一日24時間

──20XX年、一月一日。赤羽神社。

きっとを願う午前一時

「ふあぁ……」
「ひーらぎ、今日は徹夜だからね! 寝てる暇はないよー」
「分かってるよ……ふぁ……」

 遠くに除夜の鐘を聞いてから約一時間。柊蓮司は毎年恒例の行事として、赤羽神社に駆り出されていた。
 すぐ近くに神田明神や湯島天神といった有名どころがあるとはいえ、この『赤羽さん』も、由緒正しいパワースポットとしてこの辺では知られている。
 柊家はこの赤羽の家のご近所さんで、いわゆる幼馴染というやつで、毎年初詣で賑わうこの神社の手伝いをすることになっている。誰が決めたわけでもないし、柊にとっては面倒この上ないが、まあ、面倒ごとを引き受けてしまうのはいつものことだから慣れっこだ。

 大晦日の晩から神社に駆けつけ、専門職ではないのでよく分からない準備の手伝いなどに明け暮れているうちに紅白も何もかもいつのまにか過ぎ去ってしまう所までが毎年代わりばえしない。
 なんとか眠気をやり過ごそうとあくびを噛み締める柊に、普段の巫女装束よりも上等なものを身につけたくれはが咎めるような声を上げた。
 社の向こうでは、彼女の母親桐華が何やら白い布のようなものを持って柊を手招きしている。
「柊くーん! 柊くんもこれに着替えてー!」
「……マジかよ」
 彼女が持っているのは男性用の袴だった。うぇぇと顔を顰める柊を、くれはが急かす。
「ほら急いで急いで! やることはたくさんあるんだからね!」
「へーい」

 手伝いに来てくれた柊のために桐華が衣装を用意してくれるのも毎年のことだ。諦めて彼はそちらに歩き出す。
 その背中を、ふいにくれはが呼び止めた。
「あ、ひーらぎ!」
「ん?」
「あけましておめでとう!」
「おお、おめっとさん」

 振り返らずに手だけ振って、柊は再び歩き始めた。

泣き声で目が覚める午前二時

 誰かの声が聞こえた。

 シン・アスカは神など信じない。もともと宗教に縁遠い土地に育ち、ハウメア信仰の深いオーブで彼は人生最初の裏切りにあった。
 この世に神はいない。どこぞのマイスターではないが、そう言いたくなる気持ちは分かる。

 彼が神社に──それも初詣客で賑わう正月の神社などに訪れたのは、単なる偶然でしかなかった。
「マユ……ステラ。眠れないんだ……どうしたらいいかな……」
 シンには何も無かった。賽銭も願い事も、安眠のうちに年を越せる幸福も、何も。
 呟く声も雑踏にかき消された。

おいていかれないための午前三時

 神聖な空気に満ちた神社。願いを胸に、長い長い階段を上ってくる参拝客。
「うごぁ……っ」
 人の波に押し潰されそうになっている犬耳娘。
 迷子の仔犬。
「うわ〜〜〜〜ん! はぐれてしまったでやんす〜〜〜〜〜〜!!」
 夜空に響く獣人(ヴァーナ)の咆哮。

 寒空の下、もみくちゃにされながらベネットは主を探した。おそらく今頃は二人っきりでラブラブ初詣を満喫しているであろう、主を。

「あっしを置いていかないで欲しいでやんす〜! うさぎは寂しいと死んでしまうでやんす〜!!」

 そうは言うが、ベネットは狼族(アウリル)であった。

諦めきれない午前四時

「ユーリ、こっち」
「お、おう」
 フレンに手を引かれて、ユーリはこっそりと列を外れ、境内の裏手側へとやって来た。
「さすがに人が多いな」
「けっこー有名な神社らしいからな……それより」
「?」
 少し道を外れただけで、そこは初詣の活気が嘘のように静まり返っている。二人きりだ。ならば、ユーリがやることはひとつだ。
「それより……ようやく初詣も終わったんだ。大晦日の続き……してくれよ?」
「ゆ、ユーリ……!」
 フレンの頬がさっと染まったのは寒さだけのせいではない。しなだれかかったユーリが、せっかくの二人きりの年越しと姫初めを中断して外出してきたからだというのを強調するべく切なげにフレンを見つめる。

