NOVEL

真っ白な気持ちからはじめよう

 最初はただの気まぐれだった。
 ただ、若いながらも頑張っている弟のために、少しだけ実家の仕事を手伝ってやろうという兄の親切心だったのだ。
 それがどうしてこんなことに。
 ジークはそんなことを考えながら、こちらにじっと向けられている熱い視線から逃れるかのように視線をティーカップに落とした。

「取引相手ってあんたか」
 扉を乱暴に開けて、ジークはゲストルームにいた人物の顔を見ては僅かに目を見開く。
 リオスのとある宿に、デーニッツ商会と取引をしているアイヤールの領のひとつから使者が送られてくるから、それを迎えに行けというのが現当主である弟ベルハルトからの言伝であった。だが、その使者とやらの顔を見てジークは驚いた。
「久し振りだな」
「あー、そういや前にチラッとだけ会ったっけな、確か……」
 使者の正体を知ってなお、ジークは普段どおりだった。それが彼の長所といえば長所なのだが、おそらくこの場にベルがいたら憤死しそうなほどの無礼講ぶりである。
 使者はそれでもそんなジークに気分を害した風もなく、笑ってみせた。
「赤砂領レザナード領主のアリオスだ」
 初めて会った時と同じ言葉を持って。

 質素ながらしっかりとした縫製の衣服に身を包み、手にはセスタスを嵌めている。額に生えた小さな角を隠すこともせず、どことなく不遜な雰囲気はジークと通じる所があるようにも見える。
 ああ、前に会った時と本当に変わってない。アリオスのことをそうよく知っているわけではないが、ジークはなんとなくそんなことを考えながら、彼に導かれるままに室内に通され、宛がわれた椅子にどかりと腰を落ち着ける。
「ふむ、当主殿はどうやら、こちらの要望をちゃんと酌んでくれたようだ。わざわざ出向いた甲斐があったな」
「あん?」
 ジークは眉を顰めた。早速商談に移るのかと思えば、アリオスはやけに嬉しそうにチェストに並べた茶葉を一つずつ確かめている。
「どういうことだよ?」
「こっちでの商談では、使者にお前を寄越すようにと言っておいたんだよ。まあいるかどうかまでは分からなかったが、これは運がよかったな」
「……なんで、俺?」
 自分を指差して不思議そうなジークには答えず、チェストを彼の目の前まで持ってくる。
「まずは茶でも飲もう。デーニッツ商会から仕入れたんだ。好きな茶葉を選んでくれ」
「ふーん。じゃあこれ」
「それが、好きなのか?」
「別に。飲んだことねーから選んだだけだよ」
 ジークが選んだのは、主にテラスティア大陸北方で栽培されている銘柄の茶葉だった。リオスで生まれ育った彼にはあまり馴染みがない種類のものだ。
 そういう適当な所もまた彼らしいといえば彼らしいか。

「で? 商談ってのは、何すればいいんだ?」
 湯気の消えたティーカップをテーブルに戻す。不思議なことに、先程からアリオスはお茶を飲むジークをじっと眺めては時々これまでの冒険の話などを聞いてくるだけで、一向に商売の話をしようとしない。
 さすがに不審に思い、そう訊いてみたはいいものの、商人としては最低限のことしか知らないジークは目の前で頬杖をついてこちらを見つめるアリオスのポーズを崩すことはできなかった。
「そうはやるな。ここでしばらく俺の話し相手になってくれればいい」
「はぁ?」
「商売のことなら、今俺の部下がデーニッツ商会に直接赴いて話している」
「おい」
 がたんっ。ジークが立ち上がる。
 つまりは自分がここに来たのは単にアリオスの接待のためだと分かったからだ。

──何で俺がそんなことをしなきゃならん!

「帰る」
「待て!」
「待たねえ!」
 言い捨ててドスドスと足音を響かせてドアに向かうも、ふとジークは腕をつかまれたたらを踏む。うんざりと睨みつけたその先には、予想通りアリオスがいた。
「何だよ、わざわざ俺がいなくてもいいだろ? 暇つぶしなら他を当たってくれ」
「そういうわけにもいかん、こっちはこれが目的だったんだ」
「……は?」
 おいちょっと待て目的はうちの実家との商売の話じゃなかったのか。そう問いただす前に、ジークの視界をアリオスの体が塞ぐ。背中にふわりとおりてきた手の感触に、自分が抱き締められていることに気がついた。
 ジークには見えなかったが、この時アリオスは顔を押さえて「しまった」と零していた。
「お、おい……」
「何から話せばいいか……そうだな、とりあえず、一目惚れだった」
「な、何がだ!?」
「商談は口実だ。お前に会いたかったんだ」
「……えーっと」
 頭上から聞こえてくる言い訳じみたアリオスの言葉に、どんどん体の力が抜けていく気がした。つまりはこいつは、俺に会いたいがためにわざわざ商売のためにと理由をつけて、はるばるアイヤールからリオスまでやって来て、いるかどうかも分からないジークに会うためにこんな小細工までやってのけた……と、そういうこと。

 そっと顔を上げてみる。目が合うとアリオスは、ジークに彼らしからぬ取り繕ったような笑みを見せた。
「…………あんた、バカだろ」
「バカで構わん」
 ようやくこの会合の意味と今の状況を理解したジークの照れ混じりの皮肉も通じなかった。いや、むしろ先程よりも堂々としている様子なのを見るに、おそらく開き直ったのだろう。いつの間にか先程までの少々情けない笑みも消えている。
「俺、嫁候補がたくさんいるんだけど」
「ライバルは多い方が落とし甲斐がある」
「嫁どころか男にまで言い寄られてるんだけど」
「なら、言い寄る男が一人増えた所で大して違わないだろう」
「……あー……」
 アリオスは一歩も引かない。第一、ジークが拒んだ所で彼を取り巻く現状に大差ない。ならばもう認めるしかない。
 だからもう、抵抗はしなかった。
 ジークが溜息をついたのを承諾の証だと取ったのか、アリオスがそっとジークの顎を引いた。

 自分が実家の仕事を手伝おうなどという気まぐれを起こしたのは、彼に堕とされる予感だったのかもしれない──唇に触れる温かい感触を受け止めながら、ジークはなんとなくそんなことを考えていた。

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お題提供:Fortune Fate

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あとがき。

アリオス卿の一人称が分からないよ……!ということで一応『俺』にしてあります。私の好みで(笑)
そして来るもの拒まずなジーク様。人それをビッ(ry……いやいや、帝王の度量ですヨ?うんうん(目をそらす)

もえぎ。様、リクエストありがとうございました!