拍手お礼ログ その2

電話で伝えるアイシテル(クリトラ・現代パラレル)

 その日。
 社宅に帰ってきたトランは不自然なほどの上機嫌だった。
「ただいまー」
「ああ、おかえ……トラン、何かあったのか?」
 顔にやけてるぞと指摘するクリスもものともせず、トランはカバンを置くともったいつけて懐を探る仕草をした。
 クリスが首を傾げたのも束の間。口で効果音を出しながら、トランは『あるもの』を取り出した。

「じゃーん。わたくし、トラン=セプター、遂に携帯電話を購入いたしましたー!」
「おー」
 クリスはおざなりに拍手で返した。彼にとっては携帯電話はごくありふれた文明の利器でしかないからだ。だがトランにとっては違ったらしい。
「ふふふふふ……これで……これで社外に居ても連絡が取れます……ちょっとクリスにお使い頼んだり、ちょっとクリスにパシらせたり、ちょっとクリスにアシを呼ばせたり……」
「……なんで俺を使うことしか考えてないんだ」
 携帯電話に頬擦りするトランを半眼で見つめながら、クリスは深く溜息をついた。そしてふと思い立って、トランにたずねる。

「そういえば、使い方分かるのか?」

 一瞬の後、絶望的な表情でこちらを見返してくるトランの姿に、クリスはもう一度深く溜息をついた。


「……と、ここまでは分かったか?」
「え、ええ……何とか」
「全く、ここまで機械音痴だとはな……」
 強そうに見えるのに。と何の根拠もない感想をクリスは述べる。一方のトランは、クリスに分かりやすく書き出してもらった通話の仕方と携帯の画面とを交互ににらめっこしている。
「なあ、じゃあ俺の電話にかけてみてくれ」
「わ、分かりました。やってみます」
 クリスが自分の携帯を出した。トランはぎこちなく頷くと、人差し指で慎重に、クリスの番号を押していく。
「えーっと……090の…………」
 通話ボタンを押すと、聞きなれた呼び出し音が鳴って、トランは少しだけほっとした。

『……もしもし』
「もしもし……ほっ、どうにかかかりましたね……ありがとうございます、クリス」
『いや……』
 電話越しに聞こえてくるクリスの声も、いつも家電や会社の電話から聞こえてくるのと同じ。礼を言うと、クリスは何かを言いよどんだ。
「……? 何ですか、クリス?」
『トラン』
「はい」
『愛してる』
「…………は?」
 目をパチパチさせて、目の前のクリスを見る。彼は普段通りの──より正確に言えば、普段愛を囁く時と同じ真剣な表情をしていた。
「ええっと……」
 なぜ今なのか。何故電話越しなのか。そして何故このタイミングでなのか。何一つ分からない。
『この電話使うの、今のが初めてだろう?』
「え、はぁ、そうですが……」
 それを聞く前に、やはり電話越しにクリスが語りかけてくる。トランは頷いて続きを聞くしかできなかった。

『最初に話すのは俺で、最初に言う内容はこれが良かった』
「…………」
『トラン? 返事を聞かせてくれ』
 目の前にいるのに、声は正面からではなく、耳元から聞こえてくる。そのいつもと少しだけ違う感覚に惑いながらも、トランは口を開いた。
 返事というのなら、もう決まっている。

「わたしも……愛してますよ、クリス」

 そう言って、正面にいる彼ではなく、音が耳元に届くように、トランは携帯電話に口付けた。

手繋ぎショッピング(藤崎隼人)

「いい加減俺のベッドを買え!」

 と啖呵を切ってそれを(渋々だが)承諾させたはいいものの、ショッピングモールまでやって来た隼人は、ここに来て尻込みしていた。
 この入り口を通って、エレベーターで二階に上がって、角を曲がれば寝具売り場まではすぐのはずだ。だがあんまり行きたくなかった。
 理由は簡単。

 視線が痛いからだ。

「……おい」
「何だ」
 ちらりと隣に視線をやると、いつも通りにスーツをかっちりと着こなして、ミラーシェードで目元を覆う男の姿が目に入る。隼人はうんざりとぼやいた。
「ガキじゃねえんだからさ……コレはないだろ」
 言って軽く右手を振る。ちなみに利き手だ。
 普段はやる気なさげにぶらりと垂れ下がっているその手は、藤崎の左手に捕まえられたまま、数回ぶんぶんと振られてまた元に戻る。
 藤崎は僅かに視線を落として何やら考えるそぶりを見せた。ふむ、と軽く息を吐くのが聞こえると、掴んだ──ごく一般的に言えば『手を繋いだ』状態にあるそれをさらに強く握りしめる。
「おい!」
「私から見れば、君はまだまだ子供だ」
「お前は子供にあーいうことをすんのかっ!?」
「ああいうこと、とは?」
 さらりと答える藤崎にぐっ、と詰まる隼人の意思を無視して、藤崎は彼の手を引きショッピングモールの入り口をくぐる。
「っておい! 聞いてんのかっ!?」
「管理下にあるチルドレンを野放しには出来ない」
「単独行動くらいできるっつーの!」
「君一人に任せておくと、余計なものまで買いそうだからな」
 そんな言い合いをしながらも、隼人は決して手を振り解こうとはしない。いやむしろ、藤崎の手のひらからじわりじわりと伝わってくる熱と感触を楽しむかのようにぎゅっと握られたままだ。
 そして、この先別々に寝ることになったら、毎夜のこの感覚(大体において手のひらだけではすまないのだが)を受けることも無く明日を迎えることになるのだということに、ふと思い当たる。