「はいストーップ」

 重なりかけた唇が、柊の呆れたような声により再び離れていった。

瞬きの間に過ぎ去った午前五時

「ったく、多いんだよな毎年」
「……すみません」
「…………」
 境内の裏手。柊は先程見つけた『人気の少ない所でいちゃついていたカップル』を地べたに正座させブツブツと愚痴っていた。
 これも柊の仕事なのだ。この手の輩は毎年存在する。
「大体あんたら、俺より年上のくせに……しかも両方とも男じゃねーか」
「男同士じゃ悪いのかよ」
 正座したまま髪の長い方が柊を睨み上げる。
「別にそれが悪いとは言わねえけどさ……神社でこういうことされても困るんだよ。もういい年なんだから分かるだろーが」
 柊は困りきった顔になり、頭をかいた。慌てて金髪の方が、先程の長髪の言動を詫びるかのようにぺこぺこと何度も頭を下げる。
「本当、すみませんでした! ほら、ユーリ」
「……あー……悪かったって」
 長髪の方も一度だけ頭を下げると、二人は立ち上がった。

 気がつけば小一時間も説教していた。帰っていく二人を最後まで見送らず、柊は次の仕事へと向かう。
 続きは家でやるんだろうなと思うと、なぜだか柊の心を薄ら寒いものが襲ってきた。

心をつなげる午前六時

 初日の出の少し前、東京都某所に小規模な《ディメンションゲート》が確認された。

「ったく……なんで俺達が初詣なんか」
「まあいいじゃないの、たまにはさ」
「大体、なんで態々東京まで来なきゃならん。神社なら京都に掃いて捨てるほどあるだろうが」
「だってさ、京都はどこも人でいっぱいだよ? 伏見稲荷とか下鴨神社とか」
「はん、神社なんかどこも一緒だろ」
「だったらここでもいいんじゃない? ほらこーじろー、お子様二人はもう行っちゃったんだしさぁ……せっかく来たんだから、楽しまなきゃ損だろ?」
「ちっ、あいつら……」
「おっ、何だかんだ言って、やっぱり面倒見いいねぇ、さっすがリーダー」
「……はん、うるせぇよ」

君の声響く午前七時

「ねえねえミユキちゃん」
「何、朱香ちゃん?」
「ミユキちゃんは何をお願いしたの?」
「私は……お願いはしてないよ」
「えぇっ? どうして?」
「だって、私の……ううん、私達の“欲望(ねがい)”は、自分で叶えるものだから」
「……そっか、そうだよね」
「あっ……で、でも、願うだけならタダだし……だから、他の人が何かを願うのは、構わないと思うし……」
「えへへっ、ミユキちゃんはやさしいね」
「……そ、そんな、こと……そういう朱香ちゃんは、何をお願いしたの?」
「あたしはねぇ、自分の願いってまだよく分からないから、こうお願いしたんだ。『みんなの願い事が叶いますように』……って」

