コールド・コフィン





 自由が与えられている、とはとても言えないかもしれないが、その小さな城の、限られた区画だけは三成は自由に行き来できた。
 近従する者たちは限られており、皆家康に言い含められているのか三成には丁寧で対応はよかった。欲しいと望むものなど滅多になかったが、たまに控えめに望めばそのまま用意された。生きていくのになにも不満や不足はない。
 ・・・刀は取り上げられている。鎧も。外を歩くための草履などの履物も。
 それでも縁先から眺める庭はうつくしかったし、こぶりの天守から見える街の様子や、道行く人を眺めるのも面白く、飽きることはなかった。ときに仕事らしいことをしたいと思うこともあったが、それはあまり真面目に受け取ってもらえず、せいぜい書物や筆記具が与えられたり学のある僧侶が話し相手に来る程度である。
 だから家康が来るのだけが、三成には唯一の刺激で、己が生きていると感じることのできる時間だった。ずっと前に、秀吉や半兵衛と話ができるのを待ちわびていた頃に少し似ている。



 家康は、此処に三成を閉じ込めた最初の頃は、日を置かず三成の顔を覗きに来た。いるか、三成、と少し不安げな声で三成を呼んだ。はい、家康さま、私は此処に。と応えると安堵した表情をし、けれど直後に少し寂しそうな顔をする。それを不審に思い見つめていると照れたように笑って、不自由があれば言えよと優しく言って、少しだけ一緒に茶を飲んだり、家康の話すことを黙って聞いたりするのが日課だった。
 命を無理に繋がれて、薄暗い地下牢で長い永い時間放置されていたとき、こうやって生かされているのは何故だろう、生きているのは何故だろうと三成は考えて、考えて、けれど結局分からなかった。ただ日が経つにつれ自分が呼吸をするのと同じくらい自然に、家康を探して待っている―――そうやってここ数年はずっと生きてきたのだと、それだけは自覚した。
 殺してやる、と呟いていた声は徐々に力をなくし、家康と呪詛こめて叫んでいた声はいつのまにか途絶えた。豊臣が潰えてなにもかもなくなったと、世話をしてくれていた若武者が控えめに伝えたとき(きっとそれは善意に違いなかった、屈服してほしいという優しさの。)、三成は黙ってそれを聞いていた。
 秀吉を喪った悲しみや怒りが消えるわけではない、・・・どうして家康がああしなければならなかったか、三成は今もやはり分からない。秀吉が中央に、その両脇に自分と家康が立っていてもうまくいっていたと心底思う。当時家康が何を憂い、何を悩み、三成を切り捨て秀吉を倒したのか、漠然とこうであろうかという想像はできても三成の納得するものではなかった。
 ただわかったことは、・・・結局三成は、家康を憎んでいたわけではなかった。
 牢屋で再会した家康から何処へなりと行けと言われたとき、三成はその言葉の意味がすぐには理解できなかった。こんなに長い間待たせて、閉じ込めて、私に何を期待して生かした?ただ放り出し捨てるためだけに生かしたのか?死ぬことすら赦さず―――興味もないのに何故拾う?所詮は最初から彼の目に自分などうつっておらず、どうでもよい存在だったのかと思うと全身から力が抜けた。
 豊臣はなくなり、僅かに三成を大切にしてくれた知己も皆去り、三成が生きる理由も見るべきものも、もう家康しか残っていなかった。捨てるなら何故拾う?何故殺さない?ひとりで知らぬ間にのたれ死ねばいいと、“命令”されて、三成はその冷たい背中に声をかけていた。
―――どうすれば赦されますか、
―――どうすれば見てくれますか、と。



 家康はそして、振り向いてくれた。従属せよと言われた。望んだとおりだった。
 ひとりはいやだ。



 従属してから、家康“さま”、と三成は呼ぶ。自然とそうなった。秀吉と同じ己の太陽だと思えば不思議でもなんでもない。
 家康は否定をしなかったのでなおさらそうすることがごく当たり前になった。時折夢に秀吉と半兵衛が出てきて悲痛な顔をして三成を見る、・・・それは憐れみに似ていて決して憤怒の表情ではなかった。申し訳なくただ三成は夢の中でこうべを垂れる。―――跳ね起きて、ぐっしょり汗に濡れた身体で身震いする。
 大抵は、家康に抱かれた後の夢だ。
 隣にまだいるときは、家康は、どうした?と優しく訊いて三成を抱きしめる。罪悪感に(家康と、秀吉たち両方への)眩暈がして歯を食いしばる。何故生きている、今すぐ殺せと叫びたくなり―――
、それでも、三成は己を抱きしめる優しい腕を喪いたくない。
 もう、失いたくなかった。
 家康さま、と呼びながら強請ると家康は優しい口づけを呉れる。そしてまたはじまる、夜が、―――昏いつめたい夜が。温かいのにつめたい何かが胸を濡らす。