 昨日と違う今日、今日と違う明日。

 今日迎えた朝とは違う朝が、明日からはやって来る?

 心の端に浮かんだそんな考えに、気付けば隼人は足を止めていた。
「……やっぱ、いいや」
「何がだ?」
 急に歩みを止めた隼人を、藤崎が怪訝そうに振り返る。隼人は俯いたまま小さく呟いた。
「ベッド、やっぱ買わなくていい」
「ふむ……君がそう言うなら、構わないが」
 いつの間にか二人は寝具コーナーのすぐそばまで来ていた。いつエレベーターに乗ったのか隼人は全く覚えていないが、ここまでずっと藤崎の手に意識の全てを集中していたのだろうということに気付いて、その頬を染めた。
 それを隠すように、隼人は藤崎の手を引き、枕のコーナーへと入っていく。
「代わりと言っちゃ何だけどさ、枕買ってくれ、枕」
 無造作に思える隼人の手の動きはしかし、正確に彼の目当てのものを掴んで藤崎の眼前に持ってくる。
 通常の枕と違うそれは、フェルト製の生地で大きく『YES』と記されているのが分かった。
「YES/NO枕! これでアンタも察してくれると嬉しいんですが!」
「それを買うのはやぶさかでないが……」
 強気な笑みを浮かべる隼人に、藤崎はあくまでも冷静に返す。
「その枕、両面とも『YES』と書いてあるぞ」
「…………え?」

 隼人はおそるおそる、手に持った枕を確認してみる。確かに両面とも『YES』と書いてあった。
「では、会計を済ませるか」
「ってオイ! ちょっと待てぇぇぇえええっ!!」
 手早く隼人から枕を奪い取り、藤崎は会計へと歩いて行った。無論、手は繋いだまま。

 二人のショッピングはもう少し、続く。

キスはやさしい林檎味(ゼロロイ)

 しゃくり。
 口の中に広がる程よい甘みと酸味。

「ロイドくーん、はかどってる?」
「だああああっ! 全っ然終わんねー!」
 綺麗に皮をむいて芯を取り、八つ切りにした林檎。その最後のひとかけらを口に放り込みながら、ゼロスは部屋の主に声をかけた。
 それに答えたのか、それとも偶然のタイミングかは分からないが、ともかく彼、ロイドはこちらに背を向けたまま頭を抱えて机に突っ伏しているのが見えた。
 彼が下に敷いてしまっているのは、今まで溜めに溜め込んだ大量の宿題の山。少し前ゼロスがこの部屋を空ける時に(二人部屋だ)見てから、それがほんのいくらかでも減った様子は全く無い。
 元来飽き性なロイドはどうやら完全に煮詰まっているようで、机に伏したまま唸っている。
 すぐ後ろまで歩くと、先程の衝撃で床に落ちた宿題のプリントらしきものの一枚を拾い、白紙なのを確認して思わず苦笑した。
「あーらら、さっぱりだねぇ……こりゃ今日の買出し、代わってもらった方がいいんでねーの?」
「え、それはヤダ!」
 慌ててロイドが起き上がりゼロスを振り向くと、このままカンヅメは嫌だと激しく主張する。

 本日の買出し及び食事当番は、この二人がおこなうことになっていたのだが、今まで出された宿題を後回しにしまくっていたことが彼の教師の怒りを買い、「宿題が終わるまでは外出禁止」とのお言葉を頂いたため、ロイドはこうして溜まった分のツケを払わされることとなった次第である。
 もちろん、ゼロスが教えても良かったのだが、逆に(主にいちゃついて)はかどらない可能性があると言われて、仕方なく街をぶらぶらしたり、小腹がすいたので買い置きの林檎をデザートがわりに剥いてもらったりしていたのだ。
 そして時は過ぎ──もうそろそろ太陽が地平線に隠れそうである。

