拍手お礼ログ その10

義理

『柊さ〜ん! バレンタインおめでとうございま〜す!』
「うげっ!?」
 変わらぬヘリコプターのローター音、変わらぬメガホンを通した女の声。
 変わらぬこの身。変わらぬ年中行事。

 柊の手には、既にモテ男の象徴となってしまっている黒くて甘い西洋菓子などただのひとかけらもなかった。それは別に彼がまったく女性にもてないというわけではなく、彼のもとへチョコレートがたどり着くまでには世界の一つや二つ滅ぼせてしまうほどの膨大なエネルギーや運命の力が必要となってくるためである。
 早い話が、柊にチョコレートを渡そうとした女性がなぜか『ちょっとした』不運により渡せなくなってしまったり、真心込めた手作りチョコレートになるはずだったものがそこいらの雑魚エミュレイターならば一瞬で倒せてしまうほどの恐ろしいクリーチャーへと変化してしまっていたり、理由は様々だがとにかく柊の手にはチョコレートが渡らないようになってしまっているのである。
 何という運命の悪戯であろうか。

 メガホンからの声はそんなものはお構いなしに柊へ呼び続けた。
「ちっきしょう、今度は何の用だよアンゼロット!?」
『せっかくのバレンタインだというのに、誰からもチョコレートをもらえないかわいそうな柊さんのために、慈悲深いわたくしからプレゼントを差し上げま〜す』
 ヘリコプターの下部がぱかりと開き、柊めがけて何かが落ちてくる。それはチョコレートでもなんでもなく、いつもの柊捕獲用の檻だった。
『さあ、ちゃっちゃか任務に出向いてもらいますわよ〜、ハリーハリー!』
「何がプレゼントだこの野郎ぉぉぉぉぉっ!? ちょっと一瞬でも期待しちまった俺が馬鹿みたいじゃねえかっ!? うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
『それは〜、帰ってきてからのお楽しみで〜す。ご安心くださ〜い、わたくしには、柊さんにチョコレートを渡す程度の義理は持ち合わせているつもりですから〜』
「何が義理だ、この悪魔ぁぁぁあああっ!? うおぉぉぁあああああっ!?」


 こうして柊は任務へと赴いた。
 ショコラ・フレーバーの紅茶を飲みながら、アンゼロットは微笑む。
「ええ、義理、ですよ柊さん。義理……ですからね」
 ツンデレは聞く相手がいなければ成立しないことも忘れて、まるで自分に言い聞かせるように呟く。
 柊蓮司にチョコレートを渡す。それには並大抵でない運命の力が必要だ。
 そう……世界の守護者が『義理だから』と言い訳をしなければおいそれと曲げることが出来ないほどの、である。
「柊力の前では、義理として渡すのが精一杯だなんて……まったく、たいしたお方ですわ、柊さん……」
 また義理って言った。
 アンゼロットはしばらくそんなことを繰り返しながら、柊の帰還を待っていた。

だって、(お菓子なんて作れないのに)

「えーっと、まずはこの板チョコを温めて溶かす……」
「それならエルザ先生の出番ですね!」
「エルザ姉様っ、お願いします!」
「ええ、分かったわ。任せて」
 にこり。柔和な笑みの魔術師は板チョコを手に取り、

「《インフェルノ》っ!」

 溶かしたチョコレートになりたかった板は見事に炭化した。
「……あら? ちょっとやりすぎたかしら」
「ど、ドンマイですよ姉様!」
「そ、そうそう、まだこれからです! 次は……えーと、この生クリームを泡立てましょう!」
 とん、とボウルに入った生クリームは、まだ滑らかな液体のままだ。
「力仕事なら、あたしに任せてください!」
 それを取り、泡立て器を構えるのはアキナ。

「せーの……とぉりゃああああああーっ!」

 愛を込めて力を込めて、アキナは生クリームをかき回した。溢れるばかりの愛の力の前に、まだ十分泡だっていなかった生クリームのもとは部屋中に飛び散った。
「あ、あれ……?」
「アキナちゃん、諦めちゃダメです! 今度こそ、今度こそこのチョコレートアイスで挽回です!」
「は、はいっ、ピアニィ様!」
「頑張ってください、ピアニィ様!」

 姉妹の声援を受け、残る一人のピアニィは今度こそと念じながら型に入れたチョコフレーバーのアイスのもとを持ち上げる。
「行きます!」
 最初からある程度出来上がっているこのアイス作成セット、あとは冷やすだけなのだ。冷やすだけ、冷やすだけ……何度も心で繰り返し、ピアニィは息を吸い込んだ。

「《フロストプリズム》っ!!」

 直後、チョコアイスになりたかった氷の塊が三人の前に姿を現した。
「う〜ん、サバイバル料理なら得意なんですけど……」
「あ、あたしは剣の稽古ばっかりしてて……」
「(ノリに合わせただけで、本当は普通に作れるって今から言ったら、まずいかなぁ……)」
 チョコレート作りは前途多難である。


「……っ!? な、なんか寒気が……」
「いや〜モテる男は大変でやんすなぁ〜」

不器用な君

 その日、ジェスはきれいにラッピングされたチョコレート菓子を一口つまんで満面の笑みを浮かべていた。
「いや〜、セトナの手作りチョコ、美味いな!」
「ありがとうございます、ジェスさま」
「ふん」
「カイト! せっかっくくれたんだし、お礼くらい言ったらどうだ?」
「別に誰もくれなんて頼んじゃいないだろう」