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 いつの頃からか、家康は三成を抱く間、少し態度を変えるようになった。
 家康さま、と普段どおりに呼ぶとたしなめられる。呼び捨てろと言われて三成は困って長い睫毛にふちどられた双眸で何度も瞬きをするしかなかった。それでも命令は命令だから、しょうがなしに控えめに、家康、と呼ぶと、ぞくりとなにかが背を駆け抜けた。
 ずっと前を思いだしたからだろう。
(・・・なんだろう、この感覚は?)
 家康は怒るかと思いきや、にやりと笑って、もっとそうやって呼べと命じた。ますます困って三成が視線を伏せると、今度は少しきつめに、ワシを呼び捨てろ。そうでないと此処からお前を捨てる、と言われて三成は唇を開いた。
「い、・・・家康・・・」
 そう、と呟いて家康は三成を胡坐かいた膝の上に抱きかかえ、じっと顔を覗きこんだ。それから小さく笑って、口づけをくれた。緩慢に吸い上げていた唇はやがて大胆に激しくなり三成の呼吸を乱す。水音と、飲み込みきれないこぼれた唾液が互いの口元を濡らして光る。その間に家康の手は三成の鎖骨を辿り、脇腹をなぞり、肉の削げた腹筋を数え上げるように指で擦り、やがて三成自身を焦らすように指先だけで弾いたり、そっと擦り上げたり、する。こみ上げる感覚に背が撓り、猫の子の啼くような甘い声が喉元から震えた。
 床に押し倒されて、名を呼ばれる。返事をする余裕などなかった。ずっと前にもこうやって抱かれた―――三成は思いだした。は、は、と短い呼吸で吐き出したい欲求を散らしていると、我慢しなくていいぞと耳元に囁かれた。その声にまたぞくりと全身が震えた。
「い、いえやす、さま・・・ッ」
「・・・呼び捨てろと言っただろう。いいか、三成、ワシがお前を抱くときはワシを、・・・以前のように。罵って、叫んで、憎んでいると言え。ワシを呼び捨てて、殺してやると声を限りに訴えろ。いいな?」
「―――そ、れは、」
 何故そんなことを求められるのだろう?
 理由も意味もわからず、三成は俄かに返答できず瞼をきつく閉じた。家康は握り込む掌を緩めると、一度三成の頬に口づけてから顔を腹筋のあたりまでずらしていく。何をされるか理解して三成は羞恥と申し訳なさと僅かの期待に身をよじらせた。逃げるな、と命じられそれ以上動けないところを捕まって、家康の温い口内の粘膜に捉えられ、三成は文字通り悲鳴を上げた。
「い、ア、ッ・・・あ、家康、さまっお赦しを―――!」
「・・・呼び捨てろと言っただろう!」
 苛立ったように怒鳴られ、敏感な先端に歯を立てられて三成は仰け反って啼いた。
「それにお赦しを、じゃない!殺してやる、だろうが!」
 快感と少しの恐怖と混乱に苛まれて、三成はただ首を左右に振って啼いた。根元をぎゅっと締めつけられながら弄られるように追いたてられ、解放を赦されないのだと気づいて、長い甲高い叫び声が喉からこぼれおちる。ぐちゃぐちゃと響く水音の恥ずかしさに涙が滲んだ。解放されたい、したくない、申し訳ない、でも―――
「お、お赦し、を・・・」
「違う!三成ッ」
「あ、んん・・・ッ、家、家康・・・!!」
 もはや朦朧としながら言われるままに呼び捨てた。家康は、そうだ、と言った。どうしてこんなことを求めるのだろう、わからないまま三成はがくがくと痙攣して、腕を伸ばし己の欲にしゃぶりつく家康の短髪をきつく掻き毟り、引っぱった。言え、三成、と家康が命じる。うすら目を開けて三成は己を叱咤し、唇を開いていた。
「こ、・・・殺して、やる・・・ッ」
 ―――途端に、戒められていた部分が緩んだ。三成は嬌声を―――文字通り、女のような―――上げて身を捩る、白い飛沫がどくどくと溢れ壮絶な快感に声もなく瞼の裏がまっしろに飛んだ。
「・・・いい子だ、」
 家康の呟きが聴こえた。彼の口中に吐き出したと知って、申し訳なく謝ろうとすると後孔に家康の指がつたう、ぐたりと力の入らない身体を無理矢理に起こされて膝立ちにさせられた。屹立したものがあてがわれて、家康が自分の中に分け入ってくるのだとぼんやり思った。
 逞しいそれは三成の予想した以上に巨大で、先端を受け入れるだけでも苦痛をともなったがずるりと中に入ってしまえば深くつながり、久々にくるなんともいえない痛みと熱と欲の渦に三成は意識が飛びそうになるのをかろうじて耐えた。三成、とこれも余裕のない声がして―――けれど、また不思議な宣告が。
「ワシを憎んでいると、言え、三成」
(・・・どうして?なのだ?)
 三成は混乱する頭で、必死に考えた。揺さぶられて前立腺を的確に弾かれて啼かされながら考えて考えて、でもわからない。いやです、と控えめに訴えると、仕置きだといわんばかりに中心をきつく握られ攻められた。
「言え。言わないと、このままお前を放置してワシは去る」
(・・・どうして?)
 三成は涙を零した。何度も何度も言ってきた言葉を―――蘇らせる、もう必要ないと思っているのに。
「い、いえや、す・・・殺してやる・・・ッ」
「・・・・・・」
「家康・・・家康・・・家康!お前を、殺して・・・憎んで・・・ッ、あ、」
 家康は、笑った。晴れ晴れとしていた―――
「それでこそ三成だ、・・・ワシは嬉しい」



