Novel

10:世界でたった二人きり

「頼む、七村! 付き合ってくれ!」
「…………はいぃ?」

 目を見開いたまま絶句する。
 私立瀬戸川学園にて何でも屋を営む女子高生、七村紫帆の一日は、そんな間の抜けたやり取りで始まった。
「え、ええと」
 一歩後ずさって、目の前で両手を合わせてこちらを拝むように頭を下げている男子生徒を見遣る。確か、隣のクラスの、名前は……ええと、何だったか。
 心臓に手をやる。落ち着け、紫帆。いつものごとくトクトクと脈打つ心音が手に伝わると初めて彼女は次なる言葉を発した。
「そういう依頼は、ちょっと……」
 力なく言うと、紫帆は改めて周りを見た。教室のど真ん中でのこのやり取りだ。目立たないはずが無い。案の定、クラスのみんながざわざわと、二人を取り囲むようにして遠巻きに見ていた。
 その中に八重垣ミナリの姿も見つける──彼女はちらちらと眼鏡の奥からこちらの様子をうかがうようにしていたが、紫帆と目が合うと、慌てて机に置いたノートに視線を落とした。
(委員長〜〜〜! う、恨んでやるぅ〜っ!)

 ど、どうしようどうしよう。

 一応断りは入れた、つもりだ。なのに何故目の前の彼は頭を上げてくれないのだろうか。ああもしかしてすっごくしつこい性格だとかああそんな彼氏は嫌だなあなどと、紫帆の頭の中が混濁する。

 果てしなく永い時が流れた気がした。
 次の瞬間、紫帆の目に入ってきたのは、少々申し訳なさそうに頭をかきながら「いや、そういうんじゃないんだ」などと言っている男子生徒の姿だった。


「ほんっと、びっくりした」
「全くだこの早とちりめ」
「……うー、でもどうしよう、服なんかないよ〜」
「安請け合いするからそういう羽目になるんだ、ちったぁ後先考えて……」
「あーもう、うるさいっ!」
 据付型のクローゼットをばたりと閉じ、紫帆は自分の肩のあたりでふわふわ浮かんでいる黒い影をまるで虫でも払うかのようにばたばたと手で振った。
 だがその手はむなしく空を切るばかりである。相手は幻影なのだから仕方ないことなのだが。
「三郎、選んでくれる気ないんだったらちょっと黙っててよ!」
「何が選ぶだ、『勝負服なんか持ってない』って騒いでてあんまりうるさいからだろうが」
「しょーがないでしょ! もう引き受けちゃったんだから!」

 睨み合う。
 紫帆の手には、一張羅らしき薄手のキャミソール。さすがにこの季節では寒いだろう。
 あの突然の告白は、紫帆に『一日彼女』をやって欲しい、という依頼だった。彼の中学時代の友人に見栄を張ってしまい、その友人が明日この鳴島市にやってくるので、彼女役を演じてほしい、というのがその内容だ。
 明日である。
 休日とはいえ、急すぎる。それでも依頼人のあまりの必死さに紫帆はつい頷いてしまい──現在に至る。
 年頃の女の子とはいえ、紫帆はこれまで色気の無い生活を送っていた。服装は動きやすさが第一で、スカートも持ってはいるけれど、華美な装飾のものはほとんど無い。借りる、という手も考えたが、現在のルームメイトであるミナリは紫帆以上に色気の無い生活をしている。彼女のクローゼットに入っているものが何か知っているため、ミナリに貸してもらうなどもってのほかである。
(なんで服じゃなくてリアクティブアーマーが入ってるの、あそこ)
 そのミナリは、今は部屋にいない。おそらく鳴島支部──喫茶ペリゴールに行っているのだろう。そのことがまた紫帆を憂鬱にさせる。
 あの教室での大告白依頼を、彼女も聞いているのだ。それをぽろっと柳也や薫に漏らしてしまうかもしれない。前例があるだけに心もとないのだ。
「三郎ー」
「何だ」
 溜息をついて、肩の上にいる黒い幻影を見遣る。
「服……買いにいこっか」
「勝手にしろ」
 三郎の姿が消える。何も無くなった肩の上を見て、紫帆はもう一度溜息をついた。


