分かれば、後は簡単だった。
「私は好きでもない相手、それも同性を抱く趣味は無いのだが、どうやら君は違ったらしい」
 淡々と、しかし僅かな落胆の意を込めて、溜息と共に吐き出すと、案の定隼人はその顔に焦りの色を浮かばせる。
「な、お、俺だって」
「俺だって?」
「……好きでもない奴に、あんなことさせるかよ」
 彼の言を繰り返して、続きを促す。かなりの逡巡の後に小さく絞り出された言葉にはいつもの覇気は無く、むしろ、毎夜控えめに漏らす喘ぎ声を髣髴とさせるものだった。

 やや棘はあるが、とりあえず満足のいく答えを得られて、藤崎はめったに見せない薄く笑んだ表情と共に隼人の髪を撫で付けた。
「ならば何も問題は無いな」
「って! 大アリだっての! 今何時だと思ってるんだ!?」
 普段の威勢の良さを取り戻した隼人が腕の中で喚いていた。ちらりと壁に掛けられたシンプルな時計に目をやる。
「午後1時37分。それがどうかしたか?」
「こんな真っ昼間から盛るなよっ!?」
「……盛ったつもりは無いのだが」
 怪訝そうに言って、再び隼人の後頭部を撫でる作業に没頭する。真っ昼間、といっても、今日は珍しく双方が自宅待機という名のオフの日で、現在残っている仕事も特に無く、別に昼から家でこうしていても不思議ではないはずだ。だというのに一体彼は何を言っているのか、藤崎がそれに気付くのには少しの間があった。
 腕の中で借りてきた猫状態になっている隼人。居心地が悪そうに縮こまって、また先程のような蚊の鳴くような声で告げる。
「これの、どこが……盛ってねえんだ……っ!」
 藤崎の硬い手のひらが頭を上下する度に、びくりと震えているのがさすがに理解できた。
 なるほど、この手が盛っているように見えたらしい。仕方なく藤崎は手を止めて、今まで抱き締めていた隼人の体を離す。

「あ……」
 はっと息を飲んで、隼人がこちらを見上げるのが分かった。離れる瞬間の切なそうな表情と、追いすがるように伸ばされては途中でプライドが邪魔をして宙ぶらりんになっている彼の手とを交互に見遣ると、そこで藤崎は彼の現在の状態を察する。
 そして顔だけ近付けて、隼人の耳元で、
「どうやら、盛っているのは君の方らしいな」
「…………っ!!」
 囁いてやると物凄い勢いで睨み付けられたが、あまり迫力は無かった。やっぱセクハラじゃねーか、とか、お前絶対わざとだろ、とかの色々言いたそうなことの詰まった表情だったが、それらを全てスルーして、藤崎は再び隼人を抱き締める。
「寝室まで、歩けるか?」
「…………」
 力なく、隼人は頷いた。

 肩を支えてやり、共に寝室まで歩きながら、藤崎はなんとなく考えていた。
 自分が隼人にしたのはあくまでセクハラではないはずだ。だが、ただのスキンシップと呼ぶにはいささか刺激が強すぎたかもしれない。
 ならば先程したアレは何と呼称すれば?

 寝室に到着し、隼人をベッドに寝かせたあたりで思い浮かんだ。

 ああそうだ、前戯と呼ぶのだ。

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あとがき。
ダメな大人劇場。ヤバい表現があったりしますが、直接描写は無いのでギリギリで地上に格納。
今回は結構藤崎視点でしたが、それでもやっぱり隼人の負けっぷりというか、
三下っぷりというか、そういうのが大好きなのでにじみ出ているような……(笑)