「私に話とは?」
普段は優しく聞こえる彼の声が、今はやけに冷たく響くように思える。アンソンは向けられた視線を正面から見返すと、彼──敬愛する幻竜騎士団長リシャール・クリフォードへと申し出た。
「先輩の……婚約者についてです」
「またその話か」
リシャールの声音がふと柔らかくなるのを感じた。
「ピアニィ・ルティナベール・フェリタニア……先輩の婚約者が、まさかバル……」
「アンソン」
人差し指を自らの唇に押し当て、リシャールが咎めるように小さく名を呼ぶ。
「ゴーダ伯からの任務のことは聞いている。ピアニィ様がそうであるかの確証は、今のところ私にもない」
「しかし、先輩!」
押し殺したようなリシャールに、しかしアンソンは食い下がった。拳をぐっと握りしめ、気が付けば叫んでいた。
「もし情報が本当だとすれば、先輩は婚約者を失うことに……」
アンソンの所属する幻竜騎士団特殊部隊、通称『ファントムレイダーズ』に下された任務。それは、アルディオンに戦乱を撒き散らさんと暗躍する『バルムンク』なる組織の首領、フェリタニア女王ピアニィの抹殺であった。
だがアンソンには、リシャールの婚約者であるらしいその少女を討つことに幾許かの躊躇いがあったのだ。自分でさえこうなのだから、まして当の本人であるリシャールの心中は……そう思うと、アンソンの気持ちは沈み、思わず御前にかかわらず俯いてしまう。
だが驚くべきことに、リシャールからは思ったような反応は見られなかった。
「確かにピアニィ様は聡明で美しく、素晴らしい素質を持つ方だ。彼女が私のもとへ来てくだされば、『グラスウェルズはまた一つ強大な力を手に入れることになる』」
「……え?」
思ってもみない彼の言葉に、アンソンははっと顔を上げた。リシャールはいたって普通だ。……普通すぎるくらいに。少なくとも、婚約者を讃えた後の表情には見えない。
「あの……先輩は、その婚約者のこと、気にならないのですか?」
咄嗟に出た質問は我ながらに拙かったなと、アンソンは後悔した。だが噂によると、『リシャールはピアニィが真に彼を受け入れるならば全ての忠誠を捧げても良いくらいに入れ込んでいる』とも聞いていたというのに。この反応は淡白すぎやしないか?
アンソンの疑問を解消するかのように、リシャールは薄く笑ってみせた。
「アンソン、私が忠誠を誓うのは偉大なる白竜王国グラスウェルズとフィリップ陛下のみだ。フェリタニアに下ることはありえない」
「そ、それはもちろん分かっていますが……」
「ならば私がピアニィ様をどう思うかも、分かるんじゃないか?」
「…………!」
眼鏡の奥に隠された鋭い眼光に、アンソンは気付けば竦んでいた。
「もちろん、婚約者としては彼女のことは大切に思っているよ。だがそれは、彼女が私のもとへ来てくれたら、の話だ。それに今はバルムンクを討つことが先決だ」
それだけ言うと、リシャールは歩き出した。すれ違いざまにアンソンの肩を叩き、激励の言葉をくれる。
「ピアニィ様のもとについている騎士……粗野で無礼で苛立つかも知れんが、腕は確かだ。気を抜くなよ」
「はっ!」
「すべては白き竜の御旗のために」
アンソンが敬礼するのをみとめると、リシャールは一つ頷いて騎士団の本営へと向かっていった。
「そう……真に警戒すべきはあの騎士殿だ。なにせ私が欲しいと思うくらいだからな」
歩きながら思い出す。愛しいと思っていたはずの自らの婚約者を護っていた双剣の騎士に一瞬で心を奪われた。その未完成な太刀筋にも、強気な光を放つ琥珀の瞳にも、何もかも。
俯き加減にリシャールがそう呟くのを、アンソンは聞くことはなかった。
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capriccio様