 そして翌日。

「……で、彼女が……」
「あっ、な、七村紫帆です。はじめましてー……」
 ぎこちなく笑う。
 おろしたての服はいつも着ているものよりだいぶヒラヒラして、スカートは買った時に思っていたのより短くて、足がスースーする。
 普段は無造作に一つくくりにしているしっぽのような髪も、今はほどいて丁寧に梳かしていた。
 全てが、自分じゃないみたいで。
(こんなんで上手くいくんだろうか……)
 心の中でがっくりと項垂れる。
 演技力にはいまいち自信が無かった。学園祭で主役を務めたことはあるものの、あれは演技というより度胸の勝負だったのだ。
『だから断ればよかったんだ、こんな依頼』
「うるさい! 一度引き受けたものを断れないでしょ!」
「なな……いや、紫帆? どうしたんだ?」
 頭の中に直接響いてくる三郎の声。思わず声を荒げたのを、依頼主とその友人が驚いた目で見ていた。
「いやっ! な、何でもないっ、何でもないです!」
 慌てて手をぶんぶん振って答えてみるも、既に遅かった。
「……面白い子、だな?」
「そ、そうなんだ、そこが可愛いんだよ、うん」
 必死にフォローしようとする依頼主も友人も顔が引きつっている。現在の紫帆はどう見ても自慢するような彼女ではない。いやそんなことは最初から自分でよく分かっているのだが。
(三郎め……あとでシメる)
 と、紫帆が心に誓っていたその時だった。

 もう既に見せびらかす気持ちもなくなっているだろう。だから油断していた。
「じゃあ行こうぜ、俺らが案内してやるから。な、紫帆?」
「え、えぇっ!?」
 突然触れられた二の腕への感触にびくりと震える。振り返ると依頼主のやや緊張気味の顔。
「ほら、話合わせてくれよ」
「え、ああ……うん」
 小声で耳打ちされて思わずかくんと頷いてしまう。何でも屋の仕事はただ彼女を紹介するだけではなかったのだ。まだまだ、今日の日が沈むくらいまでは、彼の彼女を演じなくてはならない。
 紫帆はいったん体を離すと、おずおずと手を出した。少し間があって、その手を握り返される。
「……行こっか」
「おう」
 背後で口笛が聞こえた。多分冷やかしのつもりなのだろう。とりあえず、なんとかこの場は誤魔化せたようだ。
 心臓がバクバク鳴っている──『賢者の石』大丈夫だろうか。ふとそんなことを考えると、脳裏を黒くて小さい影がよぎった。
 表情が無いはずのその影は、何故だか不機嫌になっている。そんな気がした。


 その後、鳴島市のめぼしいスポットを見て回り、カフェでお茶をして、気付けば空を夕焼けの色が支配し始めていた。
 ここまで来て、何とかボロを出さずに済んだことに、紫帆は自分で自分に拍手を送りたい気持ちになった。普段は何かとうるさい三郎も、今回はあの最初の時以来口を出してこない。どころか、まるでいないかのように気配がしないのだ。
 それを違和感だと感じ取れるほどには、紫帆は三郎と一緒の時を過ごしていた。

(……三郎?)
 ちらりと気になって、呼びかけてみる。返事はなかった。
(三郎、いるんでしょ?)
 やはり返事はない。まさか寝ているとかではないだろうな、と思いつつ、三度目の呼びかけを心で唱える。
(三郎ー?)
『だぁーっ! 何だよっ!?』
「なんだ、いるんじゃない! 返事しないから、どっか行っちゃったのかと思ったよ?」
『行けるわけないだろ! 馬鹿かお前は!? お前らのやり取りがあんまり馬鹿らしかったんで黙ってただけだろうが!』
「なっ! 馬鹿とは何よ、馬鹿とは!」

 がたん!

 椅子を蹴って紫帆は立ち上がった。いつものように大声で叫んで、幻影を見せず出てこない三郎に怒鳴りつける。
 カフェは満員だった。周りの席に座っていた他の客たちがざわざわと彼女に視線を集める。
 向かいの席に座っていた依頼主とその友人も同様、目を丸くして紫帆と見えない誰かさんのやり取りを呆然と眺めていた。
「……あ、あれ?」
 さすがに事態に気付き、紫帆はおそるおそる周囲を見回す。視線が痛い。
 傍目には『一人で何事かを叫んでいる少女』なのだから、しょうがないとも言うが。ともかくこの場に三郎の姿が出てこないことだけが、彼女にとって不幸中の幸いだった。
「あ、あの……私ちょっと、お手洗い……っ!」
 断りを入れてその場を離れようとしたが、言葉の最後の方は既に走りながらだったため、聞き取れていたかどうかは紫帆には分からなかった。


