Novel

9:星空

 月の無い夜だった。
 普段はブリガンディアの銀の光を前にして、控えめに散らばるだけの星の光が、今宵は夜の澄んだ空気と共に、ミルクをぶちまけたような白い輝きで夜空を飾っている。
「火があるとはいえ……明るいですね。本が読めるなんて」
 トランは膝の上に置いた魔道書のページをめくる手を止めて、上空を仰ぎ見た。

 やむを得ず、互いを利用する形で組んだギルドの、とある野営の夜だった。その時間の火の番がトランに決まっていた。
 このまま、その腕に嵌ったアガートラームを持ち逃げされようなどとは、心優しいギルドマスターなどは微塵も思ってないだろう。もちろん、トラン自身だってそんなことをするつもりはない。
 武具を全て回収することは敬愛する大首領より賜った命であるし、何より利用しあう仲とはいえ、今は仲間であるのだ。あの赤い美貌のガンナーも、白金の眩しい神官も。特に神官の方──互いにいけ好かない奴だと思ってはいるのだが、それでもいざという時にはこちらの思惑通りの動きを最高のタイミングでしてくれる。おそらく向こうも同じように思っているだろう。トランにはその確信があった。
 信頼と協力し合うことは別なのだ、と感じた。利用というにはあまりにも、このギルドはアットホームすぎて。だからこれはやはり『協力』なのだ。悪の組織の幹部の言うことではないかもしれないが。

 だが向こうはそう簡単には気を許してはくれないらしい。背後に聞こえる金属音で、トランはそれを何となく悟った。
 がちゃり、がちゃり……と規則的に響く音。鎧を着たまま歩いていれば、嫌でもそうなる。振り向かず、トランは『彼』に告げた。
「心配しなくても、ちゃんと火の番はしますよ」
「……どうだかな」
 しばらくして返ってきた声は硬く、トランはその中に僅かな敵意を感じ取った。やれやれ頑なな奴だと肩をすくめ、膝の上に乗せていた魔術書を脇によけると立ち上がる。
 振り返ると、完全武装したクリスが立っていた。抜き身の剣はまだ地面を向いていたが、トランが何か不穏なことの一つでも言おうものなら、即座に鼻先に突きつけられるだろう。
 それでも口は止まらなかった。
「随分物々しい格好ですね。そんなの着て寝るんですか?」
「寝る時までこんな格好するわけがないだろう。私はただ、見張りに来ただけだ」
「見張り? わたしがやってるのに?」
「だからだ!」
 首を傾げるトラン。その態度を侮辱と取ったのか、憤りの声を上げてクリスは切っ先をトランに向けた。
「……一つ、言っておきますよ」
 クリスが一歩踏み出せば、確実に己の生命を削り取られる。そんな境地に立たされてなお、トランは冷静な様相を崩さない。
 そのかわりに、先程までは眠たげに少しだけ伏せられていた目を開き、鋭く見据えてやる。
「仮に、わたしがこの場であなた方を見捨て、アガートラームを持ち逃げしようとした、としましょう」
「っ!」
「例え話です、例えば」

 慌てた様子でさらに剣を突きつけるクリスに、手を振って答える。納得はいっていない様子だったが、それでも彼は剣を下ろした──ただし視線はやはりこちらを睨んだまま。警戒は解いていない。
 まあ、あの切り出し方では仕方ないか。それよりも早く続きを話してしまわなければ。トランは引き続き口を動かした。
「もしそんなことをすれば、わたしは武具の一つを大首領に献上できるかもしれませんが、引き換えにノエルの信頼を失い、あなたやエイプリルにも警戒されて、それ以外を手に入れることはもはや叶わなくなるでしょう」
「……だから?」
「まだ分かりませんか? ここでわたしがそんなことをするメリットよりも、デメリットの方が大きい。だからしません」
「…………」
 クリスは思案しているようだった。しばしトランの前に立ったまま、彼の言葉を信用できるかどうか。
 そして。