(・・・・・・どうして?)



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 家康は、最近来ない。
 世話をする者にそれとなく問えば、忙しくしておいでなのです、なにせ天下人なのですからと嫌味とも本心からの誉れとも微妙な返答が来た。三成は黙っていた。
 退屈には慣れていたが、家康が来なければ生きている価値もない。
 一度そう呟いてしまって、そのことが世話役から耳に入ったのだろう。家康はあるとき言伝をよこしてきた。いくつかの鍵の束と一緒に。
「なんだ、これは?」
「この城の二の天守にまだいくつかいろいろ部屋がございますので、面白いものもあろうかと。好きなように散策してよろしいとのことです」
「・・・」
 別にそんなことに興味はなかったが、三成は黙ってその鍵束を受け取った。どの扉がどの鍵かは御自分でお試しくださいと子供の宝探しを促されるように言われて少しばかりむっとしたが、それもまた家康からの気遣いかと思うと腹はたたなかった。三成は鍵束を手に部屋を出た。
 思った以上に鍵は多く、そして思った以上に城は入り組んでいた。三成は少しずつ楽しくなって、毎日ひとつずつ知らない扉を開けて歩いた。あるものは武具庫であったり、あるものは古今の書物がたくさんあり、あるものは美しい反物があったり。なにもなくただ豪勢に設えられているだけの部屋や、昔は誰かの部屋だったろうか、というものもあり、また隠し部屋などもあった。
 一度、家康が顔を出した。三成は少し笑った。家康はそれを見て、探索は面白いか、と訊いたので三成は頷いた。そうか、と家康は満足そうだったが、その鍵束を見て少し眉を顰めた。
「・・・三成」
「はい」
「その、・・・ひとつだけ、どこにも合わない鍵がある。が、それは何処か、詮索してはならない。守れるか?」
「はい。勿論」
「そうか」
 家康はにこりと笑った。



