NOVEL

無邪気な声で「信じてる」

「と、いうわけだ。陛下には分かっていただけた」
「そうか……」
 静かな報告を終え、ナヴァールは机の上に広げていた兵法書を閉じる。それと同時に、横に立っていたアルの表情がふっと緩む。
 ナヴァールが顔を上げてアルを向いた。
「だからもう、余計な報告をする必要はないぞ。……いや、しない方が良い、と言った方がいいか」
「どういうことだよ?」
「私の口から必要な報告のみを過不足無くしたのだ。陛下はアルを信じると仰っていたからな」
 ふとナヴァールの口元が上を向く。
「アルは人の心に響く言葉を言うのは得意だが、基本的に説明は苦手だろう?」

 軍師に与えられた部屋で交わされる、密やかな会談。
 二人は今この時、彼らの仕えるべき女王にも言えない秘密を共有しているのだ。

「……バルムンクと接触したなんて、どうやって説明したもんか俺には見当もつかねえしな」
 諦めたようにアルが肩をすくめる。

 今までずっと、騎士としての任を離れて単独行動を取っていたのにはわけがある。それは当然のことだ。何の理由もなくアルは責任を逃れるようなことはしない。それは彼の『約束』に律儀な性格からも窺えることだ。
 だが──ことの子細については、さすがに主人たる女王にすら話せない事情があった。
「ま、姫さんがそう言ってくれるんならこっちの気は楽だが……」
 安心したようにアルが肩をすくめる。彼は無意識に、自らの片目を手で覆っていた。
 そこは師の──剣聖テオドールの魂が一時期だけ宿った際に、その証拠が表れた場所。
(テオ……)
 かの剣聖は、あの瞬間間違いなくアルの家族であり、かけがえのない人であった。夢の中で会ったようなあの対決で、アルにはそのことが痛いほど身にしみた。
 自分が彼を想うのと同じくらい、テオもアルのことを想っていてくれたことを。
 テオのことを思い出すと、手のひらで隠した琥珀色の瞳が、今また青く変わるのではないかという錯覚にとらわれる。
 それを遮ったのは、立ち上がってアルのかざした手の上にそっと重ねられたナヴァールの手であった。

「……旦那?」
「大切な人を失う、そのつらさは私も分かるつもりだ」
「……っ」
 ナヴァールがアルの手を下ろさせる。再びあらわれた瞳は、変わらず琥珀色をたたえてナヴァールに向けられている。
「剣聖テオドール・ツァイス。直接会ったことはないが、アルの話を聞くに素晴らしい人物だったのだろう」
「そんな言うほどでもねえぜ? 腕は確かに凄いけど、気まぐれだしいい加減だしすげー理不尽だし」
「アルにそういう悪態をつかせることができる時点で、それほど気の置けない関係だったということだ」
 言いながらナヴァールは強い疎外感を覚えて、アルの手を離した。テオドールのことを話す彼の表情は至極穏やかで、そして寂しげに見えた。
 ナヴァール自身も、つらい別れを体験したことがあるから分かる。忘れられない人を想うとき、人はこんな顔をする。
「……テオドール殿が羨ましいよ」
「は? 何でだよ」
「…………」
「旦那……?」
 アルの眉が怪訝そうにぎゅっと寄せられる。ナヴァールは静かに、だが明らかに取り繕った笑みを浮かべてみせた。
「いや、良い弟子を持ったのだな、と思ってな」
「何だ、それ。羨ましがるようなことか?」
「それはもちろん。理想的な信頼関係だったと推測するよ」
 なおも問いただすアルに返答を濁し、ナヴァールは再び座して閉じていた兵法書に向かった。
 死してなお君にそんなに想われることが羨ましいのだ、とは遂に言えなかった。

「んじゃ、俺はそろそろ戻るか」
「ああ。そうそう、説明はしなくても良いが、やはり陛下には顔を見せてさしあげろ」
「分かってるよ。じゃあな」
 扉が開く音を、兵法書に視線を落としたまま聞く。そのままアルは部屋を出るものだとばかり思っていたが、なぜか彼の気配はいまだ消えていなかった。
「……なあ」
 ぶっきらぼうな声がした。ナヴァールが返事をするより早く、アルは続きを口早に言った。
「俺はあんたのことも、ちゃんと信頼してるぜ」
「…………ありがとう」
 小さな感謝の言葉は、果たしてアルに届いたのだろうか。

 おそらく彼の言う信頼は、テオドールに向けるもっと絶対的な絆とは違う種類のものだろう。
 だが、それでも。
「それでも、嬉しく思うよ、アル」
 一人になった部屋で、ナヴァールは呟いた。

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お題提供:Fortune Fate

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あとがき。

テオアル前提のナヴァ→アルということで、ちらっとノベルのネタも(ネタバレにならない程度に?)混ぜてみました。
どうやらあの件に関してはナヴァールが陛下に上手く言ってくれた、らしいので。
『前提』の部分を強調しようとしてテオアルがかなりラブラブになってしまったのはご愛嬌(笑)

行様、リクエストありがとうございました!