Novel
8:おとまり
新しい学校。新しい生活。そして新しい家。
これが普通の人の感覚だ。しかしチルドレンにはそんなものはない。
彼にあるのは、新しい潜入先。新しい任務。そして新しい拠点。
「……はー」
新築の高級マンションの最上階。1フロアまるごとを贅沢に使ったその部屋に入る扉の前で、高崎隼人はうんざりと溜息を漏らす。
彼の視線の先にあるのは、しっとりとした高級そうな木の板に精密に彫られた『藤崎』という表札。
ここは彼の敬愛してやまない──と言ったら隼人は思い切り否定するだろうが傍目にはそうとしか見えない──UGN本部エージェント、藤崎弦一が日本滞在時に使用するマンションの一つだ。
次なる任務のため、今日から隼人はここで寝泊りすることとなっている。
つまりは、これからしばらく、あの敬愛して(中略)な藤崎と一緒に暮らすというわけで。
「最悪だ」
呻いてみても、現状は改善されない。藤崎曰く、UGNは縦の連携で成り立っている組織。そこを末端であるチルドレンがフレキシブルに動きまくれば、しなくていいフォローをする必要が出てくるのだ。
ともあれここまで来た以上、隼人にはそれ以外の選択肢はなかった。
というか、チルドレンであることを選択した彼にはもとより選択肢なぞ存在しなかった。
最後にひとつ盛大な溜息をつくと、隼人はあらかじめ渡されていたカードキーをドアにさした。
そこは驚くほどこざっぱりした空間だった。
「何じゃこりゃ……ホントに人が生活してんのか?」
どこかのGパン刑事のような言葉を漏らし、隼人はそのだだっ広い空間をただただ、圧倒されながら見渡していた。
玄関を入ってすぐのフロアだけで、前に隼人が暮らしていた寮の一部屋分。そこを真っ直ぐ歩いていくと、UGNのトレーニングルーム並の広さのリビング。ドアはいくつあるのか分からない。
しばらくふらふらと家の中を見て回ったが、そのどこにも生活臭と言うものが全くないのだ。確か話では、数日前からここで暮らしている、と聞いたはずなのだが。
しかし呻いていてもやはり現実は変わらない。いつしか隼人は考えることをやめた。
乱暴にカバンを置くと、何もないフローリングの床にどかっと腰を下ろす。埃の一つも舞い上がらないあたり、相当な潔癖症であることがうかがえた。
「……腹減ったな」
お腹を押さえて、ぽつりと漏らす。
その一言が、始まりだった。
その日、藤崎が拠点として使っているマンションに戻ると、中からボルシチの匂いがただよってきた。
全く表情を変えぬまま──いや、僅かばかりに眉間に皺を寄せて、部屋に入る。長い玄関を抜け、広いリビングを抜け、匂いの元がするキッチンへと足を運び──……
「何をやっている、高崎隼人」
「げ」
やはりか、と言った風にうんざりと告げる。
今回、一夜を共に(という言い方は語弊があるかもしれないが)するはずのチルドレン。その彼が、どこから取り出したのかマンションにあったエプロンをつけて、おたまを片手にボルシチを煮込んでいた。ちなみに、エプロンの下は学生服の上着だけを脱いだ格好である。
隼人の返事から推測はできるのだが、二人の関係はどう考えても良好とは言いがたい。それなのにこの態度といったら。まるで自分の家のように遠慮がない。
溜息をついて、藤崎はもう一度告げた。
「何をやっている、と聞いているんだ」
「見りゃわかんだろ、メシ作ってるんだよ」
「…………」
「今日のメニューは、『霧谷家のボルシチ・隼人風』だ」
「…………」
何をやってるんだあの人は。藤崎は頭を抱えてその場に座り込みたい気分になった。
「……その分なら、明日からの任務も問題はなさそうだ」
やっとそれだけ言うと、その場を後にしようときびすを返す。
「あ、オイ! 食わないのか!」
「日本に滞在する時には、常に決まったシェフを呼ぶことにしている」
「……!」
ちらりと振り返った時に垣間見た隼人の表情は、いつもの噛み付くような不機嫌さだとか、露骨な嫌悪感だとか、そういったものはなく。ただ少しだけ、がっかりしたような、しょぼんと耳を垂らしたような。
