Novel

虹色クリスタルスカイ

「……やれやれ、こんなに手酷くやられるなんてね……」
 いつものように、軽い調子で言いながら、瓦礫と化した機内のシートやら何やらをどかし、群墨応理は立ち上がる。
 立っている足元は常に地震が如く激しく揺れていた。これはおそらく気流の乱れどころの話ではない。真っ先に、機を制御する人間が既に命を失っている、と応理は悟る。
「参ったなぁ……これはミスどころの話じゃない」
 肩をすくめる。やはり軽い調子だったが、その声色には苦いものが入り混じっていた。
 その足で、前方にあるはずの機長室へと進む。おそらくそこに、今回の襲撃者もいるはずだ。そこに奴らの目的のものもある。
 炎と、瓦礫と。そして屍を踏み越え、応理は歩いた。
 おそらく今回の相手は──……


 その男は機長室から出てきた。
 年の頃は20代半ばといった所か。長身を上等なスーツで包み、この惨状の機内の中、悠然と歩いていく。手には、淡く光を放つ鉱石を持っていた。
 男の所属するFHによるハイジャック事件、その首謀となるのがこの男だった。目的は彼が今持つ『賢者の石』。今回の作戦はほぼ完璧な成功といっていいだろう。
 "冷たき真紅"鵜月幹安。それが彼の名前だった。

「今回は我々の勝利のようだな、UGN」
 ふと足を止め、鵜月は言った。目の前に一人の少年の姿を認めた。
 機内のオーヴァードは、自分以外全て死んだと思っていたが、認識が甘かったか。
 少年はさしたる悔しさも見せず、やれやれと肩をすくめていた。
「こんなに手酷くやられちゃったからね。確かにこれは僕達の負け、かな」
「貴様にしては随分と潔いな、応理」
「いやあ、事実だもん。ところで、幹安?」
 あっさりと負けを認め、少年──群墨応理は鵜月の名を呼ぶ。見た目10歳の子供に馴れ馴れしく呼ばれることを鵜月は嫌っていたが、この少年は自分は不死者だの何だのとうそぶき、改めるそぶりすら見せない。
 最近はそれにも慣れたのか、鵜月は名前に関しては聞き流すことにした。
 続きを促す。
「何だ?」
「機長はどうした?」
「眠ったよ。永劫の悪夢の中で」
「それって、死んだってことじゃん」
 応理の口調は軽かったが、彼の鵜月を見る目つきには剣呑なものが混じっていた。
「そういうことになるな」
「ん? ちょっと待って? ってことはこの飛行機やっぱり……」
「程なく墜落するだろう。私はその前に脱出させてもらう」
 さっと青ざめる応理をよそに、鵜月は止まっていた足を再度歩ませた。もしかしたらここで仕掛けてくるかもしれない、とも思ったが、その時はその時だ。丁重に相手してやろうと思いながら、応理とすれ違う所まで歩いていく。

 交錯の瞬間、応理の表情が不敵な笑みに変わったのを、鵜月は見逃さなかった。
「そういえば、もう一つ」
「……?」
 ここで再び立ち止まってしまったのが、彼、鵜月幹安の不運だった。

 すれ違ったばかりの、すぐ背後にいる鵜月を振り返り、言う。
「その石、偽物だよ」
「何……?」
「この輸送部隊自体が、本物を隠蔽するための偽装、ダミーなんだ。君はまんまと引っ掛かった、というわけだね」
 成功したはずの鵜月に、少しでもその鼻っ柱をへし折るとまでは行かなくともヒビを入れる、位の心づもりだろうか、そう自信たっぷりに告げる応理に、僅かばかり眉を顰めて見せる。だが彼のやること自体に変わりはなかった。
「問題はない。私の受けた任務は『この飛行機が輸送しているもの』を奪取することだ」
「全く、熱心だねぇ……」
 やれやれ、と応理が首を振る。そして次の瞬間にはエージェントの顔になり、
「真面目なFHのエージェントを見逃すわけにはいかないじゃないか」
 言うが早いか、応理は両手に漆黒の釘を持ち鵜月に向かって投げつけていた。

 それを予想していないわけがなかった。応理の計算した弾道を瞬間的に察知し、鵜月が動いた。
 すぐさま周りに風が吹き始める。この風により、鵜月は攻撃を全て弾くのだ。
 その風に阻まれて、釘が軌道をそれて吹き飛んでいく。鵜月は微動だにせずそれを見ていた。
 だが、応理の狙いはそこではなかった。少年がニヤリと笑んだのを視界の端に認め、やっとその意図に気付く──が、遅かった。
「……これで君も任務失敗だ」
 そう楽しそうに言う応理。彼の放った二本目の釘が、鵜月の持つ『偽賢者の石』に、深々と突き刺さっていた。
 ぴしり、と音を立ててヒビが広がっていく。そして瞬く間に石は粉々になって、イミテーションの輝きを散らしながら鵜月の手から床の上へと落ちていった。

 任務失敗、という事実と、目の前の少年のしてやったりという表情。それが彼の怒りに僅かながらに火を灯す。
「おのれ──UGNっ!」
 低く唸ると、同時に彼の目が真紅に輝き出す。鵜月の能力のうちの一つであった。この目を見たものは悪夢にとらわれ、精神を破壊される。肉体的な死と何の変わりがあろうか。
 応理は視線から逃れることはできなかった。その場で凍りついたように動きを止め──……
「!!」
 一層大きな風の塊が、少年の小さな体を吹き飛ばし、応理は壁に激突した。

「……手間取らせる……だが、貴様との因縁も、これで終わりだ」
 ぐったりと、壁を背に尻餅をついた形で動かない応理を見下ろしながら、鵜月は非常出口へと歩いていく。そこは応理のいる場所のすぐそばだった。
 気にせずロックに手をかける。

 非常ドアを開けると、鵜月の能力にも劣らない凄まじい風と眼下に広がる海が、彼の視界を占領した。後はここで、待機中のFHのエージェントが拾ってくれるタイミングを待てばいい──
 その時だった。
 鵜月の体が、急にずしり、と重みを増したのは。
「!?」
「……ハハッ!」
 視線を下にやる。先ほど打ち倒したはずの応理が、彼の胴体にしがみついていた。そこから鵜月を見上げては楽しそうに笑う。
「何のつもりだ、応理っ!?」
「スカイダイビングと行こうじゃないか、幹安?」
「馬鹿な、貴様もただでは済まんぞ!」
「信じる心と妖精の粉があれば飛べるさ!」
 まるで舞台の上で歌うような口振りだった。
 片手だけを器用に離したその指の間には、やはり漆黒の釘があった。応理はそれを、鵜月の掴まっている非常口のふちに打ち込んだ。

 頑丈なはずのジェット機も、レネゲイドの力の前には薄氷を砕くようなものだった。

 彼の手の周りの部分だけが、面白いようにボロボロと崩れ去っていく。支えを失い、鵜月の体が一瞬ぐらりと揺れる。
 新たな支えを見つける前に、タイミングを見計らって応理はとん、と床を蹴った。
「うおおおおっ!」
「いやっほぅ!」

 二人の体はあっという間に深い青の中に溶けて見えなくなる。
 重力に従い落下しながら、それでもなぜか、死の危険を感じ取ることはなかった。


 漂流へ続く

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あとがき。
漂流する前にこんなことをしてました、というネタを思いついたので書いてみました。やっぱ大惨事。
ちなみに、応理が蘇ったのは《イモータルライフ》の演出ということで、ひとつ。
本編開始前だから実はまだエフェクト取ってないけど、知らん!