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 それからまた、一人の日が続いた。
 もしや自分は家康に捨てられたろうか、と三成は不安になる。しかし言伝だけはやってくる。だから無視されているわけでもない。本当に忙しいのだろうかと迷いつつもただじっと待っている日がすぎる。
 やがて在る日、家康の馬の蹄の音を聴いて、三成は少し安堵した。もう鍵はすっかり全ての扉を探しあてていた。三成はそのことを話そうと部屋で待った。
 けれど家康は来ない。不審に思い三成は待ったが、やはり来ない。あの蹄はもしや空耳だっただろうかと思いながら、三成は家康の居室に行ってみようと思い立った。
 この城での家康の居室は本来は長い渡り廊下で繋がれており、その間に番兵が立っているため行くことはできないが、今日に限ってどうしてか誰もいなかった。三成は吸い込まれるように家康の部屋の方向へ進んだ。少しばかり心が咎めたが、きっと赦してもらえるだろうとどこか暢気に考えて進む。
 途中で、ふと、見知らぬ曲がり角に気づいた。ごく短いものだったがその先に何もない行き止まりがあるだけである。おかしなつくりだ、と思って近づき、三成はその突きあたりの壁にそっと触れて気付いた。―――鍵穴が、ある。
(・・・最後の?)
 鍵束を袂から取り出して、数えてみる。確かに一本だけ、どこの扉とも合わないちいさい鍵があって、けれど詮索するなと言われていたため記憶から追い出していた。三成は少し躊躇したが、やがてそっとその鍵を壁の小さな穴に当てた。
 ―――かちり、と音がした。三成は息を止めた。どうしよう、と思う間もなく、掌が押した壁はすうと向こうに開いて、三成はその先に階段があるのに気づき立ちつくした。階段の先は暗く、・・・
(・・・家康、さまも、この先に?)
 三成はそっと足を踏み出した。



 長い細い階段を、随分降りた。城の天守は通常の土地の高さより高いが、それ以上に地下へもぐっていっているのか、それとも城の半ばなのか、光が届かずよくわからない。三成は暗闇に目を慣らしながら少しずつ降りていく。
 ・・・やがて小さな空間についた。誰かいるのか、ほのかに燭の明りが見えた。三成は身をこごめて低い入り口をくぐった。家康であれば怒るだろうか、と思ったが誰の気配もない。
 だが、室内の真ん中に置かれていたものに、三成はぞっとして息を止めた。
 黒く塗られ、銀でところどころ装飾された柩が其処に悄然と横たわっていた。誰かの墓なのだろうか、と三成はすこし恐ろしくなった。けれど死体が入っているならばもっと生々しい臭いと空気があるはずだったが其処にはそんなものはなく、ただ清浄な雰囲気だけがむしろ厳かに存在していた。あるいは空っぽなのか、それとももうほねになってしまった誰かなのか?
 三成はながいことじっと佇んでその柩を見ていたが、やがて意を決してゆっくりと近づいた。男が一人眠るにちょうどいいくらいの大きさで、ただの飾りのためにこんな形のものを作って此処に置いたとは考えにくかった。散々迷って、―――三成は結局、柩の蓋に手をかけた。
 此処は家康が、秘密にしている場所に違いなかった。だからこそ最後の鍵を使うな、知ろうとするなと言い渡してあったのだろう。家康の大事な人の亡骸でも入っているのだろうかとふと考え、そうするといてもたってもいられなくなった。
 息を殺して、祈りを心の中で捧げて、三成は蓋にかけた手に力を籠め――― 一気に、開けた。



「・・・・・・」



 中に、一瞬人が眠っているのかと思い三成は目を瞠った。
 見慣れた色、見慣れた形、いつかの・・・いつか。ずっと前だ。
「・・・・・・私の、・・・鎧?」
 関ヶ原で負けて捕えられたときに身につけていたものに違いなかった。鎧は両腕の籠手やすね当てまできちんとそろっている。両手を胸の上で組んで仰向けに横たわる格好、何かを祈るようにその黒い箱の中に横たわっていた。一目見た限りではほんとうに人が永遠の眠りについているようだった。三成は食い入るようにそこに沈められている、自分がかつて纏っていた鎧を見つめてじっとしていた。
 ずっと見つめているうちに、三成の網膜の上でやがて鎧は完全に人の形をとった。抜け落ちている頭部に自分の顔が輪郭を描いてゆく。やがてそれは三成自身となる。静かな表情で満足げに彼は柩に横たわっていた。懐かしいような、気の遠くなるような。
「・・・お前は、・・・誰だ?」
 ふと、その鎧の脇に鈍く煌くものを見つけて三成は思わず手を伸ばした。おそるおそる取り出してみると、果たしてそれは秀吉から贈られた刀であった。二枚拵えてある鍔もきちんと、あの頃のまま揃っている。三成は震える手で鞘と柄を両手に握り、そっと息を吐きながらすらりと刀身を引き抜いた。ぎらりと銀色の刃が光を反射し―――刀身は磨かれてよく手入れされていて、三成は嬉しさに思わず声をあげた。刃の波紋の中に自分の顔がうつっていた。柩に眠る男と同じ―――けれど何処か違う。
 抜いた刀を、鞘を口に咥え振るった。重みを思いだして、筋肉の落ちた腕力が抗議の声をあげたが三成はぞくぞくとその感覚に酔いしれた。これを振るっていた頃のことを色々と思いだす。秀吉がいて、半兵衛がいて、刑部がいて、黒田がいて、・・・