それがいつもの藤崎の調子を狂わせた。
「──が、せっかく作ったものを無駄にするわけにも行かない」
「え……」
背後で隼人の動きが止まるのが分かった。
「私は奥の書斎で書類整理をしている。できたら呼ぶように」
「…………」
「高崎隼人。復唱は」
「りょ、了解……」
キッチンを後にする藤崎を信じられないといった表情で見送った後、隼人は何もないフロアでつまづき盛大に転んだ。
そして現在、夕食時。
目の前に綺麗に盛り付けられた『霧谷家のボルシチ・隼人風』を前に、少年と男がテーブルを挟んで向き合っている。
ダイニングに取り付けられたシンプルなデザインのテーブルだった。その一つをとっても多分センスがいいのだろうと隼人は何となく思っていた。
「……と、とりあえず、出来た、けど」
「そのようだな」
「んじゃ、食おう……」
言いかけて、スプーンに手を伸ばす隼人に、ミラーシェードの奥の眼光がきらりと光る。
静かに、動きはなく、淡々と。
「その格好でか?」
「……は?」
隼人は自分の体を見下ろした。別に普通だ。ただ、エプロンは適当につけていたため少しずれている。
(ああ、このズレがいけないんだな、ちきしょうめ)
後ろに手を回し、エプロンの結び目を探る。ちらりと見た限りでは、藤崎の眉間に寄っていた皺はなくなっていた。やっぱりエプロンのズレか。あと、角度とか。
そんなことを思いながらごそごそとやっていると、ふと目の前にあったはずの気配が消えた。
「……ん?」
一瞬、隼人は動きを止める。次の瞬間、気配は彼の背後に来ていた。
次いで、背中に何かが触れたような感触を認めた時には既に手遅れで。
「な……っ!」
驚く隼人をよそに、藤崎は適当に固結びされたエプロンの紐を器用にほどいていく。
(ヤバイ俺脱がされてる!?)
これ以上ないほどに隼人はテンパっていた。
食事前である。服を脱ぐ必要はどこにもないはずだ。もちろん全力で振り切れば藤崎の手から逃れられないことはないだろう。でもそれができずに固まるのが高崎隼人という人間なわけで。
「……っ!!」
藤崎の手が肩にかかったエプロンの紐に触れた。そのまま隼人の体から剥がす。
隼人はそれを息を止めて見るしかできなかった。そして。
「何をやっている。……食べないのか」
「…………へ?」
はっと正気に返り、隼人は自分の体をぺたぺたと探ってみる。エプロンが外されただけで他はどこも変わりない。
いつのまにか藤崎は元の席についていた。どうやら自分が固まっている間に戻ったらしい。全然覚えがないが。
「あ、あの……」
「何だ」
「いや、その……い、イタダキマス」
藤崎はミラーシェードを外していた。単に食事時だからという理由なのだろうが、じかに睨まれて隼人は今自分が何を言おうとしたのかすら吹っ飛んだ。
ただ、初めて見る彼の素顔が意外にも整っていることに素直に驚きながら、スプーンを口に運ぶのみである。
いやに静かな夕食の時間だった。
こうして、隼人だけが異様に取り乱したり挙動不審に陥ったりしながら、夜は更けていく。
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あとがき。
余韻を残して終わってしまえ!(投げやり)
はじめてのおとまり、はじめての藤崎隼人。多分偽者度が高い。隼人が妙に女々しいしorz
でもね、きっとこの後手を出してくれると思うよ!(それはただの願望)
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おまけ。
隼人「メシを作ろうと思うんですよ」
GM「それじゃ、<芸術:料理>か<精密作業>で判定してくれ」
隼人「う……(どっちも苦手)」
GM「さあ、どれだけのものができるかな?」
隼人「くそ……お、クリティカル!」
GM「それは凄い、霧谷にも負けないくらいのが出来上がる」
隼人「よし、じゃあこれを藤崎に食わせる! どうだ、俺は戦闘だけじゃないぜ!」
GM「……愛の力だな(笑)」