 その日はバレンタインだった。セトナは『いつもお世話になっているお礼に』と、二人にチョコレートを作ってくれたのだ。
 だがお礼を言って嬉しそうに平らげたジェスとは逆に、カイトは何も口をきかずにこうして仏頂面をさらしているだけだ。
「またまた〜、ホントは嬉しいくせに」
「誰がだっ!」
 からかうようにジェスが言うと、カイトはむきになって鼻を鳴らしそっぽを向いた。どうやらただ照れているだけではないらしい。
「まったく……難しいヤツ」
「いいんですジェスさま、きっとマディガンさまは甘いものが好きではないんですよ。男の方には、そういう方が多いと聞きました」
「もったいないよな、美味いのにさ」
 呟く声にもカイトからの反応はなく、ジェスはそれきりチョコレートについて言うのをやめた。


 その日の夜。
 セトナがいつも通りふらふらとどこかへ消え、カイトの姿も見えない。ジェスはなんとなく寝付けなくて、カメラの整備がてら一息入れることにした。
 備え付けの冷蔵庫を漁ると、昼にセトナが使っていた板チョコの残りがあった。それを取り出し、湯煎にかける。
 溶かしたチョコレートにミルクを入れて温め、出来上がったホットチョコレートをカップに入れて戻ろうとすると、横合いからいきなりカップを奪い取られる。
「カイト!?」
「美味そうだな、俺にも少し飲ませてくれ」
「いいけど……お前、甘いもの嫌いじゃなかったのか?」
「誰がそんなことを言った」
 驚くジェスだったが、カップを奪った犯人──カイトは意外そうな顔で、湯気の立つホットチョコレートを一気に流し込む。
「あっ! 全部飲んだな!?」
「悪いな、あんまりにも美味かったもので」
「はあ……まあ、まだあるからいいけどさ」
「なんだ、まだあるのか……なら、そいつも寄越せ」
「おい、カイトっ」
 ジェスが止める間もなく、カイトは残りのチョコレートをカップに移す。
「どういうつもりだよ!?」
「バレンタインだからだろ」
「はぁ?」
 ますますわけが分からない。バレンタインを無視してさっさとどこかへ行ってしまったくせに、今更何を言っているんだ。
 ジェスの疑問は、目の前に突き出されたカップと、少しだけばつが悪そうな表情のカイトによっていったん押しとどめられる。
「カイト?」
「俺は……本命からしか受け取らないんだよ」
「本命って……あ」
 突き出されたカップを受け取る。ジェスははっとした。カイトが探し求めていた人物のことだ。
 確かに、カイトらしいといえばカイトらしい。自分だけを必要としてくれる人を求めていた彼にとっては、本命チョコ以外は受け取るに値しないのかもしれない。
「お前って、結構失礼な奴だよな」
「余計な気を持たせないと言え」
 もう探し人は見つかったのだからと再び難しい顔をするカイトに、つまりは先ほど取られたホットチョコレートが彼にとっての本命だということに思い至り、ジェスはまだ飲んでもいないホットチョコレートのように熱くなった。

ほんとはチョコよりキスが良い

「なあ、フレン」
「ん?」
「バレンタインだからって、別に無理にチョコ作らなくたっていいんじゃねえの?」
「無理はしてないよ? それにせっかくバレンタインなんだし」
 実に上機嫌で、チョコレートをかき混ぜるフレン。テーブルに座ってその背中をじっと見ていたユーリをふと振り返り、相変わらずの太陽のような笑顔を向けてくる。
「ユーリ、甘いもの好きだろ?」
 実に楽しげに。いつもながら眩しすぎる。
「いや、それが最近はそうでもなくって……」
「そういえば、エステリーゼ様はチョコレートケーキに挑戦すると仰ってたな……」
「えっ」
「ジュディスは隠し味にチョコレート入りのトンカツ、パティはチョコレートフォンデュ、あ、レイヴンさんもチョコクレープを作るそうだよ。リタは面倒だから買うって言ってたけど……」
「…………」
「……ユーリ、ニヤけてるよ?」
「はっ!?」

 仲間たちが作るという数々のご馳走に思わず空想の世界へ飛んでいきそうになったユーリを現実に引き戻したのは、いつの間にかテーブルまで近づいてきていたフレンと、彼の手に持った溶かしチョコレートの甘いにおいだった。
 実に期待の目で。ユーリのために心を込めて作っているのがよほど嬉しいのだろう。そうだろうそうだろう、人のために愛情込めて料理を作るのはとても幸せなことだろう。
 だがフレンの場合、勝手が違う。これはやばい兆候だ。何としても、フレンを止めなければ。
「つーか、お前はどっちかというと貰う方なんじゃねえ? だからオレがやるからお前はそれを食っとけ」
「最近はそういうのって、あんまり関係ないみたいだよ。それに、僕がユーリにあげたいんだ」
「う……」
 非常にまずい。悪気がないから困る。

 こうなったら奥の手しかない。ユーリは立ち上がって、いまだチョコレートを混ぜ続けるフレンの手にぺたりと自分の手を重ねた。
「オレ、チョコよりお前の方がいいんだけど……」
「え……ちょ、ユーリ?」
「チョコじゃなくて、フレンのくれよ」
「……仕方ないな」
 フレンがボウルを置いた。よし、第一段階はクリアした。
 あとは当日までチョコレートのことを忘れさせるくらいに抱いてもらえれば、今年は勝ったも同然だ。


 ユーリのその目論見は、翌日ぐったりとした体を起こすさわやかな声とむせ返るようなチョコレートの匂いにより、失敗したことを悟るのであった。。

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お題提供:capriccio