 作業中の机は避けて傍にあるソファに腰を下ろし、ようやく口の中の林檎を全部飲み込む。
 頬杖ついてこちらを振り返ったままのロイドの懇願が聞こえた。
「なあゼロスー、手伝ってくれよ。分かんねーとこばっかりだし腹減ったし外出られねーしさー」
「まーこの調子じゃ、宿題終わる前にくたばっちまうかもな」
「だろ! それにこのままじゃせっかく二人で出かける日だったのに台無しになっちまうし……」
「…………」
 ロイドの口からそういう言葉が出てきたことに少しだけ動揺する。ただの買出しとはいえ、向こうも二人で出かけるのを楽しみにしていてくれたのだ。これが嬉しくないわけがない。
「しょうがねえなぁ」
 とは言いつつも、内心は凄く浮かれていた。
 手伝ってやろう、という意図を汲み取ったロイドが、それ以上に嬉しそうな笑顔でもってゼロスを隣に招いたのだから。

「とりあえず、ロイド君は糖分補給な」
「とうぶん?」
 宿題の仕切り直し。多分二人でやっても今日中に終わらせるのは無理だろうから適当な所でお許しを得に行くことにして、だ。
 まずはロイドの煮詰まった脳を働かせるために必要なのは糖分だろう。そう考えたゼロスは、状況がつかめずキョトンとするロイドの顎を引き、顔を近付けた。
「──んむっ!?」
「ま、果糖だが無いよりはマシだな……ついでに俺様のやる気もアップで一石二鳥」
「……林檎の味がする……」
 唇を離し、もっともらしく頷いてみせるゼロスに対し、まともな反応の返せなかったロイドはいったん思考回路を動かすのを放棄して、口の中に僅かに残る爽やかな甘みと酸味を反芻していた。
「あー、さっき食ったからなぁ最後の一個。俺様とガキンチョとコレットちゃんとしいなで二切れずつ」
「マジかよ!? 俺食べようと思ってたのに!」
 悲しいかな、ロイドの脳を活性化させたのは、指折り数えてカット林檎の行方を淡々と報告するゼロスのそんな無慈悲な言葉だった。
「分かったって、今日ついでに買えばいいんでしょーが」
 非難めいた目で睨まれて、ゼロスは僅かに後ずさりながら机の上に山積みされた宿題を指差す。
「そのためにも、な? 早いとこ終わらせようぜー」
「……そうだな」
 溜息混じりに首肯するロイドの声が聞こえて、ほっと胸を撫で下ろす。だが彼はすぐには宿題に取り掛からなかった。
 ゼロスの腕の辺りがちょんちょんと突付かれる。
「なあ、もうひと口、林檎味」
 見れば視線は正面を向いたまま、指先だけでゼロスに触れながら、ロイドが呟いていた。
「もうほとんど味残ってねえけど?」
「そんでもいいよ。もう一口」
「……あいよ」

 二度目は一度目よりやさしい味のような気がした。

飛び切り甘いキスで起こしてね(クリトラ)

 ぱちりと目を開けると、鈍痛が腰を襲った。
 ひとたび視線をめぐらすと、すぐそばには見慣れた金の髪が映り、それでいくばくかは痛みが和らいだような気がして、それでやっとトランは表情を緩めた。
「おはようございます、クリス」
「おはよう……その、大丈夫か?」
 こちらを覗き込むように降り注ぐクリスの視線には答えず、トランは無言で両腕を差し出していた。
「……?」
「起き上がれません」
「……すまん」
「いいから起こしてください」
 ばつが悪そうに項垂れるクリスの腕に触れて、起こすようにせがむ。いくら寝起きとはいえ、自分がここまで素直に甘えていることにトランは内心驚いていた。

 少しの間を置いて、クリスがトランの腕を取った。そのまま起こしてくれるものだとばかり思っていたので、彼に体重を預けたが、次の瞬間トランの体はふわりとベッドに仰向けに横たえられていた。

「…………あれ?」
 一瞬、視界が薄暗くなる。覆い被さったクリスが影になっているのだと気付いた時には、既に彼はトランの唇にかすかな感触だけを残して離れていった。
「もう少し、寝ていろ」
 そして見上げる先に、少々照れくさそうにベッドに座るクリスがいた。
「しかし」
「いいから寝てろ」
「いや、お腹すいたんですが……」
 朝食を取りに行きたいのだとの意思表示のつもりだったのだが、それもあっさりと無視される。クリスはトランの頭をひと撫ですると、ベッドを立ち上がった。
「俺が持ってくる」
「……寝たまま、食べろと?」
「心配するな」

 振り返りもせずにクリスが答える。既にドアへと歩き出していた足を一瞬だけ止めると、
「俺が食べさせてやる」
 とだけ言い残して部屋を出て行った。
 後ろ姿のためよく見えなかったが、あきらかに口元は笑っていたな、というのがトランには分かった。

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お題提供:Capriccio