「―――何をしている?」



 急に響いた低い声に、三成は無意識に刀を構え、振り返った。
 家康が、立っていた。
 三成はぼんやりと、刀身を構えたまま考えた。此処は何処だ?私は何をしていた?家康は、・・・家康・・・
「三成。・・・最後の鍵は使うなと言ったはずだが」
 怒りの籠った声に、三成はようやく我にかえった。
 私は何を、と声が出た。がらんと音がして冷たい床板に刀が落ちた。足元に転がる刀を見つめて俯いていると、家康が近づいてきて拾い上げる。手の中で大切そうに傷がないか調べ、家康は三成をじろりと睨むと、その手から勢いよく鞘を奪い取った。茫然とする三成に背を向けると柩のほうへ歩いてゆく。
 家康は刀を鞘へ納めると、そっと鎧の脇の、元の位置へその刀を置いた。
 おやすみ、三成、と。
 家康が柩の中のうつほの鎧にうっとりと小さな声をかけ、優しい眼で見つめる、そして静かに指先で鎧の上を撫でるのを、三成は愕然と見ているしかなかった。



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 もう何度目の絶頂だろう。三成は数えることすらできない。
 言いつけを守らなかった仕置きだ、と言われ、柩のある部屋でそのまま床に殴り倒された。以後は散々に抱かれ弄ばれている。
 赦しを請う許可すら与えられない。いつもの逢瀬と同じだ。憎しみの言葉を、謳を吐けと命じられる。ワシの大事なものを暴いた、言うとおりにしろ、ときつく命じられ今日は特に家康の機嫌は悪かった。三成は当然抵抗できない。何度も何度も貫かれ、中に射精され、三成の後孔からとぷとぷと家康の滾りが零れ落ちても家康はまだ赦してくれない。そして命じられる、・・・
「三成、・・・ワシが、憎いか?」
「!そんな、ことは・・・ッ」
「憎いと言え。ワシを殺したいと言え。命令だ」
(・・・どうして?)
 揺さぶられて感覚を削がれて押し上げられて放り投げられて、もうなにもかもわからない。
 黒い柩が隣で静かに佇んでいる。まるで隔てられた別の空間にいるようだ。あの中にいる鎧をまとった“誰か”は―――きっとこんな行為を知らない。うつくしく清らかに、穢れることなく眠っている。
「ワシが憎いか。ワシを嫌悪するか」
(そんなことはありません、・・・そのはずだ、私は)
「豊臣がいいか。戻りたいか。あの頃に戻りたいか。あの頃、に、」
(―――あの頃?)
 いつのことだろうと三成は朦朧と剥離する思考を必死に手繰り寄せる。秀吉がいて、半兵衛がいて…刑部がいて黒田もまだ仲間で…それから?
 自分の開いた口を歯の根ごと掌で抑えつけて有無を言わさず何も応えさせず、ただ問い掛けてくる、この男―――
(・・・家康、さま・・・も、いた頃だろうか。同じ旗の元にいた。隣にいた。私の隣に―――)
(だとすれば今と同じだ。何か違うのか?何が違う?)
 三成は言葉を紡ごうと口を開けるため必死に顎に力を入れた。僅かに開いた唇の端に家康の指がかかりこれでもかと押す、呼吸まで妨げられて圧迫感にたまらず、気づけばその肉を齧っていた。がり、と音がして温い鉄錆の味が口中に広がり、しまったと我にかえり三成は目を瞠る。
 見下ろす家康の表情は歪んでいた。
 親指と人差し指の間のみずかきを食い千切ってしまったことに、三成はうしろぐらく謝罪しようとした、また声にならない声をあげて口を開けようとする。唇は自由になったが、さて今度は喉元へ血のゆるりと滴る家康の手が伝いおりておさえつけ、三成は苦しさに文字通り悲鳴をあげた。
「ワシがそんなに、憎いか?三成?」
「ち、・・・ちがっ、・・・」
 違います、と言おうとしているのにすべて言いきる前に唇は家康の唇に塞がれる。
 言わせてくれない。赦されない。聴いてもらえない。
(すきだ、と)