 朱香の願いに呼応するかのように、彼女の背にやわらかい太陽の光がさした。初日の出だ。

「やさしいのは朱香ちゃんだよ……」
「えっ、何か言った?」
「ううん。それより、早くリーダー達の所に戻ろう。置いて帰られたら大変だもの」
「そうだね!」

それでも誰かを思う午前八時

 丑三つ時にはぐれたベネットは、日が昇ってからようやく本気を出した軍師の手により、無事救出された。
「うぅっ……ヒドイでやんすナヴァール殿……あっしも一緒に初詣がしたかったでやんす……」
「仕方あるまい。我々はここで、陛下とアルが帰ってくるのを待ちましょう」
 閉じた目をぐるりと境内に向ける。既に初詣を開始して数時間が経過していたが、寄る人波のせいか、彼らの主はまだ戻ってこない。
 近くで無料で振舞われていた甘酒を片手に、ナヴァールは嘆息した。
「何かあればアルから連絡が来るようにはなっているし、お二人のデートのようなものだと思えばよい」
「そりゃあ、そう言われちまったら邪魔するわけにもいかないでやんす……」
「……そうだな、邪魔はできんな」
 朝の寒気が甘酒のぬくもりを簡単に吹き飛ばしてしまう。
 二人の邪魔はできない。

 我ながら損な役回りだと、ナヴァールは再度自嘲の溜息を漏らした。

コーヒーを飲み下した午前九時

 太陽も少しずつ上がり始め、参拝客も多くなってきた頃。柊は昼に備えての最後の休憩をとっていた。
「ふー……」
「お疲れ様です、柊さん。ますはその疲れた体を癒すことだけを考えてください」
「おう、サンキュ……ってうぇえっ!?」
 湯気の立つカップを渡され、柊はそれまでの疲労と眠気が吹き飛んだ。……おもに嫌な意味で。
「てっ、てめぇアンゼロット!? なんでここに居やがるんだよっ!?」
「わたくし、一応神様……の、一つ下の守護者ですから」
「理由になってねぇよっ!?」
 銀髪の美少女がいつもと変わらぬ格好でころころと笑った。嫌な予感がした柊は、受け取ったカップを反射的に投げ捨て……ようとして、アンゼロットにやんわりととどめられる。
「ご安心ください、柊さん。それは桐華さんの淹れたコーヒーです」
「え、あ、そうなのか?」
「ついでに言えば、現在あなたに請け負っていただく任務もありません。おつとめ、しっかり頑張ってくださいね」

 いつもと違う守護者の態度に、なんだか妙に居心地の悪さを感じ、それを隠すために柊はコーヒーを一気に飲み干した。

「……やはりこの神社で間違いなかったようですわね」
「何が?」
「いえ、何でもありませんわ」

泣き疲れた午前十時

「はわー……もう大丈夫だよ」
「……はい……」
「もう小さい子じゃないんだから、泣くのはオシマイ! ね」
「すいませんでした……」

 何てことだ。人で賑わう神社で危うく死ぬ所だった。シン・アスカを発見、保護したのはここの娘の赤羽くれはだった。
 まるで赤子にそうするように、くれははシンを抱き締め、髪を撫でていた。本当はこんなことをしてあげたい相手は一人しかいなかった、そのはずだった。
 だけどその相手がそれを望んでいないのだから仕方ない。今日だけは、この哀れな少年に胸を貸して泣かせてあげよう。

 そんなくれはの悲痛な想いは、シンの涙と一緒に流れ出て行ったのだろう。くれはの腕の中から放れたシンの表情はすっきりとしていた。
「よし! じゃああたしは仕事に戻るから。気をつけて帰るんだよー」
「はい、ありがとうございました」
 手を振るくれはにあわせて、巫女装束に覆われたそのはちきれんばかりのふくらみが揺れ……なかった。
「……タオル……だったな」
「はわーっ!? この……ラッキースケベーっ!?」

手紙に微笑う午前十一時

「うおお、きれいな所だな!」
 パシャ。パシャリ。
「おい、はしゃぐなみっともない」
「何だよカイト、いいじゃないか正月くらい」
「あのなあ、俺達は遊びに来てるんじゃねえだろうが!」
「分かってるって、ホラ。ちゃんと仕事もしてるだろ?」
 パシャリ。パシャ、パシャ……
「はあ……ったく」
「ジェス、マディガン。俺達はここから別行動を取らせてもらう」
「ああ、確か依頼なんだっけ?」
「クライアントの情報を漏らすことはしない」