「……いや、やはり全面的には信用は出来ん!」
 再び構え直す。トランはその様子に僅かに落胆をおぼえた。確かに、元は敵対組織の人間である自分が少し口で言っただけで埋まるような溝ではない。
「では、どうするんですか?」
 言葉に溜息が混じる。クリスが次に取る行動は大体予測できた。
「……こうするっ!」
 鼻先にあった剣が大きく振りかぶられる。
 次いで、肩口めがけて素早く打ち下ろされていく。トランは微動だにせず、切っ先ではなくそれを振るうクリスの目をじっと見ていた。

 風を切る音がした。
「…………」
「何故避けなかった」
 憮然とした声が聞こえてくる。刃はトランの肩のすぐ上で止まっていた。
 ありがちすぎるセリフだ、と内心笑う。そしてクリスの問いには答えず、トランは一歩、前へ出る。
 剣先が震えているのが分かった。それも気にせず、クリスに近寄ると、手を伸ばしてその胸倉を掴み上げる。
「もう一つ、言っておきます」
「……?」
 真正面から見る。容易く懐に入られたことに驚いているのだろうか、クリスは目を丸くしてトランを見ていた。
 やや視線をきつくして顔を覗き込み、
「わたしを試すな!」
 それだけ言い切ると、掴んでいた手を乱暴に離す。鍛え方が違うのか、クリスはよろめきすらしなかったが、それはどうやら見た目だけのことらしい。

 星明りで見たクリスの表情は、明らかに戸惑っていた。

 トランはさっさと座り直すと、再び星の下で魔術書を広げる。火が小さくなっていたおかげでさすがに文字は読めなくなっていた。
 その横に、戸惑いの表情を浮かべたまま立ち尽くしているクリス。
「まだ何か?」
「……いや……」
 手に持った剣は闘志も何も失って地面を向いたまま。魔術書を脇に避けて火をくべながら問うトランの声にも曖昧に返すだけ。構わず続ける。
「信じられないのも無理はないです。どうしてもと言うなら襲っても構いませんよ。抵抗はしますが、至近距離ならあなたが勝ちます……ただし」
 一拍置いて、座ったままクリスを見上げる。
「ただしそうした場合、彼女らの信用を失うのはあなたの方です」
 まかり間違えば彼の剣で命を失うかもしれないというのに、トランの口調は穏やかだった。まあそうなったら所詮その程度の男だったということだ、と心のどこかで冷静に思っているのだ。

 しばらくの沈黙の後、剣を収める音が小さく聞こえた。
 そこでようやく視線を上げる。クリスは既にトランに背を向けて、テントに向かう所だった。
「納得……とはいかないまでも、状況は分かっていただけたみたいですね」
「…………」
 クリスがちらっと振り向き、僅かに頷くのが見えた。気にせず続ける。
「というか、死活を共にしておきながら、まだ警戒を解かれないことの方が、わたしにとって大問題です。仲……っとと、『一応、利用する形でとりあえず同じギルドに所属する者』の刃にかかったら、死んでも死に切れません」
「それはこっちのセリフだ!」
「ご心配なく。決着をつけるのは、全ての武具を揃えた後です」
「……全く」
 彼の溜息ですら、静まり返った夜空のもとではきちんとトランの元まで届く。
 大丈夫。協力し合える。今までだって、有事の際にはそう出来ていたのだから。

 それを信じられるということは、既に相手を信頼しかけていることだ、ということに二人が気付くのは、もう少し先の話になる。
 そしてその時にも、今日と同じように、星は輝き続ける。

 その光が、彼らを仲間だと指し示す。

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あとがき。
クリスが恋に落ちる瞬間(笑)を書きたかったのですが……友情にすらなってねえ気がする!
この時点では、 クリス←トラン という感じです。ただし恋愛ではないです。
きっとこの後すぐに クリス→→→トラン という感じになるかと思います。性的な意味で(おい!)