 何度目か意識を手放し、やがて目覚めたとき、家康は三成の傍らにはいなかった。すぐ傍の柩を見つめている。
 やがて丁寧な所作でその箱の―――否、“豊臣にいた頃の自分”の鎧・・・亡骸が入った“柩”が、ゆっくり閉ざされるのを三成は横たわったまま見た。
 もはや二度と会うまい。
 さようなら、と言葉が出そうになったが飲み込んだ。
 “柩”はそのままその部屋に残された。あの鎧の、刀の、柩のためだけの部屋だったのだろうか、と三成は、力の入らない身体を家康に抱きあげられながら思った。
 二人が出てしばらくして、誰かが扉を閉めたのだろうか、階下からなにか重苦しい音がしたがもう何もなかったかのように家康は三成を抱きかかえたまま階段を登る。地上はいつの間にか夜になっていた。
 同じ闇でも、地底の穴倉とは違ってどこか明るい。
 家康は無言のまま、やがて辿りついた自室のひとつで三成を下ろした。畳の上に転がされてぼんやりと天井を眺めていると、家康がまた上から圧し掛かってくる。口づけられる。
(・・・嗚呼、)
 またはじまる、暗い夜が―――
「三成、・・・ワシが好きか」
 いつも問われる。何度も問われる。何度同じ答えを言えばいい?きっとこの男は三成の言葉をまるで信じていないのだ。哀しくなって三成は黙っていた。そうすると家康は表情を曇らせた。
「・・・ワシへの憎しみを、すべて思いだしたのか?」
 項垂れ、やはり鍵を取り上げておくべきだった、と、呟く声が聴こえた。そうではない、と三成は否定したい。あの部屋でかつての自分の鎧や刀を―――亡骸を見せられて、だからどうだと?
 もう全部終わった。すべて失った。
(この男が奪った)
 奪われて殺したいほどに憎んだはずが、そうではなかった。憎んで憎んで、いっそ自分がいなくなったほうが楽なのではないかとすら思い絶望に身を苛まれ、なのに事実はそうではなかった。家康が断ち切った“絆”には、秀吉と三成の絆だけでなく、三成と家康の絆もあって・・・むしろそのことこそが信じられず納得もできず、三成は問い続けるしかできなかった。
 私がお前に何をした?
 私のすべてを奪ったお前が、“絆”の何を説くというのだ?
 ・・・そして未だ、家康からの答は返らない。



 自分の心が三成にはよくわからない。それでも嘘ではない。
 何度も言っているのに。何故通じないのだろう?家康は、三成が、憎んでいると信じて疑わない。 なのに好きかと問い掛け、好きだとほんとうのことを応えれば哀しい顔をする。黙っていれば苦しい顔をする。憎んでいると言えばいいのだろうか。言ってほしいのか。・・・憎んでいると、言え、という。命令なのか?
(わからない)
 三成は嘘をつきたくない。嘘は嫌いだ。言葉を飾るのはもっと嫌いだ。ほんとうのこと、だけを伝えていればきっと誰も傷つかない。
(・・・家康が、好きだ)
 でも、通じない。



 もう動く気力もなくなった三成の前で、ゆっくりと家康は立ち上がった。 
 手にした柩の部屋の鍵、を、―――部屋の窓を開けると力いっぱい暗い空へ放り投げた。鈍色した鍵はすぐに闇に融けた。それもすべて三成は落ちかかる前髪の隙間から見つめていた。