 サーペントテールを見送ってから、ジェスは仕事──初詣の取材──を再開する。
 その隣でカイトが皮肉げに息を吐く。
「情報ったってなぁ……」
「まあな。あの子からの手紙だろ? 『シンを迎えに行ってくれ』って……」
「あの子……ねぇ。さてどの子やら……」

失くしものを探す12時

 およそ風のせいとは思えない揺れ方で、神社の大木の枝が軋みを上げた。
「あー、こちら“ファルコンブレード”。報告にあった《ディメンションゲート》跡には何も見られず……どうやら、捕捉前に逃げられた模様」
「一足遅かったわね」
「被害は何もねえみたいだけどな」
「でも一応、調査しておくべきだと思う」
「……だな」
 参道を挟んで対になって生えている木からの近距離通信に頷くと、高崎隼人は幹に手をかけ、するりと飛び降り……ようとして、ふと動きを止めた。
「……!」
 人ごみの中に偶然見つけた栗色の髪の少女に、思わず呼吸が止まりそうになる。

 ふわふわとした猫毛をまとめ、振袖を着こなしたその姿は、以前見た時よりもぐっと大人っぽくなっていた。
「別のもの、見つけちまったな」
 それはかつて隼人が守った日常と、初恋の苦い味だった。

街角を駆け抜ける午後一時

 特徴的なピンクブロンドを結えた振袖姿の少女と、その隣を歩く赤毛の青年。
 お参りも済んで、少しだけ神社を抜け出して食事までしてきて、これから再び神社に戻る所だ。
「さて、じゃそろそろ合流するか」
「はぐれたベネットちゃんも回収してあげないといけませんしね」
 何故二人がそんなことをするかというと、別行動という名の抜け駆け行為から戻ってきて一緒に帰還するためである。
「あたしは、もう少しこのままでも構わないんですけど……」
「何か言ったか、姫さん?」
「な、何でもないですっ! さぁアル、行きますよ!」
 ピアニィの目付きが年頃の乙女らしいものから戦闘時のような鋭いものへと一変する。
「さすがに多いですね……でも、見た感じ明らかにモブだから一発で一掃できますね」
「新年早々物騒なこと言うなよ!?」
「でもアルだって、すごく《トルネードブラスト》撃ちたそうな顔してますっ!」
「いや、撃ったらまずいだろ……」
「否定はしないんですね」
「……とにかく行くぞ!」
「あ、待ってくださいアル!」

 二人の戦闘狂、人ごみに突入。

デザートの無い午後二時

 狭界のとある場所。

「うふふっ、集まってる集まってる」
 お雑煮の入ったお椀を片手に、手水場の水面を見つめる少女の姿。映っている外界──ファー・ジ・アース──の神社の様子に思わずこぼれた笑みにつられて、ツインテールの飾りの鈴がちりんと音を立てる。
「その神社にゲートを繋げて、たくさんの人間を集めて、お願い事をプラーナに変換して、この『東方神社』に丸々送り込む……労せずしてこのパールちゃんが力を蓄えられる、って寸法よ」
 小悪魔のような笑顔のこの少女こそ、裏界の実力者の一人でもある“東方王国の王女”魔王パール=クールだ。
 普段の言動のおかげで残念な子扱いされている彼女だが、膨大な魔力を持ち頭も切れる。現在、名目上裏界のトップに立っている魔王ベール=ゼファーにとっては目の上のたんこぶだ。
 赤羽神社にかつてないほどの人が初詣にやって来たのも、すべてパールの策略であった。