「……はー、危なかった」
「だから黙ってたのに。なんであそこで叫ぶんだ」
「う。そ、それは、条件反射というやつで……」
 紫帆は本当にトイレまで駆けてきていた。
 幸い(あれだけ混んでいたのに)他に人の姿は無く、個室に閉じこもるとすぐに三郎の幻影が姿を見せる。
 彼はやはり不機嫌そうに見えた。だがその理由が紫帆には分からない。
 そしてそれもまた、三郎を苛立たせる要因となっているようで。
「大体、あの男の依頼が気に食わないんだよ!」
「そんなの三郎が言ったって仕方ないでしょ……」
「んなこた分かってる! けどな?」
 言い合いしながら、紫帆はぼんやりと思った。
 三郎には感覚がない。意識があって意思疎通もできるが、今見えているのは紫帆の能力で作り出したただの幻だ。
 それでも、彼にじとっと睨まれているように錯覚する。
 だって彼は、言葉を持っていて、何か喋ると表情を変えて。
 ──離れることは、不可能で。

 三郎は今、何をそんなに怒ってるんだろう。
「お前はアイツの見栄のために利用されてんだ! 嘘の片棒担いでんだぞ? 分かってんのか!」
 怒鳴ってくるその内容は、今日のデート? だかそんな感じの相手のことを悪く言うものばかりだ。
「あんな奴に付き合うことはなかったんだ! 嘘吐きの、ええカッコしいの、お人よしを利用する男なんか!」
「…………三郎、もしかして、ヤキモチ?」
「なっ!?」
 やはりぼんやりと呟いた言葉は、あきらかに三郎を動揺させていた。

「な、なんで俺がそんなことをしなきゃならん!」
「すっごいキョドってるけど……」
「あーあー、うるさいうるさい! とにかく俺はアイツが気に入らないだけで……っ」
「私とデートしてたことが?」
「うるさいっつってるだろ!!」

「あ」

 捨て台詞を残して、三郎の姿が消えた。
 きっとこれ以上口論することができなかったのだろう。三郎が必死に否定しようとしても、すればするほど紫帆の言葉を肯定する結果になってしまうから。
 その証拠に、呼びかけても、三郎は返事をしなかった。


 夕暮れ。
 紫帆たちは依頼主の友人を見送るため、駅まで来ていた。
 それももう終わり、構内から外へ出ると、大きく伸びをする。とにかく緊張した。疲れた。
 彼も紫帆のその様子が分かったようで、自動販売機から帰ってくると、温かい缶を渡してくれる。それは紫帆の好きな銘柄のミルクティーだった。
「ありがと」
「それはこっちの台詞だ。ありがとな、紫帆。こんな時間まで連れ回して」
「ううん、そういう依頼だったし……」
 プルトップを開ける。彼が自分のことを『七村』ではなく『紫帆』と呼んでいることには気づかなかった。あるいは、今日一日、彼が自分を名前で呼び続けていたそのくせがまだ抜けていないんだろう、と思ったのか。
 どっちでもいいか。名前で呼ばれることに嫌悪感はないのだ。
 依頼主は紫帆の前まで回ってくる。それをぼーっと見つめる紫帆にも、彼の顔に差している赤みが夕陽ではないということは分かった。
「それでさ、もしよかったら……」
「うん、何?」
「……本当に、付き合ってくれないか?」
「うーん……って、……えぇっ!?」
 思わず飛び退った拍子に、飲みかけの缶紅茶が音を立てて地面に転がる。
 やっと理解した。彼の頬が赤かった意味。
「え……ど、どうして……っ」
「今日、凄い楽しくてさ……お前といると、ホント飽きないんだろうなって。だから、嘘じゃなくて本当に付き合いたいんだ」
「…………」
 ぽかんと口を開いたまま、紫帆はしばらく何も言うことができなかった。


 寮まで戻ってくる。ミナリはまだ帰ってきていなかった。
 紫帆一人の部屋はがらんとしていて、それに少し寂しさを感じて心臓に手を当てた。
 規則正しく脈打つ鼓動を手のひらで感じることで安心するようになったのは、いつだったか。

 あの後。
 突然の告白に紫帆は首を横に振った。
 大切な存在がいるのだと言って。恋人かと聞かれたが、それは違う。
 恋人ってわけじゃない。人かどうかすら怪しい存在だ。でも、いつも一緒にいる。

(三郎は……ここにいるよね)
 心の中でそっ呟く。
 答えは聞こえなかったが、構わず紫帆は続けた。
(きっとこんな関係は、世界に私達だけだよ)

 心臓と融合した賢者の石。そこに宿る意思とその宿主。確かに他にはいないだろう。
 こんな特殊な事態を、それでも受け入れている自分がいて。三郎がそれに頷いたようが気がして。

(だから今は、もう少しこのままで)

 二人でいようと思った。

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あとがき。
ぬ、ぬるぅ〜い……(?)三郎紫帆っぽいものが出来上がりました。
カプというか、相棒ものって感じなのですが。
で、表バージョンは書いたのでこれの裏話の柳也薫も書きました!(えろくないですよ?)