もしや彼が欲しいのは、死んでしまった自分のほうなのだろうか、と三成はふと思い至る。



 そして戦慄した。
 柩に眠る、豊臣を必死に守り、家康に憎しみと行き場のない怒りと悲しみとをぶつけて吠えて泣いて叫んで、彼の名を何度も呼んだ―――あの頃の自分が、いいのか。だから抱くときだけは“あのころ”のように振る舞えと命じられるのか。
(・・・だとしたら、・・・ほんとうは、“今の私”は必要ない?)
「い、・・・家康、・・・・・・さま」
 三成は覚えず呼んだ。窓の外を夜風に当たりながら眺めていた家康は振り返った。横たわるままの三成の隣にきてしゃがむと、なんだ?と優しい声がかえってきた。三成の視線の先にいる家康の表情は穏やかで、先程までの狂ったように“誰か”を求めていた彼とは別人のようだ。掌が三成のくすんだ銀の髪を撫でる。
「なんだ。ワシを呼んだだろう?三成?」
「・・・・・・」
 三成はごくりとせりあがるものを飲み込んだ。訊いていいのだろうか、と迷った。問い掛けて、―――正しい答なんかきっとかえってこないと知っている。それでも問うていいだろうか。
「家康、さまは・・・」
「ん?」
「・・・“私”が、・・・好き、・・・ですか・・・?」



 家康は瞠目した。三成の髪を撫でる手が止まった。視線が伏せられて、三成は息を殺して返事を待った。きっと刹那の・・・けれど三成にはとても長い時間が過ぎて、家康は閉じていた瞼を開いた。 黒い瞳は昔のように愛嬌のある色を湛えていた。
 それが、とても遠い・・・
「なにを今更。ワシは、お前が好きだ、三成」
 三成は唇を噛んだ。
 嘘だ、と叫びたかった。叫ぶ前に家康はよいしょと倒れたままの三成の身体を、乱れた着衣ごと抱き上げ、そうして自分の膝の上に抱えるように抱いて、抱きしめた。好きだとも、ずっと好きだ。大好きだ。あいしてる。
 耳元に溢れる心地よい声と心地よい言葉の響きと―――その実がなにも入っていないのだと三成は絶望に震えた。抱かれて貫かれていたときのあの強さと反発しあいながら、命令されたとはいえ罵った三成へそれでこそお前だと・・・ずっと前にそうだったように。あの瞬間の言葉のほうが、殺伐としていながら、もっと胸に響くのは何故なのか、
―――三成には、わからない。
 涙が零れて、家康の頬を濡らした。どうした、なにを泣く?と優しい声が尋ねる。ワシに好かれるのが嫌か、と少しまたさびしい声がした。三成はふるり、こうべを横に振る。そんなはずがない。
 けれど、何を言っても、通じない。
 何を叫んでも、届かない。
 柩の中に眠る自分を思った。あの、意地になって狂ったまま禍禍しさだけを纏って家康を追いかけていた、あの頃の自分を、彼はきっと最も愛しているのだ。
(知りたくなかった)
 だからああやって、・・・閉じ込めて、鍵をかけ、誰にも見せず大事なきれいな思い出として祈りを捧げる。家康の欲しい“三成”はあの黒に塗り潰された地下にいて、誰をもよせつけない。此処にいる自分はあれの抜けがらで、だから命令されてあれのかわりとして振る舞う。
(・・・鍵を、探さなければ・・・)
 虚空へ消えた小さな鍵を思った。あの柩を、それとも燃やしてしまえばいいのだろうか。家康は泣くだろうか。
 ・・・もう二度と自分を見てくれないだろうか。
 三成、あいしてる、と。ゆらゆらたゆたう声に抱かれて、三成は泣いた。もう二度と会えない自分と、その頃の自分を愛した家康を、可哀相に思って、泣いた。
 


 ―――つめたき柩にて、眠れ、ねむれ。二度と会うまい。二度と会えまい。
「家康さま」
「なんだ、三成?」
「私が、・・・好きですか」
「勿論だとも。・・・心配なのか?あいしてる」
 ・・・地下で誰かが哂っている。
 三成はそれでも、この腕を離したくない。
 浅ましい己を哂え、わらえ、けれど二度と出会うまい。出てくるな。消えてしまえ。永劫に眠れ。
 たとえほんとうは求められていなくとも―――



(私は、この場所が、欲しいのだから)



(了)



例えば張り合わせたリングの表と裏を辿るように。
一度ひねりを入れれば表と裏はつながりひとつなぎになる、けれどそれに気付かない。

元ネタというかシチュエーション=青髭です まぁよくありがちな・・・