「さーて……もっともっと赤羽神社に人を呼んでもらわなきゃね。そしてパールちゃんはここで高見の見物といこうかしら……おかわり」
 いつのまにかずずりと飲み干したお雑煮。空になったお椀をそれまで大人しく控えていた配下のデーモンに突き出す。2秒も待たずに再びお雑煮の入ったお椀が返ってくる。
「ちょっと、今何時だと思ってんの!? 普通お汁粉でしょ!」
 パールが怒りを込めた視線をデーモンに向ける。それだけで配下は粉砕された。
「まったく使えないわね。ま、いいわ……今日の夜には大量のプラーナがパールちゃんのものになるのよ!」

 先程の怒りは瞬時に収まる。ミニ袴を穿いた足を組み替え、パールは再び水面に視線を寄せた。

追いかける午後三時

「おいアンゼロット、お前いつまでここに居座る気だよ?」
「あらあら柊さん、嬉しいくせに」
「嬉しくねえよっ!?」
 午後三時のティータイム。アンゼロットと柊にとってはこれが初ティータイムとなる。
 カップを持ち小首を傾げる守護者に怒鳴ってみても暖簾に腕押し。柊の頬だけが赤くなっている。
 アンゼロットは悠々と答えた。
「心配なさらずとも、もうすぐ時間ですわ」
「時間?」
「ええ。ほら、そこに……」
 カップを置いたアンゼロットの細い指が虚空を指す。突如、そこに紅い月が現れた。
「へえ、気付いてたの」
「魔王の気配などすぐに分かります、ベール=ゼファー」
「ま、別に隠れるつもりは無かったんだけど、ね……とりあえず、あけましておめでとう、って言っておくわ」
 降り立ったポンチョを羽織った少女。銀灰の髪を揺らし目の前に立っている彼女こそが“蝿の女王”大魔王ベール=ゼファー。
 だが一般客は彼女の存在を気にすることもなく初詣を続けている。
「魔王が何かを仕掛けてくるのは分かっていました」
「そう、それで待ってたの……でも残念ながら、あたしじゃないわよ」
「何をしゃあしゃあと。ここにあなたがいるということは、首謀者でなくとも何かちょっかいをかけに来たに決まっています」
 二人の目がうっすらと細められた。

 先に動いたのはベルの方だった。
「まあ、いいわ。あたしも待つのは飽きてきた所だし。追いかけっこでも、しましょうか……?」
 妖しく笑い、次の瞬間魔王の気配は消える。同時に、紅い月も消え去り月匣は解除される。
「ちっ、待──」
「柊さんはここを動かないでください」
「はぁ!? 何でだよ」
「あなたには、今日一日赤羽神社にいてもらわなければ困るのです。……灯さん」
「……了解した」
「あ、灯!? いつの間に……」
 見れば、そこには輝明学園の制服に身を包んだ強化人間が当然のように立っていた。
「おい……!」
 柊が呼び止める間もなく、灯はベルを追って飛び去った。

ただ歩き続けた午後四時

 アンゼロットが「では、仕事始めに入ります」と言い残して宮殿へと帰っていった、その後。
 現在、柊は彼女の言いつけどおり赤羽神社で雑用をさせられ続けている。
「ひーらぎー、お茶ー」
「へいへーい」
「柊くん、おみくじの店番よろしくね」
「うぃーす……」
「ひーらぎー」
「今度は何だよ!?」
「呼んでみただけー」
「こ、この野郎……!」

 神社の賑わいに反して、世界は平穏だった。
 少なくとも、今だけはそう感じられた。

背中を見るしかなかった午後五時

 そろそろ陽がかげり始めた。初詣客もいくらかは落ち着き、跡取り娘であるくれはもようやくひと息つけたといった所だ。
「ふぅ、これでちょっとはゆっくりできるね」
「お前さっきまで茶ぁ飲んでゆっくりしてただろうが」
「はわ、あははー……」
 おみくじ売り場の中から、掃き掃除をしている柊の背中を見るくれは。頭をかいてみても、彼がこちらを振り返る様子は無い。
「ね、ねぇひいら……」
「アンゼロットの奴……何隠してやがるんだろうな……?」
「……さ、さぁね? 守護者なんだし、一介のウィザードには話せない事情があるのかもよ?」
「まあ、そうなんだろうけどよ……水臭いじゃねえか。もしそうなら、話せない理由くらい説明してくれたって」
「…………」
 くれはは柊には答えず、ひそりと溜息をついた。
 そして寂しげに呟く。
「ホント、参るわよね……そんなことあたしに言ったって、どうにかできるもんでもないじゃない」
「何だよ、愚痴くらい聞いてくれたっていいだろ?」
「さっきののどこが愚痴なのよ」
「はぁ? 意味が分かんねぇ。愚痴じゃなきゃ何だよ」
 柊がちらりとくれはを振り返る。だがそれだけだった。

「そういうのはね、愚痴じゃなくて惚気っていうのよ……」
 再び掃き掃除を始めた柊の背中、くれはは頬杖をつきながら見続けていた。

私の元には来てくれない午後六時

 パール=クールは焦っていた。
「なんでプラーナがちっとも集まらないのよ!? 魔術回路は完璧だし、異世界や色んな場所から参拝客を寄越してやったのに、全然うちの神社にプラーナが送られて来ないなんて、もう怒ったんだからね!」
 彼女が構築した『赤羽神社の参拝客の初詣のお願い事をプラーナに変換し、それら全てを東方神社にそっくり送り込む』計画が、いつまで経っても機能しないのだ。
 パールはじっくり待てるような性格ではない。癇癪持ちで、とにかく自分が気に入らないことがあれば自ら乗り込んでいくのである。

 決して無能な魔王ではない。
 だが、その性質が、彼女のツメが甘いと言われる所以だった。

 秋葉原に到着し、まっすぐ赤羽神社に向かう途中、パールは膨大な魔力と遭遇した。
「……あんたでしょ、パールちゃんの計画を邪魔したのは!?」
 紅い月の浮かぶ中、二柱の魔王が対峙する。
「言いがかりはやめてくれない? あたしは暇つぶしにウィザードどもと追いかけっこしてるだけなんだけど」
 だが、そう言うベール=ゼファーの顔には、僅かに愉悦の笑みが窺えた。

君と歩く午後七時

「ふぅ、ご馳走様でした。とても美味しいお節でしたわ」
「はわー」
「お粗末さまでした」
「……おい」
 丁寧に並べられたお膳を前に、アンゼロットが箸を置く。柊は思い切りうんざりとした表情で彼女を睨みつけた。
「何でお前がここにいるんだよ」
「それはもちろん、守護者としての責務を果たすためですわ。柊さん、くれはさん……これからするわたくしのお願いに、はいかイエスでお答えください」
「はわ、任務? まだ初詣のお客さん、残ってるよ?」
「大体お前、俺には今日一日ここにいろっつったじゃ……」
「ええ、任地がここなので、お二人にお願いしているワケです」
 そこで言葉を切り、アンゼロットは立ち上がる。すぐ横にいた柊を手招きして食事用の大きな座敷から外の廊下へと歩いていくのを、くれはが慌てて追った。

「今日、柊さんを赤羽神社に配置していたおかげで、魔王パール=クールの目論みはほぼ失敗しました。あとは、自棄を起こした彼女が直接ここを襲撃してくる可能性に備えること……」
「パール=クールってお前……大魔王級じゃねえか」
「ええ、ですから歴戦のウィザードである柊さん達のお力を借りたいのです」
 ギッ、ギッ、
 アンゼロットの足音は軽い。そのすぐ後ろを、柊とくれは、二人分の足音が追いかける。
「……さあ、わたくしのお願い……聞いていただけますね?」
 ふと足音が止まった。アンゼロットが後ろを振り返りそう聞いてきたのだ。
 柊は、彼女と同じく立ち止まったくれはを追い越し、アンゼロットの横をすり抜けていく。
 そのすれ違う瞬間。
「嫌だっつっても、どうせ無理矢理やらせるんだろ? しょうがねえ、引き受けてやるか」
「はわっ、さっすがひーらぎ」
「そう言ってくださると思いましたよ、柊さん」
 それが聞こえてくる頃には柊は既に廊下を先に歩いており、アンゼロットの会心の笑みを見ることはできなかった。

いつもあの人を見かける午後八時

 ベール=ゼファーの反応をロストし、緋室灯が報告とその後の指示を受けるために再び赤羽神社に戻ってきたその頃。
「……アンゼロッ……」
 ちょうど宮殿に戻る所らしい銀髪の守護者の姿を認め、灯は彼女を呼び止めようとした。だがそのすぐ傍に佇む男の姿を認めて緋色が揺れる。
 灯は思わず立ち止まり、その様子を陰から見てしまっていた。

「くれはさんと一緒でなくてよろしいのですか?」
「あいつは家の手伝いもあるし、後方支援なんだからわざわざ外に出ることもねえだろ。大体俺だって、神社の外まで送っていくわけじゃねえっての」
 彼、柊蓮司は見回りのついでにアンゼロットを見送りにそこにいるらしい。
 そういえば、昼間にアンゼロットに言われてベール=ゼファーを自分が追うことになった時も、二人は共にいたことを思い出す。

「……守護者と、ただのウィザード……」

 立場の違う者同士の恋。灯も体験したことがあるから分かる。それはとても困難なことだ。
 実情はどうあれ、灯はそんな風に二人のことをとらえていた。
「アンゼロット……私も、応援する。柊蓮司……もげろ」
 やがて宮殿へと帰ったらしいアンゼロットのもとへと灯も向かう。最後に一人残された柊に、呪いの言葉を呟いて。

夢追い人の午後九時

「さて……俺も一応参っとくかな」
 なけなしの小銭。鈴を鳴らし、二礼二拍一礼の慣れた手順で、柊は目を閉じた。
「今年は平穏無事に過ごせますように……」
 ウィザードをやっている限りは、おそらく無理な願いだろう。自分がどれだけ努力しても、ウィザードである以上は危険は付きまとう。
 だからこそ、神頼みするくらいしかないわけだが。

 しかし、そんな彼の願いは次の瞬間もろくも崩れ去るのである。

「ちょっと、あんたのその不浄なプラーナでお願い事なんてしないでよっ!」
「は?」
 怒り心頭の叫び声をあげて、柊の背中に突き刺さらんばかりの殺気が込められる。
 不浄なプラーナってなんだ。ウィザードのプラーナは一般人と比べて量が多く、それゆえ上位のエミレイターにとっては覚醒したてのレベルの低いウィザードは格好の獲物になったりするわけだが。
 そのウィザードである自分のプラーナをそんな風に言われたことは、柊にとっては二回目であった。
「よくも私の計画をメチャクチャにしてくれたわね! もう許さないんだからっ!!」
 声を荒げる怒りの主は、乱闘でもあったのかボロボロになったミニ袴の巫女装束を纏い、二つに結い上げた金の髪は怒気と魔力をはらんで猫の尻尾のように膨れ上がっている。
「こうなったら手段は選ばない! アンタを倒して、この辺の人間のプラーナを根こそぎ奪ってやるわ!」
 魔王パール=クール。
 人知れず進行していた裏界の陰謀は、今ここにクライマックスを迎えたのだった。

二度と巡って来ない午後十時

「あー、楽しかった! ね、アル!」
「まあな、久しぶりにゆっくりできたし」
「貴重な休息でした。我がフェリタニア=メルトランド連合王国は、これからも戦乱が待っているでしょうから」
「それを言わないで欲しいでやんす〜……」

 あれから数時間。すっかり暗くなってからようやく合流した四人は、揃って神社を出る所だ。
 今日一日、初詣がてらに休日を目いっぱい楽しんだのだ。またこれからは、女王としての激務が待っている。
 少し名残惜しげにしながら、それでもピアニィの表情は満たされていた。
「アルはどこが一番楽しかったですか?」
「俺? そうだな……神社のどこから回るか、人ごみをどうやってかわすか、じっくり戦略立ててそれをちゃんと実行できるかどうかってとこかな」
「あ、それあたしもです! やっぱりワクワクしますよね、こういうの!」
「……年が明けてもマンチは変わらずでやんすな……」
「何か言いました、ベネットちゃん?」
 にっこりと笑うピアニィに、ベネットは背筋を凍らせる。
「さあ、帰ったら新年初セッションだー!」
「おう!」
「はい」
「ええっ!? まだやるでやんすかーっ!?」

 パール=クールの作り出した時空の歪みが修正されるまで、あと二時間。

笑顔がみたい午後十一時

 それは、魔王が仕掛けたお正月の奇跡。

「は、う……っ」
 信じられない、といった表情で、パール=クールはウィッチブレードが深々と突き刺さったおのれの腹部を見下ろした。
 魔力の総量では、現在裏界で実質トップとなっているベール=ゼファーよりも勝っている。彼女がナンバーワンでないのは、ひとえに我侭できまぐれな、いわゆる『魔王的』性質がゆえだ。
 はっきり言って、ウィザードの中でもまだまだ中堅の柊に負けるような存在ではない。
 その証拠に、対峙している柊自身もまた、ズタボロになった体を引きずり、捨て身の乾坤一擲を叩き込んだ反動でもはや息も絶え絶えだ。
「こ……この、パールちゃんが……!」
 ぎり、と奥歯を噛み、パールは柊の後方で余裕の笑みを浮かべている少女を睨みつけた。輝明学園の濃紫の制服の上の羽織ったポンチョが風になびく。
「柊蓮司、今回はパールをやってくれたことに免じて見逃してあげる。じゃあ、今年もよろしくね」
 そう言うと後ろの少女、ベール=ゼファーの姿が消える。柊は嫌そうな顔をしていた。

 その顔が、パールが最後に表界で見たものだった。

「……冗談じゃねえ」
 パールも消滅したことにより、支えを失ったウィッチブレードが地面に落ちる。同時に柊もその場に倒れ込んだ。
「せっかく平穏を願ったってのに……正月から嫌なこと言うんじゃねえよ……」
 紅い月が晴れる。大の字に寝転がり、柊はそのまま目を閉じた。

誰かの温度を感じる12時

「……ん?」
 気がつくと、だだっ広い和室の真ん中に敷いた布団の中にいた。
 確か襲撃してきたパール=クールを、ベルの手助けもあってなんとか倒し、そのまま気を失ったのを思い出す。
「柊さん、此度の任務お疲れ様でした。今はその疲れた体を癒すことだけを考えてください」
「……あ!? アンゼロット!?」
 声に反応して飛び起きる──思ったとおり、布団のすぐ傍には世界の守護者がいた。いつもの黒いドレスを着て、家の人に出された玉露を手に、柊をにこにこと見つめている。
「な、なんでお前がここに……!?」
「その質問は今日で三度目ですよ」
 アンゼロットが湯のみを置き、体を起こした柊に少しだけ身を寄せる。
「まずは、任務達成の労いの言葉を言うためと……」
「……?」
「それと、どうしても今日中に言っておきたくて」
「何をだよ?」
 柊の疑問にすぐに答えることはせず、アンゼロットがさらに体をぎゅっと寄せてくる。慌てて後ずさろうとした柊を制し、守護者は顔を上げた。

「あけましておめでとうございます、柊さん」

 それは魔王が仕掛けて、人と守護者が迎えた、お正月の奇跡。

「……おう、おめっとさん」
 背中に回される小さな手の体温を感じながら、柊も小さくそう答えた。
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お題提供:White lie様 『一日24時間』より